無口で可愛い女の子だと思ってナンパしてみたらメンヘラだった件 ~のじゃロリ妖狐の胃痛に満ちた現代生活~ 作:パッタリ
迷惑系妖怪チューバー、鎌鼬三兄弟を討伐し、休業補償としてお金を巻き上げてから二週間。
わしには束の間の平穏が訪れていた。
まあ平穏といっても、リンカへの対応を除いて、ではあるが。
そして待ちに待った営業再開の日。
土曜日の朝、わしは意気揚々とファミレスのバイトへと復帰した……はずだった。
しかし今、その足取りは鉛のように重く、胃の奥底がキリキリと悲鳴を上げている。
「……いらっしゃいませ。一名様ですか。お好きな席へどうぞ……」
引きつった笑顔で接客をしながら、わしはフロアの隅へ視線を向けた。
窓際のテーブル。
そこに、見慣れた黒髪の美少女が陣取っている。リンカである。
彼女は朝の九時から来店し、ドリンクバーや安いメニューを頼んで居座っているのだ。
テーブルにノートと参考書を広げ、真面目に宿題をしているその姿は、客観的に見れば休日に勉強を頑張る、儚げで可憐な美少女そのものである。
……しかし、わしにはわかる。
あの美少女から放たれる、恐ろしいほどの執念のオーラが。
(くそっ……くそっ……! わしの馬鹿!)
内心で血の涙を流しながら、わしは己の失言を呪った。
なぜリンカが、大量にある飲食店の中から、ピンポイントでわしのバイト先を張り込んでいるのか。
理由は単純明快。
あの窓ガラス事件の際、わしがうっかりバイト先のファミレスが休業になったと口走ってしまったからだ。
しょっぴくために手伝わせた時と、廃工場に乗り込んだ時の二回も!
リンカの頭脳と執念をもってすれば、ニュースの報道とわしの発言を照らし合わせ、この店を特定することなど造作もないことだったのだ。
(リンカの奴、従業員の誰かがわしだと確信しておる……!)
リンカは、ドリンクバーのグラス越しに、フロアを歩き回る者たちをじとーっと舐め回すように観察している。
その視線がわしの背中を撫でるたび、心臓がわずかに縮み上がった。
わしは今、変化の術を使って銀髪を黒髪に変え、狐耳と尻尾を隠し、人間のシラカワとして完璧な擬態をしている。
しかし、相手は規格外の霊力を持った陰陽師の卵にして、激重メンヘラ。
近づきすぎれば、看破されかねない。
(もしここでバレたらどうなる……? わしの職場に、激重メンヘラが入り浸ることになってしまう!)
想像しただけで胃潰瘍になりそうだ。
わしはリンカの視界に極力入らないよう、周辺のオーダー取りを他のスタッフに押しつけ、ひたすら気配を殺して働き続けた。
***
「ふぅ……」
お昼過ぎ。バックヤードの休憩室に戻ったわしは、どっと疲労感に襲われてパイプ椅子にへたり込んだ。
「お疲れ様、シラカワちゃん。今日は再開初日だから忙しいねー」
同じシフトに入っていた大学生の先輩アルバイトが、お茶を飲みながら話しかけてきた。
「お疲れ様です。ほんと、バタバタですね」
「でもさ、結局あの窓ガラスが全部外された事件、なんだったんだろうね? ニュースでも謎の集団イタズラとか言ってたけど、どうやって綺麗に外したんだか」
「さあ……? 世の中には不思議なこともあるもんですねぇ」
犯人たちなら先日、狐火で黒焦げにして数万円巻き上げたよ、とは言えず、わしは愛想笑いで誤魔化した。
すると、先輩が思い出したように声を潜めた。
「そういえばさ、四番テーブルの子。朝からずーっといるよね?」
「えっ? あ、ああ、あのお客様ですか」
「すっごい可愛い子だけど、なんかずっと店員の方を観察してない? 目つきがちょっと怖くてさー。誰か知り合いでも探してるのかな? それとも彼氏のバイト先を見張ってるとか?」
先輩の鋭い勘に、わしの背中に滝のような冷や汗が流れる。
「あははは……ま、まさか。ただ人間観察が趣味なだけじゃないですかね。それより私、そろそろフロア戻りますね!」
これ以上ボロを出さないよう、わしは逃げるように休憩室を飛び出した。
***
夕方。
長い長い、胃の痛くなるようなシフトがようやく終わった。
ファミレスの裏口から外に出ると、空はすでに茜色に染まっている。
リンカは少し前に店を出ていったようだが、問題は明日以降だ。
(あの様子だと、休日はずっと張り込みに来るぞ……。どうやって説得して居座るのをやめさせるべきか……)
バイト先に来るな、とメッセージを送れば、わしが店員としてあそこにいたことを自白するようなもの。
重い足取りで駅前の通りを歩いていると、ふと見慣れた後ろ姿が目に入った。
黒髪の美少女、もといリンカだ。
しかし、様子が少しおかしい。
彼女の行く手を、派手なスーツを着たチャラそうな男が塞いでいた。
「ねえねえ君、すっごく可愛いね! 中学生? うちの事務所でアイドルやってみない? 絶対に売れるからさ!」
「……邪魔。どいて」
リンカが冷たい声で拒絶するが、スカウトマンらしき男はしつこく食い下がっている。
「そんなこと言わずにさー! ちょっとお茶しながら話だけでも聞いてよ。名刺渡すからさ!」
「……触らないで」
リンカの周囲に、チリチリと静電気が爆ぜるような不穏な霊力が漂い始めた。
(ま、まずい!)
わしは顔面蒼白になった。
自分の力とその扱い方を知るようになった激重メンヘラが本気で不機嫌になれば、あんな人間のスカウトマンなど一瞬でミンチにされてしまう!
見かねたわしは、変装したシラカワの姿のまま、二人の間に割って入った。
「ちょっと! うちの妹に手を出さないでもらえますか!?」
「あ? なんだお前」
「急いでるんで。行くよっ!」
わしは男を強引に押しのけ、リンカの手首を掴んでその場から走り去った。
路地裏まで駆け込み、男が追ってこないことを確認してから、ふうっと息を吐いて手を離す。
「……大丈夫だった? あんな手合いは無視するのが一番だからね」
よし、完璧な他人のふりだ。
これでスカウトマンの命も救われたし、わしの正体もバレていない。
リンカは無言のまま、掴まれた自分の手首と、わしの顔をじっと見つめていた。その表情は相変わらず読めない。
「じゃあ、気をつけて帰るんだよー!」
わしは背を向け、足早にその場を立ち去った。
心臓がバクバク言っている。
危ないところじゃった。
とっさの行動だったが、なんとかボロを出さずにやり過ごせたはず──。
ピコーン。
ポケットの中で、スマホが短い通知音を鳴らした。
わしは歩きながら、何気なく画面を開いた。
リンカからのメッセージだった。
【リンカ:ありがとう、シラギクちゃん♡】
「……え?」
わしは思わず足を止めた。
頭の中が真っ白になる。
恐る恐る振り返ると、十メートルほど離れた路地裏の入り口で、リンカがこちらに向かってスマホを振っていた。
その顔にはこれまで見たこともないような、とろけるような……そしてドス黒い執着に満ちた、特大の笑みが浮かんでいた。
手首を掴んだ時の感触。
至近距離で嗅がれた匂い。
完璧な変装だと思っていたのは、わしだけだったのだ。
激重メンヘラの探知能力を、完全に侮っていた。
(……やらかしたああぁぁっ!)
わしは夕暮れの空に向かって、声にならない絶叫を上げる。
バイト先も、人間としての変装も、すべてがバレた。
もう言い逃れはできない。
明日から、バイト先がリンカの監視下と化すことが確定した瞬間であった。
わしは崩れ落ちそうになる膝を必死に支えながら、今日一番の、そして最大級の胃痛に襲われるのだった。