おっとり彼女が生命保険に入ってからごっついメンヘラムーブをしてくる 作:雑巾とナマステ
ーー金融庁は某日、保険業法に基づき大手保険会社”フルコミットメント生命”に対し、業務停止命令を出した。
金融庁の発表によると、同社は直近三年にわたり、10~20代の健康的な学生や社会人に限って組織的な勧誘活動を行っており、過大な保険金を提示して保険料をだまし取ったと見られている。
なかには死亡保険で1億円の保険金を支払う契約や、最大で4億円規模の契約も存在したことが確認されており、契約が履行される可能性が低いと見込み、同社の資産規模では実際に支払う能力がないことを把握しながら契約を集めていた疑いがある。
同社は全面的に本件の内容を否認している。
***
ネット記事をスクロールし終えると、視界の三分の一を占める我が妹がかわいらしく首をかしげた。
時折、モジモジと足を動かして俺の両足をきゅうと締め付けてくる。日々の厳しい訓練で鍛え上げられた内転筋の力なので、多少痛かったりする。
さておき。
「助かったよ霞子、忙しいのに迷惑かけた」
兄として、妹の頑張りをねぎらうべく頭を撫でてやる。
プレゼントもお礼の品も、妹の方がお金を持ってるのでむしろ逆に気を遣わせかねない。なので俺に出来るのはこうしたメンタルケア的なモノのほうが無難なのだ。
「ど、どういたしましてお兄様……♡ ーーで、ですが! お兄様のためならこれくらい、どうということはございません!」
「でも大変だったでしょ?」
「その、作業自体は楽ですが……大変だったのはヒトの部分です。だって向こうの会社の方々、営業職のクセに全くお話にならないんですよ? どれだけ事実ベースで話しても感情ベースでしか返ってきませんし、イエスノーの二択も全部尋ね返しでごり押ししてこようとしてくるし……」
「大変だったね」
「はい♪ なので、ぶっ壊して言うことを聞くように調教しておきました」
「………………調教?」
はい♡と楽しそうに頷く霞子に、俺はひやりと冷や汗。
確か予定では、
まあ、すべては終わったことだ。
俺の元カノーーそのうち146人が今回古郡による”保険詐欺”にあい、無事に全員が保険を解約した。
掛け捨てで支払っていた保険料は保障があり、結果誰も命を落とすことなく、経済的な損をすることなく、今回の件は収束した。
その立役者こそ、今目の前で一生懸命俺に密着して気持ちよさそうに喉を鳴らしている妹、霞子だ。
元カノとのレンタル彼氏を終え、帰る前に実家に寄ったあの夜に、今日までのことはすべて打ち合わせてあった。
「ーー保険の営業が来なかったか、ですか? ……その……来ましたけど、どうしてお兄様がそのことを?」
実家の、霞子の自室。不安げに見つめる視線に、俺は思わずため息をつきそうになりーーすんでのところでストップをかけた。
俺の機嫌をそこねたと感じ取らせれば、話がそれどころじゃなくなるのだ。
面倒くさいが、それもまた表に出せば話がややこしくなるので俺は凪の心、しかし緊張しながら尋ねる。
「まさかとは思うけど、契約はしてないよね?」
「しーーーーしっ、ておりません! あまりに破格で魅力的な内容過ぎたので脳死で入ってすぐに履行させてお兄様に貢ぐプランを考えましたが、生涯収益で言えば間違いなく働き続けた方が貢げるのでお断りしました!」
「そっか、よかった……」
後半は聞き流したのでなんと言ったかは分からなかったが、契約してないのか。してないならそれでいい。
まあ確かに霞子の場合は、数億程度ならぽんと投資できるくらいの規模の会社を任されているし、愚問だったか。
「しかし確かに……私は大丈夫だとしても、ほかの女の子からすれば1億でも超破格ですからね……もし仮に提案を受けたとしたら、まず間違いなくその場で契約まで結んでしまうでしょうね」
「ああ。……ところで、霞子は俺の元カノ何人知ってるの?」
「交際したといえる範囲で言えば250人と把握してますが……それ以下の数時間だけとかワンナイトで振られちゃった子とか一方的に付き合ってた気になってた子まで含めると、ちょっと自信ないですね……」
「よし、オッケー」
とりあえず全員把握されているものとして進めちゃおう。
……うん、そろそろ夜道で刺されるかもしれない。
「……お兄様? ……あっ、ごめんなさい249人ですよね。……わっ、私、付き合ってたって一方的に勘違いしてただけなのに、数に入れてしまって申し訳ありません!」
「250でいいよ。霞子は俺の自慢の元カノだ」
「ぇ、ぁ、あぁ……お、お兄様……♡」
なんか、自慢の元カノって、日本語としておかしい気がする。
脱線した思考を元に戻す。
ーー250人の元カノたち。
それを経た今カノの
「しかしあの古郡という営業マン、なかなかやり手ですよ。どこから聞きつけたのか、私とお兄様への恋心ーーでっ、ではなく! 私がお兄様のことを大切に思っていることを聞きつけて、私の元までやってきたのですから! おそらく、同じくお兄様に特別な感情を抱いている方が私を紹介したのでしょう」
「俺もそう思う」
実際、あのあとも元カノとのレンタル彼氏業務をこなしたが、その誰も彼も聞けば古郡の生命保険に入っていたのだ。
しかも俺からの制止と案内がなければ、俺の誕生日に一斉に”契約を履行”すべく”行動”を起こす予定だったというのだから流石に戦慄を禁じえなかった。
「ともかくこの際、紹介の連鎖を生んだきっかけが誰かは追求しないがーー流れを断ち切る必要はある」
「はい♪ 私にもお手伝いさせてください。保険会社を買収すればいいですか?」
「いや、無駄金は使わない。あの保険金は支払う気が無いからあれだけ強気な金額を出してるだけだし、そこを突き詰めればすぐにボロは出る。霞子にはその調査をお願いしたい」
出来る?と投げかけると、ぴしっ!と敬礼して「ヤらせてください!」と応じられた。
今の俺が古郡や、その周辺の保険会社とやりとりしていることが琴子にバレれば、おかしな方向に話が転びかねない。
調査も告発もこちらで巻き取ることは可能だが、今の正解は”なにもしないこと”だ。
せっかく回復傾向にある琴子を、追い詰めうることは極力したくない。
「ありがとう、霞子」
「お゛っ♡ おまかせください!」
力強く頷いた霞子を慈愛をもって抱きしめると、獣のように激し目な声が上がったが、妹のはしたない声は聞かなかったことにしてやるのが兄の度量だ。
ーーそんなわけで、霞子には保険会社の告発に多大な貢献をしてくれたのだ。
「おにいさま♡にいさま♡にいに♡にいに♡ わたしがんばった♡♡♡」
「うん、えらいえらい」
頭をなでてねぎらいの言葉をかけてやる。
しばらくそうしていると、やがて約束の時間ーー霞子の訓練の時間がやってきたので、絶望の表情で泣き叫ぶ霞子を引き剥がし、メイドに引き渡す。
「お゛に゛さ゛ま゛っっ!!!! い゛や゛た゛い゛や゛た゛い゛や゛た゛あ゛! く゛ん゛れ゛ん゛む゛り゛て゛す゛!!!!」
いたわしいので霞子を見て見ぬふりしてあげて、俺はメイドに声をかける。
「ごめんね。霞子は頑張ってるから、そばに居てやって」
「ひ、ひゃいっ!」
ばっ!と体育会系特有のすばやい礼するメイドさん。
やっぱり見覚えがある気がするが、まあいつかどこかで思い出すだろう。
…………。
…………そうこうしてるうちに大人しくなると思ったが……霞子、これじゃ訓練にならなそうだ。
泣き叫ぶ姿勢が”全力土下座懇願”からさらに”過呼吸喘ぎ泣き”が追加されてしまったのを見て、俺は仕方なく頭を撫でてやる。
「霞子も、がんばるんだよ」
「ぁ、ぁ……あ♡ はいぃ……♡ がんばりますぅ……♡」
頭をちょっと触っただけでこれとか、ちょろいな。
なんて露悪的に言ってみたが、霞子からしてみれば”これ”が生きがいでライフラインなのだから、そう言ってやらないのがやさしさだ。
メイドに引き連れられている途中、正気に戻った霞子の「ぇちょ、待っーー!」という言葉が鉄扉の向こうに消えるのを見届ける。
霞子、一ヶ月後まで無事で居てくれよ……。
「よし、行くか」
胸の中で祈りを捧げ、俺は踵を返して次なる目的地へ足を向ける。
次なる目的地ーーが待つ、病室に。