第1話 グラブの重さ
近所の河川敷にある少年野球チーム「陽ノ丘スポーツ少年団」の練習は、日曜の朝八時から始まる。
悠朗が父親に連れられてグラウンドに顔を出したのは、季節が二回りするのを待たずしてのことだった。あの日テレビで見た試合から、まだ数週間しか経っていなかったが、悠朗の中では「野球をやる」という決意は、揺らぐことなく続いていた。
「新しく入る子?」
声をかけてきたのは、日に焼けた顔の監督だった。チームの子どもたちを長年見てきたという貫禄が、その声には滲んでいた。
「はい。青柳悠朗といいます。よろしくお願いします」
深く頭を下げる悠朗に、監督は一瞬、意外そうな顔をした。まだ小学一年生の子どもが、これほどきちんと挨拶をすることは、そう多くない。
「……礼儀正しいな。よし、じゃあまずはキャッチボールからだ」
陽ノ丘スポーツ少年団には、上級生中心のAチームと、低学年が野球の基礎を学ぶBチームがあった。まだ何も分からない悠朗は、まずBチームで、一から野球を覚えていくことになる。初日である今日だけは、監督自らが様子を見てくれていた。
手渡されたグラブは、悠朗の小さな手には少し大きすぎた。革の匂いと、ずっしりとした重み。それを両手で抱えるようにして、悠朗はグラウンドの隅に立った。
「悠朗、ボールはこうやって投げるんだよ」
同じチームの、少し年上の少年が手本を見せてくれる。悠朗は黙って、その動きを何度も目で追った。一度で覚えられるわけがない。それは分かっていた。だから、人一倍、じっと見た。
最初のボールは、驚くほど飛ばなかった。地面に叩きつけるように落ち、砂埃を上げて転がっていく。
「ドンマイドンマイ!」
年上の少年が笑いながら声をかけてくれる。悠朗は小さく頷くと、転がったボールを拾いに走った。悔しさはあった。けれど、それ以上に不思議な感覚があった。
——楽しい。
体の中で、何かが静かに満たされていくような感覚だった。
◆
その日の練習の最後、監督が全員を集めてこう言った。
「よし、今日はここまで。みんな、道具の片付けをしっかりな。グラブは大事な相棒だぞ」
子どもたちがわらわらと道具をまとめる中、悠朗は誰よりも丁寧に、借りたグラブの土を払った。型崩れしないように、そっと形を整えてから、道具袋にしまう。
「……お前、律儀だな」
隣で片付けをしていた年上の少年が、感心したように言った。
「大事な道具だから」
短くそう答えると、少年は少し笑って、それ以上何も言わなかった。
◆
家に帰る道すがら、悠朗は隣を歩く父親に聞いた。
「父さん、僕、うまくなれるかな」
父親は少し考えてから、こう答えた。
「うまくなるかどうかは、これから次第だな。でも――」
言葉を切って、父親は悠朗の頭に軽く手を置いた。
「今日、道具を丁寧に扱ってた姿、すごく良かったぞ。それができる子は、絶対に伸びる」
悠朗は何も言わず、ただ小さく頷いた。うまくなれるかどうかは、まだ分からない。けれど、道具を大切にすること、丁寧に向き合うこと——それだけは、誰に言われるでもなく、悠朗にとって当たり前のことだった。
グラブの重みは、まだ手に馴染んでいなかった。だが、その重みを、悠朗は嫌いではなかった。
(つづく)