おっとり彼女が生命保険に入ってからごっついメンヘラムーブをしてくる 作:雑巾とナマステ
琴子に会うのは二日ぶりだ。
あの壮絶な自傷の後、琴子は即座に県内の総合病院へ搬送され手術、そのまま入院。現在は経過観察とリハビリのため、入院生活が続いている。
二日もお見舞いに行けていないのには理由がある。
面会謝絶というわけじゃないが、俺がおとずれると琴子の心拍が過度な興奮によって200を超えるため、傷口が塞がるまでは面会を止められていたのだ。
……初めてお見舞いに行った際、俺が部屋に入った瞬間に異常なほど跳ね上がった心拍数で院内にアラートが響き渡った時のコトは今でも良く覚えている。
好きな人が来ただけです、と説明する琴子にお医者さんは怪訝な表情で、
『あー、うん……そっか……そっか……大学生だからなあ』
などと、無理矢理自分を納得させていた。
「ーーさてと」
そうこうしているうちに、琴子の病室の前へと到着した。
さすがは有名企業のお嬢様なだけあり、ちょっとVIPな感じの病室で、扉にも不思議な威圧感がある。
俺は深呼吸して、ノックに返事の受け恐る恐る病室の扉を開けた……。
***
開け放たれた窓から柔らかい日差しと温かい日差しが差し込んでいる。
ピッピッと規則的に鳴る心音計。ささやかな入院者への見舞いの花束。
その中心で、琴子はくたくたになった抱き枕を抱えながらじっと来訪者である俺のことを見つめていた。
「ぇ……ぇ、とも、くん……? ぇ、ぁ、ぇ?」
ーーピッ、ピッ、ピッ……ピッピッピッピッ、ピピピピピピピピピピピピピピ!!!!
【心拍 121】
【心拍 147】
【心拍 189】・・・
「あ、あの……琴子」
「ぁ、あっ! ななな、ナースさん~? この心拍数は~、好きな人が来てるだけなので、気にしないでいいですからね~?????」
咄嗟にナースセンター直通の受話器を持ち上げ端的にそう説明すると、琴子はそっと受話器を元に戻した。
はっきりとは分からなかったが、ナースさんは困惑した感じだったものの、すぐさま事情を理解して元気よく『承知しました!』と言ったように聞こえた。
ちなみに心拍はすでに200を超え、ようやくそのあたりで安定したようだった。
「ぁ、あはっ、ぁはは……ぇへ……ごめ、ごめんなさい……う、うるさくて……」
琴子はとんでもないBPMを奏でる心電図にブランケットをかぶせると、そっと抱き枕を布団のなかに隠してにぱっと笑う。
……ところでその抱き枕に俺の顔写真が貼ってあったのは、見て見ぬフリをしておく。
さて。
「元気か」
「げーー元気だよ~。後遺症もなさそうだし~、あとちょっとで退院出来るって~」
「そっか」
話し方は、以前のおっとりした琴子に戻っている……ように見える。
これだけで判断するのは短絡的だが、前回、すなわち二日前はこうして目を合わせて会話を1ラリーこなすだけでも精一杯だったのだから、いまはソレと比べて安定しているのは間違いない。
ともかく精神が安定しているなら、早めにこちらから切り出した方が良いか……。
「琴子、その……あの日のことなんだけど」
「う、うん……わ、私も~、そのことでお話があるの~」
ふと思い出すたびに、自分のしたことの深刻さに身が震える思いがする。
145人を守るために、146人目を蔑ろにする俺の判断は、やはり間違っていたとは思えない。
何度やり直しても俺はきっと、古郡の前で琴子に狂気的な自傷を指示し、実行させ、古郡を屈服させるやり方を取った。
古郡はあれでも、かなりやっかいな相手だったのだ。
だからこその強行手段だったが……それをさせてしまったということは、こちらにもそれなりの”責任の取り方”が求められるものだろう。
と、
「あの、ぁの、ともくん……?」
恐る恐るといった感じに声を上げる琴子。
「なに」
「あっ……ぇ、ぇ、ぇぇと……ぇ、ぇぇと…………っ」
ゆっくりでいいよ、と声をかけると、琴子はかえって焦ってしまったのか、パクパク口を動かして必死になにか言おうとしている。
ほんの少し、嫌な予感がした。
保険も解約し、怪我も回復に向かい、あとはお互いのわだかまりを解消するだけ。
ーーなんて、そんな簡単な手順でうまくいくなら、初めから”こんなこと”にはなっていない。
「…………」
琴子が傷を負った左手は包帯とギプスによってがっちりと固定され、外界の刺激から潔癖なまでに完璧に防御されている。
さらに流石現代の医療というべきか、その防御の上からはセラミック製のカバーがとりつけられており、患者本人はけして患部に触れられないような仕組みになっている。
実際琴子も患部へ触れることを試みた形跡が激しく見て取れるが、最終防壁のギプスも軽く表面をひっかく程度に収まっていた。
そしてーーそのカバーは左手だけに限らない。
首、右手、両足、胴体。
ありとあらゆる部分に触れられないよう、琴子の全身には”自傷防止用”のカバーが取り付けられ、右手にも可動域を制限するアームカバーが取り付けられていた。
それらは、自分から自分を守るための鎧だ。
それに加え、舌を噛みちぎらないよう、点滴で顎の筋力と全身の筋力を低下させる麻酔も注入する徹底ぶりだ。
やりすぎ、とは思わない。
実際、琴子の右足はすでに自傷によって重傷を負っている。
入院が長引いているのも、そのせいだ。
琴子はようやく言いたい言葉が見つかったのか、動かせる範囲の身体すべてを使って頭を下げて。
「ぃ……しっーー死んでなくてごめんなさい」
いつの間にか聞こえなくなっていた心電図。
耳を澄ませばぼんやりと聞こえるが、しかしテンポはかぎりなく遅い。70か、それとも60か。
過緊張による、極度の心拍低下。
問題は、まだ目の前に残ったままだった。
「ぇ、ぇへへ……」
琴子はニコリと作り笑顔を浮かべる。
「わ、私は重い女の子じゃないから、絶対にともくんを束縛したりしないの……で、でも、彼女にして貰ってから好きっていう感情がどんどんどんどん、お、ぉっきくなっちゃって……ぇへ♡ ……そ、それで、あんな命令したんだよね? わ、わたしはともくんのこと、よーーーーくわかってるから! な、なにすればいいか、ちゃんとわかってるから……わかってるから……っ、わかってるので……っ」
琴子は頭をさげたまま、あえぐように息をしながら、言葉をつむぐ。
「ーーゎ……わかれようって、言わないでください……っ」
琴子の思考は容易に想像がつく。
本当は俺が琴子のことを嫌いで、それであのようなことを命令した、と。
付き合って毎日好き好き言ってあげていたのになぜそんな思考になったのかと言えば、それは俺がどこかで適当に言った「重い女の子は苦手」みたいな一般論を真に受けて、琴子自身がその「重い女の子」になりかけてしまったコトがきっかけなのだろう。
……なお、琴子にとっての「重い女の子」の基準は、”束縛する”か”しない”かなので、それ以外の要素は考慮されない。
なんにせよ、琴子は俺のことを束縛したい感情が芽生えてしまった。
そしてそれを見透かされた、と。
「……琴子」
「ぃ、生き残っちゃってごめんなさい……お見舞いに来る時間を取らせてしまってごめんなさい……ぁ、ぁわかって、ます……! 今日来てくれたのは彼氏っていう役柄で来てくれただけなの! わ、分かってるから、絶対勘違いしないから! だ、だから……ともくんの口から、ぃ、いうのはゆるしてしてください……」
「…………」
「ちゃーーちゃんと! 退院したら別の生命保険に入ってすぐに死ぬので! ともくんのことを邪魔するバカ女、わたしがこの手で絶対にけすので! ぁ、ぁ、あっ……も、もちろんなるべく苦しんで死にます! わ、っわたしが一番つらいのは、ともくんに『きらい』ってゆわれることなので、ともくんの声で『きらい』ってゆわれ続ける音声を無限再生して脳みそ壊して死にます! そ、想像しただけで発狂しそうになっちゃうけど、が、がが、がぎぃ……が、がんばり、ます……」
「…………」
「ぁ、そ、そそそ、それとも! いまここで、耳元で『しね』ってゆっていただけたら、ぉ、ぉもしろいしにかたすると思います! ぁ、そうだ、そ、それがぃ、ぃ、ぃぃとおもいます!」
きっと。
この世に今の琴子の精神状況を言い表す言葉なんてないのかもしれない。
それほどまでに壮絶で、凄惨な笑顔で提案してくる琴子に、俺の胸はちくりと痛んだ。
琴子の身体も、頭も完全に拒否しているのに。
それでも媚びるような笑顔で、琴子はこちらに耳を差し出している。
…………。
ーーもう、楽にしてやっても良いのかもしれない。
そう思うと、ふっと胸にかかる重圧がふっと軽くなったような気がした。
「ぁ……ぁ、あっ……ぅそ、ぅそうそうそ……ぇ、ぇ……と、ともくん……?」
ここで琴子の言うとおりにすれば、今後もう二度と、琴子は俺への感情で壊れることはなくなる。
嫌がるように身体をのけぞらせる琴子の肩を抱き寄せ、無理矢理耳元に口をよせる。
意思とは別にガクガク!と震える琴子の肩を押さえつけ、理性でなく本能で逃げようとする身体を押さえ込む。
「琴子」
「やーー……ぁ、や、だ……ぁ、やっ、だぁ…………っ!!! やだ!!!!! やだ!!! やだやめてともくん!!!! 嘘なの! きらいってゆわれたら狂う! 嘘です!!! やめて! おねがいやめてともくん! やめてください……っっ!!」
「ーー琴子」
「ーーぁ、ぁ」
もはや血が通っていない琴子の耳を前に、俺は言うべき言葉を反芻する。
脳内には琴子と出会ってからの二十年間の思い出が駆け巡った。
……思えば、琴子はずっと俺のことが好きだったのだろう。
おでかけや幼稚園でいつも俺の横を陣取っていたのも、おいかけっこで俺に逃げられると号泣していたのも、別の学校に通っていたのにいつも帰り道にいつも待ち伏せしていたのも、チャットの既読がすべて一瞬でつくのも、名前で呼ぶと顔を真っ赤にするのも。
きっと全部が俺への恋愛感情によるモノで……そして肥大しすぎてしまったそれは同時に、琴子を苦しめていた。
……ならばもう、楽にしてやろう。
身体の機能を停止させ、ぼろぼろと涙を流すだけの人形のようになってしまった琴子の耳に、俺は言葉を投げかける。
「琴子、退院したら結婚しよう」
琴子の苦しみを終わらせる。
俺がすべて受け止めて、包み込んで、飲み込んで。全部抱えて先に行く。
二人で一緒に。
壊れてしまった事実は変わらないけど、俺はけして諦めない。俺が壊してしまったのなら、治すのもまた俺の仕事だ。
だから、
「愛してるよ琴子」
胸の中でコクコクと頷く琴子を抱きしめた。俺は琴子の異常なバイタルを心配してやってきたナースがくるまでずっとそうしていた。
一生懸命身体をこすりつけてくる琴子の頬には、きちんと桃のような血色が宿っている。
「琴子、大丈夫?」
「ぅ、ぅん……♡♡♡」
そっか、と頭を撫でてやると、また気持ちよさそうに喉を鳴らした。
正直ちょっと暑苦しいし、計測器具が鳴らす早すぎる脈拍に恐怖を感じないでもないが、それでも俺は琴子を抱きしめる腕を緩めようとは思わない。
なぜって?
そんなの決まってる。
そうしてやるのが、琴子の”パートナー”として”あるべき姿だから”だ。
皇有朋:大学二年生。数年後、家格の高い元カノを複数人衆議院に送り込み、彼女たちを利用し自身も当選。無所属ながら豊富な知識と、複数企業を上場させた実業家としての手腕を根拠に人気を集める。【選択的一夫多妻制】をマニュフェストに掲げ、なんとわずか二年で可決までこぎつける。すると忽然と政治界から消え去り、有力な政治家の失踪にお茶の間に多大な混乱を招く。
政界を引退したのち、元カノ全員に改めて意思確認したのち、一人残らず婚姻届けを出し、幸せな家庭を築く。
全国苗字ランキングで、ひそかに『皇』が大幅な順位上昇を見せたことは、知る人しか知らない。