ノアの語る物語を聞くためにお屋敷を訪れると、出迎えてくれたセバスさんが、今日はお屋敷の地下へと案内してくれた。なんでもノアはそこで調べ物をしているらしい。
「この扉の先の書庫は、お嬢様の城です。ノア様の御友人であっても、くれぐれも粗相の無い様お願いいたします」
そう言ってセバスさんは、扉をゆっくりと畏まった動きで開けると、ぼくを入るように促す。
「わぁ……!」
思わず声が漏れる。入った瞬間、古い紙とインク、それに埃のような匂いが飛び込んできた。規則正しく並ぶ本棚は天井に届くくらいに高くて、それが数えることが出来ないくらい並んでいる。セバスさんがお城と言っていたけど、この立派さはその表現がぴったりだ。
そんな薄暗い部屋で、本棚の影からぼんやりとした青っぽい光が近づいてくる。暗闇の中にノアのその白い仮面が、ぼうと浮かびあがった。
「ああ、君か……ようこそ、歓迎するよ」
「こんにちは、ノア」
「こんにちは……そんな時間だったのか。此処に居ると時間の感覚なんて、曖昧になってしまうな」
ノアは分厚い本を小脇に抱えていた。何の本だろうか、ぼくはあの厚さだけで頭が痛くなってくる気がした。
「その本、どんな内容なの?」
「これ? そうだね。客人をこんな場所で立たせておくのも、忍びないし。こっちに来てくれるかな?」
ノアについて部屋の奥へ進むと、1人用のソファが3つと、大きな机があった。
「どうぞ、掛けて」
「うん」
ノアに促されて、ソファに座る。表面はさらさらしていて、ふかふかした感触、座っているだけで眠くなってしまいそうだ。
「さて、この本だったね。これは、イスタールの民の伝承を纏めた物だよ」
「イスタール?」
「そうだね。多分、君達には古い魔法使い達と言った方が良いかな」
「……! それなら知ってる。神様たちの時代に一緒に生きていた人の事だよね」
古い魔法使いたち、今でも残る魔法の道具を作ったのが彼らだ。
「そう。それで、少し頼まれ事をしてね。彼らの残した伝承を調べていたんだ」
ノアは柔らかく頷いて、言葉を続けた。
「誰に頼まれたの?」
「まぁ、隠す必要も無いか……君も知っているであろう、コルネリウスだよ」
「コルネリウス! もしかして、竜追い人コルネリウス!?」
竜追い人コルネリウス、帝国で知らない人なんていない英雄だ。帝国の土地を見守っているという白竜を、近くで見ることが出来たのは彼だけだし、他の竜と遭遇することが出来たのは彼だけだ。僕と同年代の少年はみんな、彼に憧れてる。帝国で最も偉大な冒険家、それがコルネリウスだ。
「ただ、彼が頼りに来たのは正直、私なんかじゃなくて、彼女の方だと思うけどね」
そう言ってノアは、振り返って暗闇へ目配せした。
「それは、貴方の謙遜でしょう? ノア」
そう言って歩いて来たのは、女の子だった。女の子は闇に溶けるような黒髪を短く切っていて、ゆったりとした品の良い服を着ていた。肌の色は真っ白だけど、それはノアの白と違って、青いと言う方が正しい気がする。そして、輝くような真っ赤の目をしていた。
「初めまして、ノアの可愛い客人さん。僕はノクタニア。サングイス家当主。つまり、この屋敷の主」
ノクタニア。彼女のその雰囲気にぼくは声が出なかった。ノアも貴族的な雰囲気があるけど、その雰囲気はなんて言うか、そのおばけみたいな見た目と違って、春の日差しみたいに暖かい。けど、ノクタニアのそれは冬の星空みたいだ。綺麗だけど、どこか冷たい。
「あ……え……えっと……」
「ふぅ……いえ、名乗らなくて結構よ。一度、お客様の顔を拝見しておこうと、思っただけだもの。ノア、お話は外でやって」
声を出せず固まっているぼくを、ノクタニアは突き放すように言った。淡々とした冷たい声だった。
「分かったよ、ノクタニア。前回と同じように私の書斎で話そうか。さぁ、行こう」
ノアはそう言うと、ぼくの手を引いて書庫の入口へ歩いて行く。
「ノア、貴方がお客様の相手をしている間、調べ物は僕がやっておくから。貴方は安心して話し込んでいなさい」
「ありがとう。この埋め合わせは後でするから」
ノアは振り向いて軽くお面をずらすと、ぼくの手を引いて書庫を後にした。
「彼女については気にしないで、ああやって、人との間に線を引いてるけど、別に嫌っている訳じゃないんだ」
「そうなの?」
ノクタニアのあの雰囲気、まるで刺すみたいで、とてもノアの言うようには思えない。
「うん、まぁ少しすれば分かると思う」
ノアの書斎には、窓から太陽の光が差し込んでいて、書庫と違って明るい。いや、思い出してみると、この屋敷は全体的に薄暗いけど、この部屋だけが光を目一杯取り込めるようになっている。
「んー……」
ぼくは椅子に腰を下ろすと、軽く伸びをする。この部屋は暖かくて安心する。暖かさを楽しんでいると、不意に扉が叩かれる。
「ノア様、入ってよろしいですか?」
「良いよ、入って」
声の主はセバスさんだ。ノアに促されて、部屋に入ってくる。
「失礼いたします。こちら、お嬢様からでございます」
「うん、ありがとう。不発酵茶なんて珍しいね」
セバスさんがぼくとノア2人分のティーカップを机に置いた。入っているお茶は春の若葉の様な、鮮やかな緑色をしていた。
「いただきます。う……苦い」
このお茶は胸が透くようないい香りがしたけど、すごく苦い。ノアの方を見てみると、なんてこと無いような顔で飲んでいた。
「はい、これを使うと良いよ」
「これ、砂糖?」
「そうだよ」
前の物語を聞かせてもらった時に出された飲み物も甘かった。ふとした時に、本当にお金持ちなんだって思い知らされる。
「さて、今日はどんな話にしようか……君としては、この物語が一番興味を惹かれるだろうけど」
ノアは自分の机の上に置かれた本を1冊手に取る。その表紙には竜追い人、コルネリウス。と書いてあった。
「それ、コルネリウスのどんな物語なの?」
その本は、辛うじて本の形をしているといった感じの、飾り気の無いもので、タイトルもすごく簡潔だ。少年たち全員が憧れる英雄、その名前だけをタイトルにしているその本はどんな内容なのか、想像も付かない。
「物語自体はとても有り触れているよ。山脈を越えて、白い竜に会う。絵本にもなっているし、吟遊詩人はこれを一番の演目にしているはず。けどね、これはシリルによって書かれた物なんだ」
「シリル?」
「そう、彼はコルネリウスの親友で、彼の話を直接聞いて、これを書いたんだ」
コルネリウスの親友、シリル。すぐそばで英雄を見続けた人の書く物語って、どんなのだろうか。すごくドキドキする。
「それどうやって、手に入れたの?」
「今回の調べ物の報酬だよ。私が調べ物の対価として要求したんだ」
「物語が対価! ノアもやっぱりコルネリウスのファンなんだ」
落ち着いていて大人みたいなノアも、見た目通りの男の子なんだと思うと、すごく身近に感じられる。
「ファンか……まぁ間違ってないかな。けど、この話はまた次の機会にしよう。
「えー……」
ぼくは不満げな声を漏らした。せっかくコルネリウスの物語だと思ったのに、肩透かしだ。
「そう言わないで、この物語の前に、竜について知るべきだ」
お面の奥で目を細めてぼくを諫めると、ノアは本棚から1冊、本を取り出した。表紙を撫でて、本を開くと最初のページには、7匹の竜が描かれている。
「さて、今回の御話は此方。『七つの星と七匹の竜』」