無口で可愛い女の子だと思ってナンパしてみたらメンヘラだった件 ~のじゃロリ妖狐の胃痛に満ちた現代生活~ 作:パッタリ
【リンカ:家の前についたよ】
スマホの画面に表示されたメッセージを見て、わしは思わず息を呑んだ。
時刻はすでに夜の九時を回っていた。
「嘘じゃろ……?」
ここはわしが根城にしておる、築四十年の木造安アパート。
駅から歩いて二十分はかかる辺鄙な場所にある。
ピンポーン
やがて玄関のチャイムが容赦なく鳴り響いた。
「……シラギクちゃん。いるんでしょ? 開けて」
「ひっ」
「わかってるんだから。……ドアの隙間から、狐の匂いが漏れてるよ」
(陰陽師の嗅覚、恐るべしじゃ……!)
居留守を使おうにも、どうやら完全にバレておるらしい。
なので無視し続ければ、ドアを破壊されかねない。あの娘の重い感情なら、それくらいのことはやりかねん。
「……わ、わかった。今開けるから、少し待っておれ」
わしは恐る恐る鍵を開け、ドアノブを回した。
「……こんばんは」
「こ、こんばんは、じゃな……。本当によく来たのう」
ドアの向こうには、夜風に黒髪を揺らすリンカが立っていた。
手にはコンビニのレジ袋。
どうやら、何か差し入れを買ってきたらしい。
「……入ってもいい?」
「う、うむ。まあ、外で話すのもなんじゃしな。上がれ」
わしは渋々、リンカを部屋の中に招き入れた。
六畳一間、風呂なし、トイレ共同。
それが、百年以上を生きる大妖怪であるわしの現在の住処じゃ。
「よいか、リンカ。一つだけ先に言っておくことがある」
部屋に上がったリンカに対し、わしは人差し指を立ててビシッと忠告した。
「ここは壁の薄い安アパートじゃ。大家は基本的に不在じゃが、あまりうるさくすると大変なことになる」
「……大変なこと?」
「うむ。隣人から無記名の『夜間はもう少し静かにしてください』という、恐ろしい注意書きが郵便受けに投函されるのじゃ」
「……それだけ?」
「それだけとはなんじゃ! ご近所トラブルは現代社会における最大のストレス要因じゃぞ。だから、声とかはできるだけ抑えるようにな」
わしが力説すると、リンカは小さく頷いた。
「……わかった。静かにする」
そう言うなり、リンカはわしに向かって一歩、また一歩と近づいてきた。
「ん? なんじゃ、急に距離を詰めて……なっ!?」
リンカは無言のまま、ぎゅっと抱きついてきた。
表面上は少女同士のハグ。
はたから見れば微笑ましい光景かもしれんが、当事者としてはたまったものではない。
「こ、こら。静かにしろとは言ったが、くっつけとは言っておらんぞ」
わしが小声で抗議するのも虚しく、リンカの顔がわしの頭頂部へとスライドしていく。
「……すー、はー。すー、はー」
「ちょっ!? お主、わしの狐耳を嗅いでおるのか!?」
わしの頭から生えたフサフサの狐耳。そこにリンカが鼻を押し付け、深呼吸を繰り返している。
「……シラギクちゃんの匂い。なんだか、すごく落ち着く」
「くすぐったいわ! やめい!」
陰陽師の血筋ゆえ、妖怪の気に惹かれるのじゃろうか。
それとも、単に匂いフェチなだけなのか。
どちらにせよ、くすぐったくてかなわん。
「……もうちょっとだけ」
「だーっ! まだ出会ってから一日も経っとらんぞ。距離感バグりすぎじゃろ」
わしは全力でリンカの肩を押し、なんとか引き剥がすことに成功した。
「はぁ、はぁ……。まったく、心臓に悪い娘じゃ」
息を整えるわしをよそに、リンカはジロジロと部屋の中を観察し始めた。
「……何もない部屋だね」
「ほっとけ! ミニマリストと言ってくれい」
「……テレビと、ちゃぶ台と、敷きっぱなしの布団しかない」
リンカの言葉に、わしは少しだけむっとした。
冷蔵庫もエアコンもあるぞ。……いささか、おんぼろじゃが。
「これでも、妖怪が現代社会で生きるのは大変なんじゃ。昔みたいに山で狩猟生活をするわけにもいかんしな」
「……妖術で、お金とか出せないの?」
「出せるわけなかろう。葉っぱを札束に変えるなんて、おとぎ話の中だけ。家賃も光熱費も食費も、スマホの通信費だって全部自腹じゃぞ」
「……じゃあ、どうやって生活してるの?」
リンカが小首を傾げる。
わしは胸を張り、ドヤ顔で答えてやった。
「ふはは! 真面目にアルバイトして稼いでいるとも。週五でみっちりシフトに入っておるからな!」
「…………」
わしが生活手段を語ると、リンカは無言のまま、じっと目を見つめてきた。
「な、なんじゃ。その熱を帯びた視線は」
「……私がお金、出そうか?」
「ヒモになる気はない! 気高き妖狐としてのプライドが許さん!」
「……そっか。残念」
リンカは本気で残念そうな顔をした。
中学生に養ってもらおうとする妖怪など、情けなくて涙が出てくるわ。
「……シラギクちゃん、どこでアルバイトしてるの?」
ふと、リンカの目が妖しく光った気がした。
「教えるわけなかろう。お主のことじゃ。絶対、職場に来る気じゃろ」
「……行かないよ。ちょっと遠くから見守るだけ」
「それを世間ではストーカーと呼ぶ。職場に来るのは絶対にダメじゃ。いろんな意味で迷惑がかかる」
「……いろんな意味?」
「店長に変な目で見られるじゃろうが。『シラギクちゃん、あんな重そうな子と付き合ってるの?』とかな!」
わしが全力で釘を刺すと、リンカは不満そうに唇を尖らせた。
「……むー」
「むー、じゃない! 約束できるか?」
数秒の沈黙のあと、リンカは渋々ながら小さく頷いた。
ふぅ、なんとか最悪の事態である、職場へのストーカー行為を防ぐことができたようじゃ。
「わかればよろしい。ほれ、差し入れのお菓子とやらを食べるぞ。お茶でも淹れてやろう」
わしが立ち上がり、ちゃぶ台の上の急須に手を伸ばした時のことだった。
「……よいしょ」
「ん?」
背後から衣擦れの音が聞こえ、わしは振り返った。
「なっ……!?」
そこには、信じられない光景が広がっていた。
リンカが、わしがいつも寝ている布団の上に、ごく自然な流れで寝転がっていた。
「お、お主……! 何をしておる!」
「……んー?」
リンカはわしの抗議を無視して、さらにモゾモゾと動き出した。
そして、近くに畳んであった毛布を引っ張り出し、すっぽりと頭まで被ってしまった。
「な、なんで毛布まで被っておるんじゃ!」
「……シラギクちゃんの匂いが、いっぱいする。幸せ……」
毛布の隙間から、至福の表情を浮かべたリンカの顔が覗く。
「ええい、こやつめ、さっさと起きなさい!」
「……今日はここでお泊まりする。もう遅いし、女の子の一人歩きは危ないから」
「どの口が言うか。一人でここまで夜道を歩いてきただろうに」
わしが毛布を引っ剥がそうとしても、リンカはミノムシのように丸まり、決して中から出てこようとしない。
「……すー、はー。シラギクちゃん成分、補給中……」
「人の布団で深呼吸をするなー!!」
わしの叫びは、虚しく六畳一間に響き渡った。
……このあと、結局リンカが布団を占拠したまま朝を迎え、わしは固い畳の上で寝る羽目になった。
もちろん、翌朝には『夜中に騒がないでください』という無記名の注意書きが、しっかりと郵便受けに投函されていた。
「わしの平穏な日常は……もうボロボロじゃ……」