□羽宮領 【高位鉄砲士】 羽宮信姫
女は長い黒髪を揺らしながら、跪く家臣たちを尻目にズカズカと畳を踏み進む。
突き進んだ先、誰もいなくなった空間の奥に座す襖を開けた。
いつものように豪胆に……とは、行かない。
その先にいるのは、女よりもより上の立場にある存在なのだから。
「…父上。兄上。お呼びに預かり参上いたしました、信姫にございます。…入室をお許しください」
女は襖の前に膝をつき、頭を垂れた。
発言の後、襖の奥から声が響く。
「……良い。入れ。」
「…失礼致します」
女は平伏したまま襖を空け、厳かに入室した。
再び襖を閉めて、彼女は部屋の奥に顔を向けた。
そこには二人、男がいた。
男たちは盃台に置かれた盃に酒を注ぎ、喉に流しながら女に語り始めた。
「――よく来たな、信姫。我が娘よ。楽にせい」
「はっ。……つきましては、この度の御用についてお聞きしてもよろしいでしょうか」
女…信姫は、父と兄である二人の男を見つめる。
そんな信姫に対し、兄は腹立たしげに眉を顰めた。
「ふん。…信姫。どうやら餓鬼共に、随分と好き勝手させているようじゃないか。我が家にそう余裕がないことくらい、わかりきっておろうに。如何にお前が将や武芸者としても優れているとしても、いささか勝手がすぎるのではないか?」
「特に、貴様が客分として拾ってきたあの紫銀の髪をした男。<ますたー>だかなんだか知らんが、弱く、何処の馬の骨とも知らん男に飯を食わせてやるなど、気が触れたとしか思えぬ」
「……お言葉ですが、兄上。幼子たちはいずれこの羽宮の家に仕えることとなる者たち。彼らの為に尽くすことでこそ、彼らもまた我らのために尽くしてくれるものと存じます。……そして、<ますたぁ>――ハズレも、決して無駄飯ぐらいではありませぬ。兄上とて、万能の才を持つとされる<ますたぁ>の話は知っておりましょう」
かつて"三強時代”に【覇王】と【龍帝】と肩を並べて覇を唱えたとされる英傑、【
彼らはあらゆる全てのジョブに適性を持ち、多くのティアンが直面するレベルの頭打ちという概念を持たないとされ、何よりも<エンブリオ>と呼ばれる特異な力を持つとされる。
「ふん。そんなことは言われるまでもない。ここ数日、今代の【猫神】が世に広めた通りに、<ますたー>が増加しているという報せが届いておる。彼奴等が持つという<えんぶりお>の面妖さと、特異さもな……しかし、お前の拾ってきた男はどうだ?<えんぶりお>とやらは未だ目覚めず、刀の扱いすらままならなかったのだろう?」
「……えんぶりお、とやらは、孵るまでに個人差があると聞きます。そうでなくとも―――、」
「よい。そんな話をしたかったわけではない……本題に入ろう。」
盃台に盃を下ろし、父は信姫を制した。
―――本題。わざわざ刀都から信姫を呼び戻した理由を言及され、信姫はやっとかと悪態をついた。
「……本題というのは、その童らのことだ。お主も知っての通り、我が家は今、決して余裕のある状態ではない。……このままでは、四大名家の一つ、南朱門家との争いは免れまい。無論、負けるつもりなど毛頭ないが…」
「南朱門家との領土争いに勝とう負けようが、消耗は必至。……力が。現状最高戦力であるお前や我らだけでは足りぬ――より強大な力が必要だ。それも、最低限度の代償でな」
「……つまり、何が……」
――力が必要。力が、より強大な。
強大な力を手に入れる、とするのなら、ティアンがとれる代表的な手段は二つだろう。
一つは、特典武具。<UBM>を倒し、MVPを取ることで手に入れることができる特殊なアイテムによって得られる力。
しかし、<UBM>は皆特異な力を持ち、討伐・発見が非常に困難であり、犠牲が最低限に収まる根拠は無い。
二つは、超級職。特定のジョブや才を極め、条件を達成することで辿り着ける一種の極地。
しかし超級職に至る道のりは簡単なものではなく、また条件も未明なものが多い。
そうでなくとも、現状、羽宮家に新たな超級職に就けるような人材がいるとは思えない。
困惑している信姫を見て、兄は鼻で笑い嘲った。
「ふん。察しの悪いやつだ。―――あるだろう?この国には、たった一つ、明確に力を手に入れる手段が」
「……正気ですか」
「正気だとも!!」
兄が台を叩き、興奮のままに立ち上がった。
血走った目が信姫を覗く。
「―――我ら羽宮が<修羅の奈落>を攻略し、【憤怒魔王】の座へと至るのだ!!」
「…っ……!!」
――不可能だ。信姫は目の前の二人の正気を疑った。狂っている。まともな神経とは思えない。
「……馬鹿か、貴様は。……この際、言わせてもらうがの。兄上にそれが可能だとは、少なくとも儂には到底思えん。いや、誰に聞こうと同じ答えが帰ってこよう。兄上に限らず、たとえこの信姫や父上、他の羽宮の者が尽力しようとも、不可能じゃろうて。尽きることのないかつての武士たちの影法師だけでない。あの地には腕試しに訪れている無数の武芸者達もいる。そのくらい、兄上らも存じているだろうに、その中であの"だんじょん”を制覇できると、本気で思っておるのか……!!」
「――そのために、童共が使えるというのだ」
父の言葉に、信姫は自らの耳を疑った。
―――この男は、もしや……!!
「童らを先行させ、影法師共を惹きつけさせる肉盾とする。その隙に貴様が他の武士共を蹴散らし、貴様の兄が<修羅の奈落>を制覇する、という魂胆だ。挑む人数が多いほどに難易度は跳ね上がるが、元よりあの場には常に猛者共が彷徨いておるし、童共を放り込んでもさほど変わりはあるまい。……なぁに、童共は既に最低限のレベルはあり、【死兵】にもついておろう?役目は存分に果たせるだろうさ。……たとえ彼奴等が全滅しようと、新たに孤児を集めれば良い。我が家に仕える者に親がいる童についても、忠義を尽くすための犠牲として皆承知しておる。……文句は言うまいな」
信姫は歯が砕けんばかりに噛み締め、漏れかけた言葉を噛み殺した。――「狂っている。正気ではない。父上は乱心なされたのか」――。
どう考えても、この作戦は失敗する。絶対に。童達はひとりとして生還することはないだろう。
間違いなく、無駄死にだ。
童たちはただ無惨に命を落とし、兄も目的を果たせぬだろう。
その死は、無意味だ。無価値だ。
……事実、彼らは正気ではないのだろう。最早打つ手がないのだろう。たとえ不可能とわかっていようと、こうする他にないのだろう。
それほどまでに、羽宮は追い込まれているのだ。
「信姫。貴様は童らにこの件を伝え、用意をせよ。実行は二日後、未明の刻だ。……よいな」
「…承知いたしました。委細、父上と兄上のお心のままに」
深く頭を下げたまま、信姫は後ずさるように部屋を辞した。 静かに襖が閉まり、冷え切った廊下に一人立ち尽くした瞬間、激痛が走り掌を見下ろす。強く握り締めすぎた爪が肉を穿ち、赤い血が静かに畳へ滴り落ちていた。
「っ……!!」
その心に浮かぶのは、燃え滾るような憤怒のみ。
◇
怒りのままに、信姫は駆け出していた。
着物を脱ぎ捨て、屋敷を出て、領を出る。
深い夜の闇の中、鬱蒼と生え茂る木々に囲まれた、一糸まとわぬ女が一人。
夜闇に溶け込む髪を流し、ただ一つ、指輪型のアイテムボックスをつけただけの女が、そこにいた。
「……」
空を見上げる。星を見た。
夜風が全身を包み込み、女は怒りを風に委ねる。
『GRRRRRRRRR……』
深い森の中。女を見つめる双眸が一つ。
赤く光が夜闇に浮かび、女目掛けて走り出す。
AGIに換算して五千は超え、亜音速で殺意が跳ねた。
それはその森に住まう亜竜級の虎型モンスターだった。
こんな真夜中にたった一人、警戒心の欠けらも無い女をいい餌と見て、そのモンスターはあっという間に女の背後に迫った。
「……遅いわ」
女の呟きが森の静寂に落ちた、まさにその刹那。
亜音速で伸びてきた凶悪な爪が信姫のうなじを抉り抜く――直前。
裸身の女は一切の動きを見せなかった。
ただ一瞬、モンスターの姿を、その瞳が貫いた。
―――発砲音。木々を揺らす衝撃波と共に、凶爪は届くことなく沈んだ。 次いで、発砲音。発砲音。発砲音。空を引き裂くような音。到底一人の人間が放てる速度ではない絶え間なき銃砲の連打が、何度も、何度も響き、モンスターの巨躯を容赦なく撃ち穿つ。
月光を背負い、身を翻した女の全貌を、夜闇がくっきりと浮き彫りにする。
一糸纏わぬ肢体を白銀の月光が濡らし、夜風に揺れる黒髪が闇に溶け込む。
その頭上に、周囲の空間に、天を覆うように幾重にも連なり宙を漂う無数の黒漆の火縄銃。
一斉に向けられた黒鉄の銃口群は、月明かりを冷たく照り返し、まるで女の背から生え揃った鉄の翼か、あるいは無数の瞳のようだった。
女は死に体のモンスターに手を伸ばし、細くやわい肢体をもって、自らの倍以上はある巨躯を、まるで布切れのように掴み上げた。
頭上に掲げられた肉塊から流れ出した血潮が女の髪を濡らし、白い肌を禍々しく染め上げる。
「くはっ、―――くははははは!!!」
女は嗤っていた。心の底から。
その笑みに、先程までの怒りは影すら含まれていなかった。
「よい、よい!!羽宮の主である貴様らがそう申すのであれば、それもよかろう!!全てを賭けて<修羅の奈落>を踏破せんと叫ぶのならば興じよう!!儂は羽宮の女なれば―――なればこそ!!」
女はモンスターを空高く放り投げた。
宙に浮かぶ火縄銃が一斉に銃口を空へと向け、絶えることのない銃声が響いた。
硝煙の匂いが血と混ざって香り、やがて血の匂いだけが消え、赤く染った女も元の色を取り戻す。
「―――くだらぬ、実にくだらぬ!!負け戦に挑み、無惨に命を散らさんとしておきながら!!あまつさえ、全てを賭けぬくせに半端に犠牲を惜しむなどと!!」
されど、紅潮した頬は変わらず。
正に血に酔いしれたかのように、女は嗤い、高らかに天に向けて謳いあげる。
「父上も、兄上も、この天地も、気に入らぬ全てを!!――この信姫が、血の一滴まで喰らいつくしてくれようぞ!!」
女は吼える。天に放ったその叫びは、誰の耳にも届かぬままに。
ただ、揺蕩う硝煙と空に浮かぶ月だけが、その憤懣を聞いていた。
To be continued.