無能力なのに国唯一の異能学園に入った俺。周りの反応が、なんかおかしい 作:都頃天
その日の朝は、いつもより空気が湿っていた。
通学路の桜並木は、もうすっかり緑一色に染まっていて、曇り空の下、風もなく葉一枚動かない。妙に静かな朝だった。駅前の掲示板の前に人だかりができていて、俺は何事かと足を止めた。
「――昨夜、隣県の祝福研究施設で発生した爆破事件について、警察は”還元派”を名乗る犯行声明を確認したと発表しました」
小型のデジタルサイネージが、抑揚のないアナウンサーの声を流している。周りの通行人たちが、心なしか足早に通り過ぎていくのがわかった。隣県、と言えば電車で一時間もかからない距離だ。
「一色、聞いたか、あの事件」
教室に着くなり、陽向が神妙な顔で声をかけてきた。いつもの軽い調子が鳴りを潜めている。
「聞いた聞いた。うちの学園も一応、狙われる可能性あるってうちの姉貴が言ってたけど」
「マジかよ。……お前んち、そういうのに詳しいのか」
「国家機関に勤めてるだけで、詳しいってほどでは……いや家じゃほぼ酔っ払ってるだけだしな、あの人」
軽口を叩いてみたものの、教室全体に漂う空気は、いつもより明らかに張り詰めていた。誰かが「学園、しばらく休校になったりして」と呟くのが聞こえたが、それを笑い飛ばす声は、思ったよりも少なかった。
そこへ、隣のクラスから顔を出した雫が、珍しく硬い表情で近づいてきた。
「陽向くん、その話、あんまり大きい声でしない方がいいと思う」
「え、なんで小鳥遊さんが」
「みんな不安になってるから。噂って、悪い方にばっかり膨らむものでしょう」
「……それもそうか。悪い悪い」
陽向は素直に頷いたが、俺はその時、雫の声にほんのわずかだけ、いつもと違う硬さが混じっていたことに気づいていた。理由を聞こうとしたが、雫はすぐにいつもの笑顔に戻ってしまい、聞くタイミングを逃してしまった。
昼休み、購買の列に並んでいると、後ろから聞き覚えのある平坦な声がした。
「一色澄人」
振り返ると、小夜がじっと俺を見上げていた。今日はいつもの興味本位な様子とは違う、どこか硬い表情をしている。
「小夜、また分析しに来たのか」
「……いいえ。今日は、少し確認したいことがあって」
小夜は周囲を軽く見回してから、声のトーンを落とした。
「先日視た、あなたの数値のノイズ。あれから何度か、離れた場所からこっそり視界に入れてみました」
「おい、それストーカーじゃねえか」
「研究です」
即答されて、俺は反論を諦めた。
「それで、何かわかったのか」
「――いいえ。むしろ、わからないことが増えました」
小夜は珍しく、言葉を選ぶように少し間を置いた。
「あなたを視界に入れるたび、ノイズの出方が毎回微妙に違います。まるで、何かが意図的に――こちらの観測を掻き乱しているような」
「意図的に? 誰かが俺のことを邪魔してるってことか?」
「わかりません。可能性の話です」
小夜はそう言うと、それ以上は語らず、購買のパンを一つ買って去っていった。残された俺は、なんとも言えない気持ちで焼きそばパンの棚を見つめていた。
(邪魔してる、って誰が。つーか何のために)
考えても答えは出ない。頭の隅にちらついたのは、なぜかいつも通りの笑顔で隣に立つ雫の顔だった。理由もなく浮かんだその顔を、俺はすぐに振り払った。まさかな、と。
放課後、下駄箱に向かう途中、廊下の窓から校門の方が見えた。いつもは開けっ放しの正門に、今日は見慣れない制服姿の警備員が二人、立哨のように立っている。国家機関から派遣された臨時警備、という掲示が貼られていた。
「なんか、いよいよって感じだな」
隣を歩いていた陽向が、珍しく声を潜めて言った。
「大袈裟だろ、さすがに」
「そうだといいけどさ」
昇降口を出ると、夕方の空はいつもより低く、灰色の雲が校舎の上に重く垂れ込めていた。橙色の夕陽もその日は雲に阻まれ、代わりに校庭全体が薄い青灰色に沈んでいる。運動部の掛け声も、心なしかいつもより控えめに聞こえた。
その帰り道、いつも通りなら声をかけてくるはずの雫の姿が、珍しく見当たらなかった。
「……珍しいな」
少しだけ拍子抜けした気分で通学路を歩いていると、電柱の陰から、白崎玲がふと姿を現した。
「うわっ」
思わず声が出た。玲は何も言わず、ただ俺の方をじっと見つめている。灰色の空の下、その姿はいつも以上に輪郭が薄く、なのに存在感だけが異様に濃かった。
「な、なんだよ」
玲は答えなかった。ただ数秒、視線を合わせたまま動かず、それからふいと目を逸らして、何事もなかったかのように去っていった。
俺はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。心臓が、さっきから妙に速い。
(今の、何だったんだ……)
見上げた空には、いつの間にか一番星が瞬いていた。だが今日に限って、その光はやけに遠く、頼りなく見えた。この学園を包む日常が、少しずつ、しかし確実に、軋み始めているような――そんな予感だけが、胸の奥に重く残った。