朝八時。
私はミレニアム郊外の封鎖区域前で、車椅子に座る美少女を見下ろしていた。昨夜のうちに集合場所と時刻は指定されていたので遅れる理由もなかったし、何より来なかった場合に何をされるのか、正確には何を誰に見せられるのか分からなかった。
「……おはようございます」
「おはようございます、ハヤテさん。時間通りですね。感心です」
「そりゃ来ますよ」
昨日見せられた中学時代の写真を思い出す。
何故あんなものが今まで残っていたのかも分からないし、よりによってヒマリ先輩がどうやって見つけたのかはさらに分からない。少なくとも、あれを他の人に見られたくないという気持ちだけは確かだった。
「先に一つ言っておきますけど、普通に声をかけてくれれば、私、多分手伝いましたよ」
「そうなのですか?」
「そりゃまあ。暇なら」
廃墟調査そのものには前回の苦労もあって少し抵抗があるけれど、同じミレニアムの先輩が護衛を必要としていると言われれば、特に断る理由もなかった。
ましてやヒマリ先輩は車椅子である。
以前会った時から思っていたが、どう考えても瓦礫だらけの廃墟を一人で動き回れる人ではない。
「ですから、わざわざ人の黒歴史を掘り返して脅す必要ありませんでしたよね?」
「脅してはいませんよ」
「じゃあ写真消してください」
「それはできません」
「脅してますよね?」
「お願いです」
この人とは、たぶん前提となる言葉の意味から確認した方がいい。
ヒマリ先輩は少しも悪びれた様子を見せず、むしろ当然のことを説明するように話を続けた。
「それに、今回だけとは限りませんから。今後もあなたのお力を借りたくなることがあるかもしれません」
「……今後も私を都合よく使うために弱み握ったんです?」
「随分と悪意のある表現をしますね。私はただ、優秀な人材と円滑な協力関係を築きたいだけですよ」
「それを世間では脅迫って言うんですよ」
「心外ですねぇ」
まったく心外そうには見えず、むしろ楽しそうに微笑んでいるのが余計に腹立たしい。
「それにしても、随分と軽装ですね」
「隠密調査でしょう?」
今日の装備はMk 23を中心に、予備弾倉、小型カメラ、観測用端末、簡単な工具、それから非常食と水を少量持っている程度だった。三日間泊まり込んだ前回とは違い、今回は日帰りと聞いている。
「戦争しに行くわけじゃないですし」
「その認識で結構です」
「それで、今日は何を調べるんです?」
ヒマリ先輩が端末を操作すると、見覚えのある廃墟の地図が表示された。
以前、ネル先輩とアスナ先輩と三日間歩き回った区域である。
「以前、C&Cが実施した調査の結果を見せていただきました」
「勝手に?」
「正規の手続きを踏んでいますよ」
「誰に?」
「リオに」
「ならまあ」
リオ会長が許可したのなら、私が口を挟むことではない。
「第一次調査で設置した観測機器から、いくつか興味深い記録が得られています」
端末には数字や波形らしきものが並んでいる。
私は少し眺めてみたものの、ほとんど意味が分からなかった。
「……分かりやすくお願いします」
「でしょうね」
「今ちょっと馬鹿にしました?」
「まさか」
絶対にしたと思う。
ヒマリ先輩は画面を切り替え、今度は観測カメラの映像を表示した。
遠くの建物で照明が順番に点灯する記録や、停止していた大型設備が突然動き始め、数分後にまた止まる映像が残っている。誰も映っていない通路では、何かが通過したような信号だけが記録されていた。
「簡単に言えば、無人であるはずの区域で継続的な機械活動が確認されています。通信信号も検出されていますが、ミレニアムで一般的に使われている規格とは一致しません」
「誰か住んでるとか?」
「その可能性も否定はできませんが、人間が生活している痕跡は確認されていません。加えて、以前は完全に停止していた設備が再稼働している形跡もあります」
前回調査した時にも感じたことだが、あの場所は廃墟と呼ぶには妙だった。
人の姿はなく、多くの建物も崩れているのに、完全に死んでいる場所には見えない。
「ですので、もう一度内部を調査します」
「私とヒマリ先輩で?」
「正確には、現地へ入るのはあなたです。私はここで情報分析を行います」
「……私は?」
「廃墟です」
「一人で?」
「はい」
私は端末とヒマリ先輩を交互に見た。
「護衛って話じゃありませんでした?」
「私の護衛兼、現地調査員です。私を廃墟内部へ連れて行くより合理的でしょう?」
「それはそうですけど」
瓦礫だらけの区域へ車椅子のヒマリ先輩を連れて行くより、私一人で動いた方が早いのは間違いない。
「何かあればすぐ通信します。あなたのボディカメラの映像もこちらで確認しますし、位置情報も追跡します。それに、あなたなら問題ないでしょう?」
「何を根拠に」
「C&Cの訓練記録も拝見しました」
「また勝手に」
「リオの許可は得ています」
「……リオ会長、私の情報渡しすぎじゃないです?」
後で一言くらい言おうと思ったが、実際に顔を見たら忘れてしまいそうな気もする。
「射撃、格闘、潜入、現場判断のいずれも高水準です。加えて、以前この廃墟を直接調査した経験もある」
「それぞれもっと得意な人いますよ。私は器用貧乏ってだけです」
「ですが、全てを一人でこなせる人は多くありません」
「そうですかねぇ」
「そう思っていないのは、今のところあなただけでは?」
「はい?」
「何でもありません」
また何か言われた気がする。
「ともかく、危険と判断した場合は即座に撤退してください。今回の目的は原因の特定ではなく、情報収集です」
「了解です」
「無茶はしないように」
「それ、ネル先輩にも言ってあげてください」
「あなたにも必要だと思いますよ?」
「私は大人しいですよ」
「そうですか」
その顔は何だ。
◇
封鎖区域を越えると、前回来た時とほとんど変わらない景色が広がっていた。
崩れた建物とひび割れた道路が続き、風に揺れる看板の音だけが遠くで響いている。人の姿はなく、自分の足音だけが妙に大きく聞こえた。
『通信状態は良好です』
「こちらも問題ありません」
『まず、前回C&Cが到達した最深部まで移動してください』
「了解です」
一度歩いた道なので迷う心配は少ない。
それでも前回はネル先輩とアスナ先輩が一緒だったので、一人で歩くと廃墟の静けさが余計に強く感じられた。
「こうして一人で歩くと、結構怖いですね」
『怖いのですか?』
「怖いですよ。私を何だと思ってるんです?」
『中学校時代、一人で十数人を相手にしていたと記録には――』
「その話やめません?」
『ではやめましょう』
妙に聞き分けがいい。
しばらく進むと、以前調査した工場区画へ出た。
そこで私は足を止めた。
「ヒマリ先輩」
『こちらでも確認しました』
「前に壊した機体がありません」
前回来た時には、ネル先輩やアスナ先輩と倒した警備ドローンがあちこちに転がっていたはずなのに、今は一機も残っていない。
『誰かが回収したのでしょうか』
「誰が?」
『それを調べています』
「ですよねぇ」
周囲を警戒しながら工場内部へ入ると、以前は完全に停止していた大型設備の一部に薄い光が点いていた。
「これも前回は動いてませんでした」
『近づいて確認できますか? 触らず、映像だけで結構です』
「了解」
カメラを向ける。
機械の表面には文字らしきものが刻まれているが、私には読めない。
『……やはり、一般的なミレニアム規格とは違いますね』
「古いんですか?」
『それも断定できません。少なくとも、私が把握している規格ではありません』
「ヒマリ先輩でも分からない?」
『先程から嬉しそうですね』
「別に」
何でも知っていそうな人が分からないと言っていることが、少し珍しいだけだ。
さらに奥へ進む途中、小型ドローンを何度か見かけた。
こちらへ攻撃してくる様子はなく、一定の距離を保ちながら追ってくるので、むしろ観察されているように見える。
「撃った方がいいです?」
『いいえ。こちらから刺激する必要はありません』
「了解です」
銃から手を離す。
ドローンはしばらく私を追った後、別の通路へ消えていった。
「監視されてません?」
『可能性はあります』
「帰りたくなってきました」
『もう少しだけお願いします』
「黒歴史握られてなかったら帰ってたかもしれませんよ」
『では、調べておいて良かったですね』
「性格悪いなぁ!」
思わず大きな声を出してしまい、廃墟の中に自分の声が響いた。
隠密調査だったことを思い出して周囲を見回したが、幸い何かが近づいてくる様子はない。
「……今の聞かなかったことにしてください」
『ええ。録音は残りますが』
「消してくださいね?」
『検討します』
絶対に消さないだろう。
◇
前回の調査で到達した最深部には、設置していた観測機器がそのまま残っていた。
私は壁の隙間から小型端末を取り出し、保存されていたデータの転送を開始する。その間に周囲を確認すると、以前警備ロボットと交戦した痕跡は残っているものの、その先はまだ誰も調査していない。
『転送完了しました』
「じゃあ帰ります?」
『もう少し奥を確認しましょう』
「ですよね」
ここまで来て、そのまま帰るような人ではないと思っていた。
「どのくらい?」
『無理のない範囲で』
「一番困る指示ですね、それ」
Mk 23の状態を確認してから、私は未調査区域へ足を踏み入れた。
奥へ進むにつれて、施設の雰囲気が少しずつ変わっていく。
それまで見てきた工場や研究施設とは違い、巨大な何かの内部を歩いているような感覚があった。天井は異様に高く、壁面には用途の分からない配線が走り、床にも一定の間隔で淡い光が流れている。
「……これ、本当にミレニアムの施設なんです?」
『少なくとも、現在のミレニアムが建設したという記録は確認できません』
「じゃあ誰が」
『分かりません』
今日に入ってから、ヒマリ先輩の口から何度目かの「分かりません」を聞いた。
調査を進めれば答えが増えると思っていたのに、実際には疑問ばかり増えている。
曲がり角を抜けたところで、私は思わず足を止めた。
「……扉?」
通路の先に、巨大な扉があった。
これまで見てきた設備とは明らかに造りが違い、壁そのものと一体化しているように見える。取っ手も操作盤も見当たらず、どうやって開けるのかさえ分からない。
『映像を拡大してください』
「はい」
少し近づき、カメラを向ける。
通信の向こうで、ヒマリ先輩がしばらく黙った。
「何か分かります?」
『……いいえ』
「ヒマリ先輩でも?」
『先程から本当に嬉しそうですね』
「別に」
やはり珍しいだけである。
「触らない方がいいですよね」
『当然です。周囲だけ確認して撤退しましょう』
「了解」
返事をした直後、低い音と共に床が僅かに振動した。
「え?」
巨大な扉の表面に、淡い光が走る。
私は何も触っていない。
「私、触ってませんよ」
『分かっています。下がってください』
一歩後ろへ下がったところで、扉から伸びた青白い光が私の頭から足元までをなぞった。
『――解析開始。対象情報を照合』
「ヒマリ先輩?」
『その場を離れてください』
『照合中』
「いや、勝手に調べられてるんですけど」
『ハヤテ! 撤退してください!』
これまで聞いたことのないほど強い声だった。
反射的に後ろへ下がる。
『照合終了。資格情報を確認できません。非資格者と認定』
「資格?」
問い返すより先に、周囲の照明が一斉に点灯した。
明らかに嫌な流れだった。
『ハヤテ、すぐ戻ってください』
「言われなくても!」
私は来た道へ向かって走り出した。
直後、耳元の通信機へ激しいノイズが走る。
『ハヤ――……応答――』
「ヒマリ先輩?」
『――撤――……』
「聞こえません!」
そこで通信が完全に途切れた。
端末を確認しても接続は復旧せず、位置情報を外へ送れているのかさえ分からない。
「こんな時に……!」
背後から複数の駆動音が聞こえた。
振り返ると、通路の奥から警備ロボットが次々と姿を現していた。先頭の二体だけではなく、その後ろにも複数の機体が続き、さらに上空には小型ドローンまで飛んでいる。
「多っ!」
こちらが数を確認している間にも銃撃が始まった。
私は咄嗟に壁際へ飛び込み、床を削る弾丸と飛び散る破片を避ける。
「非資格者ってだけでここまでします!?」
当然ながら返事はない。
Mk 23を抜き、先頭のロボットへ数発撃ち込む。頭部らしき部分を破壊した後、続く機体は脚部を撃って体勢を崩し、追撃で完全に止める。上から接近してきたドローンも撃ち落とした。
それでも、通路の奥から新しい機体が次々と現れる。
前回の比ではない。
廃墟の各所からこちらへ集まってきているのではないかと思うほどだった。
◇
最初のうちは、まだ余裕があった。
通路が狭いため、一度にこちらを攻撃できる敵の数には限界がある。撃ってから距離を取り、遮蔽物を利用して追ってきた機体を一体ずつ減らすという動きを繰り返しながら、私は少しずつ入口へ向かって戻っていった。
ネル先輩なら、もっと正面から押し切るだろう。
アスナ先輩なら、そもそもこうなる前に妙な経路から抜けているかもしれない。
カリンさんなら遠距離から効率良く処理できるし、アカネさんなら、おそらく通路ごと爆破する。
「アカネさんいたら楽だったんですけどね……!」
一人でぼやきながら引き金を引く。
弾倉を交換して走り出すと、今度は後方だけでなく横の通路からも駆動音が聞こえ始めた。
「そっちからも来るんです!?」
横道へ飛び込み、低空から接近してきたドローンを三機落とす。
その直後、角から出てきた警備ロボットへ反射的に蹴りを入れたが、こちらの足に嫌な衝撃が返ってきた。
「痛っ!」
蹴る相手を間違えた。
それでも機体の体勢は僅かに崩れたので、膝裏らしき関節へ撃ち込み、倒れたところで頭部を破壊する。
動き続けているせいで、呼吸も少しずつ荒くなってきた。
入口まではまだ遠い。
通信は戻らず、こちらの位置が外へ送信されているかも分からない。
「ネル先輩達、来てくれませんかねぇ……」
一瞬だけ期待したものの、位置情報が途切れているなら、下手に入ってきても危険なだけである。
それにヒマリ先輩なら、通信が切れた時点で何かしら動いているはずだ。
なら、自分で戻るしかない。
そう考えながら新たな敵を倒し、弾倉を交換しようとしたところで、残りを確認した私は少し嫌な気分になった。
「……少ないな」
予備弾倉が思っていた以上に減っている。
今日はあくまで調査任務だったので、これほど大量の敵と戦うことなど想定していなかった。
それでも立ち止まるわけにはいかない。
しばらく進むと、左右と正面へ通路が伸びた少し広い区画へ出た。
そこには既に複数の警備ロボットが集まり、上空にもドローンが待機している。
「うわぁ……」
思わず声が漏れた。
ここを抜けなければ帰れない。
「仕方ないですね」
私は照準を合わせ、先頭の一体を撃つ。
続けて二体目、三体目と狙いを移しながら、左から近づいた攻撃を避ける。右側のロボットが武器を振り上げて接近してきたので銃身で逸らし、腹部を蹴ってから横へ回り込み、関節を撃ち抜いた。
上空から来たドローンへ銃口を向ける。
引き金を引いた。
乾いた作動音だけが返ってきた。
「…………」
弾倉が空になっている。
慌てて予備を探したが、何も残っていない。
先ほど交換したものが最後だったらしい。
「嘘でしょう?」
警備ロボットがこちらへ銃を向けた。
横へ飛んだ直後、弾丸が肩を掠める。
「まずっ……!」
痛みを堪えながら遮蔽物の裏へ滑り込む。
手元のMk 23を見ても、当然ながら弾薬が増えるわけではない。
敵は減るどころか周囲から集まってきており、駆動音は少しずつ近づいている。
かなりまずい状況だった。
私は一度目を閉じ、状況を頭の中で整理する。
自分の銃は使えない。
敵は多い。
しかも今は一人である。
そこまで考えたところで、少し前に読んだ漫画の内容が頭に浮かんだ。
周囲に存在するものを全て利用する。
地形だけではなく、建物や相手の装備、その場にあるもの全てを戦うための材料として扱う。
目を開けると、すぐ近くに先ほど倒した警備ロボットが転がっていた。
その手には、まだ銃が残っている。
「……なるほど」
思わず少し笑った。
「別に、自分の武器だけ使う必要ないんですよね」
ロボットの手から銃を奪う。
かなり重いが、扱えないほどではない。
遮蔽物から身を出して一発撃つと、予想以上の反動で身体を持っていかれそうになった。
「うおっ!」
それでも弾は命中し、一体がその場で崩れる。
二発目は反動を予測して構え、今度は少し安定した状態で撃つ。
もう一体倒れた。
「いける」
自分の銃に弾がなくても、周囲にはまだ武器を持ったロボットがいくらでもいる。
◇
そこからは、戦い方そのものを変えた。
自分の持ち物だけで戦うことをやめ、倒した警備ロボットの銃を使い、弾が切れれば捨てて別の武器を拾う。ドローンが低く飛んでくれば近くに落ちていた鉄材を叩きつけ、狭い通路では破壊した機体を積み重ねて即席の障害物にし、敵が一度に進める数を減らした。
「すみません、ちょっと借りますよ!」
誰に謝っているのか、自分でもよく分からない。
破損して取れかけていた警備ロボットの腕を外し、近づいてきた別の機体の頭部へ振り下ろすと、かなり良い音がした。
「おお」
普通に使える。
改めて周囲を見る。
瓦礫や配管、壊れた機械、扉、段差、階段といった、それまで背景として認識していたものが、急に全部使えるものに見えてきた。
「これが……環境利用闘法……!」
漫画で見た言葉を口にすると、妙にしっくりくる。
実際にこんな状況で使うことになるとは思っていなかったが、意外と役に立つ。
作者はすごい。
などと感心している場合ではない。
前方には、また三体のロボットが現れていた。
床際に走っている細い配管へ拾った銃で撃ち込むと、破裂した箇所から勢いよく蒸気が噴き出し、白い煙が敵の視界を覆う。
その隙に横へ回り込み、一体目から武器を奪って二体目へ撃ち込み、最後の一体には倒れた一体目を押し倒してぶつけた。
「よし!」
思ったより上手くいったせいで、少し楽しくなってきた。
もっとも、ここは遊びに来たわけではないので、楽しんでいる場合でもない。
帰らなければならない。
それでも、こうして周囲のものを使いながら戦っていると、中学時代のことを思い出す。
大勢に囲まれた時、机や椅子を利用したことはあった。階段や狭い廊下へ誘い込み、一度に相手をする人数を減らしたこともある。
もしかすると、似たようなことは昔から無意識にやっていたのかもしれない。
今はそれに、格好いい名前が付いただけである。
「環境利用闘法……」
もう一度口にしてみる。
悪くない。
これは使おう。
ネル先輩に話したら何か言われそうだけれど、実際に役に立っているのだから問題ないと思う。
◇
どれくらい戦い続けたのか、自分でも分からなくなっていた。
時計を見る余裕もなく、身体のあちこちが痛み、制服も何ヶ所か破れている。髪には埃が入り込み、途中で拾った武器も何本目なのか分からない。
それでも、出口には確実に近づいていた。
「あと……ちょっと……!」
目の前の大通りまで出れば、そこから先は比較的浅い区域になる。
入口までの距離もそれほど遠くない。
そう思ったところで、大通りへ出る直前の建物の向こうから、また大量の駆動音が聞こえた。
「……まだいるんですか?」
建物の陰から警備ロボットが次々と姿を現し、その上空にはドローンまで集まってくる。
これまでで一番数が多い。
「勘弁してくださいよ」
こちらも限界が近い。
今持っている武器の残弾も怪しく、まともに全部を相手にするのは難しい。
何か使えるものはないかと周囲を確認する。
そこで左手に、半壊した高層建造物が見えた。
全体が大きく傾き、下層部を支えている柱のうち何本かは既に崩れている。
私は建物と敵を交互に見た。
「いやいや」
さすがに危ない。
下手をすれば、自分まで巻き込まれる。
別の方法がないか周囲を見回したものの、都合のいいものは見つからず、その間にも警備ロボットは距離を詰めてくる。
「……仕方ないですね」
私は半壊した建物へ向かって走った。
当然ながら敵も追ってくる。
「そうそう、こっちですよ!」
銃撃を避けながら崩れかけた下層部へ入り、支えに使われている柱を確認する。
一本には既に大きな亀裂が入っていた。
「これ、絶対後で怒られるやつですよねぇ!」
拾った銃を構え、柱の亀裂へ向けて撃つ。
何発か命中すると、一部が砕けた。
まだ足りない。
隣の柱にも狙いを移して撃ち込むと、今度は天井から細かな瓦礫が落ち始めた。
「うわっ!」
想像していたより早い。
建物全体が大きく軋み始める。
「やばっ」
私はすぐに出口へ向かって全力で走った。
背後ではロボット達も追ってきている。
建物そのものが傾いていく音が聞こえ、頭上から小さな破片まで落ち始めた。
「まずいまずいまずい!」
振り返る余裕はない。
とにかく前へ走った。
直後、背後で轟音が響き、地面が大きく揺れた。
細かな瓦礫が飛んできたので頭を庇いながら前へ飛び込み、そのまま地面を何度か転がる。
「いったぁ……!」
しばらくその場から動けなかった。
耳鳴りもひどく、埃まで吸い込んだせいで咳が止まらない。
「げほっ……」
少し待ってから、ゆっくり顔を上げる。
後ろでは、少し前まで立っていた高層建造物が道路を塞ぐように倒れていた。
追ってきていた警備ロボットの姿も見えない。
たぶん上手くいった。
「環境利用闘法……すごいですね」
もちろん、誰も聞いていない。
どうにか立ち上がると、膝が少し笑っていた。
「帰ろ……」
もう戦いたくない。
◇
廃墟の入口が見えた時には、本気で泣きそうになった。
「やっと……」
そのまま歩き続けていると、遠くに複数の人影が見えた。
一瞬身構えたものの、すぐに見覚えのある姿だと分かる。
ネル先輩の横ではアスナ先輩が大きく手を振り、カリンさんとアカネさんも完全装備で並んでいる。どう見ても、これから廃墟へ突入するつもりだったらしい。
さらに少し離れた場所にはリオ会長とヒマリ先輩もいた。
私に気づいた瞬間、全員の動きが止まる。
随分心配をかけたらしい。
とりあえず片手を軽く上げた。
「どうも。お疲れ様です」
「ハヤテぇぇぇぇぇ!!」
「うわっ!」
ネル先輩がものすごい勢いでこちらへ飛んできた。
「お前何してたんだ!」
「帰ってきたじゃないですか!」
「通信切れて何分経ったと思ってんだ!」
「私も切りたくて切ったわけじゃないですよ!」
理不尽である。
今度はアスナ先輩が駆け寄ってくる。
「ハヤテちゃーん!」
「アスナ先輩!?」
そのまま勢いよく抱きつかれ、身体が後ろへ傾いた。
「良かったー!」
「ちょ、痛い痛い! 今身体中痛いんです!」
「あ、ごめん!」
言うとすぐに離れてくれた。
カリンさんもこちらまで来ると、私の姿を上から下まで確認した。
「無事だったか」
「まあ、一応」
「一応には見えないぞ」
「見た目ほど酷くないですよ」
アカネさんは破れた制服と煤だらけの装備を眺めながら、少し首を傾げた。
「ハヤテさん、その汚れは?」
「建物を倒した時の埃です」
「建物?」
「ちょっと」
「……倒したのですか?」
「はい」
アカネさんの目が、ほんの僅かに輝いた。
まずい。
「その話はまた今度で」
「是非詳しく」
食いつかれた。
ネル先輩はまだ怒っているし、アスナ先輩はすっかり安心したように笑っている。カリンさんも表情こそそれほど変わっていないものの、最初に見えた緊張は少し抜けていた。
少し離れた場所で、リオ会長と目が合う。
二秒。
今日も顔がいい。
ただし、いつもより少し表情が硬いように見えた。
「ハヤテ」
「はい」
「怪我は?」
「軽傷です。多分」
「多分ではなく、戻ったらすぐ診てもらいなさい」
「了解です」
怒られなかった。
それどころか、声がいつもより少しだけ柔らかかったような気もする。
「……ハヤテさん」
次に声をかけてきたのはヒマリ先輩だった。
普段の余裕たっぷりな笑顔はなく、目元が少し赤い。
気のせいかと思ったが、ほんの僅かに涙が溜まっているようにも見えた。
「はい?」
「申し訳ありませんでした」
素直に謝られ、私は少し驚いた。
「私があなたを調査に連れ出した結果です。想定が甘かった。通信障害が発生した後、こちらから状況を把握することもできませんでした。もしあなたに何かあったら――」
「あの」
途中で話を止める。
「生きてますよ」
「それは見れば分かります」
「じゃあいいじゃないですか」
「良くありません」
即答された。
こういう反応をされると、少し困る。
「まあ、確かに怖かったですけど。でも、ヒマリ先輩がわざと危険なところに送り込んだわけじゃないでしょう?」
「それは当然です」
「なら、そんな顔しなくても」
「そんな顔?」
「……いえ」
これ以上は言わない方がいい気がした。
涙目ですよ、などと指摘すれば、後で面倒なことになるかもしれない。
「次からは普通にお願いしますね」
「……次も手伝ってくださるのですか?」
「黒歴史握ってるじゃないですか」
「それがなくても?」
少し考える。
「暇なら」
ヒマリ先輩が目を丸くした。
「ただし、脅すのは禁止で」
「善処します」
「今のは『はい』でしょう」
どこかで聞いたようなやり取りだった。
ヒマリ先輩がようやく少し笑う。
やはり、そちらの方が見慣れている。
「それで、調査結果なんですけど」
「今は休んでください」
「いや、面白いの拾ったんですよ」
腰のポーチから、途中で破壊したドローンの部品を取り出した。
ヒマリ先輩が黙る。
「何です?」
「あなたは、あの状況で回収物まで持ち帰ってきたのですか?」
「せっかくなので」
「ハヤテ」
リオ会長から呼ばれた。
「はい?」
「治療が先よ」
「はい」
今度はちゃんと怒られた。
◇
後日、廃墟は原則封鎖という扱いになった。
私が帰還して以降、区域内部から大量の警備ロボットが外へ出てくるようなことはなく、観測機器にもそれまで以上の大きな異常は確認されなかったらしい。
結局、あの扉が何だったのかも、どのような資格を求めていたのかも分からなかった。
何故私を勝手に解析したのか、警備ロボットが大量に動き出したことと扉の反応に因果関係があるのかについても、結論は出ていない。
「分からずじまいですね」
「それも調査結果の一つです」
ヴェリタスの部室では、私が持ち帰った機械部品をヒマリ先輩とハレさんが調べていた。
「何か分かりました?」
「少なくとも、一般的な警備ドローンに使われている部品とは違う」
ハレさんが端末を見ながら答える。
「加工方法も変。どこで作ったのかは分からないけど」
「やっぱり分からないんですね」
「そう簡単に分かったら苦労しないよ」
「ですよねぇ」
私は椅子へ座ったまま軽く伸びをした。
身体の痛みはもうほとんどなく、破れた制服は交換してもらった。Mk 23も修理に出してある。
「ところで、ハヤテさん」
「はい?」
ヒマリ先輩がこちらを見る。
「あなた、建物を倒壊させたという話ですが、具体的にはどうしたのです?」
「ああ。崩れかけてた柱を撃ちました。その前にロボットの武器を奪ったり、配管を破裂させたり、壊れた機体を盾にしたりもしましたけど」
ヒマリ先輩が、しばらく私をじっと見る。
「どうしました?」
「いえ。あなたに声をかけた判断は、間違っていなかったようですね」
「脅した判断は間違ってましたよ」
「そこはまだ気にしているのですか?」
「一生言いますよ」
少なくとも、中学時代の写真を消すまでは言い続けるつもりだった。
◇
C&Cの拠点へ戻ると、ネル先輩がいた。
「おう」
「お疲れ様です」
「もう身体大丈夫か?」
「はい。問題ないです」
「そうか」
それだけで会話が終わったので、私は自分の席へ向かおうとした。
「ハヤテ」
「はい?」
「今度、あの時どう戦ったか見せろ」
「え?」
「リオから聞いた。弾切れてからの方が撃破数増えてたらしいじゃねぇか」
知られている。
「何やったんだ?」
「いやいや、そんな大したことは」
「ビル倒しといて大したことねぇわけあるか!」
普通に怒鳴られた。
そこへアスナ先輩まで顔を出す。
「ハヤテちゃん、すごかったんだって!」
「アスナ先輩まで」
「ねえねえ、どうやったの?」
「環境を利用してですね」
「環境?」
「はい」
私は少しだけ胸を張った。
「環境利用闘法というものを」
ネル先輩の顔が分かりやすく変わった。
「お前、また変な漫画に影響されたな?」
「変ではないですよ!」
「やっぱり漫画じゃねぇか!」
「実際役に立ったんですからいいでしょう!」
「戦い方の名前までそのまま持ってくんな!」
アスナ先輩が横で楽しそうに笑う。
話を聞きつけたアカネさんは興味深そうに近づき、カリンさんまで何故か真剣な顔でこちらの説明を聞こうとしていた。
気づけば、いつの間にか皆に囲まれている。
廃墟の正体は結局分からなかったし、あの扉の向こうに何があるのかも分からない。
それでも今回の一件で、ヒマリ先輩が思っていたより悪い人ではないことや、漫画で読んだ知識でも状況次第では役に立つことを知った。
何より、自分が思っていた以上に皆がこちらを心配してくれていたらしい。
「ハヤテ、聞いてんのか!」
「聞いてますよ」
「だったら笑ってんじゃねぇ!」
「笑ってませんって」
そう返したものの、自分でも気づかないうちに、少しだけ口元が緩んでいたかもしれない。