おっとり彼女が生命保険に入ってからごっついメンヘラムーブをしてくる 作:雑巾とナマステ
彼女に隠れながらほかの女性と二時間のデートをする方法は大まかに二つ。
一つ目 バイトやおでかけなど、彼女側に予定が入っている時間の裏でのデート
二つ目 彼女の目が届かない範囲まで離れた場所でのデート
まず、当日ばれない施策は主にこの二つ。後日空白の時間について尋ねられた際の言い訳、つまりアリバイの部分や水面下での不信感の蓄積こそが本題とも言えるが、現行犯でばれなければそれはどこまでも『疑惑』『思い込み』の範疇を出ないのである。
もしかしていま俺、最低なことを言ってるかもしれない。
ともあれ、一般的に一つ目は時間的ブロック、二つ目は物理的ブロックと呼ばれる。どこの一般かは知らないけど。
そんなわけで俺は現在、琴子がバイトにいそしんでいる裏でーーレンタル彼氏としての業務を全うしていた。
「……いや、業務って言うと悪いな」
「いいえ、そんなことはございませんよ。むしろ恋人がいらっしゃる有朋様へ本気の恋心を抱いている女性の方にこそ、責任はあるといえます。このように嫌な顔一つせず応じていただけるのは、『れんたる』彼氏様の『ぷろふぇっしょなる』として、大変尊敬するところがありますよ」
俺の独り言を耳ざとく聞きつけた千軒茶屋は、そっと俺の腕を抱き寄せる。
ここは元カノ連盟が金を出し合って借りている賃貸の一室で、完全プライベートな空間なので人目を気にする必要が無い。
千軒茶屋はその利点を十分生かし、鼻先がかすりそうなほどの近距離で熱っぽい視線をたたき込みながら。
「有朋さま♡♡♡だいすきです♡♡♡ …………あっ、告白してしまいました♡♡普段なら切腹ものの粗相ですが、今は『れんたる』中……有朋さま……その、お返事をいただきたいのですが…………」
「ーー、……今はやまとだけの彼氏だよ」
「ーーぉお♡♡? ぇ♡ぁすごい……いま幸せすぎて一瞬意識が飛んでました♡言葉一つで女の子を幸せの絶頂に導くだなんて……わたくしの『つよおす』彼氏さまは今日も『めす』殺しの鬼畜です♡」
千軒茶屋は完全にとろけきった表情でうわごとみたいにつぶやくと、むぎゅう!と全身を俺に押しつける。それでもまだ密着感が足りないのか、何度も腕を組み変えたり足を絡ませたりと、服装が乱れるのもかまわずふすふす!と呼吸を繰り返しながら一生懸命俺に抱きつき続けていた。
……オスとかメスとか、一体どこからそんな語彙を仕入れたんだろう。しかも最悪なことにその言葉を気に入ってしまったようで、名家のお嬢様にあるまじき言葉遣いになりはじめている。
と、
「やまと、そろそろ」
タイマーを見ると、残り二分でレンタル時間制限の二時間となるところだった。
いつもは千軒茶屋のほうから「また逢瀬の時をよすがに日々を生きて参ります」と挨拶を受ける頃なんだけど……今日は珍しいな。
「やまと」
「………………やだです」
……これは、心を鬼にする必要がありそうだ。
「千軒茶屋」
「ぁーーぁ、ほんとむり……やだやだやだ……また一ヶ月お預けはむりです、わたくし今月こそは本当に死んじゃいますーーぁ……あっ♡」
いけない領域に入りかけてしまったので、千軒茶屋の頭をぽんぽんと撫でて気を紛らわせてやる。
こういうところの扱いは琴子と変わらない。苦しそうにしていたら、頭を撫でてやれば大抵のことは解決するのだ。
そのまま仕上げにゴシゴシと強めに撫でてやってから、タイマーが鳴る十秒前に千軒茶屋をソファーに寝かせ、玄関に移動。
そしてきっかり十秒後ーーピンポーンとチャイムが鳴り、扉を開けると。
「ーーぁ……あ、ありとも……♡ ひさ……ひさしぶり……♡♡あいたかった♡ずっとずっとあいたかった……♡♡♡……ぇへ♡にじかんだけだから……ありともの……かのじょさんにしてね♡♡♡」
ブレザーに身を包んだジト目ロリの女の子が、桃みたいに顔を真っ赤にしながら抱きついてきた。
本日三人目のレンタル彼氏対応が始まる……。体力的にはもはや限界に近いが、せっかく会いに来てくれたからには、全力で応えるのが”レンタル彼氏”としての役割だ。
……俺、まだやれます。やらせてください。
まだ心を折られるわけにはいかない。今月のレンタル業務はまだ、始まったばかりなのだから……。
***
琴子がバイト中というのを利用し午前八時から始まったレンタル彼氏はーー六人目にしてついに本日ラストをむかえていた……。
まだまだこのあとにもシフトは続いているが、今はそっと目をそらしておく。
「おっ、お邪魔するわよ! ……………………………………え、だれその女?」
時間と同時に鳴り響いたインターホンに対応すると、次の女の子ーー浜辺は緊張の面持ちから一転、目を点にして俺と後ろについてきている女の子とを交互に見る。
「すまん……」
「いえ、別に良いけれど……」
浜辺はそう言ってくれるが、完全に失敗した……。
ここまで千軒茶屋のように離れてくれない女の子が多く、引き剥がす瞬間に精神をすり減らし続けた結果、ついに突き放せない子が出てきてしまったのだ。
さっきからあえて目を向けないようにしているのだが、ぼんやりと聞こえてくる声はかなり悲痛な感じだった。
「……お、おねがいします有朋さん……! 最後にもういっかい……もういっかいだけ頭をぽんぽんってしてくれたらもう消えるから……! おねがい……! お願いします……ほんとに、本当に最後だから! ねっ? ねっ? おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいーー」
「その子、斎藤明日菜よね……アイドルの」
なんでここに? という浜辺の視線に、俺はとりあえずと首をかしげて「さあ?」とぼけておく。
「いや、ここにいるってことはあなたの元カノなんでしょうけど……頭くらい撫でてあげたらいいんじゃない?」
「ーーいや、だめだ」
今は浜辺の彼氏なのでよろしくない、というのが表の理由。
俺のすげない返事に、浜辺は「ちっ」と静かに舌打ち。
自分の時間が終わった後に同じ要求をする魂胆なんか見え見えだ。
「おねがいします有朋さん! あたま! あたま一回だけ! いっかいだけ!」
斎藤のボルテージが最高潮に達してしまったので、俺はしかたなく視線だけ向ける。
ここは厳しく「しつこいぞ」と言いかけて……直前で立ち止まった。
…………。
「また今度な、明日菜」
「ーーっっ!!♡♡ひっ、ひゃい!」
ぴしっ!と直立の姿勢になった斎藤の横を抜け、俺は浜辺の手を引いてリビングへ移った。
「悪いな、せっかくの時間を取って」
「別にいいわよ、むしろ彼氏の心の広さを思い知って鼻高々よ………………え、もう時間始まってるの?」
うん、と頷くと、浜辺は慌ただしく左手につけたバンドの細い腕時計を見た。
「うそ……今ので二分」
「言っとくけど、時間になったら俺は帰るからな」
「それは承知のうえよ。ーーそ、それじゃあ気を取り直して……有朋くん」
二人立ったまま、息づかいが感じられるほどの至近距離で見つめ合う。
俺は丁寧に記憶を呼び起こし、けして間違えることがないよう慎重に名前を呼ぶ。
「……瑞穂」
「なーーっ!!♡♡♡」
よし、正解だったか。
「向こう行こっか」
「ぅん……♡♡ぁ、有朋くん、ぎゅってしたい♡ちょっとだけでいいから……一分だけ、左腕貸してくれるだけでいいから……っ」
「好きにしていい。今は瑞穂だけの彼氏だよ」
お決まりの台詞のつもりだったが、浜辺は一瞬「????」と混乱した様子だった。しかし内容を理解すると、まるでおもちゃ屋で「好きなの選んでいいよ」と言われた子供のように目をキラキラさせていた。
「瑞穂」
「じゃあじゃあ、頭ナデナデしたままチューがしたいわ! あとナデナデと背中を抱く強さは私が壊れるくらい強くお願いできるかしら! あっ、でもチューするなら先に歯を磨いておきたいわね……もちろん直前にも磨いているのだけど、仕上げしても良いかしら!」
「瑞穂……」
なかなかしっかしたオーダーだな……。
しかし、これだけ細かく注文を入れてくれる方がこちらとしてもやりやすい。
俺は期待のまなざしを向けてくる浜辺の頭を撫でてやってから、二人ならんで歯を磨いた。