駐在さんとお爺ちゃんが来た。
イケオジは気絶から目覚めないままである。
とにかくも、私個人による状況説明を始める。
「イノシシの牙に突撃されたのではなくて? 本当にクマだったんですか? 確かに、爪で引っ掻いたようには見えますが」
「イノシシだと、こんな爪痕は残らんじゃろ。まあクマじゃの。ヒグマかどうかはともかく」
私の軽トラック「白銀号」の荷台に残った爪痕を見て、首を傾げる。
ヒグマであった。
あれは間違いなくヒグマであった。
「他にも証拠があります」
申し訳ないが、治療する際に脱がしたプレートアーマーを用意する必要があるな。
よいしょ、とばかりに看護師のお兄さんが台車に載せて持ってきてくれた。
「うーん。確かに凹んでいて、噛んだ後も腕部にありますが……イノシシも同じ事が出来るのでは?」
「これはどうなんじゃろ? クマかどうかはわからんような」
こちらはあんまり証拠にならないようだ。
がっくりと肩を落としながら、信じてくれとばかりに泣き言を口にする。
「私の言葉って、そんなに信用できませんか?」
「いや、大型の獣に襲われたのは間違いないと、本官も思っておりますよ? 証拠もありますし」
それにしたってヒグマが本州にいるとは、と。
まあそうですね、と私も理解はする。
私だって最初は夢だと思ったぐらいなんだし。
「何の対処もしてくれんと? 孫娘が襲われたというのに?」
お爺ちゃんが、まあ理解はしつつも不快気に眉を顰めるが。
「警察の務めとして、すぐに住民に注意喚起、警戒やパトロールは当然しますとも。大型の獣が出たならば、老人や子供が危険ですし。それよりですね。怪我をしていない千尋ちゃんより、実際に被害に遭った方から事情聴取がしたいのですが……まあ、野生動物による被害で、被害届は出せないんですが。行政には連絡できます」
それはそう。
私は打ち身程度の怪我でしかなく、ヒグマに直接殴られたわけではない。
怪我をしたのは、あのイケオジである。
彼に説明して貰えば良いのだ。
「怪我をした人を無理に起こすのは、ちょっと。足を負傷していますし。鎧越しなので、クマに噛まれたのかイノシシに噛まれたのかまでは、わかりませんが」
看護師のお兄さんが首を横に振った。
まだ気絶したままか。
「だねえ。後で話を聞こうか。本官はすぐに本署に連絡して、パトカーで回りながら村内に注意喚起します」
そう口にして、駐在さんがパトカーに乗って去る。
緊急性を考えれば、その方がいいだろう。
「さて、千尋や。イノシシにせよ、クマにせよ、お前は命を助けられたと聞く。その恩は返さねばならんじゃろ。看護師のお兄さん、治療費は伊藤家に回してくれ。ああ、あと目覚めたようならばウチに来てくれと。御礼がしたいとな」
「わかりました」
看護師のお兄さんが去る。
「さて、千尋。とりあえず帰ろうか。軽トラはまだ動くかい?」
「白銀号は修理工場行きだね」
必要があったので運転したが、さすがに故障状態の軽トラは運転するのも危険である。
法律的にも道路交通法違反だろう。
幸い田舎なので土地は余っているし、そもそもここいら全域は我が家の私有地だ。
診療所の土地も、我が家が地域医療貢献のため、ただ同然で貸しているだけである。
許可を貰って、ここに置いていこう。
「では儂も乗ってきたスーパーカブを置いていって、タクシーを呼ぼうか。ああ、ちょっと待て。その前に身を挺して娘を助けてくれた、男前とやらの顔を拝んでから帰ることにしようか。それすらせんのは、さすがに礼儀に欠く」
「あ、うん。私も行く」
顔も見ずに帰るのは、さすがに不義理である。
診療所の中に入ると、そこにはイケオジがいて。
ブルーアイズをパチクリと開いて、辺りを見回していた。
「おっと、起きたのか。駐在さんとは一足違いだったのう」
お爺ちゃんの言葉に反応して、その眼がこちらに向く。
瞳は明確に知性を宿していて、その相貌はやはりイケオジである。
「失礼。私はクマと闘って、負けてしまったところまでは記憶があるのですが。それ以降の記憶が……」
「うむ。怪我の様子はどうかな?」
「……治療は済んだようですな。ここの医者は腕が良いようだ」
どうやら無事なようだ。
言葉も明瞭で、意識はハッキリとしている。
「意識がハッキリしているようなら、まずは礼を言わせて頂きたい。貴殿がクマから命がけで救ってくれたのは儂の孫娘でな。伊藤千尋という」
「どうも。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる。
イケオジは偉ぶるでもなく、ほっとした表情を見せて答えた。
「いや、気にしないでいただきたい。ご婦人をお守りするのが、騎士たる者の務めです」
騎士か。
いや、確かに騎士なのだろうが。
格好も騎士だったし、精神も騎士なようである。
それは大変よいが。
「儂も自己紹介をしておこう。儂の名は伊藤清十郎。さて、男前さん。礼を言うためにも、貴方の名前を聞いておきたいところなのじゃがのう」
「これは失礼した」
イケオジはぺこりと頭を下げた。
それにしても、大変に流暢な日本語を喋るな、この西洋人のイケオジは。
そのイケオジが片足を後ろに引き、地面を足先でこするようにしながら、上体を深く曲げて礼をする。
西洋人の古い儀礼作法。
いわゆるボウ・アンド・スクレープというやつである。
「我が名はクレメンス。クレメンス・フォン・ベリンゲンと申します。お見知りおきを」
礼儀まで騎士かよ。
私はそう思ったが、ともあれ命の恩人である。
丁重に扱おうと思いつつも、私は聞いておきたいことを尋ねた。
「その、質問があるのですが。クレメンスさんは何か映画の撮影であそこにおられたのですか?」
「はい?」
クレメンスさんが首を捻る。
映画という意味がまるで通じないかのようだ。
「いえ、その……ようするにシネマです」
「シネマ? すまないが、ちょっと意味が理解できない」
本当に意味が理解できないようで、困った様子だ。
いや、そこまで日本語が操れて、映画もシネマも分からないと言うことは有り得ないと思うのだが。
「残念だが、翻訳魔法が働いていないようだな」
それをクレメンスさんは、翻訳魔法が働いていないと例えた。
なかなかに愉快な表現を口にする人だ。
「さて、どうするか。お連れの方はおられぬのですか? 今晩の宿の予定は?」
「いえ、何も。その、最悪はそこいらで野宿します。お構いなく」
「いや、怪我人を、そういうわけには……」
顔だけで食っていけそうなイケオジが、困ったように視線を泳がせてだ。
何か我々に関わりたくない様子を見せている。
それに薄々気付きながらも、お爺ちゃんは話を続ける。
「失礼ながら。この辺りに宿はありますか?」
「残念ながら、ありゃあせんですの。ド田舎ですので」
「はて、ここのどこが田舎ですか? 山の頂上から見下ろしましたが、里山や畑がよく整備されている豊かな土地に見えましたが。その、どうやって維持しているのか不思議なほどの」
そうか?
そりゃあ畑だけは沢山あるが、土地が安いってだけである。
使い道もないから、お爺ちゃんが農業従事者にはただ同然で貸しているのだ。
ところが、まあ爺ちゃんは自分の村を褒められて、少し気を良くしたようである。
「ふむ。貴方は孫娘の命の恩人です。粗末な家ですが、この老人の庵でよければお貸ししましょう。ともあれ、本日はお泊まりなさい」
「ちょっと?」
私は思いきり爺ちゃんの袖を引っ張る。
いやいや、命の恩人を粗略に扱わないのは当然にしても。
私はうら若いとはいえないが、二十後半の乙女なのである。
家族はお爺ちゃんとお婆ちゃんしかいないし、母屋ではないとはいえ庵を知らん人に貸すのもちょっと。
このイケオジに私が襲われるだなんて、自惚れているわけではないが。
タクシー料金と宿代を渡して、街まで行ってビジネスホテルにでも泊まって貰えば良いではないかと。
そうは思うが。
「……」
お爺ちゃんの瞳は、何か考え事をしているようである。
うん?
完全な善意だけという話でもないのか?
私はとりあえず黙ることにした。
「わかりました。そうさせて頂ければと」
クレメンスさんも、ちょっと困った様子ではあったが。
観念したのか、逃げ出すのは断念してお爺ちゃんに従ってくれるようである。
私は困惑したが、ともあれ両者の判断に従うことにした。