おっとり彼女が生命保険に入ってからごっついメンヘラムーブをしてくる 作:雑巾とナマステ
二週間前。
「ねえねえともくん~、最近なんだか冷たくなあい~?」
俺の住んでいる1Kの狭苦しいアパート。いつも通り琴子に膝枕してもらいながらスマホを触っていると、琴子はさりげなさを装って俺の頭をなでてきた。
ああ、最高の気分だ……。
女性特有の甘い香りが鼻先をくすぐり、後頭部にはぷにぷにの太ももの感触。
俺が思わず返事を忘れて快楽に身を委ねていると、琴子は「え」と小さく声を漏らす。
「……ともくんこれ、この部屋のシャンプーの匂いじゃな、い……?」
…………。
ん? なんか俺を見下ろす目線がすごく悲しい感じだぞ?
なんか言ってたのは聞こえたが、なんと言ったかまでは聞き取れなかった。もしかして、悲しませるような態度を取ってしまったのだろうか。
「琴子」
「ひぁ! ううん大丈夫! なんでもないよ~、うんうん……どこで誰とシャワーを浴びていたって、ともくんの自由だもんね」
「そっか、なんでもないか」
なんでもないなら、いいんだ。
でも悲しい顔をさせてしまったのは彼氏として申し訳ない。ちょうど今見ていた「女の子と喧嘩になって仕舞ったときの対処法」というショート動画でも「女性は感情的な生き物だから、感情に寄り添ってあげて!」といっていたので、悲しい気分になってしまった琴子には、寄り添ってあげるのが”彼氏の役目”だろう。
「琴子、大丈夫?」
「う、うんっーー、大丈夫だよ~。私はともくんのぜーんぶが大好きだから、ぜーんぶ受け止めるよ~。私はぜーったい、ともくんの邪魔をしないし~、だから、邪魔だな~って思ったら、すぐに言って欲しいなあ。すぐに、悪いところぜーんぶ、直すからね~」
「邪魔なんて思ったことないから、安心して大丈夫だよ」
琴子は今日も、俺の自慢の彼女だ。
とは、恥ずかしくて言えないけど。
そういえば、俺っていつも恥ずかしくて琴子に本心を言えてないんだよな。
告白も琴子の方からしてもらっちゃったし、そのときはまだ「高嶺の花」だって思ってたから、心も追いついてない状況でOKしちゃったし。
俺自身も、それまで琴子に自分の本心をぶつけてこなかったから、今更口にすると逆効果かな、とか思って”あえて本心を言わないようにしていたし”。
いつも「超絶天使級にド可愛い!」と思っても「可愛いね」としか言わなかったり、「死ぬほどぞっこんマジラビュー!」と思っても「好きだよ」くらいしか言わなかったり。
いや、それは流石に言わない方が良いか。
「ね……ねっ、ともくん」
スマホに向けていた視線をちらっと向けると、琴子は一瞬にしてぼっ!と顔を真っ赤にして。
「ずっ、ぎぃ……♡」
ん?
いま、なんて言ったんだろう? よく聞こえなかったな。
あ、ちょうど今資産形成の動画を見てて思い出したけど。
「琴子、最近俺金欠でさ、バイト増やそうと思ってるからこうやって会える時間減るかも」
ああ、心苦しくて仕方ないな……。
せっかく毎日琴子が家に来ていろいろと世話をしてくれているのに。
お金ごときで会う時間が減ってしまうなんて、現代日本が対応すべきは少子化対策に向けた、こんな若者への金銭援助に違いないだろう。
……あれ?
「琴子」
「は、はいっ!」
珍しく俺の言葉をスルーした琴子の名前を呼ぶと、やっと返事があった。
よかった、聞こえてないわけじゃなかったか。聞こえてなかったら、気まずすぎる内容をもう一回言わなきゃならないところだった。
「あの、ともくん、今月の彼女代、少し多く入れたんだけど……足りなかった?」
「そうだったんだ。ごめん、その封筒落としちゃって……」
ああ、気まずい……。
落としたってのは、流石に嘘だ。
彼女代というのは、琴子と付き合う前に貰っていた「友達代」に続く、「彼女にしてくれているお礼のお金」ということらしいけど、友達代も含めて受け取ってから一度も手をつけたことはない。全部、俺の貯金箱の中に入っている。
何度か受け取りを拒否したが、そのたびに「来月はもっとお金持ってくるからね~」と言って、まるで友達でいる権利を失ったかのように振る舞い始めたので、それ以降形だけ受け取っているお金のことだ。
受け取ってあげることで「琴子が俺との関係を安心して続けられるなら」と思っている。
しかしこれは、ちょっと失敗したぞ……。
実際金欠で、バイトを増やそうと思ってるけど、確かに琴子からしたら「なんで彼女代を渡してるのに」ってなるよなあ……考えが甘かった
「……落とし、た……? …………わ、わたしの一ヶ月のバイト代と、残りの全財産を入れていてて……」
うわごとのように、何事かつぶやく琴子。何を言ってるのかは聞こえなかったけど、衝撃を受けているようだった。
しまった、どうやって挽回しよう……。でもとにかく今は謝るしかないよな……。
「その……、ごめん」
「ぁーーあ、ごめんなさい。だっ、だよね! じゃ、じゃあ、私、今月は彼女みたいなことしちゃダメだよね……ごめんなさい、彼女ぶって家来たり、膝枕までしちゃって……」
「琴子、俺が悪いんだ……」
「ともくんは悪くないよ! ……ぁ、悪くない、ですよ……。私が勘違いして舞い上がって、彼女ぶった動きしてたから、言い出しづらくしてしまって、ごめんなさい……」
ああ、しまった。またこれだ。
彼女代を受け取ってあげないと、こうやってすぐに距離を置くようなことをする子なのだ、琴子は。
これを解消するには、琴子自身が納得いくまで俺にお金を渡さないと直ることはない。
ところで、琴子の実家は時価総額一兆円を超える総合商社なのだが、琴子は父親から貰ったお小遣いを俺に渡すことをよしとしない。必ず、自分で稼いだお金だけを渡す、というこだわりがあったりする。
ともかく今の俺に出来ることは、琴子が満足いく額を稼ぐまで、じっと待ち続けることだけだ。
……ああ、しかし今日は特に失敗した。
いつもは「もう使い切っちゃった」と返していたが、そうすると翌月は倍の額を渡してくるというループに入った結果、いつの間にか新卒の給料と変わらないレベルのお金を受け取ることになったのでそれを断ち切ろうとしたのだが……。
それがむしろ、琴子を傷つけることになってしまった。
「古都宮さん」
改めて謝罪をしようとかしこまって名前を呼ぶと(膝枕は継続中)、琴子は死にそうな表情で俺を見た。
「……ぁ、名字呼び、さん付け……ぁ、あぁ……ぐる、じぃ……」
虫の鳴くような声は判然とせず聞き取れなかった。
「……おがね、おがねがあれば……まだ呼んで、もらえるぅ……」
胸が苦しいのか、ぎゅうっと両腕を震わせながら自分の身体を買い抱いている琴子。
そんな苦しそうな琴子に声をかけるのがはばかられて、俺は口を閉じた。
今謝ったら、むしろ琴子を困らせてしまいそうだ。我ながら、間違ってない判断だと思う。 などと、久々に我ながら悪くない判断に内心頷いていると、琴子は「あっ♡」となにか妙案を思いついたようにニィ、と口角をつり上げた。
「ともくん、私ね~、最近すっごい簡単にお金を手に入れる方法教えて貰ったんだあ♡」
バイオレンスな雰囲気が漂う不気味な感じの笑顔でも、琴子はやっぱり世界一かわいかった。
しかし、簡単にお金を手に入れる方法とな。
なんか、犯罪の香りがするけど大丈夫なんだろうか。
「犯罪じゃない、合法でクリーンなお金だって、営業マンの人が言ってたんだよ~」
ん、営業マン?
琴子の口から初めて聞いた言葉だ。
ーーきっとそのとき、その瞬間の違和感を信じていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
筋金入りの箱入りお嬢様の琴子が、一介の営業マン風情と席と一緒にする瞬間があったことが、その当時はとにかく衝撃で。
俺はその営業マンが、まさか琴子をここまで壊してしまうとは、このとき思っていなかった。
ーーそして、時間は現在に戻る。
琴子は胸の中で泣きながら、自分がこの世を去ることで俺に金を貢げることを喜んでいる。
……異常な状況だった。
こんな状況を生み出した人物ーー精神が安定しない琴子に、”生命保険”などという悪魔のような提案をした怪物。
俺は、胸の中で震えて喜ぶ琴子に、抱擁でもって全力の愛を伝えながら。
「生命保険は解約しよう。そのために、この前言っていた営業マンを教えて」
耳元でささやくように告げると、琴子は俺の背中に回していた手をぱっと離した。
ああ、そうか。琴子にとってそれは、「彼女代を受け取らない」という宣言に聞こえてしまったのかもしれない。
なんてーーなんて、かわいそうな生き物なんだろう。
そんな存在に自分がしてしまったかもしれない罪悪感をひしひしと覚える。
俺は琴子の恋心を利用するのを申し訳ないと思いつつ。
「琴子、頼むよ」
名前を呼んで、そうお願いした。