Per noctem volamus. 作:コルディアムに脳を焼かれた阿慈谷ヒフミ
2030年5月11日 21時10分 旧サンタフェ・マウンテンズ空軍基地 司令部第2会議室
「───それで?まず何から始めると言うんだ」
サンタフェ・マウンテンズの地下は、かつての不活性化の際に、多くの設備が撤去されてはいたが、しかしアメリカ空軍もパイプ椅子や長机といった類のものを全部持ち出すのは嫌がったらしい。
デニスは会議室に残されたそれらを適当に配置し、この司令部施設の第2会議室を自分とヴァリアントの根城とする事に決めた。
ホワイトボードの前に立ったヴァリアントは、3枚の写真を取り出して貼り付けた。
そこに写っている顔はウォースパイトとダレル、そしてデニスだった。
「そうだね、まずは君から話を聞くところから、かな」
「俺から?」
「そ、君から」
僕がわざわざここまで来た理由その2でもある、とヴァリアントは続ける。
「ダレルが死んだ今、姉貴の沈んだ瞬間を目撃しているのは君だけだからね。生憎随伴艦も尽く沈んじゃったし」
「目撃証言か。まぁ悪くない考えだろうが」
期待には応えられなさそうだ、とデニスは零した。
「ふーん。理由は?」
「もっと大袈裟に反応するかと思ったが。まぁ、理由か。そうだな。一言で言うなら、何も覚えていないから、だな」
「...何も、覚えていない?」
「驚くべきことに」
ヴァリアントはパイプ椅子に座り、スモークサーモンを口に運ぶデニスを見下ろした。自分を試しているのではないか───とも思ったが、しかし、目の前に座る男が嘘をついているようにも見えはしなかった。
「正確に言えば、ウォースパイトたちにミサイルを撃って、着弾するほんの数秒前からの記憶がないんだ。気付いたら横須賀に戻っていた」
「なんだ、前後の記憶はしっかり残ってるじゃないか。覚えてる部分でいいから教えておくれよ」
「といってもな...」
デニスはパイプ椅子にもたれかかり、つい数十分前の回想をまた思い返していた。出撃、戦域への飛行、AWACSからの通報、識別、発射。そして───
(...クソ、やっぱりダメだ。あの時、ウォースパイトの顔を覗き見たはずのあの時から、まるで記憶が全て削除されたような...)
その部分以外で特に気になることなどなかったはずだ。
「なにか、少しくらい怪しいことはなかったのかい?」
「記憶の限りでは何も。一番怪しい部分の記憶だけ何も思い出せない。モヤがかかっているとかじゃない、そこだけすっぽり抜け落ちたような。前後の覚えている部分の文脈をつなぐために、そこの記憶がないということが辛うじて分かるくらいだ」
「難しい言い方をするなぁ。あ、スモークサーモン頂くよ」
「おい、デケェの食うんじゃねぇ!全く...まぁ、文字通りだ。記憶が消える前後の記憶がある。この覚えている記憶を繋がりあるものにするためには、その間に忘れた記憶がある、ということにしないと説明がつかねぇんだ」
「うん、尚更難しく言ってくれてどうもありがとう」
「くたばれってんだ」
中指を立てながらパイプ椅子にふんぞり返るデニスにヴァリアントは苦笑した。
君がくたばれなんて言うと冗談にならない、なんて言ってはどんな顔をされるか、分かったものではないので言わなかったが。
「とまぁ、今お前がここに来た理由その2が消え去った訳だが。どうするんだ?」
「なに、そんなにすぐに真実がわかるとも思ってはいないさ。MI5に頼んでも全貌が掴めなかったくらいだしね」
「諜報機関をよくもまぁ私情で動かすもんだ」
「使えるものは使わなきゃ損だろう?」
「フン、言うな」
ヴァリアントはデニスの言葉に満足そうな顔を浮かべ、ホワイトボードに向き合った。黒いペンを取り出すと、デニスとダレルの写真を丸で囲い、《XH916》と機体番号を書き込んだ。
「さて、殺人事件の調査で定番の証拠は凶器だが...ここでデニス、君に問題。今回の場合は?」
「...俺達の乗ってたヴェンデッタか?」
「大正解!」
そう言うとヴァリアントは、サーモンにフォークを刺したまま怪訝な目を向けるデニスにニヤニヤしながら近付いていった。デニスの方は、怪訝な目とともに、若干の気分の悪さを抱えていた。それは単にヴァリアントの顔つきのせいか、それとも腹の中に隠しているもののせいか。
「..な、なんだ一体。気味が悪いぞ」
「ふうん。あくまで惚ける気かい?」
「惚けるも何も...」
デニスはなんでもないかのように答えるが、しかし声の震えは歴戦の戦艦娘に対して、自身の動揺を雄弁に語っていた。
ヴァリアントにとって、目の前の男は特上のホールケーキ同然だった。
「話によれば、この地下基地は航空機が離発着出来るようになってるらしいじゃないか。戦闘機、輸送機、旅客機...もちろん爆撃機も。ところでイギリス空軍から1機の爆撃機が除籍されたらしくてねぇ。ロジーマス空軍基地の第9飛行隊所属機だったんだと。驚くべきことに、その機体番号は《XH916》...」
「オーケーもうそれ以上言うな、俺の負けだ」
観念したようにデニスは両の手を挙げてみせた。
「なぁ、どうやって知ったんだ?」
「ただでさえ爆撃機が1機消えてるのに、空軍が全く大騒ぎしてないんだ。裏があると思うのは当然だろう?」
「それもMI5サマか?」
「僕には空軍にもツテがあってね」
「保安局に手を借りるほどでもねぇってか」
息を吐いたデニスは立ち上がると、無言で部屋を出ていった。彼はついてくるヴァリアントを振り払うようなこともせず、ただこの地下基地に存在する耐爆ハンガーへと向かっていった。
カツ、カツと靴の音がコンクリートの壁に反響する。いつまでも続くその音に、しかし2人のどちらもが口を挟むようなことはしなかった。
デニスが鉄製のドアの前で足を止めると、緩慢な足取りで回れ右をした。ドアに向き合うデニスの表情に、ヴァリアントも息を呑むのを禁じえない。
ドアの先はまさに一寸先も見えない真っ暗闇、しかしとことん広大な空間であることだけはヴァリアントにも分かった。
慣れた手つきでデニスがハンガーの電源を入れると、天井に吊り下げられた白熱灯がジリジリと音を立てながら、ハンガーの中の巨体を詳らかにした。
「...ッ」
戦略爆撃機、ヴェンデッタB Mk.2。マクラガン=エヴァンス/バーンズ組の搭乗機であることを示す、《XH916》の機体番号が、マットグレーの塗装の中に、わずかな白色を帯びて浮かび上がっている。
「...流石に大きいね」
「感想がそれか?戦艦のほうが余程大きいが」
「今の僕からすれば、こっちのほうが余程」
目の前に止まっている巨体は、まさに自身の姉の命を刈り取った復讐者。徹底的なまでに命を砕くために作り出され、その務めを果たしてきたことを静かに誇る機体全体の汚れ。そして機首左側面に描かれた複数のキルマーク。巡洋艦クラスまでは5隻で1つのマーク扱いされているところに、デニスとダレルが乗っていたこの機体が、どれほどの深海棲艦を砕いて来たのかをありありと示していた。
しかし、計347隻の撃沈数の中に自身の姉は数えられていない。ヴァリアントはその事に酷く安堵していた。
「本当にとんでもない機体だ。よくこんなの空軍から引き取れたね?」
「制服組共の妥協の産物のひとつだ。俺とダレルをお払い箱にできるなら、爆撃機1機くらいくれてやってもいいらしい」
「与えるパイロットを間違えたとしか思えないけどね。ただのパイロットならともかく」
「俺にこいつを渡したら手に負えんくなる、ってか?褒め言葉として受け取っておく」
こいつの牙を研いだり剥き出しにできる奴はもうこの世にいないがな、とデニスは自嘲気味に吐き捨てた。
「こいつはもう何ヶ月も飛んでない。なんとかできる範囲で保守とエンジン吹かしくらいはたまにしてるが...あいにくダレルが天に召されちまったからな。あの工兵がいれば整備も捗ったんだが...」
「君が開店休業状態なのは、それが理由?」
「と、いうことにしてもらえると助かる」
それで、とデニスがヴァリアントに向き合う。
「こいつに一体何の用だ。殺人事件の定番の証拠は〜なんて言ってたが」
「雄弁に語る...ってね。このヴェンデッタの中身に用があるのさ」
「...中身?ブラックボックスか?」
ブラックボックス。航空機のフライト中の各種のデータ───加速度や衝撃、エンジン回転数、さらにパイロットの会話。そういったものを記録するデータ機器だ。航空事故の際には真っ先に回収される、まさに航空機の行動記録そのものと言うべきものだ。なるほど確かに、証拠としてはこれ以上ない。
だが───
「ブラックボックスに用があるなら、残念だが願いは叶いそうにないぞ」
ブラックボックスにはパイロットの会話が含まれている。それに記録量にも限界がある。そういうわけで、基本的にブラックボックスは全てのデータを保存していることはなく、古いデータは上書きされて消される。おそらくウォースパイト撃沈時のデータなど、もう消されているだろう。
「あー、ブラックボックスに用がある訳ではないというか。もっと別のデータが欲しいんだよね」
「ん?ブラックボックスじゃない?」
じゃあ何を、とデニスが言う前に、ヴァリアントは機体に横付けされたままのタラップを登っていった。
「おい、勝手に登るな!」
「えーとドアハンドルは...ああ、これこれ。ステルス機っていうのは分かりづらくて良くないなぁ。表面の段差を無くしたいのはわかるけど」
デニスの言うことなど何処吹く風、ヴァリアントは機内に入っていった。
「全く、これがあのウォースパイトの妹かよ...!?」
いつだかのスクランブルぶりにタラップを駆け上がり、コックピットを覗き込んだデニスは、WSO席に設けられたUSBコネクタにスマホを繋いでいるヴァリアントを目撃した。
「おい、そんな訳の分からんスマホを機に繋ぐな!」
「心配しないで、軍規格の戦術端末さ。海軍支給のね」
「クソ、好き勝手しやがる...」
市販のスマホを繋いではいない以上、少なくとも最低限のセキュリティの概念くらいは備えてはいるらしいが。思い立ったらすぐ行動、というのもいいんだか悪いんだか...。
「そのスマホで一体何やってる。まさかウイルス流し込んでる訳ではないだろうな?」
「まさか!そんな不利益にしかならないことするわけないじゃないか。ちょっとばかりストライクカメラの映像を拝借してるだけだよ」
ストライクカメラ。爆撃機が兵装を使用した際に起動する、記録用のカメラだ。ヴェンデッタでは機首に装備されたEOTSがカメラ機能を果たす。
「ストライクカメラか。考えたな」
「兵装の使用記録を消す訳にはいかないだろうから、きっと何か参考になる記録が残されているはずだよ」
もしストライクカメラの中身が残されてるなら、それはダレル自身にとっても好都合だった。───思い出せない、あの空白の記憶が埋まるかもしれない、と。
「...うーん」
「本当に確かめたのか?」
「もう3回は見たよ!2024年の開戦から、ログの日付を文字通り穴が空くくらいにね!」
現実とは解せないもので、期待していたものは何ひとつとして出てこなかった。あの日、2029年7月23日という日付が打たれたログはストライクカメラのメモリから完全に消し去られていたようだった。
「消し去られたか...」
「まるで元々そんな戦闘はなかったみたいに、ね。はぁ...記録の復旧が出来ないものかな」
「無茶言うな。俺は電子戦技術士官じゃない。ダレルなら別だったかもしれんがな」
「...本当になんでも出来たんだね、ダレルって」
「およそ戦争に関わることなら、あいつはなんだって出来たはずだ。だが、無い物ねだりがいかに虚しいか...お前なら分かるはずだ」
そうだねぇ、とヴァリアントは天を仰ぐ。戦場を戦った者なら、その場にあるもののみで任務を遂行し、生き残らなければならなかった経験を、多かれ少なかれ持っているはずだ。それは「選ばれし者」だったデニスにも、艦娘だったヴァリアントにも共通していたところだった。
それはちょうど今も同じであり。戦場の便利屋、ダレル・バーンズがいない以上は自分たちでどうにかしなければならない。
「...ままならないね、全く」
「ままならないのは何もかも、だ」
「まるで人生みたい」
「人生も、戦争も、全てな」
ニューメキシコを吹き抜ける風は冷たく、乾いているが、この地下にそれは届かない。
男と女が2人。岩盤の下で、2人の夜は更けていく。