モモイさんが目を覚まさないまま、二日が過ぎた。
命に別状はなく、身体の状態も安定しているという話は聞いていた。それでも意識だけは戻らず、ミドリさんとユズさんは授業の合間を縫って治療施設へ通っているらしい。先生も頻繁に顔を出しているようで、ゲーム開発部の部室は普段よりずっと静かになっていた。
アリスさんの方は、暴走した日の夜には意識を取り戻していた。
外部との接続を遮断した状態で一通りの検査を受けたあと、危険な反応が見られなかったことからゲーム開発部へ戻されたものの、それ以降はほとんど部室から出ていない。授業にも顔を出さず、ゲームをすることもなく、自分の席に座ったまま過ごしていることが多いと聞いた。
私は一度だけ、様子を見に行った。
扉を開けてもゲーム音は聞こえず、普段ならモモイさんが大声を出している部屋の中には、端末の冷却ファンが回る小さな音だけが残っていた。ミドリさんとユズさんは治療施設へ行っているらしく、アリスさんは一人で消えたモニターを見つめている。
「こんにちは」
こちらから声を掛けると、アリスさんは少し遅れて顔を上げた。
「……こんにちは、ハヤテ先輩」
「体の調子はどうです?」
「異常ありません。検査でも、問題はないと言われました」
「それなら良かったです」
形式だけなら、いつもと大差のない会話だった。しかし、声量も表情も普段とはまるで違っていて、以前ならこちらが聞いてもいないことまで楽しそうに話していた人が、必要最低限の返答だけを返している。
私はモモイさんの空いている席を一度見てから、少し離れた椅子へ座った。
「モモイさんのところには行きました?」
アリスさんはすぐには答えず、膝の上で組んでいた指を僅かに強く握った。
「行っていません」
「行かないんです?」
「行けません」
「どうして?」
理由は分かっていたが、あえて本人に聞いた。
「アリスが、モモイを傷つけました」
「それは知ってます」
「アリスには、あの時の記憶がほとんどありません。気がついた時にはモモイがいなくなっていて、皆さんから聞いて初めて、アリスがモモイを撃ったと知りました」
話しながら、アリスさんの視線は徐々に下がっていった。
「また同じことが起きるかもしれません。今度はモモイだけではなく、ミドリやユズ、先生や皆さんを傷つけるかもしれません。アリスには、それを防げると約束できません」
「自分が怖い?」
少し迷ったあと、アリスさんは小さく頷いた。
「はい」
怖がるなと言っても仕方がない。実際に自分の知らないところで身体が動き、友達を傷つけたのだから、同じ立場なら私だって自分自身を警戒すると思う。
だから、安い慰めを口にするのはやめた。
「モモイさんが起きたら、どうするつもりです?」
「……分かりません」
「謝らない?」
「アリスに謝る資格があるのでしょうか」
「謝るのに資格って要るんです?」
思わず聞き返すと、アリスさんが少しだけ顔を上げた。
「でも、アリスはモモイを――」
「謝った後にモモイさんが怒るのか、許すのか、それとも別のことを言うのかは、モモイさん本人が決めることでしょう。今アリスさん一人で『自分には資格がない』って決めても、モモイさんの分まで勝手に答えを出してることになりません?」
少し言い過ぎたかとも思ったが、アリスさんは反発せず、しばらく黙って私の言葉を考えていた。
「……モモイが起きてから、考えるべきでしょうか」
「少なくとも私はそう思います。起きてもいない人の返事まで先回りして決める必要はないでしょう」
「はい」
返事はまだ弱かった。それでも、来た時よりほんの少しだけ視線が上がったので、今日はそれで十分だと思った。
私ができるのはその程度だったし、そもそもこれは私が代わりに答えを出す問題ではない。
*
二日目の午後、授業を終えたところでネル先輩から連絡が入った。
『ゲーム開発部に来い』
「何かありました?」
『リオが来る。アリスのことで話があるらしい』
「分かりました。今から行きます」
前回、リオ会長から聞いた話をようやく本人達にも説明するつもりなのだろう。
随分遅いとは思ったが、あの人が情報を出すタイミングについて今さら驚くこともない。私は荷物をまとめ、そのままゲーム開発部へ向かった。
部室に入ると、既にかなりの人数が集まっていた。
アリスさんとミドリさん、ユズさん、先生。C&Cからはネル先輩、アスナ先輩、カリンさん、アカネさんが揃っており、その正面にはリオ会長が立っている。
モモイさんの席だけが空いていた。
普段なら物が散らかっていても気にならない場所なのに、今はそこだけ妙に広く見える。
「遅れました?」
「まだ始まってねぇ。こっち来い」
ネル先輩に呼ばれ、私はC&C側へ移動した。
全員が揃ったのを確認すると、リオ会長はアリスさんへ視線を向けた。
「天童アリス」
アリスさんがゆっくり顔を上げる。
「これから話す内容は、あなた自身に関係するものよ。ゲーム開発部で過ごしてきた時間を否定する意図はないけれど、それとは別に知っておく必要がある事実が存在する」
「……はい」
リオ会長は、私に説明した時とほとんど同じ内容を順序立てて話し始めた。
ゲーム開発部が与えた「天童アリス」という名前とは別に、本来の識別名としてAL-1Sが存在すること。古代文明に由来する機械知性体であり、先日の暴走時に活動したDivi:Sionと関係していること。そして、残された記録では「名もなき神々の王女」と呼ばれていること。
ミドリさんとユズさんは、話が進むほど表情を硬くしていった。
「王女って……どういう意味なんですか?」
ミドリさんが尋ねる。
「単なる名称ではないわ。AL-1Sは、Divi:Sionを率いてキヴォトスへ大規模な破壊をもたらす可能性がある。先日の暴走も、その機能の一部が表面化したものと考えている」
「でも、アリスはそんなことしません!」
「本人の意思で行ったかどうかと、危険性が存在するかどうかは別の問題よ」
リオ会長の返答は静かだった。
「アリス本人にその意思がなくても、AL-1Sとしての機能が再び起動する可能性は残っている。先日はモモイ一人の負傷で済んだけれど、次も同程度で終わる保証はないわ」
ミドリさんはすぐに言い返そうとしたものの、モモイさんの名前を出されたことで言葉を詰まらせた。
先生が代わりに口を開く。
「リオは、アリスをどうするつもりなの?」
「まずはAL-1Sとしての機能だけを停止できる方法を探す」
「もし、それができなかったら?」
「脅威を完全に排除するわ」
意味を理解するまでに時間は掛からなかった。
「それって……」
ミドリさんの顔から血の気が引いていく。
「アリスを殺すってことですか?」
「他に確実な方法が存在しない場合は、そう判断する」
「そんなの駄目です!」
ミドリさんが椅子を押し退けるように立ち上がった。
「アリスは私たちの友達です! 一緒にゲームを作って、授業を受けて、ずっとここで――」
「ミドリ」
その言葉を止めたのはリオ会長ではなく、アリスさんだった。
ミドリさんが驚いたように振り返る。
「……アリス?」
「リオ会長の言っていることは、間違っていません」
アリスさんは膝の上に置いた手を見ながら話していた。
「アリスはモモイを傷つけました。自分で望んだことではありませんが、アリスの身体がモモイを撃ったことは変わりません」
「でも、あれはアリスじゃないよ!」
「では、誰だったのでしょうか」
ミドリさんが黙る。
「アリスにも分かりません。あの時のアリスが何だったのか、次にいつ戻ってくるのか、もう戻らないのかも分かりません。だから、アリスは自分が怖いです」
以前部室で聞いた時より、言葉がはっきりしていた。
二日間考え続けた結果、恐怖が薄れるどころか、むしろ形を持ってしまったのだと思う。
「アリスは生命体ではありません」
「違うよ」
ミドリさんがすぐ否定する。
「アリスは私たちと一緒にいるし、ちゃんとミレニアムの生徒で――」
「でも、勇者は仲間を傷つけません」
アリスさんの視線が、モモイさんの空席へ向いた。
「アリスは勇者になりたかったです。でも、勇者ならモモイを撃ったりしません」
その一言には、ここ二日間の全部が詰まっているように聞こえた。
私は少し迷ってから声を掛けた。
「アリスさん」
「はい」
「モモイさん、まだ何も言ってないですよ」
「……ですが」
「今起きてないんだから、当然でしょう。アリスさんが自分をどう思うかは自由ですけど、モモイさんまで『傷つけられたからもう友達じゃないと思ってる』ことにするのは早くないです?」
「ハヤテ」
リオ会長がこちらを見た。
「危険性の評価と感情の問題は分けるべきよ」
「それは分かってます。私もアリスさんが絶対安全だとは思ってませんから」
ミドリさんがこちらを見る。
あまり聞きたくない言葉だったと思うが、そこを誤魔化す気はなかった。
「私も暴走を見たし、デカグラマトンの件も知ってます。会長が警戒するのは普通だと思ってますよ。ただ、危険だからって、まだ何も言ってないモモイさんの気持ちまで先に決める必要はないでしょう」
リオ会長は反論しなかった。
私も、それ以上この場でアリスさんを説得するつもりはなかった。
その時、ネル先輩が壁から背中を離した。
「で、リオ。アタシらを呼んだ理由は何だ」
部屋の空気が少し変わる。
リオ会長はネル先輩へ向き直った。
「C&Cに命令するわ。AL-1Sを確保し、指定した隔離施設へ移送して」
「その後は?」
「状態を確認し、必要な処置を行う」
「必要な処置ってのは、さっき言ってたやつか?」
「必要であれば」
ネル先輩はすぐに返事をせず、アリスさんとリオ会長を交互に見た。その顔から普段の苛立ちとは違うものが浮かび、やがて低い声で答える。
「やらねぇよ」
「命令よ」
「知るか」
「C&Cはセミナー会長直属の組織よ。任務を拒否する理由を説明して」
「理由?」
ネル先輩が鼻で笑う。
「同じ学校の、何が起きてるかも分かってねぇ奴を攫って、殺すかもしれねぇ場所まで運べって言われて、はい分かりましたって従えるかよ」
「AL-1Sが再覚醒すれば、ミレニアム全体が危険に晒される可能性がある」
「だったらその危険を調べろ。少なくとも、今すぐこいつを攫って処分するのがアタシらの仕事だってんなら、アタシはやらねぇ」
ネル先輩の判断基準は、やはりそこだった。
アリスさんが絶対に安全だと信じているわけではない。むしろ、危険だろうが何だろうが、事情も分からない同じ学園の生徒を捕まえて処刑場へ運ぶような仕事は受けないという、それだけの話だった。
「アスナ」
「なに、リーダー?」
「お前はどうする」
「リーダーと一緒!」
考える間もない。
カリンさんは少しだけ目を伏せてから、リオ会長へ向き直った。
「私も今回の命令には従えない。危険性を無視するつもりはないが、今この段階で私たちがアリスを連行することには納得できない」
「私も同じです」
アカネさんも穏やかな口調のまま続いた。
「C&Cの任務として受けるには、少々説明が不足していますね」
最後に、全員の視線が私へ集まる。
「ハヤテ」
「はい?」
「お前は?」
私は少しだけ考えた。
リオ会長の理屈は今でも理解できる。
アリスさんが危険になる可能性はあり、ミレニアム全体を預かる立場なら最悪を想定するのは当然だと思う。
それでも、今この場でC&Cがアリスさんを連行し、そのまま処分へ繋げる仕事に参加したいとは思わなかった。
「……今回はネル先輩側で」
リオ会長が私を見る。
「アリスが安全だと判断したの?」
「保留が一番かななんて考えますけど、会長が警戒する理由も分かりますし、状況次第ではさっき言ってたことをしないとといけないとも思ってます」
「なら、なぜ命令を拒否するの?」
「この命令に納得してないからです。危険性を調べるのと、私たちがアリスさんを攫って連れていくのは同じ話じゃないでしょう」
「感情的な判断ね」
「まあ、そうかもしれません」
それで困ることもなかった。
リオ会長は、私たち五人を順番に見た。
ネル先輩、アスナ先輩、カリンさん、アカネさん、そして私。C&Cの全員が命令に従わないと明言したにもかかわらず、リオ会長の表情には焦りも困惑も浮かばなかった。
即ちそれは想定通りに事が進み、この事態に対応できる手札を持っていることの証拠だ。
「そう」
リオ会長が静かに答える。
「なら、予定を変更する必要はないわね」
聞き慣れない名前が続いた。
「トキ」
「はい。リオ様」
声は、私たちの後ろから聞こえた。
全員が振り返る。
長い金髪を持つメイド姿の生徒が、いつの間にか部室の入口付近に立っていた。制服の意匠にはC&Cと共通する部分があるものの、一年間この組織に所属してきた私には全く見覚えがない。
ネル先輩がすぐに銃へ手を掛ける。
「誰だ、テメェ」
少女は警戒する様子もなく、淡々と名乗った。
「飛鳥馬トキです。C&C所属、コールサイン04」
番号を聞いた瞬間、頭の中で一つだけ引っかかった。
「……04?」
「はい」
「本当に?」
「虚偽を述べる理由がありません」
「いたんですか……、私達以外のメイドが」
「私はリオ様直属の秘匿任務に従事していました。通常のC&Cとは活動経路が異なります」
ずっと空いていた番号だった。
00から03までがいて、その次に私の05がある。私が欠番を望んだのだが、感情的で非合理的なその選択にあの時会長は異論を示さなかった。
その答えが、今目の前に立っている。
なるほど、これが奥の手というやつなのだろう。
「……そういうことですか」
口に出すと、ネル先輩がこちらを見る。
「何がだ?」
「04がこういう時のためにいたんだなって」
ネル先輩の表情が一気に険しくなった。
「最初からアタシらが逆らうと思ってたってことか?」
「可能性には備えるべきでしょう」
リオ会長は否定しなかった。
私はその答えを聞いても、それほど傷つかなかった。
秘密を持つことも、自分だけで準備を進めることも、必要だと思えば仲間へ説明しないことも、この一年で散々見ている。むしろ、リオ会長がこういう備えをしていたと知っても、「この人ならやるだろうな」という納得の方が大きかった。
だからこそ、さっきまで残っていた迷いも薄れた。
「会長」
「何?」
「それがあなたの答えなんですね」
「ええ」
「もう少し話し合ったり出来ないんですか?」
「私としての最大限の対応と誠意は尽くしたわ」
「……なら私はあなたを止めないといけない」
この形でしか示せないというのならば、それほどまでに追い詰められているのならば、誰かがその手を取らなければならない。
「……話は終わりのようね」
リオ会長の言葉に合わせてトキさんが一歩前へ出ると、それに呼応するように部室の外から複数の駆動音が近づいてきた。窓の外や廊下の向こうにはAMASが展開し始めており、リオ会長が本気でアリスさんを確保するつもりであることが分かる。
「準備良すぎません?」
思わず呟くと、ネル先輩が舌打ちした。
「ったく、どこまでやってやがる」
「リーダー、来るよ!」
「分かってる。アリスは渡すな!」
C&Cが一斉に構えた。
*
最初の衝突は激しかったものの、本格的な決着をつけるほど長くは続かなかった。
トキさんは一目で分かるほど強かった。単に射撃が上手いというだけではなく、こちらの動きを事前に知っているような対応をしてくる。ネル先輩が前へ出ればその進路を潰し、カリンさんが狙撃位置へ移ろうとすればAMASを先に回し、アカネさんが側面を取ろうとすればその先に別の機体を配置する。
私とアスナ先輩はアリスさんへ近づこうとするAMASを止めながら、必要以上にトキさんへ踏み込まないよう動いた。
「ハヤテちゃん、あの子すごいね!」
「感想言ってる場合です?」
「でも強いよ!」
「見れば分かります!」
アスナ先輩が笑いながら一機を蹴り飛ばし、私はその横を抜けようとした別のAMASを撃ち止めた。正面ではネル先輩とトキさんが何度かぶつかっているが、今ここで勝敗を決める必要はない。アリスさんを連れていかせなければ、それで十分だった。
そう考えていた時。
「やめてください!」
アリスさんの声が、銃声の間を抜けて響いた。
全員の動きが完全に止まったわけではない。それでも、少なくとも近くにいた私たちは反射的に視線を向けた。
アリスさんは椅子から立ち上がり、震える手を胸の前で握っていた。
「アリスさん?」
先生が呼びかける。
「もう、やめてください。アリスのために皆さんが戦う必要はありません」
「何言ってんだ!」
ネル先輩がトキさんから距離を取りながら怒鳴る。
「テメェが勝手に決めんな!」
「でも、アリスがいるから皆さんが戦っています。モモイが怪我をしたのも、全部アリスが――」
「違うよ!」
ミドリさんが即座に否定した。
「お姉ちゃんが怪我したのはアリスが悪いからじゃない! 何か変なことが起きただけで――」
「その何かが、アリスの中にあるんです」
アリスさんは泣いてはいなかった。
それでも、声は今にも崩れそうだった。
「アリスは、自分が何者なのか分かりません。次にいつああなるのかも分かりませんし、またモモイを傷つけるかもしれません。今度はミドリやユズ、先生を傷つけるかもしれません」
少しずつ、リオ会長の方へ歩いていく。
「だから、アリスは皆さんと一緒にいてはいけないと思います」
「アリス」
先生が呼ぶ。
その声で、足が一度止まった。
「一人で決めなくていい。怖いなら、一緒に考えよう」
「……先生」
「アリスが何者なのか分からないなら、これから一緒に調べればいい。今ここで全部決めなくてもいいんだよ」
先生の言葉を聞いたアリスさんは、しばらく俯いていた。
私も止めるべきか考えた。
二日前に、自分一人でモモイさんの気持ちまで決めるのは早いと言ったばかりだ。それでも、今ここで力ずくでこちらへ引き戻しても、アリスさん本人が自分自身を怖がっている限り、何も解決しない気がした。
「アリスは、もう皆さんを傷つけたくありません」
やがて、アリスさんはもう一度歩き始めた。
今度は誰の言葉でも止まらず、リオ会長の隣まで辿り着く。
「リオ会長」
「何?」
「アリスは、あなたと行きます」
ミドリさんの顔が歪む。
「アリス……」
アリスさんは振り返った。
「ミドリ、ユズ、先生。今までありがとうございました」
「そんな言い方しないでよ!」
「モモイにも……」
そこで一度、言葉が詰まった。
「ごめんなさい、と伝えてください」
私は銃を下ろした。
ネル先輩がすぐに気づく。
「ハヤテ、何してんだ!」
「今は止めません」
「はぁ!?」
「アリスさん本人が行くって言ってるんですよ」
「だからって、あいつに渡すのか!」
「なあなあの成り行きでの解決に意味を見出だせません」
ネル先輩がこちらへ踏み出しかけたが、私は続けた。
「ここで私たちが無理やりアリスさんを引っ張り戻したら、結局会長と同じことしてるでしょう。本人の気持ちを無視して、自分達の方が正しいって決めることになる」
「じゃあ放っとけってのか!」
「納得してるわけじゃないです。でも今は、力ずくで連れ戻す方が違うと思います」
ネル先輩は明らかに不満そうだったが、それでもすぐには動かなかった。
私はリオ会長を見る。
「会長」
「何かしら?」
「……納得は、全てにおいて優先されます。迷いは失態に繋がる。迷いのないやつが一番強いんです。だから理論においても、感情においても納得が必要です」
「私は……納得しているわ。ええ、あなたの理論に則るのなら」
そう語る彼女の目線は、どこか私と合わない気がした。
*
トキさんとAMASに守られながら、リオ会長はアリスさんを連れて部室を出ていった。
扉が閉じた後、残された部屋にはすぐ会話が戻らなかった。モモイさんの席だけが空いたまま残り、その隣ではミドリさんが俯き、ユズさんが何も言わずに寄り添っている。
ネル先輩が近くの壁を拳で叩いた。
「クソッ……!」
私は壁へ背中を預けながら、さっき出ていった扉を見る。
リオ会長の危険視は理解できる。
アリスさんの恐怖も分かる。
ネル先輩が命令を拒否した理由も分かる。
どれか一つだけを間違いだと思えれば、もっと簡単だったのだろう。
「ハヤテ」
先生が声を掛けてきた。
「はい?」
「リオの言ってることは、まだ分かる?」
「分かりますよ」
先生が少し意外そうな顔をする。
「アリスさんが危険になる可能性はあるし、会長がそこを警戒するのも普通だと思います。今回のやり方には付き合えないですけど、だからって会長の心配まで全部間違いになるわけじゃないでしょう」
「それでも、リオの方には残らなかった」
「04まで用意してたんで」
「やっぱり、あれが大きい?」
「それだけ誰も信用できなかった、それだけ追い詰められている。……私の方が強いのに」
先生が驚いた様子でこちらを見る。
「……珍しいね」
「何がですか?」
「なんだろう、自信があるところ?自分の強さに」
「……まあ、いいじゃないですか。自信がある分には」
「それもそうだね。……でもそうか、余裕がない」
そう言うと先生は顎に手を当てて考え始める。
その時、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。
「ミドリ!」
聞き覚えのある声が響き、部室の扉が勢いよく開く。
「アリスは!?」
「お姉ちゃん!?」
ミドリさんが立ち上がった。
そこにいたのは、まだ包帯を巻き、治療着に近い格好のモモイさんだった。顔色も万全とは言えないのに、立っているだけならいつもの本人とほとんど変わらない。
「モモイさん、起きたんですね」
「今起きた!」
「そのままここまで来たんです?」
「細かいことはいいから、アリスは!?」
部室を見回したモモイさんは、アリスさんがいないことへすぐ気づいた。
ミドリさんが姉のところへ寄り、何があったのかを順番に説明する。
アリスさんの正体。
リオ会長の話。
自分を危険だと思ったアリスさんが、皆から離れるために自分からついていったこと。
モモイさんは途中から口を挟まず、最後まで黙って聞いていた。
「……アリス、私のせいだって思ってるの?」
説明が終わった後、最初に出たのはその言葉だった。
「自分がお姉ちゃんを傷つけたから、もう一緒にいちゃ駄目なんだって……」
ミドリさんが答える。
モモイさんは少しだけ俯いたあと、顔を上げた。
「そんなの知らないよ」
「お姉ちゃん?」
「アリスが魔王だとか、AL何とかだとか、世界を滅ぼすかもしれないとか、そんな難しいこと私には分かんない!」
「分からないんですね」
思わず口を挟むと、モモイさんはこちらを向いた。
「分かんないよ! でも、分かんなくても一個だけ分かる!」
胸を張る。
「私、アリスと別れたくない!」
単純だった。
「アリスが何者でも、一緒にゲーム作ったのは本当だし、友達なのも本当! 勝手に『モモイを傷つけたからもういなくなります』なんて決められる方が困る!」
「でも、また暴走したら?」
私が聞く。
責めるつもりではなく、単純に気になった。
モモイさんは数秒だけ考えたあと、堂々と答えた。
「その時は、その時に考える!」
あまりにも雑だったので、少し笑いそうになった。
安全策もなく、根拠もなく、危険性を解決したわけでもない。それでも、この人にとってはアリスさんを連れ戻したいという気持ちだけで十分なのだろう。
ネル先輩も口元を上げる。
「やっと話の分かる奴が来たじゃねぇか」
「ネル先輩!」
「取り戻すんだろ?」
「もちろん!」
ミドリさんとユズさんはまだ不安そうだったが、モモイさんの勢いに引っ張られるように表情が少し変わっていった。
先生も立ち上がる。
「まず、アリスがどこに連れていかれたのか調べよう」
「はい!」
モモイさんが勢いよく返事をする。
私は壁から背中を離した。
「ハヤテも来るよね」
先生に聞かれる。
「行きますよ」
「さっきはありがとう。私もまだまだ未熟だね」
「……?それは、どういたしまして?」
今一ピンと来ないが、取りあえず返事だけはしておく。
兎にも角にも、私はアリスさんの決定に納得していない。ただ、もう一度話を聞くことだけは確かだ。
「会長が何するのかも見たいし、アリスさん自身がどうしたいのかも、今のままだとよく分からないですから」
「じゃあ決まり!」
モモイさんが声を上げる。
「その前に」
私はモモイさんを見る。
「病院抜けてきたこと、誰かに言いました?」
「…………」
「言ってないんですね」
「今はアリスが先!」
「後で怒られますよ」
「その時はその時!」
さっき聞いたばかりの言葉をもう一度聞かされて、今度こそ少し笑った。
何も分からない時に、いったん先へ進んでから考える人間は、私以外にも案外いるらしい。