タクシーを呼んで家に帰る。
のだが、ちょっとそこで困った事というか。
不思議な事があった。
「?」
クレメンスさんがタクシーを見て、少しだけ戸惑いの表情を見せたのだ。
もちろん、ほんの少しだけだ。
生まれて初めて自動車に乗るわけではないだろう。
「じゃあ、クレメンスさん。儂は助手席にのるから、千尋と一緒に後部座席に乗っておくれ」
「承知した」
お爺ちゃんが前の座席に乗る。
その様子を興味深げに観察した後、同じようにクレメンスさんも後部座席に乗った。
私もその後に続く。
「では家まで頼むよ」
地域タクシーの運転手は、伊藤家がひいきにしている顔馴染みである。
住所を指示するまでもない。
特に何事もなく、家路につこうとするが。
「……」
クレメンスさんは、どうも不安げ――いや、違うな。
興味深げに窓の外を観察している。
それだけでなく、運転手がどうやって自動車を動かすか、その仕組みにも視線を注いでいた。
知的好奇心の高い、教養のある人物が賢明に状況の理解に努めているような。
そんな憂い顔を示しているのだ。
私は憂い顔までイケオジだなあと思うだけであるが。
「……この辺りに馬はいないのですね」
彼は質問をした。
何か世間話をするかのような一言であったが。
「昔と違って農耕馬はおりゃあせんですな。神社が御神馬を飼育している程度です」
「……昔と違う。それはもっと効率的な農耕方法があるためですか?」
なんだか変な質問である。
話が通じるようで、通じていない。
トラクターもあれば、コンバインもあるのだから。
そんな農業機械は世界中の何処にでもあり、それを知らないわけではあるまい。
「農業機械ですな。そう、例えば水車からの回転エネルギーを転用し、製粉機の石臼を回すような。効率的な農耕方法が開発されてから、牛や馬を利用する意味がなくなりました」
「……なるほど、理解しました」
お爺ちゃんは、その微妙にずれた質問を気にも止めないでいる。
それどころか、クレメンスさんに細かく原理を教えていた。
不安にさせぬよう配慮をしているかのように。
「……他に質問はありますか? 何でもお答えしますよ」
「いえ、疑問は解消できました。その、清十郎という御名前でしたか。どのようにお呼びすれば失礼がないかを教えて頂きたい。出来ればお嬢さんである千尋に対しても。無礼があってはよくない」
おそらく、他にも聞きたいことはあるのだろう。
それは隠しきれずにいたが、先に儀礼についての質問をする。
「礼儀正しい御方ですな。まあ、最近は何かにつけて名前の後に「さん」を付ければ男女とも成立します。私には清十郎さん、娘に対しては千尋さんと。同じように、貴方のことはクレメンスさんと呼ばせて頂くがよろしいか?」
「問題なく。以後はそうさせて頂きます。次に――大変失礼ながら、貴方の立場を教えてくださらないか?」
お爺ちゃんの話か。
さて、自慢話をする趣味はお爺ちゃんにはないのだが。
「ここら一帯の名主だよ。クレメンスさん、ここら一帯の田んぼや里山は知っているかい?」
タクシーの運転手さんが先に声をなげかけた。
「うむ、見事な土地だな。山の頂上で、しかと眼にしたぞ。平地の少ない山間部を、よくぞここまで見事に開拓したものだと……よほど有能な人間が差配しているに違いない」
「それ全部、清十郎さんの土地だから」
ぎょっとした顔を、クレメンスさんがした。
「何? ということは、清十郎さんは領主であられるのか?」
領主て。
これまた古い言い方をするな、このイケオジ。
「大昔にはそうじゃったの。現代では領主なんておらんがの」
「というと?」
「土地の私有権だけをもっていて、別に徴税権は有していないといえばわかるかの?」
お爺ちゃんは、またもかみ砕いて説明する。
私はさっきから不思議に思っているが、クレメンスさんは考え込んで。
「……理解しました。それでも権力者であることに変わりはないでしょう。大変に失礼を」
「気にせんでええよ。そもそも孫娘の命を救って貰っておいて、無礼も何もない」
クレメンスさんは何かちぐはぐである。
瞳には知性が確かに宿っているし、礼儀も丁寧かつ紳士だ。
にもかかわらず、どうも及び腰で奇妙な質問をしてくる。
まるで大昔の騎士がそのまま出てきたような。
「……」
私は首を傾げた。
さて、そろそろ私も話をしよう。
お爺ちゃんばかりに喋らせるのもなんだ。
「その、クレメンスさん。クマから助けて頂き有り難うございました」
ぺこりと頭を下げる。
クレメンスさんは、和やかに応じてくれた。
「いえ、お気になさらず。ご婦人を助けるのは騎士の義務です。何度も言いますが、私は務めを全うしたにすぎません」
「はあ」
素晴らしい騎士道精神ではあると思うのだが。
この人はなんで自称騎士をいつまでも名乗っているのだろう。
配役か?
俳優の方は、たまに役柄にのめり込む人がいると聞くが。
メソッド演技か何かだったかしら?
「……」
ここで山中に置き去りになっている、ロングソードの話をしようかと思ったが。
タクシーの運転手さんがいる中で、話すわけにはいかない。
さてさて、世間話でも。
「クレメンスさん、ご年齢は?」
「38ですな。この年まで独身で、いたずらに齢ばかりを重ねてしまいました」
ははは、と魅力的な笑顔で、自嘲気味に笑い飛ばす。
ええ……このイケオジで結婚できないの?
それだと、私なんて永久に無理だよ。
この芋ジャージ女が結婚できないのも仕方なくない?
「……」
閉口する。
なにか不味いことを言ったか?
とばかりに、クレメンスさんはきょとんとした。
「何か気分を損ねてしまいましたかな?」
「いえいえ。我が身の非才を嘆くばかりで」
「ふふ。嘆かれることもありますまい。貴女はまだまだ若いのですから。えーと、その、まだ18ぐらいでしょう?」
いくらなんでもそれは無理があるだろう。
私は28だよ。
「28です」
「は?」
ぎょっとした顔になった。
クレメンスさんは心底驚いたと言わんばかりの顔で、まじまじと私の顔を見つめている。
いや、アジア人は若いって言われるけど、それだって限度あるでしょうに。
「……誠に失礼ですが、お手を見せて頂けますか?」
「はい?」
私は手を見せてくれと頼まれて、見せる。
無骨なイケオジの手が、私の手を撫ぜた。
「……失礼、あの、姫君のような柔らかい手なのですが。お顔を見ても、とても28の齢を重ねたとは思えず……」
「すいません、海外ではそのように女性を褒めるものですか?」
この人、実はイタリア人かしら?
そのように口説かれるとまんざらでもないが。
それが褒めるための大げさな素振りでは無く、どうも本気の声色だと尚更だ。
「その、いえ――失礼しました。私の国とは何もかも常識が違うようで」
私の手を離し、こほん、と自分を落ち着かせるように咳をする。
なんだか気まずそうである。
困ったように、視線を泳がせている。
私は褒めて貰ったのだから、全く不快ではないが。
「そろそろ到着します」
運転手さんが、声をかけてきて。
とりあえず、私とクレメンスさんは微妙な雰囲気のままタクシーから降りることにした。
それにしても――悪人ではないという前提で言うが。
この人、色々と胡散臭い、怪しいひとだなあと。
私は素直に、そんな感想を抱くのだ。