TS成り代わり殴りヒーラー家入硝子さん~幽遊白書好きが呪術廻戦の世界に転生して仙水忍の『霊光裂蹴拳』を極めたら~   作:MMOだと殴りヒーラーが好き

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第20話『分岐点』

【Side:夏油 傑】

 

 1年後。2007年8月。

 

 けたたましい蝉時雨が、高専の窓を叩いている。

 

今日は珍しく、特級と1級である私たち三人の予定が合い、空き教室でただ他愛のない時間を過ごしていた。

 

「でさー、昨日の任務の呪霊がマジでキモくてさ……」

 

「おい五条。飯食ってる最中にキモい話すんな。ぶっ飛ばすぞ」

 

 目の前で、悟と硝子がいつものようにくだらない口喧嘩をしている。

 

 二人とも相変わらず騒がしい。だが、その日常的なやり取りをぼんやりと眺めながら、私の意識は薄暗い泥の底へと沈んでいた。

 

(1年前のあの日。理子ちゃんと黒井さんが殺され、私たち三人も瀕死の重傷を受けた時。あれから――悟は『最強』になった)

 

 術式の複数同時発動、それに常に反転術式を回し続けることによる、脳の焼き切れの防止。そうする事により、悟は『無下限呪術の常時発動』という神業を成し遂げてみせたのだ。

 

 そして。

 

(硝子も、あの日から後輩への指導や組手をしている時間を減らし、何かに追われるように狂ったような自己鍛錬を続けていた。そして気付けば、何かを掴んだ硝子も『準最強』と呼ばれる存在になっていた)

 

 新しく覚えた力を使った悟と硝子の組手。呪力有りでの実戦形式では、まだ硝子は悟に勝ててはいないようだったが、『最強』となった悟が明らかに本気になり、冷や汗をかかされている光景を、私は確かに見た。

 

 それに加え、彼女は多忙な合間を縫って医師免許まで取得し、性格を除けば文武両道の才女となっていた。

 

 悟は最強になった。硝子は準最強になった。

 

 では、私は?

 

(訓練はしている。呪霊操術と格闘を組み合わせた一人連携の練習もしている。だが……すでに二人には、呪力有りの組手では手も足も出ない。二人の足元にも、及んでいない。私は……)

 

「おーい、傑。聞いてんのか?」

 

「……え?」

 

 不意に顔の前で手が振られ、私はハッと我に返った。覗き込んできた悟が、サングラスの奥の蒼い瞳をわずかに細めている。

 

「お前、ちょっと痩せた? 大丈夫か?」

 

「最近、任務ばっかで忙しいからな。休める時はちゃんと休んで、飯食えよ夏油」

 

 硝子が、ぶっきらぼうだが確かな気遣いを含んだ声で尋ねてくる。

 

 目の前にいる、私にとって世界で一番大切な親友たち。だが、今の私には、心配してくれる彼らのその優しさすらも――ひどく遠く、眩しすぎて直視できなかった。

 

 私は、心の中に渦巻くドス黒いヘドロを必死に押し殺し、いつもの『優等生』の笑みを顔に貼り付けた。

 

「ああ、大丈夫だよ。ただの夏バテかな」

 

 そう返す私の声は、ひどく空虚に響いている気がした。

 

「ソーメン食いすぎた?」

 

「疲労と寝不足かな。少し、シャワー室でさっぱりしてくるよ」

 

「そっか。浴びすぎて今度は風邪ひくなよ?」

 

 悟の悪気のない無神経な言葉に苦笑し、私は立ち上がって教室を出ようとしたとき、ふと、背中に刺さるような視線を感じた。

 

 振り返ると、硝子がジュースの缶を持ったまま、何も言わずにジッと私を見つめていた。その瞳の奥に何があったのか……今の私には、それを読み取る余裕すら残されていなかった。

 

「……じゃあ、また後で」

 

 私は逃げるように、その場を後にした。

 

◇ ◇ ◇

 

 高専内の、薄暗い男子用シャワー室。

 

 冷たい水を頭から浴びながら、私は壁に手をついてうなだれていた。

 

 祓う、取り込む。その繰り返し。

 

 祓う、取り込む。……皆は知らない、呪霊の味。吐瀉物を処理した雑巾を、丸呑みしている様な感覚。

 

(誰のために?)

 

 あの日から、ずっと自分に言い聞かせている。盤星教の教徒たちの、あの醜悪な拍手。

 

 あれは何も珍しくない、周知の醜悪だ。弱者とはそういうものだ。知った上で私は――彼らを、守り続けると決めたはずじゃないか。

 

(……だが。本当に、そうか?)

 

 数日前、七海と灰原が2級呪霊の討伐任務へ向かった。だが、蓋を開けてみれば派遣先の呪霊は等級を大きく上回る1級の産土神だった。硝子に鍛えられた二人はなんとかその1級呪霊を祓ってのけたが、高専へ帰投した彼らの身体はボロボロで、一歩間違えれば確実に死んでいた重傷だった。

 

 すぐに硝子が治癒したため事なきを得たが……血に染まった二人の姿を見た時、私の胸の奥で、何かが決定的に軋む音がした。

 

 あんな奴らを――あの盤星教で無機質な拍手を送っていたような醜悪な非術師どもを、守るために? 七海や灰原のような善良な後輩たちが、血を流し、死の危険に晒されなければならないのか?

 

 頭の奥で、黒いノイズが鳴り響く。私の心の中の張り詰めていた糸が、プツリと切れ、ドス黒い闇に身を投げ出そうとした、まさにその瞬間だった。

 

 ――ドバァァァァンッッ!!!

 

「!?」

 

 爆発音にも似た凄まじい破壊音と共に、男子シャワー室の分厚い扉が、蝶番ごと弾け飛んで壁に突き刺さった。

 

「ドーン、と。夏油、邪魔するぞー」

 

「……は?」

 

 もうもうと立ち込める湯気と土煙の中。

 

 そこには、高専の黒い制服を着たままの硝子が、扉を蹴り飛ばした右足を下ろしながら、さも自分の部屋に入ってくるかのような顔で立っていた。

 

「な、硝子!? おまっ、ここは男用のシャワー室だぞ……!?」

 

 私は反射的にシャワーを止め、慌てて手近にあったタオルで下半身を隠しながら叫んだ。

 

「普段からあまり女らしくないとは思っていたが、さすがに年頃の女性として、全裸の男が居る場所にその行動は……!」

 

「あ? 別に減るもんじゃねぇだろ。男の×××なんて見慣れてるから気にすんな」

 

「は?」

 

 私の思考が、別の意味で完全にフリーズした。見慣れている? 男のそれを? 硝子が?

 

「見慣れてるって……まさか、悟と!? いつからそんな不純異性交遊を……っ!」

 

「気色悪い事言うなバカ。誰があんなバカサングラスと。 ぜんせ、あー……医者の勉強で、解剖学の知識として覚えただけだ。気にするな」

 

「いや、実物を見慣れてる理由にはなっていないだろう! それはともかく、早く出て行け!」

 

「うるせぇ、つべこべ言うな!」

 

 私がタオルを握りしめながら抗議するも、硝子は全く聞く耳を持たず、ズカズカとシャワー室の中まで踏み込んできた。

 

 そして、全裸でうろたえる私の腕をガシッと掴むと、呪力で強化した馬鹿力で、脱衣所の方へと強引に引きずり出そうとしてくる。

 

「っ……硝子、何をするんだ! 腕がもげる!」

 

「五条のバカは気付いてなかったがな。お前、さっき教室で……闇落ちする前の仙水忍みたいなツラになってたぞ。何かあったか?」

 

「……え?」

 

 その言葉に、私は息を呑んだ。

 

 前髪の奥から私を睨みつける硝子の目は、いつものような悪ふざけの色は一切なく。どこまでも真っ直ぐに、私の腹の底のモノを見透かしていた。

 

「気になって、無理やり突撃してきたんだ。……ほら、さっさと着替えろ。ジュースでも飲みながら聞いてやるから、行くぞー」

 

 嵐のように言い放ち、硝子は踵を返してシャワー室を出て行った。一人残された私は、呆然としながらも、急いで濡れた身体を拭き、制服に袖を通した。

 

◇ ◇ ◇

 

 脱衣所を出ると、硝子は廊下の壁に背中を預け、自販機で買った微糖の缶コーヒーを二つ持って待っていた。私が出てきたのを確認すると、無言でその一つを投げてよこす。

 

「……ありがとう」

 

 私はプルタブを開け、一口飲んだ。安っぽい人工的な甘さと苦味が、麻痺していた舌に妙に鮮明に染み渡る。

 

「……悟は最強になり、硝子も一年前のあの時よりも遥かに強くなった」

 

 缶コーヒーの飲み口を見つめながら、私は誰に言うともなく、自分の中のドス黒い澱をただ口からこぼれ落とした。それは、誰に聞かせるでもない、限界を迎えた心の独り言のような物だった。

 

「私だけが何も変わらず、ただ吐瀉物を処理した雑巾のような味の呪霊を、一人で呑み込み続けている。……誰のために? 何のために? あの日、拍手をして笑っていたような醜悪な非術師を、守るために?」

 

 初めて口にした、弱音。言ってしまってから、私はハッとした。硝子の前で、なんというみっともない愚痴をこぼしてしまったのかと。

 

 だが、黙って聞いていた硝子の反応は、私の予想とは全く違うところへ食いついていた。

 

「……ん? ちょっと待て夏油。お前、今なんて言った?」

 

「あ、いや……忘れてくれ。ただの愚痴――」

 

「違う、そこじゃねぇ。『呪霊の味』がなんだって?」

 

 硝子が、壁から背中を離し、信じられないものを見るような――ドン引きしたような目で私を凝視してきた。

 

「と、吐瀉物を処理した雑巾……のような味、だが……?」

 

「……はぁ!?」

 

 硝子は缶コーヒーを持ったまま、頭を抱えるように天を仰いだ。

 

「お前っ……そんなゲロマズいもん、毎回一人で顔色一つ変えずに食ってたのか!? アホかお前は! なんで一言『マズい』『キツい』って言わねぇんだよ!」

 

「いや、言ったところで呪霊操術の仕様が変わるわけでもないし、呪術師としての私の――」

 

「そういうクソ真面目なところがアホだって言ってんだよ!」

 

 硝子のド直球な怒声に、私は目を丸くした。そして硝子は無言で携帯を取り出すとどこかへかけはじめる。

 

「あー五条? ちょっと緊急会議。自販機前に来てくれ、夏油もいるから。怒るなって、教室で放置したのは謝るからさ」

 

 ピッ、と硝子は一方的に電話を切ると、ため息をつきながら缶コーヒーを呷った。

 

「な、硝子!? なぜ悟を呼ぶんだ! 私は別に――」

 

「当たり前だろ。お前が一人で勝手にゲロマズいもん食って潰れそうになってたんだ、あいつにも何か出来ないか私と一緒に考えてもらう」

 

 硝子は空になった缶をゴミ箱に放り投げ、真っ直ぐに私を見た。

 

「あいつが色々出来るようになって、一人で突っ走ってお前を見れていないせいで……お前が余計に独りで色々溜め込んで、闇堕ち直前みたいな顔してるんだろうが」

 

 硝子の言葉は暴論だ。だが、不思議と私の心の中の「置いていかれた」という孤独な澱を、少しだけ薄めてくれる気がした。

 

 ――ドドドドドッ!!

 

 数十秒後。

 

 校舎の廊下の奥から、けたたましい足音が響いてきた。角を曲がって現れたのは、少し息を切らし、不機嫌そうな顔をした悟だった。いくらあいつでも、障害物の多い屋内で『蒼』による高速移動は使えない。つまり、わざわざ全力で走って駆けつけてきたのだろう。

 

「なんだよ緊急会議って! お前ら教室に俺を置いて帰ってこないし!」

 

「おっ、早いな。いいか五条、よく聞け。夏油のやつ、いつも取り込んでる呪霊の玉あるだろ?」

 

「ああ、アレね。それが何で緊急の理由に?」

 

 首を傾げる悟に対し、硝子は親指で私を指差して、とんでもないことを発表するかのように言った。

 

「初めて聞いたんだけど、アレの味が『吐瀉物を拭いた雑巾の味』らしいんだよ。五条、知ってたか?」

 

「……は?」

 

 悟の蒼い瞳が、限界まで見開かれた。

 

 数秒間の沈黙の後、彼は信じられないものを見るような目で私を見つめ、やがて――本気でドン引きしたような声を上げた。

 

「いや、初耳だが……。傑! お前、いつも何とも無いような顔してそんなヤバいもん飲んでたのか!? 言えよ!」

 

「いや、さっき硝子にも言ったんだが。二人に話しても意味は無いだろうし、そういう仕様なんだと思ってたんだが……」

 

 私が申し訳なさそうに答えると、硝子が腕を組んで眉をひそめた。

 

「そもそも、呪霊操術って夏油が最初ってわけでもないだろうに、そういった味関連の資料は無かったのか?」

 

「俺の無下限呪術や、禪院家の十種影法術とかの相伝なら資料も残ってるんだが……呪霊操術は珍しい上に相伝じゃない。だからマニュアルが存在しないんだよ」

 

 悟の言葉に、私は静かに頷いた。だからこそ、私が一人でこの味に耐え続けるしかないと、そう思っていたのだ。だが、私の絶望など意に介さない様子で、硝子がポンと手を打った。

 

「じゃあ、これから私たちでマニュアルを作って、色々試してみるか」

 

「……試す? 何をだい?」

 

「味がするって事は、味覚だろ? 飲み込む前に喉に部分麻酔とかやるとどうなるんだろうな。あとはオブラートで包むとか、味を上書きするくらい激辛の香辛料と一緒に飲み込むとかさ」

 

 硝子の突拍子もない、どこかふざけたような提案に、私は目を丸くした。悟も「おっ」と顔を輝かせ、楽しそうに笑う。

 

「それいいじゃん! 傑、今日時間あるだろ? 無くても任務は七海や灰原に任せて、色々試してみよーぜ!」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ二人とも。あれはソフトボール大の大きさがあるんだ。オブラートに包むのは物理的に無理があるし、麻酔なんて――」

 

「医者の資格取ったから私が部分麻酔出来るぞ」

 

「お、いいねぇ。とりあえずここじゃ狭いからまずは医務室いこーぜ!」

 

「だから二人とも人の話を聞け!」

 

 左右から私の腕を引っ張り、医務室へと連行しようとする二人。

 

 二人の言葉には、呪術師としての高尚な大義も、特級としての責任の重さも、何一つ含まれていなかった。ただ単に、「友達がめちゃくちゃマズいものを一人で我慢して食べていたこと」を解決しようと、本気で馬鹿騒ぎをしてくれているだけだった。

 

「……ふっ、はははっ」

 

 抵抗しながらも、気づけば私は笑っていた。腹の底からこみ上げてくる、心からの笑いだった。

 

「はははっ! 参ったな……本当に、君たちには敵わないよ」

 

 2007年、夏。

 

 私、夏油傑の心に巣食っていた巨大な闇は――デリカシー皆無な一人の格闘バカと、それに巻き込まれた最強の親友によって、騒がしく、そして優しく塗り潰されていったのだった。

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