おっとり彼女が生命保険に入ってからごっついメンヘラムーブをしてくる 作:雑巾とナマステ
「しまった、食べ終わってしまうわ……」
浜辺瑞穂は、手元に残ったグリーンピースサイズになったおにぎりを見下ろして、思わずうっと顔をしかめた。
元カレが作ってくれたおにぎりなので大事に大事に食べて、なんならちょっと残して家宝にしよっかなー♡と思っていたのに、あまりのおいしさに完食間近になってしまったのだ。
瑞穂の元カレ、皇有朋は料理も出来る完璧人間らしい。
(いや、おにぎりがここまでおいしくなるわけないし……これは私の舌が馬鹿になってるだけね)
それはさておきうちの元カレかっこよすぎたなあ♡などと思っていると、玄関につながるドアがゆっくり開いてーーぼろぼろと涙を流す和装の女の子が入ってきた。
「ありともさま……ぁりともさまぁ……っ! ……っ、……っ!」
(あんな美人を泣かせるなんて……有朋君、なかなか鬼畜ね……)
まあ私も顔は負けてないけど、などと脳内で胸を張ってから、結局最後のおにぎりもぺろろと食べた。
(おいしい! 有朋君の汗がにじんだ絶妙な塩味が快楽物質を分泌するわね!)
「おー……ギっグぅ……ぁーーーーー、あ、おっ♡?」
このとき、クール系の王道美女としてSNSで総フォロワー100万人くらい? を抱える大手インフルエンサーは、たった一人の男の子のことで頭がいっぱいだった……。
完全にヤバイおクスリをキメた人みたいな感じだったが、実際このおにぎりを作るとき有朋くんはビニール手袋をしていたので汗はにじんでいない。
そして瑞穂もその現場を実際見ていたのだが、そんなくだらない現実は今の瑞穂に意味をなさないのである。
と、
「ーーあの、これ、よかったら使う?」
「うるさいわね……いま有朋君の触ったお米が食堂を滑り落ちる快楽をーーって……なにこれ?」
「今日有朋さんが使ってたクッションだよ♪」
「えっ!?」
変なオーラがある美人が差し出してきたクッションを一瞥し、瑞穂はその美人が言うことが事実であることを一瞬で見抜いた。
だってさっきの夕食会で、瑞穂はことあるごとに有朋君のーーを見ていたのだから……。
(いやでも、どうして……?)
「なんでそんな貴重品を私に? 自分で確保したのでしょう?」
「あー、その考えはいけないよ? まずそもそも、こういう有朋さんの使用物をみだりに個人で使用することはNGなんだよ♪でもーみっちゃんは今日がはじめてのレンタルでしょ?」
「みっちゃん?」
馴れ馴れしい呼び方にピキンと反応する瑞穂。
そこで、今話している相手の面をおがんでやろうと顔を上げーー気付いた。
「えっ、斎藤明日菜!?」
「おっ、そういう君はインフルエンサーのMIZUHOちゃんだね♪」
瑞穂の反応に合わせて、楽しそうに両手の指拳銃で瑞穂を撃つ仕草をする斎藤。
至近距離でくらうファンサに、瑞穂は目を白黒させる。
……斎藤明日菜と言えば、現役トップアイドルの一人にして、なんとか坂のセンターを務めるガチのトップ芸能人だ。
ぱっつんな前髪とハツラツとした笑顔がトレードマークで、歌唱は苦手だが圧倒的なダンス力とずるすぎるあざとさでファンの視線を集める、昨今は珍しいパワー系のスーパーアイドルである。
悩みなど何もなさそうな活発な性格の反面、お酒、タバコが好きと公言しており、そのギャップを捉えた写真集が先日発売された、まさに今旬をむかえたーー
「……あとで、サインがほしいのだけれど」
「ごめんね♪サインはダメだけど、写真と握手ならOKだよ♪」
そう言って瑞穂のスマホをするりと奪い取ると、最速で「ニッコリ♪」と自撮りをキメ、瑞穂にスマホを返却した。
戻ってきたスマホに残された自撮り写真を見て、瑞穂はあまりのあざとさに目がくらむ錯覚を覚えた。
(こ、こんなのがライバルなんて……いや、考えないようにしたほうがいいわね……)
「ツーショットが欲しかったら後で言ってね♪」
とフォローしてから斎藤は続ける。
「おっほん、それでだね♪本来こういう有朋さんの私物は、ちゃんと有朋さんから許可をもらったうえでお持ち帰らなきゃなんだけど……これから一ヶ月のお預け期間、多分初めての人は耐えられないと思うから」
「はあ」
「要は新入りが我慢できなくなって有朋さんに絡みに行って、迷惑かけて欲しくないの。分かる? 私だって一ヶ月お預けとか無理なの。それでも一ヶ月に一度があるから人として生きられているだけで、もし元カノのだれかが有朋さんに迷惑かけて、有朋さんにもう元カノと関われないっていわれたら……ぁ、想像しただけで……頭おかしくなる……ぁやばいやばいやばいくるしいくるしいくるしい……すーはーしなきゃ」
なにかの呪文みたいな怨嗟を唱えたかと思えば、突然有朋君のクッションにその整いまくっている顔を突っ込んで荒い呼吸を繰り返すトップアイドル。
ずるい、と第一声でいいかけて、流石にはしたないと思ったので我慢する瑞穂だった。
「あ゛ーーありども゛さんのにおいき゛っくぅ……♡ へっ……へっ……ふふっ」
(な、なにその顔……なにか危険がクスリでも吸ってるの……? どう考えてもアイドルとか女の子以前に、人がしちゃいけないトロ顔晒しちゃってるじゃない……)
たぶんこの顔写真をネットに流しても、斎藤明日菜本人が否定すれば別人だといいはれるくらいの豹変っぷりだった。
それでいうとさっきの瑞穂も大概だったが、その事実を知るものはここにはいない。
「ふぅ、やっぱり有朋さんの匂いを嗅ぐと意識がぶっ飛んじゃいますね♪なんの話でしたっけ?」
「え……いや、そのクッションは明日菜ちゃんにあげるわよ……」
「いいの♪ありがと! ……よかった、今のひと吸いで完全に依存症確定しちゃったから助かったぁ」
「よろこんでくれたなら、いいのよ……」
空気が読めない自覚がある瑞穂も流石に、まるで我が子のように大切に抱いているクッションを取り上げるほど鬼畜ではない。
と、またクッション吸いを再開して「お゛お゛♡♡??」とトリップしている斎藤から距離を取る。ファンだったのに……こんなのがアイドルなんて……と軽蔑する反面、あの全国の女子の憧れもが有朋君にメロメロなのは、元カノとしてちょっと鼻が高い気がした。
と、また玄関につながる扉から、今度はジト目ロリ?風の女の子が、頭をかきむしりながら声にならない声で泣いた状態で入ってくるところだった。
「……ありともがほしい……ありともにあいたい……」
(悲惨ね……まあ、気持ちはわかるけど)
ところで今は、先ほど有朋君の言っていた『元カノ六人プラス有朋君』の七人によるディナーを終え、最後に六人が各五分だけもう一度”有朋君の彼女”として挨拶が出来る時間だ。 ディナー中は“友人”としての距離感を崩さないようにしか接せ無かったので、要はそのガス抜き時間にして、最後のアピールタイムだ。
接するって、なんか『セッする』と書くと、こう、あれよね……。
などと馬鹿なことを考えていると、斎藤がばふっとクッションから顔を上げた。
まったくメイクが崩れていないことに驚愕していると、
「あ♪もしも有朋君の私物が欲しくなったら言ってね♪専門の業者を教えてあげるから♪」
「え? それはーーぁいいえ……ありがとう」
理解の範疇を超えた言葉に思わず尋ね返すところだったが、ここに踏み込むと帰ってこられなさそうだったので、瑞穂は寸前で立ち止まった。
ジト目ロリちゃんの次に行った無表情キャラ白髪欧州高身長美人が、まるで全身凍えて仕方ないように身体を抱いて帰ってくると、次の斎藤が突撃していった。
…………。
「ちょっとだけ……」
先ほどのクッションは丁寧に空気を抜いてジップロックに入れてある。
それを指先でつまみ、軽く端のほうを開けた隙間に鼻をつきさしーー
「ぺぎょ!♡」
高まりすぎた血圧によって鼻の血管が破裂し鼻血が出たが、ぎりぎりのところでなかのクッションに血はつかなかった。
(これやばいわ……ぇでも、これに顔を突っ込んで吸うってそれ……)
クッションを元の位置に戻して証拠を隠滅しつつ、自分以上にやばいことに手を染めまくっていた斎藤に驚愕する瑞穂。
と、
「ありともさん、こんさーと、きてくれる、がんばる……♡♡」
しゃくとりむしみたいに地面を這いながら戻ってきた斎藤にクッションを渡すと、得物に絡みつく蛇のようなスピードでクッションを開封してスーハー!し始めたので、瑞穂はそっと目をそらした。
さて。
「最後は、わたしね……」
斎藤明日菜:21歳 職業アイドル
有朋君の私物を買いあさり吸ってはトリップするのがライフワーク
たぐいまれな嗅覚を持ち、地上波ではアイドルグループメンバーを匂いだけで当てる特技を見せ、香りの達人として紹介されがち。
喫煙者を公言しているがけしてそれをネタにしないため、ファンダムはそこに「ガチ感」を敏感に感じ取り、斎藤推しはそっと禁煙を始める。
もちろん、あの「斎〇飛鳥」とは別人。