「ノズパス、“かたくなる”!」
洞窟の中、開けた場所に着いて辺りを見回していると、奥のほうから聞き慣れた声がした。
「受け止めて“でんじは”!」
何かがぶつかり合う音と、クロトの言葉。他の人の声はしない。どうやら、野生のポケモンとバトルになっているようだ。彼の声に混じる焦燥感と受け身な指示からすると、あまり彼の手持ちは育っていないか……相手が強いのだろう。少しでも早くキルリアと合流させるべきだ。そう判断して、声のする方へと再び駆ける。
「ッ、ノズパス!」
その姿が見えたのは、ちょうど彼がノズパスをモンスターボールに戻すときだった。
「キルリアっ、“チャームボイス”!」
入れ替わるように、私が技を指示する。咄嗟のことで言葉が足りなかったが、彼のキルリアは私の意図を汲んでクロトとの合流を優先してくれた。さすがエスパータイプ、といったところか。
「アマネ! ごめん、ありがとう」
「まったく。……本当にいたのね」
クロトがバトルしていた相手は、二匹。
片方は、図鑑で見たことがある。青い体と白く硬い石頭が特徴のドラゴンポケモン、タツベイだ。
だがもう片方、四足歩行のポケモンは分からない。体表の色はタツベイより暗い青で、後頭部の……角? が目立つ。長く黒い毛に首から上がほとんど覆われていて、露出しているのは口元だけ。あの分だと目があっても機能していなさそうだが、洞窟に棲む種族ならそういうのがいてもおかしくはない。
きっとこいつが、件の『誰も知らないポケモン』なのだろう。
「キルリア、“なきごえ”。それで、どうしてこんなことになってるわけ」
「僕が着いたときはまだ、黒いほうが一匹で吠えて暴れてただけだったんだけどね。様子を見てたら上からタツベイが降ってきて……あ、こっちも“なきごえ”」
“チャームボイス”が効いたのか、タツベイと謎の黒いポケモンは動きが鈍っている。黒いほうも、タツベイと同じドラゴンタイプだと思っていいだろう。
“なきごえ”で牽制しながら、彼らが動き出す前に状況を整理しておく。
「続けて“かげぶんしん”。……で、そのタツベイに見つかって。しょうがなくノズパスを出したら黒いほうにも気づかれちゃった」
つい先ほどは焦りに満ちた声を響かせていたはずなのだが、一旦窮地を脱したからか、今はすっかり落ち着いている。彼は気持ちを立て直すのが随分と早いらしい。
指示に従ってぽつぽつと生み出された分身が、私ごと撹乱していく。位置取りを間違えたら、緑色に遮られて自分のキルリアすら見失ってしまいそうだ。
「災難ね。キルリア、もう一回“チャームボイス”」
悶えている二匹に追撃の“チャームボイス”が届く。
弱点の攻撃で刺激しすぎてしまったか、蹲って頭を抱えるタツベイとは反対に、黒いポケモンが暴れ始めた。
《たたきつける》
多数の分身と、二体の本物。素早い跳躍から勢いよく振り下ろされた頭が、そのうちの一体に当た……る間一髪のところで避けられ、地面を打った。地面をいくらか凹ませ、衝撃で砂礫を飛ばしたそれは、かなりの威力があると見える。キルリアはそう頑強なポケモンではない、直撃したら一撃で戦闘不能と思っておくべきか。
横で戦っていてどうにもやりづらいのは、どれが分身でどれが本物か区別できないことだが……飛び退ったキルリアの表情に余裕がないあたり、ちょうど今のが本物だったようだ。
偶然か、それとも野生の勘か……あるいはそもそもの話、視覚で情報を得ていない相手だから“かげぶんしん”の意味がなかったのかもしれない。
「ねえクロト。この分身、私の状況把握が遅れる分と合わせたら差し引きマイナスじゃない? あいつ効いてないみたいだけど」
「それは悪いと思うけど、プラスだよ。タツベイのほうは今の攻撃より速くて重かった。搦め手無しで凌ぐのは難しいんじゃないかな。だから頑張って」
「そんな非情な」
攻撃が空振って頭を強く打つことになった黒いポケモンは、少し怯んだというか、フラついたようにたたらを踏んだ。考えるなら今のうちだ。
チラ、と後方に目を向ける。洞窟の入り口は視認できるが、だからこそ、隙を見ても逃げるには遠いと分かる。
なら倒す? しかし見ている限り、戦闘能力はほぼ全ての面で負けている。そしてタツベイが動かないことによって生まれている数的有利も、いつまで続くか分からない。悲観するわけではないが、倒すのは難しいだろう。
どうしてこんなことに、と嘆きたい気持ちでいっぱいだ。噂のポケモン探しなどやめておけばよかったのだ、なんて。そんな後悔すら頭に浮かぶが、好奇心を抑えられなかったのは私も同じ。心の中だろうと彼を責めることはできない。
最大の、というか唯一の目的は生きて帰ること。
彼のノズパスは倒れてしまったようだから、ポケモンの数は同じ。彼我の違いはトレーナーの存在と攻撃の射程、それと搦め手の有無くらいか。とはいえ私はバトルの経験などほぼ無いし、間合いを取れるのも動きの速さで埋められる程度の有利でしかない。分身もタツベイにしか効果を期待できず、その割に私を混乱させる。
《ふるいたてる》
よろめいていた黒いポケモンが体勢を元に戻し、気合いを入れるように小さく吠えた。フラフラしている分には多少のかわいらしさもあったのだが、こうまっすぐ向き直られるとやはり威圧感が勝る。
そしてその四本の足に、力を込めるのが見えた。
「マズい、“ねんりき”で動きを──!」
《ずつき》
走り出しこそ鈍重だが、すぐに勢いが乗ってくる。
サイコパワーによる察知か、彼が口頭で指示を出すのと同時に、その“ねんりき”は相手を捉えていた。しかし動きを止めるどころか、勢いが衰える様子すらない。
「キルリアッ!」
一直線の突進。その先には技後硬直で動けないキルリア。攻撃が命中するまで、一秒もない。口を開く余裕すらなく、自分の相棒に視線を向け──
《テレパシー》
《テレポート》
──切羽詰まって叫んだクロトの横に、二体のキルリアが現れる。攻撃を透かされた黒いポケモンはそのまま走り続け、数メートル先で岩に激突し動きを止めた。大きな音が響き、洞窟に広く反響する。
冷や汗を拭いながら、彼は大きく息を吐いた。
「助かったよ、ナイスサポート! しかし困ったな、今のを見るにドラゴン・あくタイプ……僕のキルリア、攻撃通らないよ」
「えっ、“ねんりき”だけ? ……そうね、言われてみれば。というかこっちも人のこと言えないんだった」
共に“テレポート”と“なきごえ”を覚えていて、彼のほうは他に“かげぶんしん”と“ねんりき”を使っていた。
対してこちらは、“チャームボイス”と“いやしのはどう”。回復する機会があるようには思えないから、どちらも実質的に技が三つしかないようなものだ。
「攻撃だけ見たら二対一? 逃げたい、私今すごく逃げたい。それか助けが欲しい」
「落ち着いて。効かないのはあっちだけで、タツベイは──ッ、“ねんりき”!」
ただのおふざけだ、頭は冷静だ──そう言い返そうとして、視界の端に彼と同じものが……いつの間にか動き出していたタツベイが映る。
《ずつき》
《ねんりき》
今度は思い描いた通りに、相手が宙へ浮いた。不意の攻撃が、全員の上を大きく飛び越えていく。狂わされた姿勢を制御できず着地に失敗したタツベイは、砂埃を巻き上げながら地面を転がっていった。
「チャンスだ、走って! 少しでも入り口に近づくんだ!」
「っ、分かった!」
声を張りながら走り出した彼に一瞬反応が遅れつつも、後に続く。一度の隙で逃げ切れないとしても、数回に分けて近づけばいいという考えだろう。特に異論や代案はない、大人しく従うことにした。
……背を向けた形になる二匹が、どんな様子か。確認しようと少しだけ振り返り──
《ばかぢから》
──飛来する青が、視界に映った。
「アマネ!?」
一瞬の意識の空白。呼ぶ声が遠ざかっていく。遅れて全身を苛む強烈な痛みと、何度も襲う衝撃に思考が止まる。
「ぐ、うっ……なにが……?」
反射的に瞑っていた目を開ける。ぼやける視界は、それでも向きがおかしいと分かる。倒れた、転がった……何より、突き飛ばされた? 止まっている余裕はないという本能的な感覚に従い、冷たい地面に手をついて、体を起こそうとした。
そうして、いつの間にか自らが抱えていたポケモンにようやく気づく。
「タツベイ……? なんで……」
トレーナーへの直接攻撃も、野生のポケモンなら無しとは言えないか──そんな考えが浮かび、違和感が過った。
だってそれなら、どうしてタツベイも苦しそうな顔をしている? 一緒に転がることになったから、ではないような気がした。
「アマネ、大丈夫!? キルリア、アマネを逃が────」
《つめとぎ》
ギャリィ、ギャリィィ、と。耳障りな音が響いた。
私も、腕の中のタツベイも顔を
威圧的な眼が光る赤い頭、刺々しい翼が生えた青い体。鋭い爪を岩に突き立てて研いでいる、別の『
「…………逃げられない」
小さく、無意識に言葉が零れた。クロトが驚いた顔で私を見ているが、私だってそうだ。そんなことを言うつもりはなかった。
何か言おうとするクロトより先に、彼を制するように。腕の中のタツベイがもがいて抜け出した。その目はまっすぐ、赤い頭のポケモンを睨みつけている。なんだか、雰囲気がさっきまでとは違うように見えた。
「待って、待ちなさい」
走り出そうとするタツベイの手を掴んだ。数十センチのタツベイと、半分横たわったままの私。同じ高さで視線が重なる。その眼光を、受け止める。
ついさっきまで、逃げることに異論なんてなかった。頑張れば逃げ切れると思っていた。あのまま戦っても勝つのは難しいと思っていた。だから私も頷いて、一緒に光の見えるほうへ走った。
だけど……ああ。もうどうだっていい。
「キルリア。タツベイに“いやしのはどう”」
「アマネ……?」
キルリアは呆れたように息を吐いて、その手をタツベイに向けた。彼女以外が、皆同じような戸惑いの表情で私を見る。
「タツベイ、きっとあんたと同じ気持ちよ。あいつにぶっ飛ばされてムカついたでしょ?
握った拳を突き出せば。
小さな竜は、にやりと笑った。
◆ ◆ ◆
「あたしはあんたについて詳しくないし、あいつのことも全然知らない。だからキルリアみたいに指示を出したりはしない。やりたいようにやってくれれば、こっちで支援する」
頷いて、タツベイが駆け出していく。
《ちからずく》
《ずつき》
頭部を向けて飛びかかるその先にいるのは、全身がゴツゴツ……トゲトゲ? したポケモン。タツベイの白い頭がやつの赤い頭とぶつかって、たくましい体つきのソレをよろめかせた。
《さめはだ》
《いしあたま》
「無茶なこと言うよね、アマネも。“ねんりき”効かないって言ったはずなんだけど……頭でも打った?」
「打ったけど、なに? 笑いづらい冗談やめてよ」
「だったら冗談みたいな注文しないでほしいかな」
私たちが離脱していた時間は、そう長くない。突然現れた
つまり、単純に突撃するだけではまた乱戦になる。だからクロトに頼んだのだ、
「行くよキルリア。“テレポート”」
《ドラゴンクロー》
やつの身体は、タツベイよりだいぶ大きい。姿勢の悪さを加味しても、その頭部はタツベイを二匹重ねた以上の高さにある。当然、跳躍しなければぶつかることなどできないし、ぶつかった後には着地するまでの滞空時間という隙がある。
太い足で大地を踏みしめ、強烈な“ずつき”にズラされた重心を瞬時に掌握する。そうして無防備なタツベイめがけて振り抜かれる反撃を──
「こっちも、“テレポート”!」
──私のキルリアがカバーする。
「テレポートする感覚、これで掴めた? なんてね、さすがに──」
一回目だ、そんなわけないと思いつつも問うてみれば、こちらを見たタツベイは自信満々に歯を剥き出して首肯した。
「……マジ? あんた、大成するかもね。なら次はもっと大胆に行きましょうか」
威勢よく鳴いて、タツベイは再び駆けた。やつに近づいて、両足に力を込める。
とはいえ、やつも自然の中を生きてきたポケモンだ。一度正面から受けた攻撃を、みすみすもう一度食らうようなことはないはずだが……。
《いかり》
《かみくだく》
タツベイが両足の力を解き放つタイミングに合わせて、その顎門が大きく開かれた。鋭い歯のギラついた輝きが、先ほどと同じ軌道を描くタツベイを待ち構える。
《いしあたま》
大顎は、確かにタツベイを捕らえた。しかしその歯が突き立ったのは、白い“いしあたま”。
硬質なもの同士が擦れ合う“いやなおと”を一頻り響かせると、やつは捕らえたタツベイを鷲掴み、そして大きく振りかぶった。
その視線の先は私、いや、横のキルリア。
「マズっ……! “いやしのはどう”私にッ!」
《ばかぢから》
やつの剛腕による力いっぱいの投擲。様子を見るに噛まれたことのダメージは小さそうだが、こんな風に投げられては受け身も取りづらいだろう。何より、キルリアの回避が間に合わない。彼女は反射的に“テレポート”の構えを取っているが、度重なる行使によって疲労が蓄積し、その速度は少しずつ落ちてきている。咄嗟の発動となればなおさらだ。あれでは、回避と援護を両立できるかは半々といったところ。敗北に直結する賭けなら出るべきではない。
その軌道上に飛び込んで、一直線に飛んでくる青い弾丸を必死で受け止めた。さっきはこちらの利となっていた硬い石頭が勢いをそのまま威力に変換して、今度は私に強烈なダメージを叩きつけてくる。華奢な己が恨めしい。
「ッ~~────! いたい、けど動ける……!」
また何メートル転がったのか。しかし既知の痛みだ、来ると分かっていて“いやしのはどう”もあるのなら、なんとか耐えられる。諸々の不足を私で埋められるなら些事。何度飛び込んだっていい。私がトレーナーとしてもっと強ければ、起きない事態なのだから。
抱きとめたタツベイを解放する。期待通り、彼のダメージはかなり抑えられたようで、私を一瞥もせずまっすぐ敵に向かっていく。それでこそだと、口の端が無意識に歪んだ。
反対に、キルリアが駆け寄ってきて“いやしのはどう”を重ねがけしようとしてくれる。彼女を手で制して、ゆっくりとその頭を撫でた。
「大丈夫、心配しないで。あなたは支援する準備を。あいつが協力してくれてるから、勝てない相手じゃない。クロトもうまくやってくれてるみたいだしね」
あっちもあっちで、唯一の攻撃技が通じない相手を抑え込め、なんて無茶に応えてくれているのだ。この状況、この程度の痛みで、甘えたことは言っていられない。
《きあいだめ》
再三の突撃を敢行せんと意気込むタツベイを見やる。……同じカウンターを食らうようなら前言を撤回して自分の体を大切にするところだが、さすがにそんなことにはならないだろう。
「…………ああ、そういうこと。キルリア、次の“テレポート”だけど──────うん、お願い。あいつ、あたしを
確かに、言ったのは私だ。次はもっと大胆に、なんて。
「見た目からして向こうも十中八九ドラゴンだし、真っ向勝負だと通じ合っちゃうところでもあるのかもね。気持ちよく一撃かますために、互いの予測の外が欲しい──そういうことなんでしょ」
前しか見ていないのは変わらないが、半ば確信して尋ねてみれば、タツベイは足を速めた。それが答えということだ。
短い足を動かして駆ける姿はかわいらしくもあるが、それ以上に頼もしい。技の反動か、向こうは見て取れる程度に呼吸が乱れているのに対して、タツベイは多少の傷こそあれど調子は万全。気合いも入っている。一度“ずつき”がクリーンヒットしていることもあって、勝負を決めるにはあと一撃で充分だろう。
「準備はいい?」
横の相棒に問いかける。彼女は柔らかく、それでいて強かな笑みで返した。
《ばかぢから》
その腕が、今度は転がっている岩に振るわれた。力任せに殴りつけられて砕けた勢いで、数多の礫がタツベイのほうへ飛び散っていく。
全てを避けることは叶わないと判断したタツベイは機敏なステップで大きな礫のみを避け、いくつかの細かな傷を負いながらやつの懐へ潜り込んだ。その両足に、三度、力が込められる。
《ドラゴンクロー》
それを待ち構える大きな爪。岩を殴った衝撃か何かで鋭さを失っているが、脅威であることは変わらない。
「“テレポート”!」
事前に指示していた通りの動き。タツベイが、正面から背後に転移する。
《ドラゴンクロー》
死角を取られたことを感じて……いや、予測されていたのだろう。隙にもならない程度のラグを挟んで、片足を軸に大きく回転。その爪が再びタツベイに迫った。
《テレポート》
だがこちらの対応は変わらない、変える必要がない。
キルリアにはだいぶ無理をさせることになるが、振り返った先で迎え撃つように飛び出したタツベイをすかさず“テレポート”。入れ替わるようにやつの眼前へ現れて、至近距離で“チャームボイス”を見舞う。
今なら、消えたタツベイを巻き込むことはない。
そしてこの距離で弱点の技を受ければ、本命の攻撃に備える猶予も──ない。
「決めて、タツベイ!」
《ちからずく》
《ずつき》
完璧なタイミングだった。踏み切ると同時に上下反転“テレポート”したタツベイによる、真上からの急襲。それがやつの頭に直撃した。
衝撃がその体を伝い、大地を強く踏みしめることになった両足が地面に沈み込む。バランスを崩してというよりは、力を失ったように、前のめりで倒れていく。
《さめはだ》
《いしあたま》
反動で浮いた体を空中で三回転、しれっと華麗な着地を決めているタツベイは、まだまだ元気がありそうだ。頭突きの衝撃は一方向だけのものではないだろうに。感嘆と呆れの混じった声を漏らしながら、やつの様子を注視する。
地に伏せて、三秒、五秒、十秒…………。目を回したまま、どれだけ経っても動かない。
ほっと息をついて、満面の笑みで拳を打ち合わせた。