無能力なのに国唯一の異能学園に入った俺。周りの反応が、なんかおかしい 作:都頃天
家に帰ると、玄関先には脱ぎ散らかされたパンプスと、床に転がった空き缶が出迎えてくれた。
「ただいまー……って、姉さんまた飲んでるし」
リビングのソファに寝転がっていたのは、姉の一色燈子(いっしき とうこ)。灰色のショートボブと、俺と同じ金色の瞳を持つ――国家の祝福管理局に勤めるエリート職員、という肩書きだけ聞くとさぞ立派な人物を想像するだろうが、実態はソファと一体化した缶チューハイ片手の生活破綻者だった。
「おかえりー澄人ぉ。あ、ご飯は各自調達でお願い」
「今日も作ってないんかい」
「昨日の唐揚げ、まだ冷蔵庫にあるから、それチンして」
「一昨日から同じこと言ってるよね、それ」
俺はため息をつきながら台所に立った。流し台には洗い物が山になっていて、洗剤の匂いと生活感が入り混じっている。仕事では国内屈指の実力者として畏れられているらしいという噂は、家の中を見る限りまるで信憑性がなかった。
唐揚げを温めながらリビングを覗くと、燈子はテレビをぼんやり眺めていた。ニュース番組が、淡々とした声で原稿を読み上げている。
『――反ギフト思想を掲げる過激派組織”還元派”の関与が疑われる爆発事件が、また一件……』
薄暗い映像の中、崩れた建物の瓦礫と、規制線のテープが風に揺れているのが映し出されていた。
「還元派、ねぇ」
燈子は缶チューハイを傾けながら、珍しく真面目な声を出した。
「知ってるよ、名前くらいは。異能反対派だろ」
「祝福なんてものは人間に不要だ、神から与えられた力そのものが世界を歪めている――そう主張して施設を襲撃してる連中。この国で唯一の異能学園であるあんたの学校も、無関係とは言い切れないんだよねぇ」
「え、うちの学園が? なんで」
「異能が一箇所に集まる場所ほど、あいつらにとっては象徴的な標的になるから。……って、これ仕事の資料に書いてあったやつの受け売りなんだけど」
「姉さん、それでも一応プロなんだよね?」
「プロだよ。仕事はちゃんとやってるもん。家では気を抜いてるだけ」
悪びれもせずそう言い切る姉に、俺はもう何も言う気が失せた。窓の外では、いつの間にか完全に日が落ちて、街灯の光が等間隔に道を照らしていた。
「大丈夫だよ、俺なんか無能力だし、狙われる価値もないだろ」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ」
燈子はそう呟くと、ソファの上でごろりと寝返りを打った。その目にほんの一瞬、酔いとは違う何かがよぎった気がしたが、次の瞬間には「あ、唐揚げ焦げてない?」と間の抜けた声を上げていたので、気のせいだったのだろう。
食後、部屋でスマホを眺めていると、陽向から唐突にメッセージが届いた。
『一色、ニュース見たか? やばくね』
『見た見た。うちの学園も無関係じゃないってさ』
『まじかよ。……でもまあ、一色は無能力だし大丈夫だろ』
『それ姉貴にも言われたけど、慰めになってねえからな』
『いや逆に安全ってことだろ、ポジティブに考えろって』
そんな軽いやり取りを交わしているうちに、さっきまで胸の奥に沈んでいた不安が、少しだけ軽くなった気がした。陽向のこういう緊張感のなさに、俺は何度も助けられている。
翌日の昼休み、教室には食後の緩んだ空気が漂っていた。窓から差し込む昼の光が、埃の粒をきらきらと照らしている。弁当を片付けながら、陽向がふとそんなことを言い出した。
「そういえば、うちの担任って何者なんだろうな」
「御堂先生? 普通の先生だろ」
「いや、聞いた話だと元々どっかの国家機関にいたとか、歴代の熾天位クラスだったとか、色々噂あってさ」
「大袈裟だろ、それ」
正直、陽向の言うような物々しい噂には、俺はいまいちピンと来ていなかった。というのも、御堂環という教師とは、クラスの中でもわりと話す方だと思う。無能力の生徒がほとんどいないせいか、進路のことだ、小テストの補習だと、何かと理由をつけて声をかけてくる。飄々とした関西訛りのせいか妙に説教臭さがなく、放課後に廊下でばったり会うと、案外世間話にも付き合ってくれる、気の抜ける先生だった。
つい先週も、小テストで赤点を取った俺を呼び止めて、こんなやり取りをしたばかりだった。
「一色、また補習かいな」
「うっす……次は頑張ります」
「別に急ぐ必要あらへん。お前の場合、時間はなんぼでもあるやろ」
「先生、それ慰めになってないっすよ」
「慰めのつもりで言うたんとちゃう。事実を言うただけや」
そっけない物言いのくせに、なぜか妙に安心する声のトーンだった。無能力だからと腫れ物扱いする教師が多い中、御堂先生だけは、そういう変な気遣いを一切しない。ただの生徒として、淡々と、それでいて確かに気にかけてくれている――そんな感触があった。
「一色、なんかニヤニヤしてるけど」
陽向の声で我に返った。
「いや、なんでもない。ただ、噂ほど怖い人でもないと思うぞ、あの人」
「お前は普通に懐かれてるもんな、なんでだよ」
「知らねえよ」
俺は御堂環という教師の、噂通りの部分と、噂とは違う部分の両方をなんとなく知っていた。だが、その奥にある本当の顔までは、まだ何も知らなかった。教室の隅、窓際に立って外を眺める環の姿が、いつもよりほんの少しだけ遠く見えた。
「まあ、俺らには関係ない話か」
「だよなー」
昼休みの喧騒が戻り、俺たちの会話もそれきり別の話題に流れていった。その時の俺は、その”関係ない話”が、この先どう転がっていくのかなんて、まるで想像もしていなかった。
放課後、下駄箱で靴を履き替えていると、遠くの空に一羽の鳥が横切っていくのが見えた。何気ない光景のはずなのに、なぜかその日は妙に長く目で追ってしまった。理由はわからない。ただ、この学園を包む静かな日常が、思っていたよりずっと薄い氷の上に成り立っているのだと、俺はまだ気づいていなかった。