おっとり彼女が生命保険に入ってからごっついメンヘラムーブをしてくる   作:雑巾とナマステ

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壊れてしまった彼女と生命保険

 

「あっ、あの~、ともくん、本当に保険解約をするの~?」

 翌日。

 琴子をそそのかした保険営業との待ち合わせは、駅近くにある喫茶店。俺と琴子は、四人がけのボックス席の片側に並んで座っている。

「保険を解約しなかったら、ともくんお金持ちになれるんだよ~? それに、こうやって彼女面してつきまとっちゃう女の子が一人居なくなって、すっごく、す~っごくお得だと思うんだけど……」

 昨日、あのあと琴子が正気に戻るように試行錯誤したのだが、サプライズ宣言ーー「保険金を貢ぐ」などという宣言してから、琴子は完全におかしくなってしまった。

 手をつないでいたり頭を撫でていたり、とにかく身体が触れあっている瞬間はそちらに集中してしまって気が紛れるようだが、少しでも目を離すとパニックになってしまっていた。

 今朝も、琴子に聞かせる内容じゃない電話を受けて離れたあとで部屋に戻ると、過呼吸による呼吸困難にでも陥ったのか、窒息で気絶していた。

 それも、単なる精神の乱れだけでなく、自主的に口を押さえて息を止めた形跡すら見て取れて……。

 幼なじみなので知っているが、琴子はもとから精神が不安定な部分はあった。

 だが近頃はーー今思えば、あの「安全なお金の稼ぎ方」とやらが保険のことだったのだろう。その話を嬉々としてし始めた頃から、琴子は着実に狂い続けていた。

 ああ琴子、かわいそうな琴子……。

 ふと見れば苦しそうにしていたので、抱きしめて頭を撫でてやる。

「ーーぁ? ぁ、あっ♡ あ、ぁ……ぁぁ!!♡♡」

「大丈夫?」

「だ、ダメ、だめぇ……あだま勘違いじぢゃうからぁ……あっ♡ ごめんなさい嘘です我慢できませんもっと……もっどぉ……っ!」

 胸の中でくぐもった声は何を言ったか判然としない。一瞬頭から手を離すとビグンっ!と身体を硬直させたので、撫でるのを再開すると安心したように脱力していた。

 とりあえず、営業が来るまではこうしておいた方が良さそうだ……。

「琴子」

「呼び捨てうれじ、うれじぃ……っ」

 胸の中でビクッ!とけいれんするように震える琴子。何を言っているのかは聞こえないけど、喜んでくれている……のだろうか。

 撫でる場所を頭から背中に移すと、けいれんも徐々に治まっていった。

 ふと、琴子が意を決したように胸から顔を上げる。それは久方ぶりに見た様な気がする、いつも通りの、穏やかな表情だった。

 そして幸せそうな笑みを浮かべながら。

「ともくん、やっぱり保険の解約なんてやめよ? じゃなきゃこんな、あたまなでられないと生きていけない女の子もいなくなって一石二鳥ーーあっ♡♡ 頭ぽんぽんされるのずぎっ!♡」

 ああ、あまりにも労しい……。見ていられなくなったので、俺は思わず話の途中で琴子を胸に抱いて丹念に頭を撫でてやる。

 情けない、自分が自分でいやになる……。

「ナデナデすきぃ♡ ともくんだいすき~♡ あっ……、ごめんなさい彼女代も払ってないのに好きとか言っちゃってーーぁ? あっ♡ ナデナデで黙らされちゃう♡ メンヘラヤンデレ激重バカ女、ともくんのおてて一つで恋心もてあそばれて言論統制されちゃう♡あっ、強くされるのずぎ♡」

 胸の中でうなるような声を上げている琴子の言葉は何一つ聞こえないが、ただそれで生きていることが分かるので、俺はほっとした。

 俺は、琴子の彼氏だ。

 琴子の彼氏で、幼なじみで。琴子のことはよく知っている。

 だからこそ、こんなことでしか琴子の精神を希死念慮から救ってやることが出来ないのが情けなかった。

 ほんの少し前までは、琴子はこんなーーみたいな女の子じゃなかったはずなんだ。

 もっと賢くて、おしとやかで、大人びていた。

 でも……少しずつおかしくなっていって、気付けば俺の一言一句、一挙手一投足に病的なまでの過剰な反応を見せるようになっていた。

 そのきっかけは、一体何だ?

 

 ーーそんなの、決まっている。

 

 腕の中で怯えるように震えている琴子を無言で見下ろしていると。

 カランカランという音とともに、まるで葬儀にでも出るような白黒のスーツに身を包んだ人物が喫茶店に入ってきた。

 

 ***

 

「はじみゃ゛ーーはじはじはじはじ……はじ、めまして……その、ことこと古都宮さまの、彼氏さんで、お間違いなかったでしょうか……?」

 常時、おどおどぺこぺこ人に頭を下げているような。

 そんな印象を抱かせるほど極度の猫背で入ってきたスーツの女性は、俺たちの脇で立ち止まると、へへっとゆがんだ笑顔を浮かべながら机越しに両手で名刺を渡してきた。

 それに応じて俺も一応立ち上がる。

 流石が不便だったので琴子を引き剥がすと「み゛!」と声にならない叫びを上げていたが、いまは仕方がない。

 しかし……なかなか見ないような長身の女だ。以前計った俺の身長は195cmだが、それに匹敵しようかというレベル。姿勢が悪いのではっきりしないが、この感じだと肩幅も広い。バレーやバスケのプロ選手といわれても納得するくらいの、まさにフィジカルギフテッドといえる。

 俺はそんなスーツの女性に、すなわち琴子に生命保険を提案した女の営業を睨み付け、とはいえ体裁は両手で名刺を受け取る。

「ご丁寧にどうも」

「へへっ、どどどどうぞ、おかけになって……」

 座った瞬間に琴子が俺に抱きつきたさそうにしていたので引き寄せてやると、まるで夏頃木々にへばりつく蝉みたいにひしっ!と腕にくっついてきた。

 流石に他人が目の前にいるので先ほどまでのベタベタした感じではないが、それでもバカップルには見えているだろう。

 これで琴子が安心できるなら安いものだけど、しかし暑いな……。

 いや、そんなこと気にしてる場合じゃない。

「えーと、えとえとえーとそのそのその……まずまずまずは、自己紹介なんですが……」

 視線を右往左往させる営業担当。

 ていうか今更だけど、なんだこいつは?

 こんなおどおどした、営業センスの欠片もなさそうなこの女に、俺の琴子はそそのかされて、そのうえ自身の死で得る保険金で俺をプチ上場させるプランを提案したというのだろうか。

 人間の”不安”という弱みにつけ込んで、相手を守るフリをして搾取する生業。

 ーーというとあまりに露悪的だが、今の俺にとって、この目の前の挙動不審なおどおどした保険屋は、そんな存在といっても過言じゃない。

 冗談じゃない。そんなバカみたいなビジネスに琴子を巻き込ませるわけにはいかない。

 と、

「わっ、わた、わ、私は、ふるふるふる、ふるごりっ……、古郡です……」

「プルゴリ?」

「古郡! 古郡ですう!」

 なんだ、古郡か。いや、さっきもらった名刺に書いてあったから知ってたけど。

 ……しかし、ここから先もこの噛み方で進行していくんだろうか。

 もはや日常会話すらうっとうしさを感じさせそうな噛み方だ。

 こちらも名乗ると、古郡は「ではでは自己紹介もすんだので……」と、さりげなく琴子がオーダーしてくれたコーヒーに口をつけ、ほっと息をついた。

 琴子はコーヒーに大量の角砂糖を投入して、一生懸命混ぜ混ぜしている。

 可愛い……。

「えと……その……、ごめんなさい、もう落ち着いたので、普通にしゃべりますね……」

「はあ」

 なんだ、ここまで話し方がおかしかったことは自覚してたのか。

 でも営業マンとはおもえない陰気すぎる話し方は変わらないらしい。

 古郡はもう一度コーヒーに口をつけると、「はああああ……」とこの世のすべてを憂うような深いため息をついた。

「あ、ごめんなさい急にため息ついてしまって……でも、お話しされることは、なんとなく察しがついておりますので……はあ」

「なら話は早いです、琴子の保険をかいやーー」

「ーーととととともくん! 待ってよ~、一度お話だけ一緒に~……ぷるごり?さんの説明を聞いて欲しいの……それでも納得いかないなら、いかないなら……」

「琴子……」

「あの、プルゴリじゃなくてぇ……古郡ぃ……」

 琴子、なんて切実な表情なんだ……。

 きっと琴子からすれば、この契約を解約することで、俺に金を貢ぐよすががなくなってしまうことを恐れているのだろう。俺は別に、お金にこまってなんていないのに……。

 けど解約しないことには、琴子に命を絶つ選択肢が残り続けてしまう。

 それに解約するのも、琴子が納得して、俺の思いをきちんと受け止められるようにならなければ意味がない。

 本当であれば向こうになんの手札も見せさせずに解約の手続きに行きたかったが、こればかりは仕方がない。

「ひとまず、今契約しているプランについて教えてくれませんか?」

「ぇ、あ、わか、わかりましたっ、ありがとうございますぅ!」

 古郡はぱぁ!と表情を明るくさせると、足下においていた鞄に頭を突っ込むようにして中を漁り始めた。

「……よ、よかったぁ……! これまで彼氏さんとか旦那さんとかが出てきたらいっつも即解約のお話だったから、話聞いてもらえるだけでもありがたいなぁ……」

 

「ーー古郡さん、この手の話、これが初めてってじゃないんですね」

 

「えっ!」

 ばっ!と、鞄に突っ込んでいた顔を上げて慌てた様に手を振る古郡。

 なんだ? 別に、聞こえていた独り言に口をつっこんだだけなのに。

「……い、いまの聞こえて……」

「ええ。彼氏や旦那が出てきたら、即解約が多いとか」

 やべえことを聞かれた、と古郡の顔が語っていた。

「えっ? えっ? ともくんともくん、今なんのお話~?」

「琴子」

「あっ♡ な、なぁに~? 古郡さんの説明が遅いなら、私の口から説明するよ~?」

「そ、そそっ、それには及びません古都宮さま……! こっこの、女性向け生命保険の担当営業、ふる、ふるごり……古郡! が説明いたします……っ! この、”貢ぎマゾ専用”……じゃなくて私のオリジナル生命保険プランーー」

 うん?

 今、なんか変な単語が出てこなかったろうか。

 貢ぎマゾ? なんだその頭の悪そうな単語は。

 などと思っていると、古郡は鞄から取り出したA4サイズの冊子をすっと机に置いた。

 まるで高校の授業で初めて作ったような稚拙なデザイン、それを右下という革新的な位置でホッチキスしたお手製の資料だった。

 そしてなにより目を引くのが、その表紙。

 俺はそこに踊る、プランの内容を至極簡単に表した毒キノコ色の文字を見た。

 

 ーー生命保険で愛する人にお金のプレゼントプラン!!!

 

 ………………。

「えーっと、簡単にこのプランの説明をさせていただくと、まずこのプランは傷害保険や入院保険といった、従来の生命保険に存在する”ノイズ”を完全に省くことによって、圧倒的に手厚い”死亡保険”を実現したプランでしてね」

「ーーーー」

「具体的には、この二ページ目……あれ、めくりずら」

 右下ホッチキスだからだ。仕方なくめくってやると、古郡はうへへっと気まずさを紛らわすように笑った。

「改めまして、これです。死亡によってのみ発動する弊社保険金の特別条項、従来の保険金の概念を覆す一点集中によって実現したのがーー死亡で二億!」

 

「ん~~??? ちがいますよね~???」

 

「み゛」

 と、ようやく落ち着きを取り戻した琴子が声を上げた。

 穏やかな笑みを浮かべているが、目の奥には昔のような理知的な、冷血冷酷と評された在りし日の光がやどっているようにも見えて。

 そんな視線に貫かれた古郡は、ぶるぶる手を震わせながらコーヒーを一口。

「飲んでる場合ですか~???」

「すすすすす、すみません! 古都宮様、えーとその……死亡で二億! が私のオリジナルプランの売り文句なんですが……」

「なんですが~????」

「こ、古都宮様のご要望で今回に限り、なんと倍プッシューー死亡で四億! 死亡で四億となってますう!」

 古郡はもうやけくそ、といった感じだった。

「ねっ、すごいでしょ~ともくん。四億だよ、四億。想像もつかない大金だよ~! ここ、これだけの大金だったら、ともくん一生、私のお金で生きて行けちゃうかも~……ぁ♡ ともくんの人生全部私のお金で過ごしてくれるって、そんなのもう結婚だよぉ♡」

 四億のワードが強すぎて後半は何を言っているか聞き取れなかったが、確かに想像しづらい金額ではある。

 ……だが、常識的に考えてあり得ないプランだ。

 この保険にはからくりがある。

 古郡は説明で一仕事終えたつもりなのか、お手拭きで口を拭う。

「……ふぅ、まあ四億と言いましたが、どうせ好きな人に喜んで貰うために命を絶つなんて女の子なんているはずありませんしね。私も死にたい気持ちはわかりますし、実際飛び降りる直前まで行ってから初めてチキってしまって、まあ、それがきっかけでこの貢ぎマゾ専用のプランをひねり出して、私のようなマゾメスを集中的にセールスして契約を勝ち取りまくってるんですけど……」

「お前はその、マゾヒストなのか?」

「に゛ゃ! みみみみみみよすぎませんか!? あいや、なにも言っていませんが!」

 それは無理があるだろう。俺は耳の良さには自信があるのだ。

「なんにせよ、いくら四億とは言っても、死亡保険しかないなんていうのはーー」

 

 俺が古郡に解約を告げようとした、そのときだった。

 

「ともくんっ! まってお願い!」

 

 必死な、それこそ本当にこのまま解約をすれば、生命保険など関係なくいなくなってしまいそうな。

 それほど悲痛な、壮絶な、懇願の声だった。

「本当に、本当に最近つらいの……けどこの生命保険があればって、次の誕生日にともくんに四億円を渡せるからって思うと、安心できて……ともくんの言うことには従う、従うけど……」

「琴子」

「あっ♡名前呼びぃ♡呼び捨てぇ♡ ……こんな、こんなことでいちいち興奮したり、ナデナデしてもらっただけで女の子がしちゃいけない顔しちゃったりする彼女なんて、いないほうがいいに決まってるよ~……」

 名前を呼んだ後になんと言ったかは聞き取れなかったが、幸せそうにしていることだけは、表情を見ればわかった。 

 そしてそれが、この保険がそうさせているのだと言うことも……。

 と、

「いちおう言っておきますが、契約の解約には、ご本人様の署名が必須、必須となっております」

 大事なことを二回言いつつ、古郡は根の性格の悪さをアピールするよう、あおるようにニイと口角を上げた。

 となりでは、震える手で俺の腕にしがみつきながら、俺の判決を待っている琴子。

 俺はその、切実な懇願の視線にーー彼氏として応えてやることが、現段階ではもっとも無難と判断する。

 

「わかった、この契約をどうするかは、もう少しだ考えさせて貰います」

 

 期限は来週の日曜、俺の誕生日まで。

 俺たちは慌ただしく資料をしまう古郡を見届けて。

「ともくん、ありがと……」

 腕の中で、ほんの少しだけ冷静さを取り戻した琴子に、ほんのすこしだけ胸の奥が痛んだ。

 







ともくんが言う「聞こえない」は九割くらい嘘


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