「長く辛い修行でした。千尋先生、心の底から教えに感謝を」
「いうほど辛くなかったでしょうに。それに長くもないですよ」
三日かかったが、逆に言えば毎日二時間を三日の合計六時間である。
さほど辛くもなかっただろうに。
このイケオジもスマートな冗談くらいは言えるのかと、私は素直に感心した。
「しかし、自転車は大変良いですね。問題は舗装した道路が無いと実力を発揮できないことでしょうか? ウチの国でも車輪自体はちゃんと発明されていましたが、普及しなかったのはその辺りに問題が――」
クレメンスさんはさっさと自転車の乗り方を覚え、軽快な音を立てて家の前の道路を走っている。
特に意味も無く、チリンチリンとベルを元気な小学生のように鳴らした。
その格好は甚平姿にママチャリ乗車、頭にはヘルメットを着けていて。
どうみてもインチキ外国人の爆誕である。
「この自転車は、サムライ号と名付けましょう」
あんた本当にサムライ映画好きだな。
別に構いはしないのだが。
私も軽トラックに「白銀号」と名付けてしてしまうネーミングセンスの類いである。
人のことは言えぬ。
「ところで、サムライ映画の何がそこまでクレメンスさんを惹きつけるんです? 日本にサムライはもういませんよ?」
なんとなく聞いてみた。
で、あくまでもなんとなく聞いただけなのだが。
クレメンスさんは真面目な人なので、真剣に受け止め、思うところを口にする。
「様式美の問題でしょうか。騎士道に通じるところがあります。深く語れば長くなりますが……」
まあ、どちらも戦士階級である。
とはいえ理想像のそれとしてであろう。
昔の騎士も武士も、基本的には地域で一番強かった山賊が、効率よく利益を叩き出すために領地と民衆を守るようになっただけであるのだ。
その点で誤解は無いだろうと思うのだが。
「まあ、理想像はですけどね。だからこそ、映画の中のサムライに憧れるのですが」
そこら辺もよくわかっているのか。
クレメンスさんは、少しだけ苦笑した。
そうだよな、この人は本物のファンタジー騎士だもんな。
魔法があるから、ほんの少しだけ現実より牧歌的な世界からやってきた戦士にすぎない。
「さて、千尋さん。練習としては合格点を頂きました。次は実技です。自転車で遠乗りしたいところですが、私一人では迷子になりかねないので」
「ええ、ご一緒します。ひとまず、村のスーパーに今日の食材でも買いに行きましょうか」
まあ、それにしたってクレメンスさんは紳士である。
問題があるとすればだ。
「それはそうと、千尋さん。一つ伺いたいことが」
「何でしょうか、クレメンスさん」
「……もちろん貴女を責めるつもりはないのですが、あのクマの件はどうなっているのでしょうか?」
クレメンスさんは紳士であり、やり残した仕事をほっぽり出して気楽に過ごせる。
そんな人ではないことだ。
「正直、私としても気になっています。公安警察さんから何か回答が――あったら、私に聞いてないですよね」
聞くまでもない。
彼は我が意を得たりとばかりに、首肯した。
「私が仕損じた仕事です。私が逃がした獲物です。私が敗れた相手です。もはや元の世界には帰れぬと聞いています。それについては誰のせいでもないので構いはしません。ですが、私にはあのクマを仕留める責任というものが残っています」
「はい、わかります」
クレメンスさんの立場であれば、確かにそう仰るであろう。
「もし私が逃がしてしまったクマが、この世界の民衆を襲って女子供に怪我をさせたり。最悪命を落とすようなことになれば、それは私の責任です。私の罪です。自らに刑罰をもって償わねばなりません」
「いや、それは」
さすがに違うだろう。
そう言おうとしたが、クレメンスさんの瞳は真剣である。
本心本意でそう考えているのだ。
彼の行動基準は騎士の理想像のそれであり、たとえ何があろうとも、あのクマだけは始末しておかねばならない。
そう考えているだろう。
「私は今、武装が禁じられています。数打ちの剣に過ぎませんが、愛用のロングソードもこの国家の憲兵に、警察という治安維持組織に引き渡しました。それは構いません。では、その代わりにあのクマだけは始末して、民を安堵させ、速やかに平和をもたらして欲しいと。公安警察さんにはそう伝えました」
「返事はなんと?」
「……今は難しいと」
難しいわけあるかボケ。
と汚い言葉を吐きそうになったが、彼の前なので堪える。
実際のところ、本当に簡単ならば、さっさとやっているであろう。
これが北海道ならば、すみやかに事が片付いた可能性すらあるのだが。
うーん、本州にヒグマがいたらおかしいことになるしな。
処理に困っているのだろうか?
「正直、玉虫色の回答を受けて困っています。千尋さんから見ての判断はどうかなと」
「うーん」
腕組みをする。
危惧はしていたのだ。
ハンターの高齢化や担い手不足が進んでいる昨今で、そんな簡単に猟師さんを連れてこられるのか。
しかもライフル所持者である。
日本ではライフルを所持するのに、基本的に猟師さんになってから10年かかるのだ。
そんな限られた人をどうにかしてウチの山に連れてこなければならないのだが。
どうやって? となると難しい。
まさかツキノワグマが出たと騙して連れてくるわけにもいくまい。
素人考えでは中々思いつかぬ。
「すいません、私にはわかりません。所詮は、単なる一般人にすぎないので」
国家の治安維持機構である警察さえ難しいというのならば、そうであろう。
頭にアルミホイルを巻いている電波系の人でもないので、国が言うのならばそうなのだろうと、素直に受け止めるしかないのだ。
私は本当に、どこにでもいるただの一般人にすぎないから、無力である。
もう、お爺ちゃんに相談してみようか?
それが正しい気がする。
「千尋さんのように美しい女性が一般人とは、ご謙遜を」
クレメンスさんは、腕組みをして持ち上がった私の無駄にでかい胸をチラリと見た。
まあ見られても構いはしないのだが。
どれだけイケオジかつ紳士でも、男の本能は隠しきれない。
それが男の性であると理解はしているので、止めはしないが。
「別に、美人くらい映画で沢山見たでしょうに」
私は呆れた声をあげた。
少し、話がずれてきている。
「……」
クレメンスさんは、首を捻って、どう口にすれば良いのかと。
困ったようにして、何か言葉をひねり出そうとして。
「私の国では、胸の大きさは七難隠すと言いまして。千尋さんはですね、その意味では私の仕えた国のどんな姫君よりも美しく――」
「しばくぞ」
とりあえず、下ネタを口にしたクレメンスさんの頬を、ぴしゃりと叩いて黙らせた。
さて、買い物に行こうか。
イケオジに本音で褒められるのはいいが褒め方にセンスが無く、まるで中年親父のそれなので。
ファンタジー騎士なのだから、もっとセンスを磨いて欲しいものだと溜め息を吐いた。
「帰りの荷物はクレメンスさんが多めに持ってくださいね」
はて、公安警察さんの一般常識講習に、セクハラを禁じるコンプライアンス教習はあるのかしらと。
そんなどうでもいいことを考えながら。
「千尋さん、怒ってる? 怒っているならば、心からの謝罪を」
「知りません」
私とクレメンスは二人並んで、田舎の道路をママチャリでひた走るのだった。