無口で可愛い女の子だと思ってナンパしてみたらメンヘラだった件 ~のじゃロリ妖狐の胃痛に満ちた現代生活~ 作:パッタリ
チュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえてくる朝。
わしは固い畳の上で目を覚ました。
全身がバキバキだが、どうせ普段寝ているのも薄っぺらい煎餅布団じゃ。
実のところ、寝心地はそこまで変わらん。
「……おはよう、シラギクちゃん」
「う、うむ。おはよう……」
わしの布団を占拠し、ぬくぬくと温まっていたリンカが顔を出した。
今日は学校が休みとのことで、制服に着替える気配はない。
それどころか、寝起きのわしを見るリンカの視線が、なんだかじっとりと熱を帯びている気がする。
なんというか……いやらしい意味での危機感を本能が告げていた。
「……シラギクちゃん、寝起きも可愛い。すー、はー」
「朝から人の匂いを嗅ぐでない!」
このまま狭い六畳一間に二人きりでいれば、冗談抜きで骨までしゃぶられかねない。
幸い、今日のバイトのシフトは午後から夜までじゃ。
わしはリンカを引っ張り出し、近くの格安銭湯へと避難することにした。
***
「ふぃー、極楽じゃのう……」
広い湯船に浸かり、全身の力を抜く。
リンカも隣でお湯に浸かっていたが、相変わらずわしの狐耳や尻尾の付け根の部分(変化の術で隠している)を見つめてきおる。
「……シラギクちゃんって、お肌すべすべだね」
「妖怪じゃからな。代謝が違うのじゃ、代謝が」
なんとか適当に誤魔化しつつ午前中をやり過ごし、銭湯を出たところでリンカを見送ることにした。
「さて、わしはこれから労働じゃ。お主はまっすぐ家に帰るように」
「……うん。いってらっしゃい」
リンカが素直に頷いたのを確認し、わしは足早に駅の方へと向かう。
そして、人通りのない裏路地に入ったところで足を止めた。
「よし、気合を入れるとするか。はぁぁ……」
ポンッという音のあと、十四歳の銀髪美少女の姿から、二十代半ばの黒髪で落ち着いた雰囲気を持つ大人の女性へと変化した。
狐耳も尻尾も完璧に引っ込めてある。
「よしよし、完璧じゃな」
足取りも軽く、わしはバイト先のファミレスへと向かった。
***
「いらっしゃいませ。二名様ですね、こちらのお席へどうぞ」
にっこりと完璧な営業スマイルを浮かべ、わしはお客様を案内する。
ここでのわしの名前はシラカワ。真面目で仕事ができる、お淑やかなフリーターという設定じゃ。もちろん偽名。
そして職場関係は極めて良好。
(店長もパートのおばちゃんも、わしが妖怪だなんて夢にも思っちゃいない。まったく、自分の実力が恐ろしいのう)
現代社会には、実は妖怪があちこちに紛れ込んでいる。
コンビニの深夜シフトに入っている店員が化け狸だったり、いつも疲れた顔をしているサラリーマンが天狗だったりするのは珍しい話ではない。
だが、お互いの正体に気づいても、見て見ぬ振りをするのが暗黙のルール。
たまに、人間と組んで盗みや詐欺を働くような阿呆な妖怪もいる。
だが、そういう奴らは決まって人間、あるいは妖怪の裏組織に捕まる。
だからわしは、こうして真面目にファミレスでアルバイトをしておる。
(稼ぐことを考えるなら裏の仕事も悪くない。しかし、危ない橋を渡らないのが長生きのコツじゃ)
夕方のピークタイムが始まり、店内が混雑してきた頃。
カランコロン、と入店を知らせるベルが鳴った。
「いらっしゃいませ──」
声をかけたわしの心臓が、一瞬で縮み上がった。
入り口に立っていたのは、長く艶やかな黒髪を持つ少女──リンカだったからだ。
(な、なぜここがわかった!? 教えておらんのに!)
激しく動揺するわしをよそに、リンカはクンクンと鼻をひくつかせている。
どうやら、街に残るわしの匂いを辿ってここまでやってきたらしい。
いったいどんな嗅覚じゃ……!
だが、今のわしは大人の女性たるシラカワの姿。
冷静になれ、集中しろ。ここで焦ればボロが出る。
「一名様でしょうか?」
極めて事務的に、大人の声で案内をする。
リンカはわし(シラカワ)の顔をジッと見つめたあと、小首をかしげた。
「……はい」
「お好きなお席へどうぞ」
案内された席に座ったリンカは、ドリンクバーだけを注文した。
それから数十分の間。
リンカはメロンソーダを飲みつつ、ストローを噛みながら店内を、正確にはホールを歩き回るわしの姿を猛禽類のような鋭い目でじっくりと観察し続けていた。
(ひ、ひぃぃ……! 心臓に悪い!)
平静を装ってオーダーを取ったり料理を運んだりしているが、背中に刺さる視線が痛い。
匂いはするけど見た目も声も違う、という状況にリンカ自身も確証が持てずにいるらしい。
大人の姿になっても匂いまでは完全に誤魔化しきれなかったのが悔やまれるが、ここはなんとか変化の術と接客スキルで乗り切るしかない。
(頼む……気づかんでくれ……! 新しい仕事を探すのは面倒なんじゃ)
やがて、判断がつかなかったのかリンカは伝票を手に取ると、静かにレジへと向かった。
「……ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
レジ打ちをする間も冷や汗が止まらなかったが、リンカはそのまま店を出ていった。
自動ドアが閉まった瞬間、わしは厨房の裏でへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
(た、助かった……! 寿命が十年は縮んだぞ……)
妖怪の寿命が人間より圧倒的に長いからといって、こんな緊張を毎日味わっていては胃に穴が空いてしまう。
***
夜。
ようやく今日のシフトを終えたわしは、更衣室のロッカーで私服に着替え、電源を切っていたスマホを取り出した。
ピコーン ピコーン ピコーン
電源を入れた瞬間、通知音が壊れたように鳴り響いた。
【リンカ:シラギクちゃん、バイトお疲れ様】
【リンカ:ねえ、駅前のファミレスで働いてる?】
【リンカ:お店からシラギクちゃんの匂いがしたの】
【リンカ:でも違う人だった。変なの】
【リンカ:早く会いたいな】
【リンカ:今から家に行っていい?】
【リンカ:会いたい会いたい会いたい会いたい】
【リンカ:(壁に頭を打ちつけるウサギのスタンプ)】
「……うわぁ」
わしは思わず、スマホの画面から顔を背けた。
完全にドン引きである。
一歩間違えれば、あのファミレスで修羅場が展開されていたかと思うと恐ろしい。
【シラギク:今日はもう遅いからダメじゃ】
返信すると、一瞬で既読がついた。
【リンカ:やだ。お泊まりしたい。シラギクちゃん成分が足りない】
やれやれ、まったく困った娘じゃな。
わしは軽くため息をついて、こう打ち返した。
【シラギク:明日は学校があるじゃろ。学生はきちんと学校に行ってからにしなさい】
妖怪であるわしが、なぜ人間の、しかも激重メンヘラな女子中学生の生活指導をしておるのか。
現代社会を生きるというのは、なかなかどうして苦労が絶えないものである。