一礼の天才   作:大浦泉

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第5話 三塁線の彼方

数ヶ月が過ぎ、季節が一つ変わった頃、Bチームは別の地域大会に出場することになった。

 

組み合わせを見た瞬間、悠朗の目に、ある名前が留まった。前の大会で対戦し、初めて三振を喫したあのチームだった。

 

「また当たるんだな、あそこと」

 

笹本コーチが、対戦表を見ながらそう呟いた。悠朗は何も言わず、ただじっと対戦表を見つめていた。悔しさは、もうすっかり消えたわけではなかった。それでも、あの時とは違う自分がいることも、なんとなく分かっていた。

 

 

準決勝、相手ベンチには、あの日と同じ投手の姿があった。相変わらず、腕の振りは鋭い。

 

「悠朗、短く持つの、忘れんなよ」

 

ベンチから大地が声をかけてくる。悠朗は小さく頷くと、バットのグリップを、あの日教わった位置で握り直した。

 

打席に入る前、いつも通り深く一礼をする。

 

一球目、内角の速球。前回なら差し込まれていたはずの球に、今度はバットが反応した。

 

「ファウル!」

 

バットの先で辛うじて捉えた打球が、後方へ飛んでいく。悠朗の中で、小さな手応えがあった。

 

(今の、当たった)

 

二球目、外角低め。今度も食らいついて、ファウルで粘る。

 

「まだ粘るのか、あいつ……」

 

相手投手の表情に、わずかな苛立ちが浮かんだ。前回は簡単に三振を奪えた相手が、今回は簡単には引き下がらない。

 

三球目、勝負の真ん中付近。悠朗のバットが振り抜かれた。

 

打球は三塁線ぎりぎりのフェア地域を鋭く転がっていく。相手の三塁手が横っ跳びに飛びつき、グラブの先でなんとか止めると、体勢を崩しながらも一塁へ送球した。

 

一塁ベース周辺がどよめいた。セーフかアウトか、それほど際どいタイミングだった。

 

悠朗は一塁へ全力で走ったが、判定はアウト。わずかに一歩、及ばなかった。ベンチに戻る悠朗の表情は、前回の三振の時とは違っていた。悔しさはあったが、それだけではない何かが、確かにそこにあった。

 

「悠朗、今の、ほとんどヒットだったじゃねえか!」

 

大地が興奮気味に迎えてくれる。悠朗は小さく頷いた。

 

「うん。……前より、ちゃんと見えた」

 

短くそう答えると、悠朗はベンチの隅で静かにバットを置いた。結果はアウトだった。それでも、あの日手も足も出なかった球に、今回はしっかり食らいついた。その事実だけで、悠朗の中では十分だった。

 

これが、この日の悠朗にとって最初の打席だった。二回表の出来事だった。

 

 

四回表、二度目の打席が回ってきた悠朗は、際どいコースを見極めて四球を選んだ。エースの制球は、まだ悠朗にヒットを許すほど甘くはなかった。それでも、簡単には料理されなくなっていた。

 

その回を投げ終えたところで、相手のエース投手がマウンドを降りた。学童野球には投球数の制限があり、低学年の部では一人の投手が一日に投げられる球数が決まっている。エースはその上限に近づき、規定に従って二番手の投手に交代したのだった。

 

「よし、ピッチャー代わった。ここからだぞ」

 

笹本コーチの声に、ベンチの空気が少し変わった。エースには手も足も出なかった前回とは違い、今日はここまで食らいついてきた。その上で投手が代わったとなれば、まだ望みはある。

 

試合は、その後も一進一退のまま進んだ。

 

そして六回表、二アウト一・二塁の場面で、打席に入ったのは大地だった。マウンドにいるのは、エースから交代した二番手の投手だった。

 

「大地、思い切っていけ!」

 

ベンチからの声援に、大地は緊張した面持ちでバットを構えた。短く持ったグリップ。この数ヶ月、悠朗の隣で誰よりも多く素振りを重ねてきた成果が、この一打席に懸かっていた。

 

投手の一球目、大地のバットが振り抜かれた。

 

甲高い打球音。ボールは中堅手の頭上を越え、フェンス際まで転がっていった。

 

「走れ、走れ!」

 

二人のランナーが次々とホームを踏み、大地は息を切らしながら二塁に到達した。

 

「大地ーっ!」

 

味方ベンチが沸き立つ中、悠朗も立ち上がって拍手を送っていた。派手に叫ぶことはなかったが、その顔には、はっきりとした喜びが浮かんでいた。

 

試合は、そのまま逃げ切って勝利した。

 

 

試合後、汗だくの大地が、照れくさそうに悠朗のところへやってきた。

 

「悠朗のおかげだよ。お前が短く持つの教えてくれたから」

 

「ううん。大地が、いっぱい振ったから」

 

短いやり取りだったが、二人の間には、確かな手応えが流れていた。

 

笹本コーチは、そんな二人の様子を少し離れたところから見ながら、小さく頷いていた。

 

(一人だけの力じゃない。こうやって、チームは強くなっていくんだな)

 

帰り道、悠朗は父親に、今日の内野ゴロのことを話した。

 

「際どかったな、今日の当たり」

 

「うん。でも、当たった」

 

「次は、抜けるといいな」

 

「うん。次は、抜く」

 

悠朗はそう言うと、いつものように、道具袋の中のバットとグラブを確かめた。まだ壁を完全に越えたわけではない。それでも、確かに一歩、前に進んだ。その手応えだけを胸に、悠朗は家路を歩いていった。

 

(つづく)

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