星降る空に届くまで ~カレー香るホウエン旅道~   作:明月菫

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きりばらい

「……定休日って書いてあるけど、本当にいいのかな」

「こういうときは躊躇するのね。鍵は開けておいてくれたらしいし、早く入りましょう」

 

 私たちが訪れたのはとある宝飾店。結局、あれこれと相談した末にキーストーンは私が貰うことになり、父の昔馴染みが勤めているというこの店を紹介されたのだ。

 名前を聞いたときにはピンと来なかったが、教わった住所に近づいて……そして大通りに面するその店舗が視界に入ったことでようやく、父の言うそこが、普段はウインドウ越しに眺めることさえしない煌びやかなジュエリーショップであることを理解した。

 

 キーストーンを見つけたときのはしゃぎっぷりがすっかり息を潜めた幼馴染は放っておいて、扉を開ける。

 斜陽が覗くはずの広い窓は定休日ということで厚いシャッターが下り、店内を薄闇で満たしている。最小限の照明が点いてはいるものの、ここまで晴れた屋外を歩いてきた私たちの目には頼りない光量だった。

 事前の連絡通りに鍵が開いていたわけだし、奥には人がいるはずだ。どうにかして呼びたいのだが、大声を出すのはこの店にはそぐわないかと思い……しかし迂闊に動いて備品なんかにぶつかるリスクも避けておきたい。

 どうしようか、とクロトと顔を見合わせたそのとき。

 

「メレシー、“マジカルシャイン”」

 

 眩くも優しい光が、空間を満たした。光源は、いつの間にか空中を漂っていた小さなプリズム。すぐ近くの一つへと手を伸ばしかけて、思い留まる。直前に小さく聞こえた声がポケモンへの技の指示だと、遅れて気づいたからだ。

 

「触れても害はありませんよ。光源としての性質を伸ばすことと引き換えに、攻撃力はなくなっています」

 

 スラッとした長身の女性が、店の奥からゆっくりと現れた。目つきは鋭いが、口元の穏やかな微笑みが……そして傍らのポケモンを撫でる手つきの優しさが、印象を柔らかなものにしていた。

 側に浮いているのは、宝石混じりの岩塊のようなポケモン。手袋越しに撫でられて、気持ちよさそうにそのつぶらな瞳を細めている。

 

「アマネさんとクロトさん、ですね。お話は伺っております。どうぞこちらへ」

 

 案内されたのは、落ち着いたトーンの調度品で整えられた、上品な雰囲気の部屋。促されるままに柔らかなソファへと腰を沈める。

 

「キーストーンの加工および装身具の製作をご希望とのことですが、お間違いないでしょうか」

「はい。メジャーなのは腕輪型だと聞きましたが、指輪にしたいと考えていて────」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 赤く染まりはじめた空の下、帰路に就く。用事があるというクロトとは店を出たところで別れた。このあと……これから、どうするか。私にはまだ、両親と話すことが残っている。もしかすると彼も気を遣って……いや、それは考えすぎか。

 

「ただいま。メガリング、十日くらいだって」

 

 入口にかかっているプレートは、閉店を示したまま。今日はお客さんが少ないからか、そのまま臨時休業日にしたようだ。

 普段流している音楽も止まった静かな店内に、私の声と、入店を知らせるベルの音がよく響いた。

 

「おかえり。思っていたよりも早いね。帰るのも、出来上がるのも」

「そうなの? 工期のほうは分からないけど、今日時間かからなかったのはデザインとかほとんど任せたからかも。もちろんしっかり相談はしたし、希望も伝えたよ。話しやすい人でよかった。……それで、少し話したいことがあるんだけど……今大丈夫?」

 

 テーブル席で眠りこんでいるヤミラミと、めったにやらない棚の整理をしている父。様子を見ていて、大丈夫だろうな、とは思っている。それでもなぜだか、少しばかり緊張してしまう。

 父は静かに頷くと、水を二つ持って、ヤミラミの横に座った。

 

「……私、初めて戦ったんだ」

 

 差し出されたコップをそっと両手で握りながら、磨かれた机の上で視線を彷徨わせ、ゆっくりと言葉を探す。

 

「父さんが覚えてるか分からないけど、遊ぶようなバトルなら、何度かクロトとしたことがある。でもそれは何年も前のことで、今以上に未熟だった。キルリアたちの賢さを考えれば、とても安全なバトルだった」

 

 流星の滝で出会った、三体のドラゴンを思い出す。無邪気なタツベイ、臆病なモノズ。そして興奮状態にあったクリムガン。対峙して感じた鮮やかな危機感と、湧き上がった闘志。私はきっと、ずっと、私のことを勘違いしていたのだと思う。

 

「名前も分からないポケモンと戦いになったとき、少しだけ、怖かったの。だけど勝つことだけを考えて……集中しきったとき、その怖さは恐怖じゃなくて、ワクワクしてるんだって気づいた。今も、それで間違ってないと思ってる」

 

 胸の奥で確かに鼓動する、この熱望。気づく機会はあっただろうか。そう考えて行き着くのは、いつかの小旅行。空に手を伸ばして、ラルトスと出会ったあの日のこと。

 二人だけの秘密の、“飛翔”……あれがきっと、私のオリジンだった。

 

「前は、興味ないって言ったけど…………やっぱり私、旅に出たい。もっといろんなものを見てみたいし、いろんな人やポケモンと出会って、バトルしたい」

 

 顔を上げて、父の目を見る。いつも鏡で見ているのとまるで同じ、青い瞳……もっとも、目つきは父のほうがずっと優しいが。

 数秒のあいだ、ヤミラミの小さな寝息だけが聞こえて。

 

「…………しっかり考えてのことみたいだね。うん、いいだろう。いつでも行っておいで」

「えっと、母さんとはまだ話せてないけど……いいの?」

 

 母は今、トクサネシティに出張している。帰ってくるのは半月以上先。たまに連絡は取っているものの、今日決断したばかりの旅の話は当然したことがない……私からは。

 

「実は、以前から話していたんだ。いつかアマネが旅に出たいと言ったらどうするか。単純な思いつきならともかく、考えて決めたのなら止める理由はない。それが僕たちの考えだよ。人生もまた自由な旅。好きに旅立ち、好きに休めばいい」

「……そっか。よかった……ありがとう」

 

 緊張が解けて、無意識に息が漏れた。ゆっくりとコップを傾けて、乾いた喉を潤す。

 

「まあまだ、いつ出発するかは決めてないんだけどね。早くてもメガリングを受け取ってから、とだけ」

「そうか。それなら、カナズミジムのバッジを手に入れたら、というのはどうだろう。ホウエンではないが、僕も昔、ジムを巡りながら旅をした。あれはいい経験になったよ。きっと、ここでも同じはずだ」

「ジムバッジ? ……うん、いいかも。いつかは挑戦しようと思ってたし」

 

 ジムには、旅をしてポケモンが増えてから挑むつもりだった。キルリアしかいないことが不安ではあるが……一度失敗したら終わるようなものでもない。気楽に考えてもいいだろう。

 挑戦者に合わせてある程度の加減はするものだというし、カナズミジムが専門とする“いわ”タイプの傾向を考えれば、勝てない戦いではないはずだ。

 

「今日は暗くなっちゃったから、明日かな。明日、クロトとも話して……ジム戦に向けて、頑張ってみる」

「そうだね、いいと思うよ。どうか後悔がないように。……さ、そろそろご飯にしようか」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 温かなお湯に肩まで浸かり、長く息を吐く。

 

「ふう…………今日は色々あったな」

 

 クロトが誘ってきたときは、こんなことになるとは考えもしなかった。バトルなんて初めてしたようなものだし、キーストーンは自分と無関係な言葉だと思っていた。何より、旅に出たいと思う日が来るなんて。

 

「あんたは一日中楽しそうだったね」

 

 向かい合って湯船に浸かる、空色のキルリア。今も穏やかに微笑んでいる彼女は、思えば、出かけるときからずっと笑っていた気がする。違うのはバトルの最中くらいだったのではないだろうか。

 

「んー、楽しそうっていうより……微笑ましいものを見るみたいな。……ちょっと納得いかないけど、出会いがあれだし仕方ないのか。実際頼もしいものね」

 

 十年近く前、まだ小さかった頃の出来事。

 出かけた先のトウカシティで、私は両親の目を盗んで草むらに飛び込んだ。風に乗って微かに聴こえた歌声がどうしても気になったのを、今でも覚えている。

 歌声の主は、小さな池で水浴びをするチルタリスの群れだった。好奇心の強いチルットが私の頭に飛び乗ってきて、私のほうも恐れることなく触れ合った。

 すぐに仲良くなったチルタリスたちは私を乗せて少しばかり空を飛んでくれたのだが……解放感に気が緩んだ私は、空に手を伸ばした拍子に、その背から落ちてしまった。

 

 彼女と出会ったのは、そのときだ。

 視界いっぱいの空がぐるりと緑の草むらに変わったかと思ったら、その中の小さな空色──色違いのラルトスが、そのサイコパワーで私を受け止めてくれた。

 チルタリスたちには傷一つないことを伝えて和やかなまま別れたが、ラルトスはどうしても心配だったのか、トウカシティへ戻る私についてきて……そのまま、今に至るまで一緒にいる。

 

「あんたがどう思ってるのかは、正直もう分かってるけど。でも、一応聞いておこうかな」

 

 彼女の特性は『テレパシー』。“シンクロ”や“トレース”よりも相手を選び、ある程度の絆を必要とする代わりに、より深く通じ合う能力。

 それがあるから、私たちは言葉が通じなくても、互いの意思を感じ取れる。

 

「たくさん戦って、たくさん傷つくことになるだろうけど……私と一緒に、旅に出てくれる?」

 

 今までにないような笑顔で、彼女は私に飛びついた。その拍子に水面が揺れて、飛沫が跳ねる。

 

「わっ!? ちょっと、なんでそんなに喜んで……! 顔にお湯かかる──ああもう、やっぱり分かんない!!」

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