嫌いな女を守って死んだと思ったら息子に転生してて気まずい 作:とくめ
「お帰りなさいませ、ご主人様、お坊ちゃま」
屋敷に戻るとメイドたちが一斉に頭を下げてくる。
何だかむず痒い光景だ。
前世を思い出してから数ヶ月経つが、未だにこの対応には慣れない。
俺の前世はただの一介の冒険者に過ぎなかった。
能力もそこまであるわけでもなく、ただの凡冒険者として生活していた。
それが気がついたら大量のメイドたちにお坊ちゃまと言われ頭を下げられる生活だ。
意味が分からないよ。
そんなすぐに慣れるはずもない。
染みついた庶民感覚はそう簡単になくならないのだ。
「ただいま」
しかしエリカはなんてことないようにそう言って屋敷に入っていく。
どうやら彼女はもうこの生活に慣れてしまったようだ。
何だよ、ついこの前まで俺と一緒に場末の居酒屋でエールを頼むか迷うような生活を送っていたじゃまいか。
完全に貴族の風格が出てきていて何かむかつく。
しかし俺はそんな感情はおくびにも出さずにスンとした表情でエリカの後に続いた。
「ユークリウス」
踊り場の階段を上がっていく最中。
ふと、エリカは振り返って俺に声を掛けてきた。
「なぁに?」
子供っぽい口調を心掛けて尋ねる。
あざとくキョトンとした首傾げの仕草付きだ。
「明日から、剣術と魔術の講師をつけるわ」
「…………え?」
俺は本当にキョトンとしてしまう。
コウシ……?
え、あ、そっか。
確かに俺は今では貴族の子女。
貴族のたしなみとして剣術やら魔術やらを極めるのは当たり前なのか……?
しかし俺、まだ五歳やぞ。
英才教育にもほどがあるのでは?
いや、貴族ってそんなもんなのだろうか?
普通の貴族を知らんから比較のしようも無いな。
だがなぁ……。
訓練やら勉学やらが始まるって事かぁ……。
正直嫌じゃ。
そういった真面目なコツコツ積み重ねが出来ないから冒険者になったわけで。
これから勉学が始まることを考えると頭が痛くなってくる。
くそぉ……逃げ出したい。
しかし五歳の身体じゃあ逃げ出すこともできんしなぁ。
受け入れるしかないか。
そんなことを考えていたら、エリカの真剣な眼差しが視界に映った。
エリカは真剣な表情でこちらを見つめてきている。
「……どうしたの?」
俺は思わず訊ねた。
エリカは少し考えた後、言った。
「強くなりなさい」
「…………え?」
「誰よりも、どんな相手にも負けないくらい、強くなりなさい」
それは命令口調だった。
前世の罵倒の言葉とも、今世の優しげな言葉とも違う、真面目な命令だった。
困惑する。
コイツがこんな強い命令口調をすることは今までなかった。
何か心情の変化があったのだろうか……?
もしかしたら俺の記憶が欠落している間に、何かしらそう思う出来事があったのかもしれない。
う~ん、よく分からないが、何だか真に迫る感じがするぞ……?
これはちゃんと真面目に訓練した方が良さそうな気がする。
俺の直感がそう言っていた。
***
それから更に10年ほどが経過した。
俺はある程度は貴族の生活に慣れ、ある程度真面目に訓練や勉学に取り組んでいた。
どうやらこの身体は才能に溢れていたみたいで、頑張れば頑張るほど身になっていった。
それが案外楽しくて続けられたというのもある。
成長を実感するっていうのはやってみると思ったより楽しいものだった。
「坊ちゃま」
「ああ」
「試験、ですぞ」
中庭。
俺たちがいつも剣術の訓練に使っている場所だ。
相対するのは品の良い老紳士。
しかしその実体は元王立騎士団長であり、大陸最強と名高かった男だ。
名前はダン。
今では大陸最強の座は他の男に受け渡してしまっているが、それでもその実力は折り紙付き。
そして俺の剣術の指南役でもある。
この10年間、みっちりこの老人から鍛えられてきた。
「勝つ」
「勝ってもらわなければ困りますな」
「それはそうだな」
「卒業試験なのですからな」
「…………」
「これ以上老体を働かせるのは虐待になりますぞ」
「俺より体力あるくせに」
「ほほほ、坊ちゃまの体力がなさすぎるのですよ」
「いや、お前の体力が多すぎるんだ」
「何と。こちとら既に70のジジイですぞ」
「平然とした顔で50キロを全速力で走るやつが何を言っているんだか」
「70のジジイなのは変わりますまい」
「……チッ。俺だって、これでも毎日30キロは走っているんだがな」
俺は木剣を構えた。
ダンは自然体だ。
俺はフッと息を吐いた。
変化。
ピン、と空気が張り詰める。
腰を落とす。
右足を少し引く。
駆けた。
振る。
「ほう」
ダンは半身で俺の攻撃を軽々と躱した。
想定済みだ。
「はっ」
ズン。
突く。
避けられた。
しかしこれも想定済み。
「ふっ」
回転。
木剣を横に薙ぐ。
空を切る音が中庭に響く。
突く。
薙ぐ。
突く。
ダンは余裕顔だ。
「……チッ」
俺は舌打ちをするとさらにテンポを上げた。
タンッ。
タンッ。
タンッ。
静かな足音と風切り音だけが中庭に響いていた。
剣術は熟練されればされるほど、静かに、シンプルになっていく。
タイミングをずらす。
リズムを変える。
高位の剣術は、そういった単純な戦略と、後は速さが勝負の世界となる。
速く。
速く。
もっと速く。
思考が引き延ばされ、時間がゆっくりに感じてくる。
頭が冴え、視界がクリアになっていく。
――――。
――――。
ここだ。
触れた。
木剣が、ダンの肩に触れた。
「ふぅ」
ダンが息を吐いた。
緊張していた空気が弛緩する。
「卒業だ」
その一言は単純に発せられた。