クレメンスさんの立場は棚上げされている。
戸籍の用意がそれほど難しいのかと思ったが、聞いたところ違うらしい。
逆である。
別に戸籍ぐらいはどうとでもなるが、何処がクレメンスさんを確保するか。
要するに『クレメンスさんを組織に取り込むのは何処なのか』で問題化しているのだ。
たとえば公務員になるにしても、それはどんな立場になるのか。
医療なんだから、厚生労働省ではないのか。
どう考えても治癒魔法を最大限に活用するなら医療方面に就くべきだろうと。
まあ、それは素直に頷けるのだが。
ここで横から口が挟まる。
山に落ちてたんだから、その自治体ではないのかと。
ウチの山で取れたんだから、ウチの地域に配属されないとおかしくないかと言い出した。
農作物や特産物じゃあるまいしとは思ったが、クレメンスさんを異世界として見定めた第一発見者は確かに元村長のお爺ちゃんである。
多少の言い分はあるかもしれなかった。
それらに対して、公安警察は首を振った。
いやいや、もう公安警察が見つけたんだから、このままウチだろうと。
異世界転移事故を担当している公安警察に入るのが一番良いだろうと。
クレメンスさん本人を蚊帳の外に、取り合いが始まった。
とにかく大変ややこしいことになっているそうだ。
異世界転移のケース自体がレアすぎて、こうしたときの取り決めが決まっていないから尚更である。
「結局、我田引水というわけでして」
そういったことをクレメンスに、一応は柔らかく説明しておく。
我田引水ということわざ、ちゃんと翻訳魔法で伝わるのかと思ったが。
「村同士の水源を巡る争いは、殺し合いにいつ発展してもおかしくないので……その欲が醜いと切って捨てることは出来ず、誰もが立場上、必死になるのはわかります。まあ、私には人材価値があるようで安心しております」
とりあえず、意味は通じたようだ。
ことわざとしてでは無く、そのままの意味としてのようだったが。
まあ通じているならいいか。
「かくいう私も、外交官として他国と『この川はどちらの国のものか』でずっと話し合いをしたこともありました。懐かしいですね」
「はあ、その時はどちらのものになったので?」
正直あまり興味は無いが、会話というものはキャッチボールなのだ。
私は聞き上手の自覚があった。
クレメンスさんの昔話に、しっかりと付き合う。
「どちらにも民に対する国の面子というものがありますので。とりあえず、騎士同士で闘うふりを見せて、どちらにも死者が出ないようにイカサマをしました」
「というと?」
「本当に戦争するわけにはいきません。どちらも譲る気はないし、この川はウチのものだけれど。本来はそうなんだけど、まあ一緒に仲良く使おうね! それはそれとして、たまには民に税金を貰っている手前があるから戦争しようね! ということでファニーウォーを延々と」
酷い話をしだしたな。
もうどうせ異世界なんだからいいやと、クレメンスさんはぶっちゃけ話をしだした。
騎士には守秘義務がないのだろうか?
いや、異世界騎士にコンプライアンスを求める方が間違っているのかもしれない。
「さて、こういった争いなんですが、国民感情を慰撫する以外に意味がありまして。基本的には騎士や兵士の初陣として機能します。まあ実情は模擬戦闘なんですが」
「はあ、訓練として利用しようと?」
「初陣を済ませていない騎士など、一人前と見做されないもので。お互いにマイクパフォーマンスとして名乗りを上げて、もちろん台本どおりに動いてですね。互いの国家にとって、死なれたら困るけど、実績も無いのに出世させるわけにもいかない重臣の息子を初陣させたり。ちょっと王子の実績のために、相手の強騎士に裏で頼んで、わざと一騎打ちで負けてもらったりですね。もちろん勝った後は、失われた名誉に値する補填報酬をその強騎士に裏で支払いますが……」
プロレスか何かかな?
名誉なんて、しょせんチャンピオンベルトにすぎないのかな?
いや、まあ、こちらの世界でも歴史的にはそういうことがよくあったのかもしれないけれど。
「打ち合わせと違う動きをしてしまうこともよくありました。すぐにお互いに動きを停止して、台本と違うじゃんと相手の外交官が苦情で怒鳴り込んできたり、私も確認の上でこちらの手落ちを謝ったり。またその逆もありました。いやあ、懐かしいですね」
ともあれ、クレメンスさんの世界は意外と牧歌的であった……のか?
まだ情報が少なすぎて、なんとも言えないが。
万人の万人に対する闘争とまではいかず、ちゃんと社会秩序のある世界であったようだ。
「ドラゴンとか居なかったんですか?」
ほへー、と感心しながらも、素直に聞きたいことを聞いてみる。
ちょっと間抜けな質問かもしれないが、大事な事だ。
「居ませんでしたね。魔法という神秘はありますが、モンスターはいない世界でした。生きている人間が一番怖い世界でしたよ。それはこちらも変わらないようですけどね」
クレメンスさんは、少しだけ寂しそうに答えた。
私が一番関心することは、このイケオジがとても知的で理性的かつ、一言にすれば頭が良いと言うことだった。
まあ、考えてみれば単純な話だ。
紀元前の哲学者ソクラテスさんと、この伊藤千尋のどちらが賢いかと考えると、そりゃ言うまでもなくソクラテスさんである。
現代教育による知識の豊富さと、物事を理解して発展させる知能指数は全く別な話なのだ。
騎士階級で、外交官でもあった彼の頭が悪いわけないのである。
「……」
私はクレメンスさんの姿を見た。
西洋甲冑を脱いだ後の彼の服は、なんでもギャンベゾンという鎧下のジャケットで。
当然ながら普段ずっと着る服では無いので、そのままにしておくわけにもいかず。
今はネット通販で買った数着の甚平を着回している。
いや、最初は洋服の方がいいだろうと思ったのだが、許可を得る際にだ。
「これにしてください。これがいい」
とクレメンスさんがネット通販で見せた画面で言い張ったのだ。
本人の意向を無視するわけにはいかない。
ゆえに、なんだか彼の現状は、日本文化かぶれのインチキ外国人みたいになっている。
イケオジなので、何を着ても似合ってはいるが。
「それ気に入りましたか?」
「気に入ってます」
嘘はないようである。
満面のチャーミングな笑顔であった。
さて、このクレメンスさんをどうしたものか。
「あー、クレメンスさん、何か生活に不満などありませんか?」
私は率直に尋ねることにした。
こういうのはあれこれ考えるより、率直に尋ねた方がいい。
「いえ、特にありません」
問題は、このイケオジは別に何の不満も口にしない。
少なくとも、衣食住の世話になっている分際で文句を言う方がおかしいと。
そう考える御人だった。
「そもそも、この国の常識を弁えていないのに、自分の常識だけを頼りに世間をうろつくわけにはいきません。公安警察さんが常識を得る教育機会をちゃんと用意するとすでに仰ってくれてるのに、変な行動をするわけにはいかないでしょう」
もっともである。
実にマトモである。
そういうことを平然と口にする人だから、まあなんとかしたいと考えているのだが。
「あー、ウチの庭でよければ散歩しますか? 付き添いますよ?」
とにかく、太陽の光を浴びない生活も良くないだろう。
ともあれ健康に悪いので。
監禁生活ではなく、散歩ぐらいはした方が良いのだ。
「もし、よろしければでいいのですが。貴女に付き添い頂く名誉を」
そして、そういった私の好意をちゃんと理解してくれてだ。
素直に有り難いと喜んで、微笑んでくれるのがクレメンスさんであった。
今のところ、互いへの好意と敬意という会話のキャッチボールは成立している。
はて、理想の騎士とはこういう人物なのだろうかと思う。
きっとそうだろうな。
うん、と頷きながら、私は相変わらずの芋ジャージ姿である。
ちょっと恥ずかしいので、お洒落には届かずとも、普通の洋服ぐらいは着ようかしらと。
いやいや、イケオジを意識していると思われると恥ずかしい。
そんな少女のような心で、私は立ち上がったクレメンスさんに手を差し伸べられる。
恥ずかしながら――男性に礼儀正しくエスコートをされるのは、初めてであった。