一礼の天才   作:大浦泉

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第3話 初めての壁

小学二年生になった悠朗は、相変わらず陽ノ丘スポーツ少年団のBチームに所属していた。

 

Bチームは、低学年の子どもたちが野球の基礎を学ぶための場所だった。専属で見てくれているのは、監督とは別の若いコーチ——大学で野球をやっていたという、笹本という名の男だった。

 

「悠朗、この間よりバットの出が早くなったな」

 

笹本コーチにそう声をかけられると、悠朗は小さく頷いた。

 

「うん。毎日、素振りしてるから」

 

家に帰ってからも、悠朗は日課のように素振りを続けていた。誰かに言われたからではない。ただ、うまくなりたいという気持ちが、体を動かすことに直結しているだけだった。

 

Bチームには、悠朗と同学年の子どもたちも増えていた。特に仲良くなったのは、同じ二年生の大地という少年で、体は大きいがまだ野球を始めたばかりで、たびたび悠朗に教わりに来ていた。

 

「悠朗、どうやったらそんな真っ直ぐ飛ぶんだ?」

 

「……よくわかんない。振ったら、そうなる」

 

我ながら答えになっていないと思いつつも、悠朗にはそれ以上うまく説明する言葉が見つからなかった。大地は不満そうな顔をしながらも、悠朗の素振りをじっと真似し始めた。

 

 

その週末、地域の低学年大会が開かれた。Bチーム同士が集まる大会で、優勝すれば表彰状がもらえる、子どもたちにとっては大きな目標だった。

 

一回戦、二回戦は危なげなく勝ち進んだ。悠朗は変わらず打席前に一礼をし、当てたボールは高確率で内野を抜けていく。三振ということも、ほとんどなかった。

 

だが、準決勝の相手は違った。

 

対戦相手のチームには、学年で頭一つ抜けた投手がいた。まだ二年生とは思えないほど、腕の振りが鋭い。速いだけでなく、コースにきっちり投げ分けてくる。

 

「あの子、有名らしいぞ。もうAチームの大会にも呼ばれてるって」

 

味方ベンチで、そんな噂話が聞こえてきた。悠朗はそれを気にする素振りも見せず、いつも通り打席へと向かった。

 

一礼をして、構える。

 

一球目、内角に食い込む速球。悠朗のバットは反応したが、わずかに遅れた。

 

「ストライク!」

 

二球目、外角低め。今度はボール球と判断して見送る。

 

三球目——今度は真ん中付近の、これまでなら確実に捉えられていたはずのコースだった。だが、その球のスピードは、悠朗がこれまで打席で見てきたどの球よりも速かった。

 

バットが空を切った。

 

「ストライク、バッターアウト」

 

初めての三振だった。

 

ベンチに戻る悠朗の表情は、いつもよりわずかに硬かった。誰かに何かを言われたわけではない。ただ、自分の中で、何かがうまくいかなかったという感覚だけが、はっきりと残っていた。

 

試合はそのまま、僅差で負けた。

 

 

「悠朗、大丈夫か?」

 

帰り道、隣を歩く父親が声をかけてきた。悠朗はしばらく黙ったまま歩いていたが、やがて口を開いた。

 

「……ぜんぜん、バットに当たらなかった」

 

「そうだな。今日の相手のピッチャー、大人が見てても速かったよ」

 

「悔しい」

 

短く、けれどはっきりと悠朗はそう言った。今まで、負けた時も、うまくいかなかった時も、ここまで言葉にすることはなかった。父親は少し驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく笑った。

 

「悔しいって思えるのは、いいことだぞ。次、あのピッチャーと当たったら、どうしたい?」

 

悠朗は少し考えてから、小さく答えた。

 

「……もっと、はやく振れるようになりたい」

 

「よし。じゃあ、今日の帰りも素振りするか」

 

「する」

 

いつもより少しだけ、悠朗の足取りが速くなった。グラブとバットの入った道具袋を抱えながら、悠朗の頭の中では、もう次の素振りのことでいっぱいだった。

 

壁は、確かにあった。だが、悠朗にとってそれは、避けたいものではなく、次に向かうための、ただの目印のようなものだった。

 

(つづく)

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