おっとり彼女が生命保険に入ってからごっついメンヘラムーブをしてくる 作:雑巾とナマステ
究極を言えば、保険会社は保険金を支払いたくない。
そりゃあもちろん、お客様の安全無事が第一だから!
ーーというのは建前で、保険金の支払いは、そのまま会社の現金預金の減少へとつながるからである。
(まずいまずいまずい、どうしよう……)
なかでも古郡が取り扱う”死亡保険特化型プラン”は、契約者を若い女性に絞ることで”保険金を支払う”というリスクを限りなくゼロへと近づけた、保険会社としては夢のようなプランといえる。
それでも契約を取れるのは、”自分はどうなってもいいから好きな人にお金を貢ぎたい♡♡”というハードでディープな恋心をくすぐるから……。
その一方で”それでも流石に命は惜しい”という超えられない一線を逆用し、保険金を支払わずにすむというステキなプランなのである!
……まあ、通常は保険金を1億~2億の幅で提案して契約を取るところ、この古都宮さまの場合は口車に乗せられて”4億”などと言ってしまったわけだが……。
払わなければ、そんなものは単なる数字でしかない!
……はずだった。
フッと、スメラギが笑った。
「ななななな、なにがおかしい!」
自慢じゃないが、現在この商品と契約しているのは146名。
実力以外の運にも味方されたとは思っているが、この数をほんの半年程度で積み上げたのは、多少なりとも自分の営業センスのたまものだと思っている。
……だが、古郡を見るスメラギの表情には、そんな自分へのリスペクトの欠片も見受けられない。
スメラギは余裕の表情で紅茶を一口。そして口を開く。
「目の前の人間が人殺しを示唆しているのに、気にするのは保険金だけでいいの?」
「は? …………保険金だけ………………ああ、そういうことですか」
言われてみればそれもそうだ。
確かに本当にスメラギがそのつもりなら、古郡が今すべきは有無を言わさず110番でしかないだろう。
本当に、スメラギがそのつもりなら、だが。
机上の空論に振り回されるほど私暇じゃないんですけどね、などと。古郡は内心で肩をすくめてヤレヤレと首を振った。
(まあ実際に契約を履行して4億を払うことになったら、フルコミの会社なのでお給料ゼロどころかリストラまでありえますが……それに加えてお上司さまから爆詰め、パワハラ、体罰、私刑その他もろもろの精神崩壊セットを喰らわされて廃人確定コース……あれ? けっこう危険かも?)
弱気に思考にストップをかけ、古郡は自信満々でスメラギを見返す。
こういう大学生は大抵口だけの”やるやる詐欺”なので、ちょっと余裕な態度を見せてやれば勝手に日和って逃げ帰っていくのが常だ。
(さあて、このスメラギはどうかなあ~)
スメラギは古郡の余裕な様子を目の当たりにして、ピクリと眉を動かした。
(ほうら、ちょーっとおどかしただけですぐ反応しちゃって!)
と、
「ーー琴子、息を止めて」
「はい♡」
古都宮さまは指示をもらえた幸せをかみしめるようにニコニコの笑顔で応じると、口をむっつりと閉じた。
するとそのまま場に沈黙が落ちる。
十秒、二十秒、三十秒……。
「……あの」
一分……二分……。
古都宮さまの笑顔が真っ赤に染まり、そしてーー徐々に青ざめていく。
「あの、スメラギさま? 古都宮さま?」
二分三十秒…………三分………………。
スメラギの腕に抱きついている古都宮さま。その指先がカタカタと震え初め、古都宮さまは笑顔のまま、隠れるようにスメラギの腕に顔を埋めた。
三分三十秒…………………………四分。
不意に、ガタガタガタガタ!!!!と古都宮の肩が揺れ、次の瞬間にぴたりと完全に動きが停止する。
(…………ぇ? しんだ……?)
「ぁ、あああああ、あの??? 古都宮さま?」
古都宮はピクリともしない。
それどころか、あれだけきつく力がこもっていた指先も、今はダラリと脱力している様に見える。
寝ている、とは様子からして明らかに違う。
人が失ってはいけない”なにか”が、抜け落ちたようでーー
「そ、そそそそんなわけありませんよ……あの、あのあのえーっと……鼻で呼吸してるんですよね?? にににに、人間が、自分の意思で気絶するまで息を止めるとか、ででででで、出来るはずないじゃないですか……そもそもーー」
「ーー例えばこれで琴子が死んでたら、契約は履行されるよね」
「ひっ」
目が合った。
「はい、4億ちょうだい」
ーー殺される。
そう直感した全身の細胞が悲鳴をあげていた。
全身が金縛りにでも遭ったかのようにピクリとも動かせない。
古郡が小さく可愛い感じの声を上げるだけで済んだのは、人格破壊級のパワハラ上司と日頃から接して多少耐性が出来ていたからだ。
もしこれを一般のいたいけな少女が正面から受け止めようモノなら、一撃でストックホルム症候群的に、激烈な恋心を生み出してしまってもなんらおかしくはないと思った。
「なんてね」
と、スメラギは整った顔立ちをくしゃりと笑顔の仮面に塗り替える。
すると、まるですべてが夢だったかのように、全身の金縛りが解けた。
「……へ?」
「琴子は気絶してるだけだよ。自分の意思で息を止めたとしても、気絶したら意思と関係なく勝手に呼吸は再開されるから」
言って、スメラギがやさしく古都宮をゆすると、閉じていためがゆっくりと開けられた。
「ふぇ……ぁ♡ ともくん……♡♡ ーーあっ、んむ!」
「言うこと聞けてえらいね琴子。でも、もう息は止めなくていいよ」
即座にまた息止めを再開した古都宮の頭をぽんぽんと撫でるスメラギ。
それを受けて、顔を真っ赤にしてコクコクうなずく古都宮。
古都宮は頭に触れるスメラギの手の感触にうっとりしながら、必死に言葉を紡ぐ。
「つ、つぎわ! なにをすれば、いいですか?」
脳に酸素が回っていないのか、明らかに知能指数が落ちた口ぶりだった。
冷静な思考を失い、すべてのリソースをスメラギの命令遂行にのみ費やしている。
「次は右手にフォークを持って」
「はい!持ちました♡」
「左手は机の上」
「はい♡ひだりて机のうえ!」
「そのまま右手をできるだけ高く持ち上げて」
「はい♡」
スメラギが言った瞬間、古都宮はガッ!と目一杯高くフォークを掲げた。
しなやかに全身の筋肉をピンと伸ばし、限界まで高く上げた右手の先には、逆手に握り混んだフォーク。
振り下ろす先に狙いをつけ、古都宮はまるでフリスビーを投げられるのを待つ犬のように、今か今かと指示を待って……。
…………。
「いいい、いやいや、なんのマネですかこれは……?」
「ーーーー」
「さっきから、ききっ急に息を止めさせさせさせたり……いいい今も、フォークで、そっそ、そのそのその……そのぉ…………」
「ーーフォークで左手を突き刺す?」
ガッ!
瞬間、今の言葉を命令と勘違いしてフォークを振り下ろした古都宮の右手を、スメラギがすんでのところで掴み、停止させた。
古都宮の右手はそれでもまだ振り下ろそうとしているのか、行き場を失った力がフルフルと手を震えさせている。
「ぁ……ぁ……あぁ……っ!」
「どっちだと思う?」
どっち? どっちってなんだ?
「このフォークが、はったりか、ホンモノか」
そんなの、考えるまでもない。
(でも……でも……)
自傷行為は、正直言って自分もしたことがある。経験者だ。
無能で無用である自分というゴミカスを、自分の手で痛めつける。
苦痛を与える。不幸にする。
そうすることで”生きる資格のない”存在が、罰を経て”生存を許される”ような。そんな感覚が気持ちよくて、それ以外で自分の生存権を得る方法がわからなくて、だから積極的に自傷する。
そんな経験が、実は自分にもある。
でも、これは別物だ。
生存権を得るための罰じゃない。自傷のように、自分のための行為じゃない。
拷問だ。
自分という”悪者”に地獄の苦痛を与え、その苦しむ様を見て楽しんでもらうための。
ーー拷問。
ふと、スメラギの手から力が抜かれる。
すると当然、彼の手によって押さえられている古都宮の右手とフォークは、じりじりと左手に近づいて……。
「ぇ、え? なんで力ゆるめて……」
「改めて聞くけど、どっちだと思う?」
「……さ、さっきから同じ事……! あ、あなた、ふざけないでください! 今は古都宮さまの大切な将来を考える保険のお話をする場です! そんなことをされても意味なんてーー」
「ぁが」
「ーーぇ……え?」
するりとスメラギの手が離れ、自然、自由になった古都宮の腕がズブリと落ちる。
ぐりぐりとえぐる。
抑えきれない絶叫が口の端からこぼれ、ぶちぶちと筋繊維を引きちぎる音が聞こえるような気がした。
「ーーがーーぎぃーーぁぐ」
古都宮の持ったフォークは、古都宮の左手の甲を突き破り、皮膚、肉、骨を挽きつぶしてコツンと机と衝突した。
「あ゛!」
想像を絶する激痛にボロボロと涙をこぼす古都宮は、痛覚神経にフォークで物理的に触れながら、そのまま無造作に引き抜いた。
古都宮はぶっ壊れた笑顔で、スメラギに笑いかける。
「ハァ……ハァ……ッ!! す、すぐにもう一度やるね! ぇへ……気持ち悪い彼女面してくる女は、痛めつけてあげるとスッキリするもんね……嫌いな女が苦しんでるのは気分がいいもんね……!」
ダクダクと広がった血だまりが机をあふれ、ぽとりと床に落ちる。
「この店は知り合いの親御さんの店だ。この時間帯はもう誰も来ないし、後始末も手配してある」
そんなことを気にしている余裕なんかあるわけがない。
古都宮が振り上げた右手が、ためらうように揺れている。
スメラギはその様子を見ると、そっと優しく古都宮の頭をなで、そのまま彼女の右手を導くようにーー左手に近づけていく。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! ーーご、ごめんねともくん、気を失ってました……っ! すぐにもう一度! すぐに、満足するまでやるから!」
「ううん。つぎの指示があるまで待ってて」
古都宮はコクコク!と小刻みに頷くと、ふーっ!ふーっ!と激しく深呼吸を繰り返して次なる”指示”に耳を傾けている。
(なんだこれ……)
血まみれのフォークを構えた右手から、極限状態で吹き出る手汗がしたたった。
(なんで……なにが……どうなって……どうして……どうして、こんな……)
目的が不明だ。
こんなことをしても意味が無い。
命令によって呼吸を禁じ、命令によって自らを拷問にかけさせ、それを古郡に見せる。
そんな意味の無い行為…………だが、古郡にとって訪れて欲しくない”最悪の未来”が、それによって容易に想像できてしまった。
「ーー琴子は俺のためなら何でもしてくれる」
感情の乗っていない平坦な声音。ここに来てから小揺るぎもしないスメラギの視線が古郡を見る。
「ひっ!」
「ここで改めて聞くけど……いや、先に一つ教えてほしいんだけど、今古郡さんの生命保険に入っている女の子は、合計で146人?」
「ぇ……なんでそれを……?」
「もういいや、それで十分。それじゃあ聞き方を変えるけどーー琴子の契約は解約しなくてもいいよね」
「ぁ……ぁ、ぁ、ぁぁ……!」
古都宮を殺してお前も殺す。会社ごと殺す。
その146という数字で何を察したのか、古郡に理解することは出来ない。出来ないが、古郡にとって大切な”お客様”が、なにかスメラギにとっても”意味のある存在”であることなのだけは理解が出来た。
そしてその最大多数の最大幸福を守るために、多少の犠牲を払うことに、いっぺんの迷いもないことも。
(逃げなきゃダメだ……! これ以上こんなところに居たら私もーー)
「琴子」
「はい♡」
再び振り下ろされるフォークが、絹のように白く艶やかな肌を、肉を引き裂き、おぞましい赤が飛び散る。
あふれ出る絶叫を無視し、無慈悲に、理不尽に。
フォークを抜き、また突き刺す。
裂けた肉の隙間から、脳から伝う反射的な電気信号で痙攣する筋繊維が見えた。
突き刺す。突き刺す。突き刺すつきさすつきさすさすさすさすさす
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!! おかしいおかしいおかしい!!! もうやめさせてください!!!!! こんなのダメです!!!!」
顔をそらして絶叫する。
なんてモノを見せてくれたんだ。一生網膜に焼き付くトラウマになったらどうするんだ。
いや、もうトラウマにはなっている。血を見るだけで、生肉を見るだけで。
スーパーの手羽先とか手羽元とか、もう二度と目を向けることも出来ないくらい。
それくらい壮絶で凄絶で残酷で残忍で残虐なーー
「ーー琴子? なんで手を止めてるの?」
「ごっ♡! ご……ごめんなさい、つづけます♡ ーーっ!」
たたきつきたフォークをぐりり!とひねり、筋繊維と血管をスパゲティのようにクルリとひねって真っ赤な液体がまき散らされる。
「あ゛!!」
なんで終わらない?
どうやったら終わる?
どうしてこんなことになったんだ?
(私が生命保険なんか売ったから……?)
たったそれだけのことで、人はここまで豹変してしまうモノなのだろうか。
この期に及んで悠長な物思いを始めた自分に驚愕する。
だがその疑念は、拷問を続ける古都宮の表情を見て、綺麗さっぱりと消えてしまった。
「いだいいだいいだいいだい……ぁは♡ ともくんみて♡ ともくんみてみて♡♡ 激重メンヘラヤンデレの鬱陶しい女が苦しんでるよ♡♡ じごーじとくだね♡♡♡ 勘違いしてともくんにすり寄った罰だよ♡♡♡ ……ねえともくん、こんな気持ち悪い女の子を殺したら、私のことすこしだけ気に入ってほしいな……なんて……ぁ……うん……そっ、そだよね! 手を止めて話すことじゃないよね! ごめんなさい!」
握力が無くなった右手からフォークを手放し、その手で左手を”内側”からひっかく。
致命的な痛みによる絶叫をこぼし、スメラギの顔を見て、反応がないのをみるとさらにひどく拷問し、反応をみて、微かに上がった口角に手応えを感じ、さらに奥へ奥へと指先を突っ込み痛覚の限りを己が身にたたき込む。
それが自分の意味だと言わんばかりに、いきいきと。
ああ。
この女の子は、ずっと昔から壊れていたんだ。
自分は失敗した。
もはや自分の死を覚悟し、最後に一つだけ、言い残した事があるのを思いだした。
「契約は破棄させてください、おねがいします……おねがいします……」
床に這いつくばり、古都宮の血の生暖かさを感じながら心の底から出る言葉を口にした。
音が遠い。
現実が遠い。
これが夢であればと思っていると、頭の上から「いいよ」と聞こえたような気がした。