無能力なのに国唯一の異能学園に入った俺。周りの反応が、なんかおかしい 作:都頃天
あの日の混乱から、ようやく少しずつ日常が戻りつつあった。
俺は自室のベッドに寝転がりながら、この数日の出来事を頭の中で整理していた。避難訓練のはずが本物の襲撃に変わったこと。黒瀬先輩が中庭で敵を食い止めたこと。特別棟で陽向と二人、追い詰められたところを小夜に助けられたこと。
「……あれ」
ふと、引っかかりを覚えた。あの後、雫が駆けつけてくれたのは覚えている。だがそれより前――小夜が敵を沈黙させた直後、俺は確か、小夜に何かを聞かれて、何かを答えようとしていた気がする。
その「何か」が、どうしても思い出せない。
「まあ、いいか……」
考えても仕方がないと、俺はその引っかかりを頭の隅に追いやった。それより気になっているのは、別のことだった。
(そういえば、雫のやつ。ここ数日、なんか妙に大人しいっていうか……)
いつもなら購買前や昇降口で、当たり前のように声をかけてくる雫が、ここ最近は心なしか距離を置いているように感じられた。用事があるから、と先に帰る日が増えた気がする。理由を聞いても「ちょっと野暮用」としか返ってこない。
俺の与り知らぬところで、その「野暮用」がどれほど剣呑なものだったかを、俺はまだ知らない。
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放課後の資料室で、小夜は一人、タブレットの画面と睨めっこしていた。
襲撃当日から今日までに観測した、一色澄人にまつわる分析ノイズのログ。時系列順に並べたグラフは、素人目にはただのノイズにしか見えないだろう。だが小夜には、そこに一定の規則性が見えていた。
「……やっぱり」
ノイズの発生タイミングを、もう一つの変数と重ね合わせる。小鳥遊雫の在・不在。それだけだった。
雫が澄人のそばにいる時間帯は、ノイズの発生率が跳ね上がる。逆に雫が席を外している時間帯は、発生率が明確に下がる。
さらに、あの襲撃当日。中庭で敵を沈黙させた「見えない何か」。特別棟の通路で、二人を助けようとした自分より先に、既に敵の増援を静かに排除していたらしい痕跡。そのどちらの現場にも、雫の姿はなかった。だが――雫が現れる直前まで、決まって澄人の周囲には、あの奇妙な「気配」が漂っていた。
小夜は画面に、一つの仮説をそっと打ち込んだ。
『小鳥遊雫=一色澄人にまつわる異常現象の発生源、である可能性』
「……分析、完了」
その瞬間、資料室の扉が、音もなく開いた。
「小夜さん」
振り返らなくても、声だけで誰かわかった。雫が、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「雫さん。……こんな時間にどうしました」
「小夜さんを探してたの。今日は分析、随分と集中してたみたいだから」
雫はゆっくりと室内に足を踏み入れた。窓から差し込む夕陽が、彼女の輪郭を橙色に縁取る。だが小夜には、その光の中にあるはずのない翳りが見えた気がした。
「見せてもらっても、いい? その画面」
「……お断りします」
小夜は反射的にタブレットを胸に抱え込んだ。だがその仕草こそが、何よりの答えになってしまったことに、彼女自身も気づいていた。
雫は、笑みの形をそのままに、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「そう。じゃあ、当てましょうか。澄人くんについて、何か気づいちゃった。それも、多分――私についても」
雫の声から、温度が消えた。
「小夜さんは優秀だから。……いつかは、こうなるだろうなとは思ってた」
「あなたは、一体――」
「答える義理はないの。ごめんね」
雫が右手をそっと持ち上げた瞬間、小夜の体が、まるで見えない糸に絡め取られたかのように動かなくなった。
「な……!?」
雫は、動けなくなった小夜を見下ろしながら、静かに――本当に静かに、こう続けた。
「本当は、ここで終わりにしてもいいくらいなの。澄人くんの核心に触れかけた人間を、生かしておく理由なんて、私には一つもないから」
その声には、いつもの柔らかさの奥に、氷よりも冷たい何かが澱んでいた。感情の起伏がないぶん、かえって本気であることが伝わってくる。小夜は声も出せないまま、ただその双眸を見つめ返すことしかできなかった。
「けど」
雫の唇が、わずかに緩んだ。
「特別棟であなたが、澄人くんを庇ってくれた。あの瞬間だけは、確かに感謝してる。……だから今回だけは、これで見逃してあげる」
雫の指先が、小夜のこめかみにそっと触れる。
「安心して。全部じゃない。ほんの少し、要らない部分だけ。今日、ここで考えていたこと。澄人くんの周りで感じていた違和感。……その”結論”だけを、少しだけ」
視界が白く霞んでいく感覚の中、小夜の脳裏に浮かんでいた仮説――『小鳥遊雫=澄人にまつわる異常現象の発生源』という一文が、まるで消しゴムで擦られたかのように、輪郭を失っていった。
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「――さん? 小夜さん、大丈夫?」
気づけば、小夜は資料室の椅子に座ったまま、ぼんやりと雫の顔を見上げていた。
「……あ、れ。私、何を」
「疲れてるんじゃない? 分析のしすぎだよ」
「そう……かもしれません」
小夜は頭を軽く振った。タブレットの画面には、いつも通りの分析ログが並んでいるだけで、特に不審な点は見当たらなかった。ただ、胸の奥に、名前のつかない小さな引っかかりだけが、澱のように残っていた。
「――今日はもう、帰ります」
「うん、気をつけて」
雫は、いつも通りの優しい笑顔で、小夜を見送った。
資料室に一人残った雫は、その笑顔をゆっくりと消し、窓の外――夕陽に染まる校庭を眺めた。
「……次はない、と思ってほしいものですね」
呟いた声には、微かな疲労と、それを上回るほどの静かな昏さが滲んでいた。
「
窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、雫はそっと目を伏せた。
「わたしは、何度でも――たとえ誰であろうと」
その続きの言葉は、誰にも聞かれることなく、夕暮れの中に溶けて消えた。