無口で可愛い女の子だと思ってナンパしてみたらメンヘラだった件 ~のじゃロリ妖狐の胃痛に満ちた現代生活~ 作:パッタリ
魂を繋いだ仮契約の証である、薄紫色の糸。
暗闇の中でかすかに光るその道しるべを頼りに、わしとリンカは異空間を歩き続けていた。
先ほどまでのドロドロとした執着や狂気はすっかり鳴りを潜め、隣を歩くリンカの横顔は、憑き物が落ちたように穏やかだった。
「……私ね」
リンカが静かな声で口を開く。
「シラギクちゃんと出会う前は、ずっと、冷たい水の中で息を止めて生きてるみたいだった」
「……水の中?」
「うん。お父さんもお母さんも、私を気味悪がって、お金だけ用意して距離を置いてる。学校の同級生も、誰も私に近づかない。……いや、私が近づけなかっただけかも」
最初から誰にも近づかなければ、傷つくことはない。
だが、それは中学生が選ぶ道にしては険しい。
「私の世界は、色も音もないただの灰色の箱だったの」
リンカは、繋いだわしの手を少しだけ強く握った。
「だからね……あの日、シラギクちゃんに声をかけられて『わしに甘いものを献上する権利を与えよう!』って図々しく言われた時……すっごく、嬉しかったんだ」
「うっ……」
お菓子を奢らせる目的は、現代社会でのストレスを発散するため。
それだけでしかなかった。
わしは少し居心地が悪くなり、視線を泳がせる。
「私の力とか、家の事情とか、そういうの全部関係なく。奢ってくれる便利な人間として、対等に、当たり前に接してくれた。……シラギクちゃんが美味しそうに食べる顔を見た時、私の世界に、初めて色がついたの」
「……リンカ」
「だから、ありがとう。私を見つけてくれて。……私を、助けてくれて」
リンカの微笑みは、年相応の中学生の女の子が浮かべる、とても純粋で透明なものだった。
メンヘラでやばい行動ばかりが悪目立ちしていたが、根本にあるのは、圧倒的な孤独から救い出してくれた者への不器用すぎる愛情表現なのだ。
(……まあ、だからといって貞操を狙われたり監禁されそうになるのは困るんじゃが)
わしが少しだけしんみりとした気持ちになり、リンカの頭を撫でようとしたその時。
「──シラギクちゃーん! 聞こえる!? 今、お母様がそこを空間ごとぶっ飛ばしてあげるからねっ!!」
「ぬおっ!?」
突然、何もない空間の先から、五尾の妖狐たるキキョウの大きな叫び声が響き渡った。
見れば、光る糸は途中で途切れている。
そこが空間の壁となっているようで、外側からの凄まじい衝撃によるものか少し亀裂が入りかけていた。
「ま、待てキキョウの変態! 外から壁をぶっ飛ばすと、内側にいるわしたちまで木っ端微塵じゃ!」
「えっ!? ごめんなさい、声が遠くて聞こえないわ! いくわよぉっ!」
「ええい、くそ! リンカ、外とタイミングを合わせて内側から壁を破るぞ!」
「……うんっ!」
わしはリンカと繋いだ手にありったけの妖力を込め、リンカもそれに呼応して霊力を爆発させた。
わしとリンカの力が、仮契約の糸を通じて完全に融合する。
「「そこだあぁっ!!」」
外からの衝撃と、内側からの合体技が、空間の亀裂を挟んで正面衝突した。
分厚いガラスが砕け散るような轟音と共に、次元の壁が吹き飛ぶ。
眩い光に包まれ、わしたちは勢いよく元の世界──妖狐カフェ・こんこん亭の近くへと転がり出た。
「きゃあっ!」
「いだだだだっ……!」
コンクリートの地面に尻餅をつく。
空いた穴は店長や先輩たちがすぐさま塞ぎにかかる。
「シラギクちゃん! 無事だったのね!」
煙の中から飛び出してきたキキョウが、涙を流しながらわしを抱きしめようと迫ってきた。
バチィッ!
しかし、その手がわしに触れる寸前、リンカが放った霊力の壁がそれを弾き飛ばす。
「……気安く触らないで。シラギクちゃんは、私のものだから」
リンカが冷たく言い放つ。
その左手の小指と、わしの小指の間には、先ほど結んだ仮契約の糸がバチバチと火花を散らして存在感を主張していた。
「なっ……あなたたち、魂の契約を……!?」
「……そういうこと。だから、もう諦めてね」
「この小娘っ!」
「待ってくださいオーナー! また穴が空いたらどうするんですか!」
再び修羅場になりかけたが、店長たちが必死に止めに入り、どうにかその場は一時休戦となる。
なんにせよ、無事に生還できたのだ。
疲労困憊なわしは、その日はバイトを早退させてもらうことになった。
***
夜、安アパートの六畳一間にて、わしは煎餅布団の上で大の字になっていた。
「はぁぁ〜……疲れた。マジで疲れたわい」
異空間での死の恐怖、リンカのメンヘラ発動、そして魂の仮契約。
一日で起こった出来事が多すぎて、キャパオーバー寸前である。
(しかし、まあ……無事でよかった)
リンカのあの寂しそうな顔を思い出すと、少しだけ胸がチクチクする。
今はゆっくり休んで、明日から気高き妖狐として頑張るか。
そうして、わしが大きく深いため息をついたその直後。
ピコーン。
枕元のスマホが鳴った。
画面を見ると、家に帰ったリンカからのメッセージだった。
【リンカ:シラギクちゃん、今、ため息ついたでしょ?】
【リンカ:それとなんだか少し、お腹空いてるみたいだね。わかるよ】
【リンカ:だって私とシラギクちゃん、魂で繋がってるもん。シラギクちゃんの感情も、体の状態も、ぜーんぶ私の心に伝わってくるんだよ♡】
「……は?」
わしはスマホを落としそうになった。
感情? 体の状態? 全部伝わる?
もはや居場所を偽装しようが変装して姿を隠そうが関係ない。
あの異空間で結んでしまった仮契約は、お互いの魂を繋ぐ究極の監視システム──完全なる魂のGPSとして機能し始めてしまったのだから。
【リンカ:今、すごく動揺してるね? 脈が早くなってる。ドキドキしてるシラギクちゃんも可愛い】
【リンカ:隠し事は、もう一生できないからね。ずっと見守ってるよ、私の神様】
「あ、あわわわ……」
わしは両手で頭を抱え、絶望のあまり泣き叫びそうになった。
逃げられない。バイト先を変えても、変装しても、異世界に逃げても。
わしは一生、この激重メンヘラ中学生の手のひらの上で飼われる運命を、自ら確定させてしまったのだ。
「ううっ……うううぅぅ……」
わしは毛布を被り、声を殺して嘆きかけた。
だが、五分ほど震えたあと、わしは毛布を跳ね除けて天井を見上げた。
「はぁーっ」
部屋中に響き渡るような、今日一番の盛大なため息。
「まあ……しょうがない、か」
どこか自嘲気味に呟く。
あの異空間で見せた、リンカの孤独な涙。
わしに出会って世界が色づいたと言った、あの純粋な笑顔。
もしもわしがここで逃げ出せば、あの規格外の力を持った危うい少女は完全に壊れ、世界を滅ぼす魔王にでもなってしまうだろう。
「やばい奴が道を踏み外さないよう、一緒にいてやるのも気高き妖狐のつとめか……」
わしはパンパンと両頬を叩き、気合いを入れ直す。
契約は結んでしまった。貞操の危機はこれからも続くだろう。
だが、百年以上も生きてきた妖怪の底力を舐めてもらっては困る。
(ふん。メンヘラ中学生の一人や二人、うまく手懐けて立派な大人に育て上げてやろうではないか)
わしはスマホを手に取り、返信を打った。
【シラギク:お腹が空いた。お主の言う通りじゃ。だから明日、最初に出会った時のようにわしに奢れ。今回は、最高に美味い特上の寿司で頼むぞ】
数秒後、すぐに【わかった。大好き】という即答と、嬉しそうに跳ねるウサギのスタンプが返ってきた。
(とりあえず、明日も適当に生きるとしよう。なにせ、こちとら妖怪じゃからな)
胃痛と重すぎる愛に満ちた騒がしい日常は、この先もずっと続いていくのだ。
あとはメンヘラに呑み込まれぬよう頑張るしかないが、もうなるようになれ。