診療所に駆け込んで、とにかく悲鳴とともに、お医者さんを呼んだ。
看護師のお兄さんとお医者さんが飛び出て、患者を診療所に搬入して、すぐさま治療を執り行う。
大怪我である。
ヒグマに対して、絶対に勝てない人間が戦闘を試みたのだから当然の結末であった。
どうにも不思議なのは、すでに止血の必要も無く出血自体は止まっており、大きな傷も塞がりつつあるとのことであったが――ともあれ名も知らぬ命の恩人、西洋騎士が命を拾ったのは良かった。
私は一安心した。
ところでだ。
「えーと」
私は今から何をしなければならないのか?
それについて考える。
「警察に通報?」
ヒグマが出たのだ。
とにかくも危険なので通報しなければならない。
クマが出たのならば猟友会なのでは、という意見も出てくるだろうがそれは違う。
猟友会は行政からの要請で動く団体であるので、順序が違うのだ。
その程度はド田舎在住の山持ちとして知っていた。
「えーと、うーんと」
私はここで躊躇った。
別に警察に電話することに困るというのでは無く、どうやって説明したものかと悩んだのだ。
率直にヒグマが出たと説明すればよい?
おそらくはツキノワグマが出たのを、恐怖があまりにヒグマと見間違えたんだねと警察には誤解を受けるだろうし。
やってくる村の駐在さんからは、ここら辺はツキノワグマすらいねえよとツッコミを入れられるだろう。
普通に信用して貰えない現実はあったが。
幸か不幸か、被害を証明する手立てはあるのだ。
我が軽トラック『白銀号』の被害状況を見れば、一発で大型のクマに襲われたとわかるからだ。
「それに、被害者もいるしね」
私のことではない。
私は幸い打ち身がある程度で無事だが、代わりに命の恩人が犠牲になった。
彼の西洋甲冑の損傷を見れば、人ならぬバケモノと戦ったのは一目瞭然である。
クマの突撃でプレートメイルの胸甲は凹み、腕に至っては囓られた痕がある。
これもまた証明となるだろうが。
「……」
そもそも、今は鎧を外されて、ベッドの上で寝転がっているイケオジ。
この男性は、なんで我が家の私有地である里山にいたのだろうか?
いや、命を助けてくれたんだから、不法侵入を咎めるつもりはないのだが。
そもそも別に侵入ぐらいは咎めるつもりなどない。
地元民の山菜取りならば許容しているのだ。
問題はだ。
「……これは本物の甲冑だった。それこそヒグマから身を守れるぐらいの。では、あの剣は?」
西洋騎士は、確かにロングソードでヒグマを斬っていた。
ヒグマの分厚い皮膚と体毛に対し、どこまで効果があったか不明だが。
今この場にはない。
さすがに剣まで拾ってくる余裕はなく、あの現場に置き去りにされたままだ。
「えーと? この人、かなりの不審者?」
ヤバイ人である。
もちろん私は助けて貰ったのだから、この人を一生懸命庇うつもりであるが。
それはそれとして、なんで西洋甲冑姿でロングソードを持っていたんだよ。
甲冑はまあ良い、何も違法要素はない。
いわゆるヘヴィファイトという、ウクライナの本物の鍛冶屋から甲冑を輸入して殴り合うスポーツだって存在ぐらいは知っている。
だが、刀は不味い。
あのロングソードが本物だとしたら、明らかに銃刀法違反である。
海外刀剣である以上は、日本刀とは違い美術刀剣であるという言い訳も通用しないだろう。
「……」
少し悩む。
いや、と首を振る。
私はあのロングソードが本物かどうかすら判断できない。
現実として、ヒグマには通用しなかったから敗北したのだ。
刃のない模造刀だった可能性もあるし、なんならコスプレグッズかもしれない。
そもそも、この場には存在しないのだ。
すぐさまに、命の恩人である彼が逮捕されることにはならないだろう。
「とにかく通報だ」
それしか判断の余地がなかった。
だが、私は110番をプッシュするのではなく、まずは駐在所に電話をすることを選んだ。
最悪の場合、どうとでも誤魔化せるからだ。
というのも、私は元村長の孫である。
おじいちゃんはここら一帯の名主であった。
ここら辺の山は全て、我が家が所有している土地なのである。
まるで因習村の権力者であった。
要するにだ。
社会的には大変良くないことではあるが、ド田舎の因習力で西洋騎士のロングソード一本ぐらい、ちょっと見て見ぬ振りをするぐらいならば令和ですら可能である。
あの剣は没収した上で、どこか小さな鉄工所で溶かすことになるだろうが。
ともあれ、そういう計算が無かったと言えば嘘になる。
「もしもし、駐在さん? 伊藤ですけど、今パトロール中ですか?」
「どうしたい? 千尋ちゃん。いや、駐在所にいるけど」
「すいませんが今すぐ診療所まで来てください。ヒグマが出ました。嘘じゃありません」
ガハハという、電話先からの笑い声。
まあ、信じてもらえないのは分かりきっていたが。
「証拠はあります。とにかく来てください」
「わかった。わかったよ。イノシシか何かと見間違えたんだと思うけどね」
私は信じてくれぬ駐在さんを相手にせず、電話を切り。
意識を失ったままの西洋人男性を見た。
「それにしても、本当にイケオジだな」
下手すれば、俳優か何かだろうか?
日本人の多くは映画の見過ぎで勘違いをしているが、西洋人とて別に皆が容姿の整っているイケメンばかりではなくて、不細工は普通に不細工なのである。
映画俳優のルックスが日本人のスタンダードなんだろと言われても、日本人だって困るだろう。
とにかくだ。
そんな現実の中で、このイケオジはハリウッド映画の主人公だとしても、何の不思議もないぐらいに容姿が整っていた。
「……うーん」
首を捻る。
謎だらけであった。
ここら辺で映画の撮影の予定なんかあったか?
ともあれだ、悪いようにはしたくない。
私はお爺ちゃんにも電話をすることにした。
「もしもし、お爺ちゃん? 本当に悪いんだけど、ちょっと診療所まで来てくれる?」
念のため、権力者も呼んでおくことにした。
処世術である。
二十代後半の芋ジャージの小娘一人では、どうにも手が足りていない。
「うん、お婆ちゃんはよく寝てる? 念のため、代わりに留守番のホームヘルパーさんを呼んでおいて。うん」
介護中のお婆ちゃんには本当に申し訳ないけれど。
とにかく、孫娘が死にかけて、それをこの男性に救って貰ったのだ。
できる限りのことは礼として返すのが、人としての筋というものであった。
私はお爺ちゃんと駐在さんを呼んでだ。
さて、これからどうしたものか。
ともあれ名も知らぬ命の恩人が意識を取り戻すのを、ベッドの横で待つことにした。