TS転生した元男が演奏系配信者として稼ぐ話 作:深空 秋都
進学先を決めてから一年が経過した。
俺は小さく息を吐き、ベッドから身を起こす。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が春特有の柔らかな白さを帯びて部屋を満たしていた。
クローゼットの扉を開けるとそこには見慣れない真新しい制服が掛けられていた。
落ち着いたネイビーブルーのブレザーにチェック柄のプリーツスカート。
ハンガーからそれを取り外し、袖を通す。
まだ生地が硬く、身体の動きに馴染まないわずかな窮屈さを感じた。
鏡の前に立つ。
ブラシで丁寧に髪を梳かし、少し高い位置でポニーテールにまとめる。
鏡の中に映る自分は、顔の輪郭がすっきりと露わになり、どこか凛とした、いかにも中学生といった顔つきになっていた。
女子用の制服。
小学生時代をこの身体で過ごしてきた歴戦の猛者となった今ではさすがに慣れたものだ。
身支度を整え、リビングへと階段を降りる。
キッチンからはコーヒーの良い香りと、トーストの焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
「おはよう、義母さん」
「おはよう、在処……おっ!」
珍しく朝食を作っていた義母が振り返りざまに声を上げた。
フライ返しを持ったまま、まじまじと俺の全身を見つめてくる。
「いいじゃん! すっごく似合ってるよ、その制服。なんだか急に大人びて見えるっていうか……うん、かっこいい!」
「ありがと」
真っ直ぐな称賛の言葉に、俺は少しだけむずがゆさを覚えて視線を逸らした。
「でも、まだちょっと生地が硬くて、落ち着かないかな。肩のあたりが浮いてる気がするし」
「まあまあ、最初なんてそんなもんだよ。三年間着るんだから、そのうち自分の身体の一部みたいに馴染むって」
義母はからかうようなことはせず、カラッと明るく笑ってテーブルに朝食を並べた。
「ほら、しっかり食べて。中学校初日、元気に行かないとね」
「うん、いただきます」
食卓には温かいスープと少し不格好な半熟の目玉焼きが乗ったトースト。
「節目だからって変に緊張してない?」と義母は気遣うように聞いてきたが、俺は「大丈夫」と短く返した。
「先にいってきます」
「いってらっしゃい! 気をつけてねー」
義母の声を背に俺は玄関のドアを開けた。
中学生。
前世で一度経験しているはずだが、今の天音在処としては全く別のものに感じられた。
特別、緊張しているわけではない。少しだけ身が引き締まるような、静かな高揚感が胸の奥底にあった。
やがて、中学校の広い正門が見えてきた。
校内に入ると新入生たちの熱気とざわめきが充満していた。
あちこちで出身小学校が同じ同級生同士の歓声や、これから始まる生活への不安と期待が入り交じった浮ついた声が聞こえてくる。
俺はそんな喧騒の中を、少しだけ歩調を緩めて進んだ。
すれ違う生徒たちの視線が時折こちらに向くのを感じる。
小学生の頃から、自分の容姿がそれなりに目を引くものであることは自覚していた。義母が絶賛する実母と瓜二つだけあって容姿端麗である。
「あの子、綺麗だね」「……なんか、大人っぽくない?」
ひそひそとした声が、耳の端をかすめる。
露骨に困惑するわけではない。見ず知らずの同年代から向けられる無遠慮な視線の集まりにはどうしても一瞬だけ意識が向いてしまう。
自分がどう見られているかというより、この集団特有のキャピキャピとした熱量に前世のおじさんとしての感覚がわずかに居心地の悪さを覚えているのだ。
昇降口の近くにクラス分けのプリントが張り出された大きな掲示板があった。
そこにはすでに多くの新入生が群がり、自分の名前を探して一喜一憂している。
俺は人混みの中心に突っ込むのは避け、少し離れた位置から背伸びをして掲示板を眺めた。
「ええっと、名前は……」
目で文字を追っていると周囲の空気が少しだけ揺れるのを感じた。
俺に向けられていた視線が、別の対象へと引き寄せられていく気配。
直後、背後から底抜けに明るい声が降ってきた。
「在処ちゃん、いた!」
振り返るよりも早く、その声の主が俺の横に並び立ってくる。
高城真琴だ。
さらさらとした黒髪が春の風に揺れ、新しい制服に身を包んだ彼女は、どこからどう見ても目を引く美少女だった。
ただ単に綺麗というだけでなく、親しみやすい可愛らしさを併せ持っている。
「おはよう、真琴。似合ってるね、制服」
「本当? えへへ、ありがとう! 在処ちゃんこそ、すっごくかっこいいよ。髪型もすごく似合ってる!」
真琴が満面の笑みを浮かべると、周囲の空気がさらにざわっと動いたのを感じた。
俺一人でもそこそこ視線を集めていたのに真琴という圧倒的な存在が加わったことで、周囲の新入生たちの視線が明らかに俺たち二人へと集中したのだ。
「……あの子たち、すっごく目立たない?」「輝きのオーラが……」
そんな囁き声が聞こえてくるが、真琴は全く気にする素振りもなく、掲示板へと視線を向けた。
「クラス、どうかなー。同じだといいんだけど。探そ!」
「そうだね」
俺も一緒になって掲示板を探す。
真琴の屈託のない明るさに触れると少しだけ張っていた俺の肩の力も自然と抜けていくのを感じた。
「やった! 同じクラスだよ、在処ちゃん!」
真琴が嬉しそうに俺の腕を軽く揺らした。
「本当だ。これからよろしく」
「うんっ! よろしく!」
*****……
指定された教室に足を踏み入れると、新しいワックスの匂いと、黒板消しのチョークの匂いが微かに混ざった、学校特有の香りがした。
適当な空いている席を見つけて座る。
教室の中はまだ誰が誰だか分からない初対面の生徒たちで溢れ、一種の探り合いのような空気が漂っていた。
出身小学校が同じ者同士で固まっているグループもあれば、隣の席になった初対面の子と恐る恐る言葉を交わしている子もいる。
俺は自分の席に座り、スクールバッグを机の横のフックに掛けた。
こういう時、どう振る舞うのが自然な女子中学生なのか。
ライブハウスで義母のバンド仲間であるプロの大人たちと会話したり、ネットの海で不特定多数の視聴者を相手に配信をこなしたりすることは得意だ。
大人との会話は、ある種のロジックとマナーが存在するからやりやすい。
だが、学生特有の空気感にはどうにも馴染めないところがある。
極端に人と接するのが嫌いなわけではないし、話しかけられれば普通に返す自信はある。無愛想にするつもりもない。
そんな風に、教室内で少し浮きそうになる一歩手前の境界線にいた俺の視界にポンと明るい女の子が飛び込んできた。
「在処ちゃん! 席、隣だね!」
真琴だった。
彼女は俺の隣の空席を指差し、にこっと笑いかけてきた。
「やったー! 一番前の席にならなくてよかったぁ」
真琴が隣に座ると、俺の周りに漂っていた見えない壁のようなものが、すっと融解していくのを感じた。
真琴は持ち前の親しみやすさで、すぐに前後の席の子たちとも軽い挨拶を交わし始めている。
「ねえねえ、在処ちゃんの筆箱、それ新しくしたやつだよね?」
「ああ、うん。中学生になるから、ちょっと落ち着いた色に変えてみたんだ」
「大人っぽくてかっこいい! 私のも見てよ、これ」
周囲のクラスメイトたちが真琴の明るさに引き寄せられるように俺たちの方へ時折視線を向けてくる。
それは先程までの遠巻きに見るような視線ではなく、もう少し親しみを込めた、あるいは興味を持った視線に変わっていた。
「あ、あのさ……」
前の席の女子が、少し緊張した様子で振り返ってきた。
「その……二人とも、すごく大人っぽいっていうか、綺麗だね。もしかして、同じ小学校だったの?」
「うん! ずっと一緒なんだよー」
真琴が明るく答える。
俺も「よろしくね」と、できるだけ柔らかい声でかすかに微笑んだ。
前の席の女子はパッと顔を輝かせ、「よろしく!」と嬉しそうに笑った。
(……うん、なんとかなりそうだな)
俺は内心で小さく安堵の息を吐いた。
真琴がいなければ少し警戒した態度をとってしまい、孤立はしないまでも、微妙に距離を置かれる立ち位置になっていたかもしれない。
改めて、隣で楽しそうに笑っている真琴の存在の大きさを実感する。
やがて担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。
そのまま体育館へと移動し、厳かな雰囲気の中で入学式が執り行われる。
校長先生の長い祝辞、新入生代表の挨拶、校歌斉唱。
どれも前世で一度は経験したはずの光景だが、新鮮な気持ちで受け止めることができた。
式が終わり、教室に戻ってプリント類の配布や明日の連絡事項を済ませると、初日の日程はあっさりと終了した。
「起立、さようなら」
号令に合わせて挨拶をし、生徒たちは三々五々、教室を出ていく。
俺もスクールバッグを持ち上げ、席を立った。
「在処ちゃん、一緒に帰ろ」
真琴が駆け寄ってくる。
「うん、帰ろうか」
教室を出て、廊下を歩く。
真新しい上履きが、床をキュッキュッと鳴らす。
すれ違う上級生たちの姿、掲示板に貼られた部活動紹介のポスター、窓から見えるグラウンドの風景。
ただ、新しい環境に身を置き、少しだけ緊張し、そして真琴のおかげで無事に一日を終えることができた。
それだけのことが、心地よい疲労感となって身体を包んでいた。
靴箱でローファーに履き替え、校舎の外に出る。
「ねえ、在処ちゃん」
不意に、真琴が俺の名前を呼んだ。
「ん?」
俺が振り返ると、真琴は少しだけ歩みを遅らせ、俺の顔を真っ直ぐに見つめてきた。
その瞳には、春の陽光を反射して、きらきらとした期待の色が浮かんでいる。
「今度、一緒に部活見に行こうね。軽音部だっけ?」
軽音部。
この学校を選んだ理由の一つでもある、中高合同で活動しているという軽音楽部。
学生という身分を通して、音楽活動をするのは何物にも代えがたい価値がある。
少なくとも俺は前世の経験からそう思っている。
「そうだね。一緒に」
俺が頷くと、真琴はぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。
「やった! 私、ドラムもっと上手くなりたいからさ。在処ちゃんのギターと合わせられるくらいにね!」
「期待してる」
軽口を叩き合いながら、校門をくぐる。
隣を歩く真琴の明るい声を聞きながら、家への帰路についた。