小学二年生になった悠朗は、相変わらず陽ノ丘スポーツ少年団のBチームに所属していた。
Bチームは、低学年の子どもたちが野球の基礎を学ぶための場所だった。専属で見てくれているのは、監督とは別の若いコーチ——大学で野球をやっていたという、笹本という名の男だった。
「悠朗、この間よりバットの出が早くなったな」
笹本コーチにそう声をかけられると、悠朗は小さく頷いた。
「うん。毎日、素振りしてるから」
家に帰ってからも、悠朗は日課のように素振りを続けていた。誰かに言われたからではない。ただ、うまくなりたいという気持ちが、体を動かすことに直結しているだけだった。
Bチームには、悠朗と同学年の子どもたちも増えていた。特に仲良くなったのは、同じ二年生の大地という少年で、体は大きいがまだ野球を始めたばかりで、たびたび悠朗に教わりに来ていた。
「悠朗、どうやったらそんな真っ直ぐ飛ぶんだ?」
「……よくわかんない。振ったら、そうなる」
我ながら答えになっていないと思いつつも、悠朗にはそれ以上うまく説明する言葉が見つからなかった。大地は不満そうな顔をしながらも、悠朗の素振りをじっと真似し始めた。
◆
その週末、地域の低学年大会が開かれた。Bチーム同士が集まる大会で、優勝すれば表彰状がもらえる、子どもたちにとっては大きな目標だった。
一回戦、二回戦は危なげなく勝ち進んだ。悠朗は変わらず打席前に一礼をし、当てたボールは高確率で内野を抜けていく。三振ということも、ほとんどなかった。
だが、準決勝の相手は違った。
対戦相手のチームには、学年で頭一つ抜けた投手がいた。まだ二年生とは思えないほど、腕の振りが鋭い。速いだけでなく、コースにきっちり投げ分けてくる。
「あの子、有名らしいぞ。もうAチームの大会にも呼ばれてるって」
味方ベンチで、そんな噂話が聞こえてきた。悠朗はそれを気にする素振りも見せず、いつも通り打席へと向かった。
一礼をして、構える。
一球目、内角に食い込む速球。悠朗のバットは反応したが、わずかに遅れた。
「ストライク!」
二球目、外角低め。今度はボール球と判断して見送る。
三球目——今度は真ん中付近の、これまでなら確実に捉えられていたはずのコースだった。だが、その球のスピードは、悠朗がこれまで打席で見てきたどの球よりも速かった。
バットが空を切った。
「ストライク、バッターアウト」
初めての三振だった。
ベンチに戻る悠朗の表情は、いつもよりわずかに硬かった。誰かに何かを言われたわけではない。ただ、自分の中で、何かがうまくいかなかったという感覚だけが、はっきりと残っていた。
試合はそのまま、僅差で負けた。
◆
「悠朗、大丈夫か?」
帰り道、隣を歩く父親が声をかけてきた。悠朗はしばらく黙ったまま歩いていたが、やがて口を開いた。
「……ぜんぜん、バットに当たらなかった」
「そうだな。今日の相手のピッチャー、大人が見てても速かったよ」
「悔しい」
短く、けれどはっきりと悠朗はそう言った。今まで、負けた時も、うまくいかなかった時も、ここまで言葉にすることはなかった。父親は少し驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく笑った。
「悔しいって思えるのは、いいことだぞ。次、あのピッチャーと当たったら、どうしたい?」
悠朗は少し考えてから、小さく答えた。
「……もっと、はやく振れるようになりたい」
「よし。じゃあ、今日の帰りも素振りするか」
「する」
いつもより少しだけ、悠朗の足取りが速くなった。グラブとバットの入った道具袋を抱えながら、悠朗の頭の中では、もう次の素振りのことでいっぱいだった。
壁は、確かにあった。だが、悠朗にとってそれは、避けたいものではなく、次に向かうための、ただの目印のようなものだった。
(つづく)