無口で可愛い女の子だと思ってナンパしてみたらメンヘラだった件 ~のじゃロリ妖狐の胃痛に満ちた現代生活~ 作:パッタリ
ハヤテからせしめた、妖怪の店への案内状を握りしめ、わしは雑居ビルが立ち並ぶ薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。
「人は……おらんか」
周囲に人間の気配がないことを確認し、行き止まりとなっている落書きだらけのコンクリート壁に向かって、すっと手を伸ばす。
指先が、水面に触れたように壁へ沈み込んだ。
そのまま一歩を踏み出すと、景色がぐにゃりと歪み、ネオンの光と提灯の赤が入り混じる奇妙な空間へと放り出された。
「ふぅ……久々に来たが、相変わらず空気がむせ返るようじゃな」
ここは、隠世(かくりよ)と呼ばれる場所。
人間社会の裏側にへばりつくように存在する、妖怪たちのための裏市である。
狭い通りの両脇には怪しげな露店がひしめき合い、獣の姿をした者や、異形の姿をした妖怪たちが肩をぶつけ合いながら歩いている。
「おいコラ! この人魂、鮮度が落ちてるじゃねえか!」
「うるせえ! 文句があるなら売ってやらねえぞ!」
あちこちで怒声や揉め事、ぼったくりの交渉が繰り広げられている。
(やれやれ、人間の社会なら数秒で警察が飛んでくる騒ぎじゃぞ……)
わしは内心で肩をすくめつつ、どこか懐かしさも感じていた。
現代社会のルールに縛られず、本能のままに生きる妖怪たちの熱気。
気高く生きるわしには少々野蛮すぎるが、これが本来の妖怪社会の姿なのだ。
とはいえ、妖怪たちもずっと昔のままでいたりはしない。
露店に並ぶのは、呪いの札や怪しげな薬だけではないのだ。
「お、あったあった」
わしのお目当ての店には、監視カメラ認識阻害シールや、退魔アプリ用ジャマーなど、現代社会に適応するための最新の裏ツールが並んでいた。
わしは店番をしている化け狸のオヤジに、札束を見せながら声をかけた。
「おい、スマホの位置情報を完全に偽装する呪具をくれ。違和感を感じさせないくらい強力なやつじゃ」
「ふぅ、現代社会の道具に振り回されて困ってる奴が、まーた来やがったぜ。だらしねえな」
明らかに馬鹿にされてるが我慢する。
完全には否定できぬゆえに。
「とりあえず、あるのか、ないのか」
「ああ、あるぜ。……なんだい姉ちゃん、狐の妖怪か。尻尾が一本しかねえってことは、まだまだペーペーだな。こんな高価なもん、買えんのか?」
オヤジがわしのお尻のあたりを見て、ニヤニヤと嘲笑うように言った。
ピキピキとわしのこめかみに青筋が浮かぶ。
(こ、この狸ジジイ……! 妖狐にとって尻尾の数は強さの象徴。それを馬鹿にするとは……! これでも一本しかない割には、わしは結構強いんじゃぞ!)
そろそろ内心でブチ切れそうになったが、ここで暴れれば出禁になりかねない。
わしはギリッと歯を食いしばり、「金ならある!」と諭吉を叩きつけて目的の呪具……パッと見はスマホに貼るお札状のシールをもぎ取った。
***
「ふん! あの狸め、今度会ったら毛皮をむしってやる!」
コンクリートの壁を抜け、人間社会の路地裏に戻ってきたわしは、ぷんすかと怒りながら文句をこぼしていた。
無事に位置情報偽装シールも買えたし、これでバイト中もストーカー用の例のアプリを誤魔化せる。
安堵して路地裏を出ようとした、その時だった。
「……シラギクちゃん、こんなところで何してるの?」
「ひょっ!?」
ビルの入り口付近に、スマホの画面をじっと見つめるリンカが立っていた。
(な、なぜここに!? ……はっ、そうか。普段とはまったく違う移動経路だったから、不審に思って様子を見に来たのか!)
わしは慌てて呪具のシールをポケットの奥にねじ込んだ。
まさか、お主の入れたストーカーアプリを無効化する道具を買いに行った、なんて言えるわけがない。
冷や汗を流しながらも、必死に言い訳をひねり出す。
「お、おお、リンカか! いやな、ちょっと妖怪としての野暮用での。たまにはこういう裏の集まりに顔を出しておかんと、情報に乗り遅れるんじゃよ」
わしが適当なことを言って誤魔化すと、リンカは少し納得したように頷いた。
「……そっか。ねえ、さっき壁から出てきた時、すごく怒ってたけど、どうしたの?」
「ん? ああ、あれか。いやな、ちょっと買い物をした店で、わしの尻尾が一本しかないことを馬鹿にされてのう。失礼しちゃうじゃろ?」
愚痴をこぼした途端、リンカの瞳に冷たい光が走った。
「……誰? そいつ。トンネルの時みたいに消してこようか?」
「ばっ、やめい! ただの軽口じゃから! お主が本気を出したら裏市が消し飛ぶわ!」
慌てて制止すると、リンカは不満そうにわしの腕に抱きつき、腰から生やした一本の尻尾を優しく撫でた。
「……一本でいいのに。シラギクちゃんの尻尾、すごく綺麗で、ふわふわで、温かくて。私はこの尻尾が世界で一番好き。これ以上増えなくていい。……全部、大好きだから」
リンカはまっすぐな瞳で、わしが少し気にしてるところを全肯定してくれた。
「リ、リンカ……」
激重メンヘラでストーカーでヤンデレだとわかっていても。
こんな風にまっすぐに愛を向けられると、ちょっとだけキュンとしてしまう。
本当にちょっとだけじゃぞ。
なんだかんだで、一緒にいるうちに絆されてしまっているのかもしれん。
「……ねえ、シラギクちゃん。あの壁の向こう、私も入れるの?」
帰り道、並んで歩きながらリンカが尋ねてきた。
わしは少し寂しげに首を横に振った。
「無理じゃな。あそこに入るには案内状が必要なんじゃ。わしはハヤテに譲ってもらったから入れたが……」
「じゃあ、シラギクちゃんが私に案内状を出してよ」
「それができれば苦労はせん」
わしは軽くため息をついた。
「案内状というのは、一定の社会的な身分があるか、あるいは莫大な資産を持っている信用ある妖怪にしか発行の許可が下りないんじゃ。わしのような、安アパート暮らしでファミレスでバイトしている下っ端妖怪には、人間を招待する権限はない」
己の身分も資産もないことを、慕ってくれる人間に明かすのは、大妖怪としての矜持が少し傷つく。
わしは複雑な気持ちでうつむいた。
すると、リンカはわしの尻尾を両腕でぎゅっと抱きしめ、事もなげに言った。
「……だったら、何か大きなことをして、大成功すればいいよ」
「は?」
「シラギクちゃんが一番偉くなって、一番お金持ちになればいい。そしたら、私をどこへでも連れて行けるでしょ。……私も、全力で手伝うから」
常軌を逸した霊力を持つ陰陽師の卵が、わしをトップに押し上げるために全力を出す。
それがどれほど恐ろしい事態を引き起こすか、わしの胃の底がひやりと冷たくなった。
「……お主、簡単に言ってくれるのう」
呆れたように笑いながらも、その言葉の重さに、わしの平穏な日常がまた一歩とんでもない方向へ進み始めたのを感じていた。