Keyという識別名が中央タワーの画面へ表示されてから、エリドゥの様子は急速に変わっていった。
先ほどまでリオ会長の指示で動いていた設備が一斉に再起動し、床下から伝わる振動とともに、建物の各所で閉じていた隔壁が勝手に開閉を始める。非常灯まで一度落ちたあと、赤い照明だけが館内を染め直し、窓の外では停止していた道路照明や製造施設へ次々と電力が戻っていた。その光景は都市が復旧しているというより、ひとつの巨大な機械が別の管理者へ引き渡され、その目的に合わせて身体を組み替えているように見えた。
『王女の覚醒を確認しました。Protocol ATRA-HASISを継続します』
館内放送から流れる声は、アリスさんのものではなかった。
抑揚の乏しい女性の声が処理内容を読み上げるたびに、壁面モニターには警告表示が重なっていく。エリドゥ内部の演算設備、通信設備、製造区画の管理権限が次々と奪われているらしく、リオ会長へ通信を繋いだ時には、普段なら滅多に聞けないほど速い操作音が向こうから聞こえていた。
「リオ会長、これ何です?」
『現時点ではKeyとしか識別できないわ。AL-1S内部に存在していた別の制御人格である可能性が高い』
「予定に入ってました?」
『入っていないわ』
即答だった。
リオ会長がここまではっきり想定外を認めるのは珍しい。
隣にいたモモイさんが私の端末へ顔を寄せる。
「アリスは!? アリスはどうなってるの!?」
『人格反応そのものは残っているけれど、KEYによって深部へ隔離されているようね。通常の方法では応答が返ってこないわ』
「じゃあ、まだ中にいるんだよね?」
『そう判断して構わないわ』
モモイさんの表情が少しだけ明るくなった。
その直後、別回線からヒマリ先輩の声が割り込む。
『リオ、こちらにもエリドゥの管理情報を共有してください。今さら一人で抱え込むつもりなら、さすがに学習能力を疑いますよ』
『……あなたに言われたくはないわ』
『反論は後で聞きます。今はKeyの演算資源を削る方が先です』
少しだけ間があった。
『……分かったわ』
リオ会長が素直に共有を受け入れる。
ほんの数十分前までなら、その返事だけで少し驚いていたかもしれない。しかし今は、喜んでいる余裕もなかった。
『ユウカ、ノア。エリドゥの電力系統を送るわ。KEYは都市全体の演算設備を利用しているから、区画ごとに電源を落とせば処理能力を削れる』
『確認しました』
ノアさんの声が続く。
『ユウカちゃん、まず第三系統から切りましょう。現在、生徒がいる区画への影響は最小限です』
『了解! リオ先輩、これが終わったら予算の話は絶対にしますからね!』
『今それを言う必要がある?』
『今言わないと逃げそうだからです!』
ユウカさんの怒声を聞いていると、少しだけ普段のミレニアムへ戻ったような気がする。
『先生とゲーム開発部はアリスのところへ向かってください』
ヒマリ先輩が指示を出した。
『こちらで人格領域への接続経路を探します。物理的な拘束を解除してもKEYが主導権を持ったままでは意味がありませんので、アリス本人へ呼びかける必要があります』
「行こう!」
モモイさんが今度こそ走り出す。
少し前までなら、私はその背中へ銃を向けてでも止めていた。
今は違う。
「先生」
「うん?」
「アリスさんのこと、お願いします」
「ハヤテは?」
「私は外を手伝います。タワーの周り、また機械が動き始めてるんで」
窓の外では、AMASだけでなく先日の暴走時に現れたDivi:Sionに近い機体まで道路へ展開し始めている。アリスさんのところへ行っても、私にできることは多くない。だったら先生とゲーム開発部が向かう道を守る方が、自分の役割としては分かりやすかった。
「分かった。こっちは任せて」
「お願いします」
モモイさん、ミドリさん、ユズさんが先生と一緒に走っていく。
今度は、誰も彼女達を止めなかった。
*
中央タワーを出る頃には、エリドゥの道路は再び戦場へ戻っていた。
ただし、先ほどまでの混乱とは大きく違う。リオ会長を止めるのか、ゲーム開発部を止めるのか、トキさんを警戒するのかと考える必要がなくなり、目の前で動いているKey側の機械だけを止めればいい。
「ネル先輩、正面お願いできます?」
「言われるまでもねぇ!」
「カリンさんは上空。アカネさんは閉鎖された道が出たら対応お願いします」
「了解した」
「承知しました」
アスナ先輩へ視線を向ける。
「私は?」
「動いてる敵で面倒そうなの見つけたらお願いします」
「分かった!」
「お前、アスナへの指示だけ雑すぎねぇか?」
ネル先輩がこちらを見る。
「細かく言わない方が強いんですよ」
「それはそうだな」
本人まで納得した。
全員がそれぞれの位置へ散っていくと、私は初めて肩の力が抜ける感覚を覚えた。
先ほどまで一人でトキさんを相手にしながらゲーム開発部とC&Cの進路まで管理していた時は、常に複数の位置を意識し続ける必要があった。今はネル先輩が正面を崩してくれるので、そこを気にする必要がない。高所の敵はカリンさんが落とし、通路を塞がれればアカネさんが開けるため、私は本当に空いた穴だけを埋めればよかった。
普段のC&Cでは当たり前の動きだったはずなのに、今日は妙に懐かしく感じる。
「ハヤテ、右から来てるぞ!」
「見えてます!」
ネル先輩の死角へ回ろうとした二機のうち、一体の脚部を撃ち抜く。倒れた機体がもう一体の進路を塞いだところへ数発追加し、二機まとめて動きを止めると、ネル先輩は振り返りもせず次の大型機へ向かった。
「さっきから思ってたけどよ!」
「何です?」
「お前、最初からアタシら使った方が楽だっただろ!」
「当たり前でしょう! 皆さんが話を聞かなかったから一人でやったんですよ!」
「それは……まあ、そうだけどよ!」
少しだけ言葉に詰まりながらも、ネル先輩はそのまま大型機へ飛び込んでいった。
直後、街の一角から照明が消える。
『第三系統、遮断成功!』
ユウカさんの声が通信へ響くと、周囲にいた機械の何体かが同時に停止した。すぐ別の系統へ接続を切り替えようとしているようだったが、完全に復帰するまでの十数秒があれば十分だった。
その間にも、ヒマリ先輩とリオ会長は同じデータを見ながらKEYの制御へ干渉していた。
『リオ、右側の演算区画を切り離してください』
『そこを落とせば中央系統の制御にも影響が出る』
『この状況で街の完全性を気にしてどうするのです。あなたが作ったのでしょうから、後で直してください』
『簡単に言うわね』
『原因を作った本人が言いますか?』
「二人とも、喧嘩するなら通信切りますよ」
『していません』
『していないわ』
二人の返事が重なる。
「息合ってますね」
今度は二人とも黙った。
何だかんだこの二人も一緒に動けば強い。
*
戦闘は、想像していたほど長引かなかった。
ユウカさんとノアさんが電力を区画ごとに落とし、リオ会長とヒマリ先輩がKeyの演算経路を潰すたびに、都市側の機械群は目に見えて動きを鈍らせていった。別方向ではエンジニア部もDivi:Sionへの対応を始めており、先生達がアリスさんのいる区画へ到達したという報告が入った頃には、こちらの戦線もかなり安定していた。
私は壊れたAMASを遮蔽物にして弾倉を交換しながら、先生達からの連絡を待った。
不安がないわけではない。
Keyが止まったとしても、AL-1Sの危険性そのものが消える保証はないし、アリスさんが自分をどう受け止めるのかも分からない。モモイさん達が呼びかければ必ず戻ってくると断言できる材料も持っていなかった。
それでも、今は任せるしかない。
アリスさんと一緒にゲームを作り、笑って、喧嘩をしてきたのはゲーム開発部だ。先生も、本人が何かを選ぶ時に隣へいることを何度も続けてきたらしい。
そこへ私が行っても、できることは多分ない。
なら、自分にできる方をやる。
「右上、三体!」
カリンさんの声に応じて身体を下げると、頭上を弾丸が抜け、二機のドローンが落ちる。残った一体へアスナ先輩が飛び込み、機体ごと道路へ叩き落とした。
「まだいる?」
「奥に大型が一体!」
「じゃあ行ってくる!」
「お願いします!」
アスナ先輩が楽しそうに走っていく。
少しして、またエリドゥの一角が暗くなった。
『第五系統、遮断完了です』
ノアさんの声が入る。
『Key側の演算出力が大きく低下しました。先生、今なら接続できます』
ヒマリ先輩が続く。
『ゲーム開発部の皆さんも、そのままアリスへ呼びかけてください。こちらで接続を維持します』
先生達の通信が途切れた。
こちらでは戦闘が続いている。
ネル先輩の銃声も聞こえるし、遠くではエンジニア部の妙に大きな爆発音も響いている。それでも、アリスさんの方で何が起きているのか分からない数分間だけは、不自然なくらい長く感じられた。
やがて。
エリドゥ全体を覆っていた赤い照明が、一斉に消えた。
目の前にいた機械は銃を構えた姿勢のまま動きを止め、遠くから聞こえていた重い駆動音も徐々に弱まっていく。街の間を通り抜ける風の音が耳に戻ってきた頃、通信端末が震えた。
『ハヤテ』
先生の声だった。
「はい」
『アリスが戻ったよ』
その報告を聞いた瞬間、戦闘中ずっと意識していなかった疲労が一気に身体へ戻ってきたような感覚があり、私は近くの残骸へ軽く背を預けながら長く息を吐いた。
「そうですか」
『代わる?』
「お願いします」
少し雑音が入り、次に聞こえた声は確認する必要もないくらい聞き慣れたものだった。
『ハヤテ先輩! アリスは帰還しました!』
「声大きいですね」
『申し訳ありません! ですが、アリスはとても嬉しいです!』
通信の向こうからモモイさんの笑い声が混じる。
「体は大丈夫です?」
『はい! 少し疲れていますが、問題ありません!』
「Keyは?」
『アリスが倒しました。モモイ達と先生も一緒です!』
「本人が決めたんですね」
『はい』
さっきまでの勢いが少しだけ落ち着く。
『アリスは、自分が何なのか全部分かったわけではありません。AL-1Sが何なのかも、まだ知らないことがたくさんあります』
私は黙って聞いた。
『ですが、アリスはこれからも勇者になりたいです。モモイとミドリとユズとゲームを作って、先生と冒険して、ネル先輩とも遊んで、もっとたくさんの人と出会いたいです』
「そうですか」
『はい!』
その返事を聞いた時。
ようやく、良かったと思えた。
アリスさんが完全に安全になった証明ができたからではない。AL-1Sとしての機能がすべて消えたのかも分からないし、今回と似たことが二度と起きない保証もない。
それでも、アリスさん自身が分からないものを抱えたまま、その先へ進むことを選んだ。
誰かに「魔王だから消えろ」と決められるのでも、「勇者だから大丈夫」と周囲に決めてもらうのでもなく、自分自身で何者になりたいかを選び、その未知を歩き始めたことが、今はただ嬉しかった。
「じゃあ、後で会いましょう」
『はい! ネル先輩もいますか?』
「いますよ」
『では帰還祝いにゲームを――』
「勝手に約束すんな!」
横からネル先輩が通信へ怒鳴り込む。
『ネル先輩!』
「うるせぇ! 今は疲れてんだよ!」
『では明日にします!』
「そういう意味じゃねぇ!」
通信の向こうでアリスさんが笑う。
その笑い声を聞いて。
本当に戻ってきたのだと思った。
*
アリスさんの帰還を確認してから中央タワーへ戻ると、ゲーム開発部の周囲だけは先ほどまでの戦場が嘘だったような騒がしさになっていた。
モモイさんとミドリさんが左右からアリスさんへ抱きつき、ユズさんも少し控えめながらその輪の中に加わっている。アリスさんは二人に挟まれて苦しそうにしながらも、離してほしいとは一度も言わず、先生は数歩離れた場所からその様子を眺めていた。
「アリス、本当に大丈夫なんだよね?」
「はい! アリスは完全復活しました!」
「完全かどうかは、あとでちゃんと検査しようね」
「分かりました、先生!」
「今日はもう変な機械に触っちゃ駄目だからね!」
「モモイ、それはアリスが触りたくて触ったわけではありません!」
「今そういう話してるんじゃないの!」
いつもの調子で言い合う声を聞きながら、私は少し離れた場所で壁に背を預けた。
アリスさんがAL-1Sとして持っている機能が完全に消えたのかは分からない。Keyがいなくなったことで今回と同じ事態が二度と起きないという保証もなく、本人自身、自分の中に何が残っているのかをすべて理解しているわけではないだろう。
それでも、アリスさんはその不確かさを理由に消えるのではなく、自分がこれから何者になりたいのかを自分で選んだ。
リオ会長が用意した答えでも、ヒマリ先輩が与えた答えでも、先生やゲーム開発部に決めてもらった答えでもない。
分からないものを抱えたまま先へ進むと本人が決めたことに、私はようやく素直な安堵を覚えていた。
「……良かったですね」
独り言のつもりだったが、すぐ横にいた先生には聞こえたらしい。
「うん」
「……まぁ、無駄に掻き回しただけですけど」
「そんなことはないよ」
「……そうですかねぇ」
結果として上手くまとまっただけで、不必要な争いを産んだだけに等しい。もう少し冷静に立ち回れてれば、もっと体よくいけただろうに。
私はもう一度ゲーム開発部の方を見る。
モモイさんが何か言って笑い、アリスさんも大きな声で返している。その隣ではミドリさんが騒ぎすぎだと注意し、ユズさんもようやく普段の表情へ戻りつつあった。
そこで初めて、妙な違和感に気づいた。
「先生」
「何?」
「リオ会長、どこにいます?」
先生も周囲を見回した。
「そういえば、さっきから見てないね」
ネル先輩達はいるし、ユウカさんとノアさんもエリドゥの被害状況を確認している。エイミさんの近くにはヒマリ先輩もいて、端末を操作しながら何かのデータを回収していた。
その中に、リオ会長だけがいなかった。
嫌な予感というほど強いものではなかったが、あの人なら今回の件を自分の中だけで処理して、その結論まで誰にも相談せずに実行する可能性がある。
「ちょっと探してきます」
壁から身体を離したところで、ヒマリ先輩がこちらへ顔を上げた。
「その必要はありませんよ」
「居場所知ってるんです?」
「上層の連絡通路にいます。戦闘終了後から、ほとんど動いていません」
「ずっと見てたんですね」
「エリドゥ内部の人員配置を確認していただけです」
「心配してるわけじゃなくて?」
ヒマリ先輩は、心外だと言いたげに眉を寄せた。
「どうして私があの女の心配をしなければならないのですか。今回だけで私を拘束し、計画を隠し、エリドゥまで勝手に建設していたのですよ?」
「そこまで細かく把握してるなら、やっぱり気になってるんじゃないですか」
「ハヤテ」
「はい」
「早く行きなさい」
これ以上言えば本当に怒られそうだったので、素直に従うことにした。
歩き出してから振り返ると、ヒマリ先輩は既に端末へ視線を戻していた。ただし、その画面の端にはエリドゥ内部の位置情報が表示されたままで、リオ会長と思われる一点だけが上層部に残っていた。
*
上層の連絡通路は、戦闘の跡がほとんど残っていなかった。
床や壁は綺麗なままで、窓の外に広がるエリドゥだけが、ついさっきまで大規模な戦闘が続いていたことを示している。電力を遮断された区画はまだ暗く、ところどころで復旧作業用の照明が点き始めているものの、最初に見た時の整然とした都市とは随分違っていた。
リオ会長は、その景色を窓際から眺めていた。
近くまで歩いてから、足元に小さな鞄が置かれていることにも気づいた。必要最低限の私物をまとめたような大きさで、これから少し場所を移すだけの荷物には見えない。
「会長」
声を掛けると、リオ会長はゆっくり振り返った。
「ハヤテ」
「どこか行くんです?」
「ええ」
「どこへ?」
「ミレニアムを離れるわ」
驚かなかったわけではないが、まったく想像していなかった答えでもなかった。
リオ会長は、自分が問題の原因だと判断すれば、その原因そのものを取り除こうとする。その対象が設備や計画ではなく自分自身になっただけだと考えれば、むしろ今までの行動と一貫している。
「今回の一件は、私の判断が原因よ」
私が何も言わないので、リオ会長は窓の外へ視線を戻しながら続けた。
「AL-1Sを脅威と判断し、処分を決めた。エリドゥを秘密裏に建設し、トキを含めた戦力を準備して、反対する人間を排除しながら計画を進めた。その結果、多くの生徒を危険に晒したうえに、最後にはキヴォトスを守るために作ったエリドゥそのものがKeyに利用された」
「そこはまあ、そうですね」
「否定しないのね」
「悪かったことまで無理に違うって言っても仕方ないでしょう」
私も窓際まで歩き、リオ会長の隣から街を見下ろした。
エリドゥは、この人がミレニアムを守るために作ったものだ。手段も予算の扱いも問題だらけではあるけれど、少なくとも滅ぼしたくて作ったわけではない。
その街がKeyに利用され、逆にキヴォトスを危険へ近づけた。
本人にとっては、かなり堪える結果だったと思う。
「でも、会長の選択そのものが全部間違ってたとは思ってないですよ」
隣から視線を感じた。
「どういう意味?」
「アリスさんが危険になる可能性は実際にあったでしょう。AL-1Sとして暴走したし、モモイさんを撃ったし、KEYまで出てきた。会長が何の根拠もなく怯えて、普通の生徒を勝手に怪物扱いしてたわけじゃないです」
「それでも私は、結論を急ぎすぎた」
「それはそうだと思います」
「……あなたは時々、随分容赦なく肯定するのね」
「そこ否定すると、全部正しかったって話になるでしょう」
リオ会長はそれ以上言わなかった。
「ミレニアム全体を預かってる立場なら、最悪の場合を考えるのは自然だと思います。もし会長が何もしないまま放置して、本当にアリスさんがキヴォトスを壊してたら、それはそれで会長の責任にされたでしょうし」
「だからといって、私が行ったことが正当化されるわけではないわ」
「正当化する気はないですよ。秘密にしすぎたし、ヒマリ先輩は捕まえるし、C&Cが反対した時のために04まで隠してたし、かなり酷かったと思います」
「そこまで並べなくても理解しているわ」
「全部含めて話してるんで」
少しだけ間が空いた。
ここまでなら、リオ会長の反省を聞いているだけで終わる。
でも、それでは今回の出来事を、結局「リオ会長が間違えて皆が止めた話」にしてしまう気がした。
私は窓の外を見たまま、自分の中で引っかかっていたことも口にすることにした。
「むしろ私の方が、もっと危なかったかもしれませんけどね」
「あなたが?」
「はい」
リオ会長がこちらへ身体を向ける。
「私、全員止めたでしょう。会長側だけじゃなくて、ゲーム開発部もC&Cも先生も止めて、トキさんの装備まで壊して、皆で一回考えろって言った」
「ええ」
「でも、自分では何の解決策も持ってなかったんですよ」
アリスさんを安全にする方法は知らなかった。
AL-1Sだけを取り除く技術も持っていなかったし、Keyが存在することすら知らなかった。
「会長の計画を止めた後でどうするのかって聞かれても、私は『皆で考える』くらいしか答えられなかった。結果だけ見れば、結論を先延ばしにして、会長の邪魔をしただけとも言えます」
「結果的にはアリスを救えたわ」
「今回は、でしょう」
もしKeyへの対応が遅れていたら。
もしアリスさんが戻ることを選べなかったら。
もしエリドゥの演算資源を止められなかったら。
私が作った時間が、そのまま致命的な遅れになっていた可能性もある。
「成功したから正しかったことにするのは、会長のことだけ責めるより嫌なんですよ。失敗してたら、私が全員を止めたせいだったかもしれないですし」
「それは違うわ」
返事は思っていたより早かった。
「違う?」
「あなたが一度全員を止めたことには意味があった。私はAL-1Sを処分することだけが被害を最小化する方法だと判断して、それ以外の可能性を検討する時間自体をリスクとして扱っていたわ」
「そうですね」
「でも、私がその結論を実現するために用意したエリドゥはKeyに利用された。私の計画を予定通り進めていたとしても、望んだ結果へ辿り着いた保証はない」
リオ会長は、窓の下に広がる街へ視線を落とした。
「あなたが止めたことで失った時間は確かにある。それでも、一度全員が足を止めたからこそ、それぞれが何を恐れ、何を守ろうとしているのかを同じ場所で確認できた。その選択まで間違いだったとは、私は思わない」
自分の行動をリオ会長に肯定されるとは思っていなかったので、少し返事に困った。
「会長に言われると変な感じしますね」
「私も、あなたが自分の判断をそこまで疑っているとは思わなかったわ」
「自分だけ正しかったことにしたくないだけです」
言葉にすると、たぶんそれが一番近かった。
リオ会長はアリスさんを危険だと判断した。それ自体は間違っていなかったが、危険だから今すぐ消すしかないというところまで結論を狭めたことで、周囲との対立を招いた。
モモイさん達はアリスさんを信じた。その信頼がアリスさん自身を支えたのは確かだけれど、信じているだけでKeyの危険性まで消えるわけではなかった。
ヒマリ先輩は未知を切り捨てるべきではないと主張した。それも必要な考え方だったが、未知の中に本物の危険が含まれている可能性まで無視することはできない。
私が全員を止めたことにも意味はあったと思う。しかし、話し合えば必ず正解へ辿り着くわけではなく、最後に未来を選んだのはアリスさん本人だった。
「全員、正しかったんですね」
私がそう言うと、リオ会長は少し考えてから首を横へ向けた。
「同時に、全員が間違っていたとも言えるわ」
「面倒ですね」
「ええ」
珍しく、そこだけは完全に意見が一致した。
誰か一人が最初から答えを持っていたわけではない。全員が自分に見える範囲では正しいものを見ていて、その範囲の外側で間違えていたのだと思う。
アリスさんが最後に自分の未来を選べたことを考えると、少なくとも誰か一人の答えだけで終わらなくて良かったとは思えた。
「じゃあ、帰りましょうか」
私は足元の鞄へ視線を落とした。
リオ会長は動かなかった。
「今話したことと、私がミレニアムへ戻るべきかどうかは別問題よ」
「そうです?」
「私はミレニアムの予算を無断で使用し、エリドゥを秘密裏に建設した。アリスの処分を独断で決め、C&Cへ必要な情報を開示せず、反対したヒマリを拘束した。責任を負う必要があることは変わらないわ」
「それなら戻った方がいいんじゃないです?」
「なぜ?」
「謝る相手がいるでしょう」
リオ会長が少し黙った。
「私はこれから色んな人に謝らないといけないんですよ。AMASは大量に壊したし、アビ・エシュフも壊したし、中央タワーの設備もかなり駄目にしました。ゲーム開発部とC&Cにも銃を向けましたし、ネル先輩には配管まで落としました」
「最後の二つは、私の責任ではないわ」
「私の責任ですよ。だから私が謝ります」
「なら、私とは関係ないでしょう」
「一人で謝るの、ちょっと心細いんで、一緒に来てください」
できるだけ軽く言ったつもりだった。
「ユウカさんとか絶対怖いでしょう。会長が隣にいれば、怒りの大半そっちへ行きそうですし」
「それが目的?」
「半分くらい」
「残りの半分は?」
そこで誤魔化すと、結局この人は納得しないのだと思う。
私は少し視線を逸らしてから、言葉を選んだ。
「会長に消えてほしくないからです」
リオ会長の表情が僅かに変わった。
「私は会長が好きです。恋愛的な意味ではなく、一人の人間として」
「……そう」
「全部を肯定するって意味でもないですよ。会長は秘密主義だし、すぐ自己完結するし、コミュニケーションも下手です」
「そこまで言う必要はある?」
「全部って言ったでしょう」
「普通は長所から話すものでは?」
「後で言いますよ」
少しだけ言いやすくなった。
「私たちのことも、ミレニアムのことも、大切に考えてくれてるでしょう。ユウカさん達が困ってたら何だかんだ手を貸すし、自分が嫌われても必要だと思ったことはやる。そのやり方で今回みたいに失敗することもありますけど、私はそういうところも含めて会長を見てきました」
「私は、それを優しさと呼ぶべきだとは思わないわ」
「私は優しいと思ってますよ。少なくとも、どうでもいい相手のためにここまで面倒なことする人じゃないでしょう」
リオ会長は何も答えなかった。
一年生の入学式で初めて見た時は、顔と体型が好みに刺さりすぎて、まともに目を見るだけでも苦労した。
それから一年間、C&Cの任務を受け、セミナーへ出入りし、隠し事の多さに呆れながら、それでも必要な時には私達へ仕事を任せる姿を見てきた。
最初に惹かれた理由と、今この人に残ってほしい理由は、もう同じではない。
「そういう全部が、好きです」
今度は視線を逸らさずに言えた。
「私は、あなたがいるミレニアムに入学できてよかった」
窓の外では、復旧作業の進展に合わせてエリドゥの照明が少しずつ戻っている。
リオ会長はしばらくその景色を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「あなたは時々、非常に非合理的なことを言うのね」
「知ってます」
「私が戻っても、今回の問題は何一つ消えないわ」
「戻ってから考えましょう」
「またそれ?」
「私、それくらいしかできないんで」
一人で正解を決めない。
間違えた時には、間違えた人間ごと消すのではなく、その後をどうするのかをまた考える。
今回のことで、それが必ず上手くいくとは思わなくなった。
それでも、一人で答えを決めて一人でいなくなるよりは、まだましだと思っている。
「行きましょう、会長」
私は先に通路の出口へ向かった。
数歩進んだところで後ろから鞄を持ち上げる音が聞こえ、振り返ると、リオ会長が自分の荷物を持ってこちらへ歩いてきていた。
「最初は誰のところへ行くの?」
「ユウカさん」
「最も難易度が高い相手から始めるのね」
「後回しにすると余計怖いでしょう」
「合理的ではあるわ」
「会長に褒められた」
「ただし、あなたが破壊したAMASとアビ・エシュフについても報告してもらうわ」
「帰るのやめてもいいです?」
「駄目よ」
「理不尽だなぁ」
並んで歩き出すと、少し先の通路でヒマリ先輩が待っていた。
「随分時間が掛かりましたね」
「心配して待ってたんです?」
「違います」
即答だった。
その横をリオ会長が通り過ぎようとすると、ヒマリ先輩は一瞬だけ視線を向けた。
「逃げずに戻るくらいの判断力は残っていたようで安心しました」
「あなたに心配される覚えはないわ」
「私も心配したとは一言も言っていません」
早速始まりそうだったので、私は二人の間へ入った。
「喧嘩する前にユウカさんのところ行きましょう。多分そっちの方が怖いです」
二人とも否定しなかった。
*
予想通り、ユウカさんにはかなり長く怒られた。
最初はリオ会長の無断予算使用とエリドゥ建設についての話だったが、途中からノアさんが笑顔のまま詳細な支出記録を追加し、さらに私が破壊した設備の一覧まで話題へ加わった。
「何で防火扉がこんな数壊れてるの!?」
「皆さん止めるのに便利だったので」
「便利だったので、じゃない!」
「でも役には立ちましたよ」
「そこを問題にしてるんじゃないの!」
隣を見ると、リオ会長も珍しく反論せずに説明を続けている。
「アビ・エシュフの修理費は?」
「私が負担するわ」
「当然です!」
「ハヤテが破壊した部分については――」
「会長」
「何?」
「今それ言う?」
「事実でしょう」
結局、途中から二人並んで怒られる形になった。
全部終わって端末を見ると、時刻は八時を過ぎていた。
「……まずい」
「どうしたの?」
リオ会長が尋ねる。
「コユキと夕飯の約束してたんです」
「何時?」
「六時」
「二時間過ぎているわ」
「見れば分かります」
「連絡は?」
端末を見る。
何件かメッセージが来ている。
「……してないですね」
「帰りなさい」
「はい」
今度ばかりは反論せず、私は急いでエリドゥを後にした。
*
部屋の扉を開けると、玄関にはコユキの靴が置かれていた。
「ただいま」
返事がないので、そのままリビングまで入る。
テーブルには二人分の夕食が並べられ、皿にはラップが掛けられていた。形が少し不揃いなハンバーグにサラダとスープまで用意されており、キッチンを見ると使ったボウルが流しに一つ残り、布巾も椅子の背へ適当に掛けられている。
完璧に片付いているわけではないところまで含めて、ちゃんとコユキが作ったのだと分かる。
本人はテーブルへ突っ伏したまま寝ていた。
近くに置かれた端末には、私へ送ったメッセージが表示されている。
『もうすぐできます!』
『ハヤテ先輩、まだですか?』
『先に食べませんからね!』
『……遅いです』
最後の一件から、もうかなり時間が経っていた。
起こさずに寝かせることも考えたが、目の前に二人分の夕食がある以上、待っていた本人を置いたまま一人で食べるのも違う気がした。
私は隣まで行き、肩を軽く揺らす。
「コユキ、起きて」
「……ん……」
「ご飯食べよう」
何度か瞬きをしたあと、コユキがようやく顔を上げた。
「……ハヤテ先輩?」
「ただいま」
私だと認識した途端、寝ぼけていた顔が露骨に不満そうになる。
「遅いですよぉ……」
「ごめん」
「六時って言ったじゃないですか」
「思ったより大変なことになって」
「二時間も何してたんですか?」
「学校一個分くらいの問題を片付けてたの」
「全然分かりません」
「私も説明したくないかな」
眠そうに文句を言う声を聞いていると、ようやく学校の外まで戻ってきたような気がした。
「ハンバーグ、一人で作ったの?」
「はい。レシピもちゃんと見ました」
「頑張ったじゃん」
「もっと褒めてもいいですよ」
「食べてから決めることにするよ」
「今回は自信作ですからね!」
ラップを外し、冷めた皿を二人分まとめて温める。
その間にコユキは顔を洗ってきたらしく、戻ってきた頃には多少眠気も抜けていた。
「ハヤテ先輩、怪我してません?」
「ほとんどしてないよ」
「ほとんど?」
「ちょっと擦ったくらい」
「怪我してるじゃないですか」
「明日には治るから」
「そういう問題じゃないです」
少し前なら、私が怪我をしていようが疲れていようが、面白い話があるかどうかの方を先に聞いていた気もする。
それが今は、皿を並べるより先にこちらの傷を見つけている。
大げさに成長したと扱うほどではないけれど、少しずつ相手のことを考えるようになっているのだと思う。
電子レンジが鳴り、温め直した皿をテーブルへ戻す。
「いただきます」
「いただきます!」
ハンバーグを切ると、中まできちんと火が通っていた。
一口食べた私の顔を、コユキが妙に真剣な表情で見ている。
「どうです?」
「美味しいよ」
「本当に?」
「本当に」
「にははっ!」
満足したらしく、コユキも自分の皿へ手を伸ばした。
「やっぱり私、料理の才能もあるかもしれませんね!」
「一回成功しただけで随分自信ついたね」
「成功したという事実は重要です!」
「じゃあ次も作ってよ」
「毎日は嫌ですよ!?」
「才能あるんでしょう?」
「ゲームする時間が減ります!」
その辺は何も変わっていない。
でも、自分の分だけではなく私の分まで作って、帰りが遅れても先に食べずに待っていた。その変化について説教じみた感想を言う必要はないと思ったので、私は普通に次の一口を食べてから声を掛けた。
「コユキ」
「何です?」
「待っててくれてありがとう」
コユキは少しだけ目を丸くしたあと、すぐに頬を膨らませた。
「じゃあ次からはちゃんと連絡してください」
「はい」
「絶対ですよ?」
「できるだけ」
「絶対って言ってください!」
「そこまで約束すると守れなかった時に怒られるから」
「今も怒ってます!」
「ごめんねぇ」
私は笑いながら頭を下げた。
明日になれば、アリスさんの検査も続くだろうし、エリドゥの後始末も残っている。リオ会長は今回の責任についてセミナーやゲーム開発部、C&Cと話す必要があり、トキさんとも改めて顔を合わせることになる。
私も壊した設備の報告を続けなければならないし、ネル先輩からは今日の戦い方について一言どころでは済まない文句を言われる気がする。
それでも今は、学校で何が起きたのかを全部持ち帰って考え続けるより、目の前の夕飯を食べて、明日の話をする方がよかった。
「明日ゲームしましょうよ、ハヤテ先輩」
「宿題終わってからね」
「今日こんなに頑張ったのに!?」
「それと宿題は別」
「厳しいです!」
「普通普通」
コユキが不満そうにハンバーグを口へ運ぶ。
私も残った分を切り分けながら、今日一日を思い返した。
誰も最初から正解を知らなかったし、一度間違えたからといって、その人までいなくなる必要もなかった。アリスさんは自分の未来を選び、リオ会長は消えずに戻り、私もこうしていつもの部屋へ帰ってきた。
面倒なことが終わったら家へ帰り、誰かとご飯を食べながら次の日のことを話す。
結局、私が守りたかったものも、その程度のありふれた毎日だったのかもしれない。
「ほら、冷める前に食べよ」
「はい!」
コユキの返事を聞きながら、私はようやく今日という一日を終わらせてもいい気分になった。
ありがとうございました