無口で可愛い女の子だと思ってナンパしてみたらメンヘラだった件 ~のじゃロリ妖狐の胃痛に満ちた現代生活~ 作:パッタリ
どこまで歩いても景色は変わらなかった。
足元にはチャプチャプと音を立てる浅い水たまり。
見上げれば、紫色のどんよりとしたもやが広がっている。
空間の裂け目から落ちたこの異世界には、風の音も、虫の声も、生き物の気配すらなかった。
「果てはあるのかのう」
「……どうかな」
わしとリンカは手を繋いだまま、ただ歩き続けていた。
しかし、あまりにも無音すぎる。
ただでさえ未知の空間で不安だというのに、この重苦しい沈黙は、わしのメンタルをゴリゴリと削っていく。
(いかん……無言のままだと雰囲気がきつすぎる。何か話さねば)
わしは咳払いを一つして、努めて明るい声を出した。
「そ、そういえばリンカ。わしがまだ、人間の姿にも化けられなかった小狐の頃の話をしたことはあったか?」
「……ううん。聞いたことない」
「そうかそうか! じゃあ、聞かせてやろう」
わしは気を紛らわすように、ぽつりぽつりと昔語りを始めた。
百年以上前の、まだ山奥で暮らしていた頃のこと。
「昔は、本当にただの弱い小狐じゃった。どんぐりを拾っては食べ、冬は寒さに震え、イノシシに出くわせば泣きながら逃げ回っておった。……気高く振る舞うのは、自分の弱さを隠すための虚勢なんじゃよ」
笑い話のつもりだった。
しかし、口に出してみると、思いのほか自分の弱さを赤裸々にしてしまったことに気づき、わしは少し恥ずかしくなって誤魔化すように笑った。
「ははは。だからな、お主みたいな規格外の天才と出会い、いろいろあるが一緒に過ごせるのは、わしにとっては嬉しい出来事でもあった。……お主には、感謝しておる」
本音だった。
激重メンヘラで貞操の危機は常にあるが、わしはリンカと過ごす日々を、そこまで悪く思っていなかったのだ。
しかし、リンカからの返事はなかった。
代わりに、繋いでいた手が痛いくらいに強く握りしめられた。
「……リンカ?」
「……私、人間だから」
うつむいたままのリンカが、そっと呟く。
「私は人間だから、いつか大人になって、おばあちゃんになって、死んじゃう。……でも、シラギクちゃんはずっとその、綺麗で可愛い十四歳の姿のまま。……百年も前から、ずっと一人だったみたいに」
「リンカ……」
「……怖い。私が死んだら、シラギクちゃんはまた一人で、別の誰かと生きていくの? 私を置いていくの?」
リンカの声が震えていた。
異空間の静寂と、わしの過去話が、彼女の中に寿命という種族の壁を痛感させてしまったのだ。
黒曜石の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「……やだ。やだよ。私を一人にしないで。……ねえ、私が死ぬ時は、シラギクちゃんも一緒に死んでくれる? それとも、私をシラギクちゃんと同じ妖怪にしてくれる……?」
純粋で残酷な問いかけ。
わしは息を呑んだ。
ここで下手な返事をすれば、彼女は完全に絶望するか、あるいは暴走して本当にここで心中を図りかねない。
「……馬鹿者。妖怪になるなんて、そんな簡単なことではないわい」
わしは立ち止まり、リンカの方に向き直った。
そして、空いている方の手で、彼女の涙をそっと拭ってやった。
「じゃが……同じ時を生きる方法なら、あるにはある」
「……えっ?」
リンカが顔を上げた。
その瞳にすさまじい光が宿る。
割と本気で怖い。
「……本当? どうやるの? ねえ、今すぐやって。私、シラギクちゃんとずっと一緒にいられるなら、何だってする」
「ま、待て待て! 食い気味に来るな!」
わしは慌ててリンカを制止した。
「妖怪と人間が魂を繋いで、命の刻限を共有する術じゃ。……じゃが、これはお互いの存在を根底から縛りつける、非常に重い契約でもある。お主はまだ中学生じゃろ。そんな重大な決断を、今させるわけにはいかん」
「……いいよ。私、シラギクちゃんがいれば他に何もいらないから」
「わしがよくない! なんというかこう、大人としての責任がある!」
わしが断固として拒否すると、リンカは再び目に涙を浮かべ、今度はドス黒いオーラを放ち始めた。
(まずい……ここで拒絶しきったら発狂する!)
わしは早口で提案した。
「だ、だから、妥協案じゃ! 今はまだ、お互いの魂を少しだけ繋ぐ仮契約に留めておく。……そして、お主が立派な大人になって、それでもまだわしと一緒にいたいと、心の底から思えたなら……その時は、本格的な契約をしてやってもよい」
わしの言葉に、リンカのドス黒いオーラが止まった。
「……大人になったら、本格的な契約を……?」
「う、うむ。だから、それまではお試し期間というやつじゃな」
リンカは数秒間、じっとわしの目を見つめた。
やがて彼女の顔に、とろけるような……それこそ蜂蜜よりも甘く、泥よりも重い、ねっとりとした笑みが浮かんだ。
「……わかった。約束だよ、シラギクちゃん。仮契約、しよ?」
リンカはわしの手を引き寄せると、自身の小指と、わしの小指を絡め合わせた。
以前、一方的に繋いできた見えない霊力の糸があった場所だ。
「……ところで、どうすればいいの?」
「少しだけ、互いの妖力と霊力を混ぜ合わせる。……目を閉じい」
わしは覚悟を決めた。決めるしかないとも言う。
小指を通じて、わしの妖力と、リンカの強大な霊力が交わる。
温かく、そしてビリビリとした痺れが全身を駆け巡った。
魂の表面が薄く溶け合い、互いの存在をかすかに共有する感覚。
「……んっ」
リンカが熱い吐息を漏らす。
目を開けると、絡み合ったお互いの小指の間に、青白い狐火と、ドス黒い霊力が混ざり合った薄紫色の輝く糸が、はっきりと具現化していた。
「……あぁ……」
リンカはその輝く糸と、わしの顔を交互に見つめ、陶酔しきった表情で己の体を抱きしめた。
「……繋がった。私とシラギクちゃんの魂が、少しだけ……混ざった。……あたたかい。すごく、あたたかい……」
「これで安心したじゃろ。だから変な気を起こすんじゃないぞ」
「……うん。絶対に、大人になるまで死なない。……そして大人になったら、シラギクちゃんの魂、全部私がもらうからね」
それは究極のプロポーズであり、究極の呪いでもあった。
リンカから発せられるドロドロとした執着心は、仮契約を経たことで、より深く、より逃れられないねっとりとした愛情へと昇華してしまっていた。
(これ、とんでもないフラグを立ててしまったのでは……?)
未来の自分の貞操と自由が完全に失われたことを悟り、わしは内心で盛大に胃を痛めた。
しかし、同時に。
「……あっ、シラギクちゃん。見て」
リンカが指差した先。
二人の魂を繋ぐ薄紫色の糸が、まるで道標のように、暗闇の奥深くへとまっすぐに光の筋を伸ばしていたのだ。
「……この糸、もしかして元の世界に繋がってる……?」
「おおっ! そうか、お主の霊力とわしの妖力が混ざったことで、空間の歪みを辿れるようになったのかもしれん!」
意外な希望の光である。
とはいえ、経緯を考えると手放しでは喜べん。
「よ、よし、行くぞリンカ! この糸を辿れば、きっと出られるはずじゃ!」
「……うん。ずっと一緒だよ、シラギクちゃん」
ねっとりと手を握り直してくるリンカに引きつった笑みを返しつつ、わしは光の糸が指し示す方向へ再び歩き始めるのだった。