俺がこの世界に転生したことを自覚したのは、五歳の頃だった。きっかけは本当に些細なことで、その日もいつも通りテレビを眺めていた俺は、画面の中でサッカー選手がボールを蹴った瞬間、炎を纏ったシュートがゴールへ向かって飛んでいくという現実では到底あり得ない光景を目にしていたのだが、その瞬間に頭の奥で何かが弾けるような感覚が走り、これまで忘れていた前世の記憶が一気に蘇ったのだ。
『イナズマイレブン』。
それは、俺が前世で何度も見ていた作品だった。円堂守を中心とした雷門中サッカー部の少年たちが、強敵との戦いを通して成長し、仲間との絆を深めながら、やがて世界規模の戦いへと挑んでいく超次元サッカーの物語であり、炎や雷を纏った必殺シュート、巨大な手でボールを止めるゴールキーパー、現実の物理法則など完全に無視したような技の数々が当たり前のように存在する世界だった。
「……ここ、イナズマイレブンの世界なのか?」
五歳の俺は、自分の置かれた状況を理解すると同時に、興奮を隠せなかった。何しろ、俺はこの世界の未来を知っている。少なくとも、前世で見た作品の知識がある。
円堂守が雷門中サッカー部の中心人物になることも、豪炎寺修也や風丸一郎太、染岡竜吾たちが仲間になることも、その先で雷門が様々な強敵と戦うことも知っている。
もちろん、前世の記憶は完璧ではないし、細かな出来事まですべて覚えているわけではないが、それでも何も知らない人間と比べれば圧倒的に有利な立場にいると思っていた。
――少なくとも、数年後に雷門中へ入学するまでは。
俺は幼い頃からサッカーを始めた。
前世でもサッカーをしていた経験があったため、身体がある程度動くようになってからは毎日のようにボールを蹴り、基礎技術を磨きながら体力を鍛えていった。
ただ原作の知識を利用するだけではなく、この世界で自分自身も一人のサッカー選手になりたかったからだ。
そして、中学一年生になった。入学式を終えた俺は、教室へ戻る生徒たちとは逆方向へ歩き、真っ直ぐサッカーグラウンドを目指していた。
俺が向かっているのは、もちろん雷門中サッカー部だった。
「さて……」
校舎の角を曲がり、グラウンドが視界に入った瞬間、俺は足を止めた。
目の前には、綺麗に整備された広大なグラウンドがあり、その中央では十数人ほどの選手たちが激しい練習試合を行っていたのだが、俺が驚いたのは人数ではなかった。
その選手たちの動きだった。
「パス!」
鋭い声が響き、一人の選手がボールを受け取ると、相手選手が距離を詰めてくるより早く、別の選手へボールを送り出す。
パスを受けた選手はそのままドリブルするのではなく、さらに前方へ走り込んだ味方へボールを通し、その選手もまた一人で突っ込むことなく、空いたスペースへ走り込んだ味方へ正確なパスを送っていく。
選手全員が次のプレーを理解しているような、無駄のない連携だった。
「……強い」
思わず口から言葉が漏れた。
俺が知っている雷門中サッカー部は、こんなチームではない。
部員不足に悩み、まともに試合すらできない弱小チーム。
円堂守が一人でゴールを守り続け、そこへ少しずつ仲間が集まっていく――それが俺の知っている雷門だった。
ところが、目の前にある雷門はまったく違う。
全国大会の常連であり、全国屈指の強豪校として知られているだけではなく、響木正剛監督の方針によって、才能があるからというだけで選手を増やすことをせず、本当にチームの力になれる選手だけを厳選する少数精鋭のチームになっていた。
だからこそ部員は十数人しかいない。
しかし、その十数人全員が強い。
俺が入学前に調べた情報と、実際に目の前で行われている練習試合、その二つを照らし合わせれば、この世界の雷門が俺の知る原作とは完全に別物になっていることは明らかだった。
「……雷門中が全国屈指の強豪って、本当だったんだな」
呟きながら試合を眺めていると、突然、聞き覚えのある声がグラウンドへ響いた。
「行くぞ!」
その声を聞いた瞬間、俺の身体が固まった。ボールを受けたのは、一人の少年だった。
白い髪に鋭い目。そして、ボールを持っただけで周囲の選手が警戒するほどの圧倒的な存在感。
「……豪炎寺修也」
俺は思わず名前を口にした。
雷門中二年生、俺より一学年上。
本来なら妹の事故をきっかけにサッカーから距離を置き、後に円堂守との出会いを経て雷門へ加入するはずの選手だ。
しかし、この世界では違った。
豪炎寺はすでに雷門のユニフォームを着ており、周囲の選手たちと何の違和感もなく連携している。
「染岡!」
豪炎寺から鋭いパスが送られると、そのボールを受けた少年が獰猛な笑みを浮かべた。
「任せろ!」
力強いドリブルで相手DFへ突っ込み、そのまま強引に突破していく。
「……染岡竜吾」
俺はさらに驚いた、すでに豪炎寺との連携は完全に完成している。
「戻れ!」
相手チームがボールを奪い、反撃に転じる。
しかし、次の瞬間には一人の選手が風のような速度で後方へ駆け戻り、相手のパスコースへ入り込んでボールを奪っていた。
「風丸一郎太……」
俺は唖然とした。
原作なら陸上部に所属していたはずの風丸が、今では雷門中サッカー部の主力としてプレーしている。
さらにその直後、相手選手へ身体をぶつけ、力強くボールを奪い取る選手がいた。
「おらぁ!」
「……飛鷹征矢」
俺は思わず額を押さえた。
飛鷹までいる。
しかも、俺が知っている原作より遥かに早い段階で雷門の一員になっている。
「飛鷹、右だ!」
「分かってる!」
風丸の指示に飛鷹が応え、二人が自然に連携して攻撃を止める。
「もう何でもありかよ……」
思わず苦笑した。
だが、俺の驚きはまだ終わらなかった。
「半田!」
「任せろ!」
半田真一が冷静に相手の動きを読み、危険なコースを塞いでボールを奪うと、そのまま前線へボールを送り出す。
「マックス、上がれるか!」
「もちろん!」
松野空介――マックスが軽快な動きで相手をかわし、素早く前線へ駆け上がる。
そして、そのすぐ近くでは影野仁がいつの間にか相手の背後へ回り込み、まるで最初からそこにいたかのような自然さでボールを奪っていた。
「ナイス、影野!」
「……ありがとう」
さらに、そのボールをシャドウが受け取る。
「シャドウ、右!」
「分かっている」
俺の知識では雷門の初期メンバーではないはずの選手まで、当然のように雷門の仲間としてプレーしている。
「豪炎寺、染岡、風丸、飛鷹、半田、マックス、影野、シャドウ……」
俺は確認できた選手の名前を頭の中で並べながら、深く息を吐いた。
すでに8人。
しかも全員が強い。
俺が知っている雷門とは、まるで別のチームだった。
そして、最後に俺の視線が向かったのはゴールだった。
「……あの人が守っているのか」
そこにいたのは、額にバンダナを巻いた少年だった。
明るい笑顔を浮かべながら、ゴール前に堂々と立っている。
「来い!」
相手FWがシュートを放つ。
ボールが一直線にゴールへ向かっていく。
「円堂!」
豪炎寺が叫ぶ。円堂は一歩前へ出ると、両手を構えた。
「ゴッドハンド!」
巨大な手が出現し、迫り来るボールを真正面から受け止める。
凄まじい衝撃が響いたにもかかわらず、円堂は一歩も引かずにシュートを止め切った。
「ナイス、円堂!」
染岡が叫ぶ。
「おう!」
円堂はいつものように笑顔で答えた。
「……円堂守」
俺は確信した、間違いない。
この世界にも、円堂守は存在している。
ただし、俺の知っている円堂とは違う。
俺より一学年上の二年生であり、すでに雷門中サッカー部の正ゴールキーパーとしてチームのゴールを守り続け、全国に名を知られるほどの実力を身につけている。
弱小校を一人で支える少年ではない。
強豪雷門の守護神、それが、この世界の円堂守だった。
「……本当に、俺の知っている世界じゃないんだな」
そう呟いた直後、背後から低い声が聞こえた。
「おい」
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
無精髭に鋭い眼差し。
選手たちの動きを一つ一つ見極めるような、静かな威圧感。
「……響木監督」
思わず名前を呼んでしまった。
響木正剛、この世界の雷門中サッカー部を率いる監督だった。
「俺を知っているのか?」
「有名ですから」
咄嗟に答えると、響木監督は俺をしばらく見つめていたが、やがてそれ以上は追及せず、俺の服装とサッカーボールを確認した。
「入部希望か?」
「はい」
「ポジションは?」
「MFです」
「経験は?」
「あります」
俺が答えると、響木監督は小さく頷いた。
「名前は?」
俺が名乗ると、響木監督は少しだけ考えるような表情を見せてから、グラウンドの方へ視線を戻した。
「三日後、練習試合を行う」
「……練習試合?」
「入部希望者には全員参加してもらう。そこで、お前たちが雷門の選手として戦えるかを見る」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
俺はてっきり、入部試験のようなものがあると思っていた。
だが、響木監督が選んだのは実戦だった。
強豪雷門に入るのなら、強豪雷門の選手と実際に戦い、その実力を証明しろということだ。
「相手は?」
思わず尋ねると、響木監督は淡々と答えた。
「雷門の上級生を中心としたチームだ」
「……!」
思わず息を呑んだ。
俺たちが戦う相手は、あの円堂守や豪炎寺修也だ。
今の俺たちがどれだけ努力したところで、簡単に勝てる相手ではない。
「遠慮はしない」
響木監督の言葉が続く。
「こちらも本気でやる。強豪校の一員になりたいのなら、強豪校の選手として扱われる覚悟を持て」
俺は黙って頷いた。
響木監督はそれ以上何も言わず、グラウンドへ戻っていった。
俺はその背中を見送りながら、改めて自分が置かれている状況を考える。
俺は、この世界の未来を知っていると思っていた。
しかし、そんな考えはもう捨てた方がいい。
雷門は弱小校ではなく、全国屈指の強豪になっている。
ならば、この先に待っている未来だって、俺の知っているものとは違うはずだ。
「……だったら、面白い」
俺は小さく笑った。
未来が分からない。
だからこそ、自分の手で確かめる価値がある。
そのとき、校舎の方から数人の新入生がこちらへ歩いてきた。
その中でも一際目立っていたのは、周囲より頭二つほど大きな少年だった。
「……壁山塀吾郎」
俺が思わず呟くと、その少年はこちらを振り向いた。
「えっ、俺の名前知ってるんすか?」
「いや、今聞いただけだよ」
「そうなんすか! 俺、壁山塀吾郎っていうんす! よろしくお願いしますっす!」
大きな身体を縮めながら頭を下げる壁山に、俺も笑って挨拶を返す。
「よろしく」
すると、横から小柄な少年が勢いよく割り込んできた。
「俺は栗松鉄平でヤンス! 絶対に雷門サッカー部に入ってみせるでヤンス!」
「よろしくな」
「お前も一年生でヤンスか?」
「ああ」
「じゃあ同期でヤンスね!」
栗松が嬉しそうに笑う。
その隣では、別の少年が楽しそうにこちらを見ていた。
「僕は少林寺歩。よろしくね」
「よろしく」
そして最後に、少し離れた場所からこちらへ歩いてきた少年が口を開いた。
「俺は宍戸佐吉。よろしく!」
俺は四人を見渡した。
壁山塀吾郎。
栗松鉄平
少林寺歩
宍戸佐吉
原作では雷門の仲間になる一年生たち。
それが今、俺と同じ場所に立ち、同じように雷門への入部を目指している。
「……お前たちも、入部希望か?」
「もちろんっす!」
壁山が力強く答える。
「俺も絶対に入るでヤンス!」
栗松も拳を握りしめる。
「僕も楽しみだな」
少林寺は笑顔を浮かべ、宍戸もグラウンドを見ながら静かに頷いた。
「せっかくここまで来たんだ。簡単には諦めないよ」
その言葉を聞いた俺は、四人を見ながら自然と笑っていた。
原作を知っているからこそ、この四人が後にどれだけ大きな存在になるのかを俺は知っている。
だが、この世界では彼らもまだ何者でもない。
俺だって同じだ。
俺たちはまだ雷門の選手ではない。
これから三日後に行われる練習試合で、自分たちの力を証明しなければならない。
「……だったら」
俺は四人へ向き直った。
「俺たち五人で、絶対に雷門へ入ろう」
壁山が驚いたように目を見開いたあと、大きく頷く。
「はいっす!」
栗松も負けじと拳を突き上げた。
「絶対に入るでヤンス!」
少林寺は楽しそうに笑い、宍戸も静かに頷いた。
「そうだな」
その瞬間、グラウンドから大きな声が聞こえた。
「新入生!」
顔を上げると、円堂がこちらへ向かって大きく手を振っている。
「三日後、頑張れよ! 俺も楽しみにしてるからな!」
俺は一瞬だけ呆気に取られた。
そして、すぐに笑って右手を上げる。
「負けませんよ、円堂先輩!」
「おう! その意気だ!」
円堂は笑顔で答えると、再びグラウンドへ駆け戻っていった。
その背中を見ながら、俺は拳を握りしめた。
俺の知っている物語は、もう存在しない。
だが、それでいい。
原作通りの未来が待っていないのなら、この世界で起こる出来事を、自分自身の目で見て、自分自身の足で歩いていけばいい。
円堂守が主人公だからといって、俺がその物語の外側にいる必要なんてない。
豪炎寺や風丸や染岡や飛鷹が強いからといって、俺が挑戦することを諦める理由にもならない。
壁山、栗松、少林寺、宍戸と共に、俺たちはこれからこのチームへ飛び込もうとしている。
全国屈指の強豪、雷門中サッカー部へ。
「……絶対に入ってやる」
俺はグラウンドを見つめながら、強くそう決意した。
――三日後。
俺たち五人の運命を決める練習試合が始まる。
そしてその試合は、俺がこの世界で初めて「原作を知っている転生者」ではなく、一人のサッカー選手として雷門のフィールドに立つための、最初の戦いになるのだった。