Per noctem volamus. 作:コルディアムに脳を焼かれた阿慈谷ヒフミ
平和な海、という名を持つこの広大な海洋は、実際のところ高度10000mから見下ろしてみれば、その名を持つのも頷ける、というものだった。
実際問題、開戦当初の血のような赤に染まっていた海は、今でこそハワイ周辺のわずかな敵残存兵の集結地のみでしか見られず、大洋の殆どはすでに元の色を取り戻していた。
太平洋。現在時刻は19時01分。昼間は皮膚を突き刺すような熱線が降り注ぐこの時期、太陽はその身を完全に水平線の下に隠すことなく、わずかながらに海面を照らしていた。照らされた海面はあの頃のおどろおどろしい色ではなく、かつて北海の夜間哨戒飛行で見たのと大差ない、あのオレンジを反射していた。
平和な海で、平和が取り戻されようとしている時にしなければならない任務が仲間殺し、それも戦友の妻殺しとは。
デニス・マクラガン=エヴァンスは自分達の運命を呪った。
今のデニスに出来ることは、ウォースパイトらの最終ロスト地点に一刻も早く向かうべくスロットルを押し込むことしか無かった。自分の座席の後ろで兵装システムをチェックしているはずの相棒の顔を見ることなど、到底出来はしない。ましてや声を掛けることなど。
いまやこの機体の操縦席にはF136-RR-202エンジンが奏でる轟音と、巨大な爆撃機が空気を切り裂く音のみが響き渡っている。
『ヴァンパイア0-1へ、こちらアイボール』
息が詰まりそうなコックピットに入った無線は、ある意味でデニスを助けた。コールサインアイボール、味方のAWACSだ。
「アイボールへ、こちら0-1。どうぞ」
『0-1へ、参照点より方位140方面に新たな反応を捕捉、小型の海上目標だ。数は6。IFFへの応答は確認できない。現在目標識別中───』
この海域では最近深海棲艦は目撃されていない───その言葉が頭を過ぎる。IFFへの応答のない小型の海上目標。そして数6。もはや何も言うまい。
「アイボール、それ以上は結構だ。ターゲットの捕捉を継続し、当機に座標をデータリンクで共有してくれ」
『コピー。しかし
「いいんだ。分かってる、敵は何なのか」
敵。ああ、自分はここまでに血が通っていない男だっただろうか?さっきまで、彼女達が反乱を起こしたということさえ理解できていなかったというのに、今や自分の中の兵士の部分は彼女達を平気で敵と呼ぶことを良しとしている。なんということか。これが国に忠実である者の証明だろうか?
例えそれが良き兵士の素質であったとしても、デニスは自分の中の人間の部分がそれを激しく嫌悪している事実に一応の安堵を抱いていた。
しかし、兵士の部分は良心の呵責が自らに抗うことをよしとはしない。デニスはヴェンデッタを共有された座標方向に変針させる。彼女達の元に近づくことはそのまま、かけがえのない者の処刑の時が近付いていることを意味していた。
デニスもダレルも、任務が達成されない事などハナから考慮にすら入れていなかった。SPEAR 3の飽和攻撃を加えれば、いいとこ世界大戦期の航空機への防空しか考慮されていない艦娘の対空などでは防げない。そこにある技術差は絶対であり、90年の歴史の残酷な差を如実に示していた。
「レーダーモード変更、現在TWS。ターゲットの捕捉を継続中。不明目標は方位140方面に存在。現在、350に向かい22ノットで進行中。当機を感知している様子はない」
『だろうな』
ダレル・バーンズの声は酷く落ち着いていた。考えるまでもない、ということか。無理もない、こちらは最新鋭ステルス機。旧型の艦載レーダー、それも人間と同サイズの艦娘で運用できる程度の大きさでは十分な出力など望むべくもない。向こうに捉えられる前にミサイルを撃ち、離脱すればいいだけだ。
それこそが、デニスらのヴェンデッタB.2が深海棲艦らに大して得た圧倒的なアドバンテージであり、この海の上に死体の山を築いた何よりの理由であった。
目標との距離は60マイル(約96km)を切った。今からでもSPEAR 3を放つことはできる。だが、デニスの手はマスターアームスイッチに手をかけることまでは良しとしていなかった。
『どうした、デニス。もう60マイルだぞ。早くマスターアームをONにしろ』
「...ああ、ああ。分かってる...」
逃げ出したい。
例えどれだけ撃墜の危機があるような戦場───例えばS-400や9K330で重層対空防御が張られているような、そんな戦場でさえ、デニス・マクラガン=エヴァンスは恐怖など抱いたことはなかった。震えなどひとつもないその手で操縦桿を握り、クリア極まりない頭脳で戦場を見渡す。そして爆弾を落として帰る。それしか、彼は知らなかったはずだった。
だが、今の彼の手は震えていた。操縦桿を握る右の手を左手で抑えることでなんとか機体の姿勢を崩さずに飛んでいるような状況だ。思考はもはやまとまらず、刻一刻と迫る、攻撃の刻をただ恐れていた。
『マスターアームを起動しろ、マクラガン中佐』
自身を階級で呼称するその声。ダレル・バーンズの声は、ある種の洗脳に近い衝撃をデニスに与えた。
轟音が響く機内に、カチリという音が、酷く鮮明に響き渡る。デニスはそこでようやく、自らの手が無意識のうちにマスターアームを起動したことに気付いたのだ。同時に、
「ッ...!FLIR起動...。ターゲット識別開始...」
マスターアームは起動した。もはや逃げ場はない。こうしている間にも距離はどんどん縮まる。ならせめてこの
ヴェンデッタの機首の直下に設置された、遠距離の脅威識別を可能とするセンサーボールがFLIRモードを起動し、海上の赤外線映像を映す。
「───」
果たして現実とはいかに残酷だろうか。赤外線画像越し、モノクロの世界に表示された、20マイル先の白い人影。人影が纏っているのは、けして深海の連中の背負うような、あのおどろおどろしい怪物じみたものではなかった。紛れもなく洗練された、かつての時代の軍艦を模した兵装。
いや、実のところわかってはいた。ただ、自分の中の兵士ではない、人間の部分が実行するのを先送りにしたかっただけなのだ。
『ターゲットを識別。IFFへの応答はないが、王立海上歩兵連隊の識別パターンを確認。先導艦はウォースパイト。随伴艦は───』
ダレルがウォースパイトの名を口にした時、彼の口調は驚く程に普段通りだった。普段、深海棲艦の艦種を判別する時と何一つ変わらないその口ぶり。
これがダレル・バーンズか。王立フュージリア連隊の、泥に塗れた前線から青いこの空に至るまで、この男の人生はほぼ半分が戦争に費やされてきた。その行く末がこれか。任務であれば、自らの妻でさえ手にかけることが出来る男を、イギリスという国は作り出してしまったのか。
...もはや止める手立てなどない。ダレル・バーンズは躊躇なくトリガーを引くだろうし、何もせずに帰ったところで2人まとめて命令違反で処分を食らうだけである。いずれにせよ、イギリスは2人が命令に従わなかったところで、他の艦娘か何かを差し向けて、何がなんでも沈めるだろう。
それは自分達で手を下す以上に、恐ろしい。
「...こちらヴァンパイア0-1。本作戦のミッションコマンダーより通達。これよりターゲットとの交戦を開始する」
『了解。ターゲットの追尾継続中。第1ベイドアオープン』
ダレルの操作で、第1ウェポンベイの扉が開放される。増加した空気抵抗が操縦桿に確かな重みとして伝わる。手の震えはもうない。どうやら我々は良き兵士だったようだ。
神よ救いたまえ。
『ターゲットの座標を入力。1番から18番まで発射準備』
「各ミサイルへの標的の割り当てを完了」
『ゴルゴン・アイのミサイルへの干渉なし。各ミサイルのシーカー冷却は問題なし』
「双方向データリンクを確立。発射方式は中間指令誘導、ターミナル・フェーズでミリ波レーダーに切替」
『INSアラインよし。射線方向内に友軍目標なし。全弾発射準備完了』
「ヴァンパイア0-1───ライフル」
デニスが対地ミサイルの発射を示すブレビティコードを宣言すると、ダレルは躊躇いなくトリガーを引いた。第1ウェポンベイ内部に積み込まれたSPEAR 3、うち18発が順次にラックとの接続を解放され、自重で遥か彼方の海面へと吸い込まれていく。
「SPEAR 3、18発の発射を完了。全ミサイルともにデータリンクの信号レベルは良好」
『レーダーコンタクト継続。引き続きターゲットを追跡中』
やがて水面スレスでSPEAR 3は滑空を開始した。距離20マイルで撃たれたSPEAR 3は、その本来の射程からすれば非常に近くから放たれている。低空飛行では燃費が悪化し射程不足の懸念があるが、これだけ近ければそんな懸念などなど何もない。あとは、約束された着弾を待つのみ。
ミサイルは群れを成して、海面に水柱を立てながら目標の未来予測地点へと飛んでいく。未だにこちらに気付いたような兆候は見られない。
残り10マイル。動きなし。
残り5マイル。ミサイルが6グループに分かれる。1隻あたり3発。人間大の目標には、例え一発でも命中出来れば艦種問わず致命傷を負わせられる。それはデニスとダレル、2人が「選ばれし者」だからこそ成せることだった。
残り3マイル。中間指令誘導終了。ここからはミサイル自身のレーダーが自ら敵を捉える。
残り2マイル。彼女達のうちの一人が、水平線の彼方から飛来する死の兆候を検知したことが、FLIR越しに見て取れる。
即座に陣形を変換し対空射撃を開始するが───
『敵の対空射撃を確認。現在ミサイルの被撃墜はなし』
亜音速で飛来するミサイル。彼女らにそれを撃墜することなど、到底不可能だ。いくらレーダー管制された対空砲撃が出来たとて、そもそもSPEAR 3は高いステルス性を持つミサイルだ。骨董品のレーダーで捉えられる代物ではない。
残り1マイル。いまだにミサイルの被撃墜はゼロ。全弾でも命中しそうな勢いで、死の槍は哀れな少女達を海底へと送るべく任務を果たさんとしていた。
「...?」
それは、デニスにとってはほんのちょっとした、気まぐれのようなものだった。後席の戦友。彼の見開かれた目。その視線はMFDに注がれ続けていた。表示されていたのはヴェンデッタに装備されたFLIR。
ダレルはFLIRを最大倍率にして、ウォースパイト達を見ていたのだ。───表情さえ、モノクロの世界のわずかな色味の違いで見て取れるほどに。
デニスの手の震えが再起した。この男は、自らで葬る妻を最期まで見続けるつもりなのか。
自分が良き兵士であると信じ、神に祈り、任務に目を向けて自分の内心に蓋をしたはずなのに。ことここに至り、デニスは再度自分達が如何に恐るべきことをしているかに気付いたのだ。
「やめろ、ダレル!今すぐセンサーをカットしろ!」
自罰か。自らの手で愛する者を殺す瞬間を目に焼きつける気か。ダレル・バーンズの内心がどうであれ、それを見てはいけないことは、デニスにも分かっていた。
それは魂の自殺に等しい。
だがデニスの声は届かない。
FLIRをカットしようとして───デニス・マクラガン=エヴァンスの手は止まった。
ダレルが見ているのと同じ画面。そこに映る、ウォースパイトの表情。
モノクロの世界に映ったその顔は──────
「...ニス、デニス!」
男の視界が急に色彩を帯びる。モノクロの世界から帰還したデニスの額には脂汗が浮かんでいた。
果たしてそれは、数ヶ月前の恐ろしい記憶のせいか、それとも今目の前にいる女のせいか。
───艦娘ヴァリアント。クイーン・エリザベス級戦艦。そしてウォースパイトの妹。
「全く、凄い汗じゃないか。急に僕の話を聞かなくなるなんて、酷いなぁ」
ヴァリアントはハンカチを取り出すと、その整った顔を躊躇なくデニスに近づけ、額の汗を拭った。デニスの心中は恐怖と疑問に満ちていた。この女は、なぜこんな風に笑っていられるのか。こいつからすれば、自分は姉を殺した敵のはずだ。
「...一体、何をしに来た」
震える声でそう言うのが精一杯だった。姉の仇などといって、自身を殺す気なのか?それとも、死よりも悍ましい目に遭わされるのか?
艤装のない艦娘など所詮ただの女に過ぎない。デニスが対抗することは、常識的に考えれば何も難しくはない。
難しくはない、はずなのだが。
(...負い目、か)
ウォースパイトは死に、ダレルも死んだ。生き残ったのは自分だけ。今や惰性で生きているデニスにとって、死に対する恐怖は残りこそすれ、納得のいかないものではなかった。ましてや目の前の女には、姉の仇討ちという大義名分があるのだ。たとえこの場で頭を撃ち抜かれようが、何も驚くべきことではない。
「何をしに来たか、だって?」
ヴァリアントはハンカチをポケットにしまい、ひらりと一回転をしてみせた。そして、またしてもデニスに微笑んだ。
「まぁ、一言で言うなら同盟締結のため、かな?」
「...同盟、だと?」
デニスの内心で恐怖のウェイトが減った。それと同時に眉間にシワが寄るのを感じる。
「そうさ!僕と君は敵同士じゃない...むしろ、利害関係の一致が見られると思ってね」
そう言うと、ヴァリアントは2つのライオンが象られた十字を取り出した。紫色のリボンに取り付けられたそれは、まさしくデニスとダレルの「良き兵士の証明」であり、連合王国が渡した一方的な「和平の象徴」でもあった。
「お前、それは」
「
デニスの部屋にあった、自分とダレル、2人分のヴィクトリア十字章。それを持ち出したヴァリアントは、眼前にそれを持っていくと、誰よりも近く、誰よりも遠い目でそれを見つめた。
「...まぁ、確かに自分の妻を沈めるのは確かに勇気がいるか。確かに2人は、それに値するかもしれないね」
ヴァリアントから十字章を押し付けられたデニスは、掌の中にあるそれを眺めるしか出来なかった。
所詮、この勲章はあの悲劇を公にしたくなかった国が、自分達を宥めるために渡したに過ぎない。この勲章を持っていたとて、誇れることなどなにも───
「...あぁ、なんというか、気分を害したなら謝るよ。別に君やダレルを侮辱したかったわけじゃなかったというか」
バツが悪くなったらしいヴァリアントは、取ってつけたようにデニスに釈明する。果たして真意はどうだか───少なくとも、素直にそれを受け取るほどデニス・マクラガン=エヴァンスは純粋でもないし、それに対して嘘をつくな、などと言うほど子供でもなかった。
「...はぁ。それで、なんで海上歩兵連隊の本国駐留部隊の旗艦様が、人の部屋からヴィクトリア十字章を2つもくすねる様な真似を?そういう行いはガラにないんじゃないのか?」
「そのダレルの十字章、タワーブリッジにあったやつだろう?」
ヴァリアントは問いに直接答えこそしなかったが、しかしデニスへの返答はそれで確かに十分だった。
2029年11月26日。かつて戦艦ウォースパイトが進水した、まさにその日にダレル・バーンズはロンドンのテムズ川に掛かるタワーブリッジから身を投げた。死体は結局見つからず、1週間後には捜索打ち切りが宣言された。
ダレルのヴィクトリア十字章は、その時に彼の靴と遺書、そしてあの日───ウォースパイトを撃沈した、あの日に行く予定だったレストランの食事券と共に遺されていたものだった。
「...ああ、その通りだ。だからなんだ?」
「まだ分からないのかい!」
ヴァリアントはいかにも芝居がかったような顔で驚いてみせる。是非ともシェイクスピアの喜劇にでも出演してみてはいかがだろうか、「ウィンザーの陽気な女房たち」あたりとか───などとはデニスも口にはしなかったが。
眉を下げながらヴァリアントはデニスに問いかけた。
「君はこう思ったはずだ。ダレルの死は不可解なことが多い、と」
「...」
「ヴィクトリア十字章を受章した男が?ロンドンの、知らない人間なんて誰もいない橋からテムズ川に飛び込んでおいて?スコットランド・ヤードはたった1週間で捜査を打ち切って死んだ扱いにした!誰もがこう思うはずだ、これはおかしいと。君なら尚更だ!」
「...」
捲し立てるように、顔を段々と近づけながら迫るヴァリアントにデニスは若干気圧される、あの居心地の悪さを感じていた。
だが、居心地の悪さはそれだけではないことも分かっていた。ヴァリアントの言うことの一つ一つが、デニスの内心を的確に指していたからだ。
デニスの表情から、自分にとって満足の行く答えを得たらしいヴァリアントはさらに続けた。
「不可解な死はダレルだけじゃない───姉貴だってそうだ」
姉貴───ウォースパイトの死。デニスの眉間にさらにシワが寄る。
「どういうことだ」
「まず命令発令の時点でおかしいことしかないだろう。記録によると、空軍委員会と首相によって、反乱が確認されてからわずか3時間程で撃沈命令が下ったらしい。この目で見たが、確かにラルフ・ウェルズ首相とラリー・フィッシャー空軍大将のサインがあった。命令偽造ということはないんだろうが───いくらなんでも命令に躊躇が無さすぎるだろう?」
ラルフ・ウェルズとラリー・フィッシャー。デニスの頭にうかんだのは、あのひょろひょろとした、鋭い眼光を持つ政治家と、寡黙な空軍参謀総長の顔だった。
アーサー・ラッセル大将を一瞬で黙らせたあの男の様子からすれば───
「...いや、ラルフ・ウェルズなら驚くべきことでもない」
「まるで知り合いみたいな口ぶりだな。...いや、あの会議の映像を見たのかな?まぁ確かに、あの映像だけみればそう思うかもしれないが」
まだまだおかしい点はあるんだ、とヴァリアントは続ける。
「あの日、君たちはどういうミッションプロファイルで出撃したんだったかな?」
「ミッションプロファイルだと?」
「そう。記憶が正しければ───SPEAR 3を96発、だっただろう?」
この女、どこまで知っているんだ。撃沈命令のビデオに命令書、さらに当日のヴェンデッタの武装まで。何もかも見知っているかのような口ぶりに、デニスは不快感のようなものを感じ出していた。
果たして男の内心を知るか知らずか、いずれにせよヴァリアントは言葉を続ける。
「普通、小型とはいえ巡航ミサイル96発を爆撃機に搭載するなんてとんでもない時間がかかるはずだ。命令出されてはいすぐに行けます、なんてそんな話があると思うかい?ましてやSPEAR 3は高額で、本国駐留部隊にはほとんど行き渡っていないようなミサイルらしいじゃないか」
「俺達が太平洋戦線にいたから優先配備されてただけだ」
「本当にそれだけだと思うかい?いくら優先配備と言ったって、無い袖は振れないはずだ」
「つまり?」
「君たちが毎日のように深海棲艦に槍をお見舞いして、数が減っているはずなのに、果たして急に96発なんて馬鹿げた数を用意できるのかって話だよ」
知ったような口を。デニスは1周回って失笑した。横須賀に来たことすらない艦娘が、パイロットよりもその手の事情をなぜ知っていると本気で思えるのか。
「自信過剰もここまで行くと清々しいな、ん?」
「なんだって?」
「なぜパイロットの俺より、お前の方が事情を知ったような口を叩けるんだ?」
ヴァリアントの表情がここに来てようやく崩れる。今までの、デニスをどこか小馬鹿にしたような顔は、今の一瞬で一種の敵愾心のようなものに変貌した。
「じゃあ聞かせてもらおうじゃないか、なぜ用意できたと?」
「ハワイ上陸作戦だ」
ハワイ上陸作戦。ウォースパイト撃沈時点ではまだ数ヶ月先の話だったが、デニス達のヴェンデッタが投入されることなどハナからわかっていた事だった。大量のSPEAR 3はハワイ上陸作戦に備えて何ヶ月も前から運び込まれていたものだったのだ。
撃沈任務の際は結局、SPEAR 3は18発しか使わなかったので、実際には96発も必要はなかったが。
「ふむ、確かに。ハワイ上陸作戦の準備の一環で運び込まれたミサイルを使った...まぁ、74点くらいかな」
どうやらデニスの回答は、このヴァリアントにとっては、完全に思った通りではないがそれなりに的を得ている、程度のものだったらしい。
「落第回避か。模範解答はなんだ」
「まぁ謎はまだあるというか。さっき、すぐに96発を積めるはずがないと言っただろう?」
「...96発を搭載するには、本来ほぼ丸一日はかかるな」
「そう、そこだ!」
ヴァリアントはパチンと指を鳴らしてデニスにウィンクを決める。
やはり、この艦娘があのウォースパイトの妹とは信じられない。性格が違いすぎる。綺麗な顔にその面影を確かに残してはいるが。
「早すぎる命令の発令に、大量のミサイルの用意、早すぎる搭載。姉貴の撃沈にはこれだけ不可解なことが溢れてる。さらにダレルの死もだ。MI5を動かしたって全ては分からなかったが───当事者の君がいるなら話は変わる」
だから、と彼女は不敵な顔を浮かべた。その顔に敵愾心や人を小馬鹿にするような色はもうない。そこに立っているのは、気高きクイーン・エリザベス級戦艦の1隻の魂を持つ、勇敢な1人の女性だった。
「君と僕で、あの2人の真実を追い求めようじゃないか。真実が誰かに隠されたのならば、白日のもとに晒されなければならない」
僕らにはその権利があるはずだ───
デニス・マクラガン=エヴァンス。元王立空軍第9飛行隊所属。不死身のDDの片割れ。戦争の英雄であり、ヴィクトリア十字章保持者。
男の時間は、戦友の死からずっと止まっていた。まるでタイムカプセルかのように、この乾ききったサンタフェの地下で。
男は自らの手に包み込まれた2つの十字を見つめた。食堂の蛍光灯の光を鈍く返すそれらは、その輝きを取り戻すときを今か今かと待っている。
たとえ、あの十字が国から押し付けられた、一方的な「和平の象徴」だったとしても。それが、デニス・マクラガン=エヴァンスとダレル・バーンズという、2人の兵士が戦争を猛々しく駆け抜けた象徴であり、勇気の証明であり、良き兵士である証明であることには変わらない。
デニスは、そう信じたかった。それを証明する機会を、ずっと待っていた。
握りこまれた2つの十字が音を鳴らす。小さく響いたそれは、間違いなくデニスの新たな戦いの、開戦の狼煙だった。
「...とんだじゃじゃ馬姫もいたもんだ。是非とも姉を見習って欲しいものだが」
「それはどういうことかな?」
「放っておいたらどこへ走っていくか分かんないってことだ」
ポケットに十字章を2つともしまい、デニスは右手を出した。
「お前に協力する。艦娘に協力するなんて、俺自身驚いてるが───もし俺が手を振り払ったって、お前は勝手に走り出すだろう。誰かが手綱を握ってなきゃ、怖くて夜も眠れん」
「ほう、騎手のつもりかい?悪いけど、僕は並の男はすぐにでも振り落とすんだ」
「並の男なら、な」
デニスの右手を掴んだヴァリアントは、華奢な体格に見合わぬ力で手を振った。デニスのほうも決して振り払われない。
2人の男と女が、サンタフェの地下で不敵に笑う。
それが同盟締結の合図だった。
かつて同じ戦争を駆け抜けた者同士が、新たな戦いを始めようとしていた。
「...ところで、なんでお前はあそこでぶっ倒れてたんだ?」
「ヒッチハイクで行こうとしたんだけど、休憩で車から出た時に財布ごと置いていかれてね...」
「...無理やりヤられたりしなくてよかったな」
「言っておくけど、もしそんなことしたらすぐにヴァルハラに送るからね」
「一応俺は命の恩人のはずなんだがな」
「それとこれとは話が別さ、デニス」