TS転生した元男が演奏系配信者として稼ぐ話 作:深空 秋都
翌日の放課後。
入部届を持って、俺は真琴と一緒に特別棟へ向かっていた。
「なんか、ちょっと緊張するね」
隣で真琴がそんなことを言う。
「もう昨日見学したのに?」
「見学と入部は違うよ。なんかこう……ちゃんとした感じ!」
そう言って、真琴はスクールバッグを軽く叩いた。
たぶん中に入部届が入っているんだろう。
渡り廊下を抜ける頃には、もう音楽室の方から音が聞こえてきていた。
軽いドラム。ギター。ベース。
昨日と同じだ。
「失礼します」
第二音楽室の扉を開けると、昨日と同じく三浦先輩がすぐにこちらへ気付いた。
「あ、来た来た。昨日のすごい一年生コンビ」
「すごい……コンビ?」
真琴が疑問符を浮かべる。
三浦先輩は楽しそうに笑った。
「ふふっ……で、二人とも、今日も見学?」
「いえ」
俺と真琴がそれぞれ紙を出すと、先輩は受け取って軽く目を通した。
「体験期間なしでいいの?」
「もう決めてるので」
「はいっ。私も在処ちゃんと同じくっ」
三浦先輩は目を丸くした後、「今年は押しが強いねえ」と笑みを浮かべた。
「確かに受け取りました。顧問の桜木ちゃんに渡しておく……歓迎するよ、天音さん、真琴ちゃん」
差し出された三浦先輩の手を握る。
「ま、今日はまだ他の人は体験入部期間だから、ゆっくり見学していきなよ。もう何人か新入生も来るはずだし」
「はい」
答えながら、音楽室の中を見回す。
昨日と同じ機材、同じ空気。
でも、見え方は少し違う。
見学者として立っているんじゃなくて、もうここに入る側なのだと思うと、それだけで居心地が変わる。
真琴はさっそくドラムセットの方を見ていた。
ゴーサインを出したら飛びついて叩き始めそうな顔だ。
「こんにちはー!」
入ってきたのは、昨日見学に来ていたショートカットの子だった。
少し日に焼けた肌。
すらりと長い手足。
いかにも運動が得意そうだ。立っているだけで健康的な印象を受ける。
「あ、いたいた!」
俺たちを見つけるなり、その子はぱっと顔を明るくした。
「今日も来たんだね!」
「うん。さっき入部届出してきたところだよ」
真琴が答える。
「はやっ!?」
彼女はオーバーリアクション気味にのけ反った。面白い子だな。
「いらっしゃい。今日も見ていく?」
三浦先輩がそう声を掛けると、彼女は「はい!」と元気よく頷いた。
「今日はベース触りたいんですけど、いいですか?」
「うん? ああ、構わないよ。貸し出し用のがあるから持ってくるよ」
「ありがとうございます!」
そう言って笑う。
ころころと表情の変わる、分かりやすい子だ。
「そうだ、ちゃんと名乗ってなかったよね。私、
瀬名はそう言って、まず真琴の方へ、それから俺の方へ向き直った。
「真琴ちゃんと、在処ちゃんで合ってる?」
「合ってるよっ。よろしくね、瀬名ちゃんっ」
「よろしく」
「うん、よろしく!」
笑顔が眩しい。
それに明るく、気持ちのいい声だ。
「瀬名ちゃん、今日はベースやるの?」
「やる。やるけど……その、ほぼ初めてなんだよね」
少しだけ声が弱くなる。
「昨日は勢いで『やりたい』って思ったけど、冷静に考えたら私、ほとんど何も知らないし」
「ぜーんぜん問題なし。まだ体験入部期間だし、やる気ならこれから練習すればいいだけさ」
三浦先輩が明るく言う。
「最初から上手くできる子なんてそうそういないし。まずは音出しをしてみよう」
「はいっ」
返事は元気だ。
少し緊張はしていそうだけど、それでも前に出るのを躊躇わないあたり、彼女らしい。
先輩に呼ばれて、瀬名は壁際のベースを手に取った。
「お、思ったより重い……」
「ベースだしね」
真琴がくすっと笑う。
「まずは座ってやってみよっか」
三浦先輩に言われて、瀬名は素直に椅子へ座り直した。
左手でネックを持って、右手を弦の上に置く。
それだけなのに、どこかぎこちない。
「じゃあまずは開放弦から。右手の人差し指で、下に引っかける感じ」
「こうですか?」
ぽすっ、と妙に頼りない音が鳴る。
「あはは……」
瀬名が乾いた笑いを漏らした。
「最初はそんなもんだよ。もう一回やってみよう」
もう一度。
今度は少し強すぎて、べしっ、と音が鳴る。
「むずかし……ベースってもっと、こう、ノリでいける楽器だと思ってました……」
「ふふっ、どんなイメージなの」
三浦先輩が少し噴き出すように笑うと、瀬名は「いや、なんか!」と困ったように笑った。
「もっと勢いでどうにかなるかなって」
「ならないんだなあー」
「ですよねえ……!」
瀬名は右手の位置を変えたり、指の角度を変えたりしながら何度か試したけど、音は安定しなかった。
左手で押さえ始めると、なおさらだ。
「痛っ」
「大丈夫?」
「大丈夫だけど、指痛い! え、みんなこれ普通にやってるんですか!?」
「やってるね。やってるうちに慣れるさ」
「根性ですか……」
本気で言っている顔だった。
三浦先輩はいくつかコツを教えていたけど、瀬名はどうも一度に複数のことを意識するのが苦手らしい。
右手を気にすると左手が疎かになるし、左手を意識すると音そのものが雑になる。
「瀬名」
「え?」
気付けば声を掛けていた。
瀬名がきょとんとした顔でこっちを見る。
「右手はそこじゃない」
「……ここ?」
「もう少し前。ピックアップの真上くらい……手少し借りるよ」
俺は瀬名に近づき、手を軽く握る。
瀬名は「わあ」と声を上げ、真琴が「むっ」と唸る。
俺は気にせず続けた。
「うん。で、強く弾きすぎ。引っかけるっていうより、押して抜く感じ」
「押して、抜く……?」
「やってみて」
瀬名は言われた通りに右手を少し動かして、改めて弦に指を掛けた。
それから、今度はさっきより慎重に弾く。
ぼん、と低い音が鳴った。
「あ」
瀬名の顔が少し変わる。
「今のは悪くない」
「ほんと?」
「うん。少なくともさっきよりずっといい」
「おお……」
瀬名は嬉しかったのか、同じ弦でもう一度鳴らした。
今度もさっきに近い音が出る。
「ちょっと分かったかも!」
「じゃあ次、左手。押さえる位置、もっとフレットの近く」
「う、うん」
言われたことをそのまま素直に試せるのは、この子のいいところだ。
「力入れすぎ」
「入れないと鳴らなくない?」
「必要以上に入れると逆に音が汚くなるから」
「えぇ……ベースって気難しいんだ……」
その言い方が妙に面白くて、思わず口角が少し上がった。
それから何度か音を出しているうちに、少しずつ鳴らし方がましになってきた。
「だいぶよくなってきた」
「ほんとに?」
「うん。ちゃんと聞ける音になってる」
「やった! ありがとう在処ちゃん!」
瀬名が向日葵のような眩しい笑顔で礼を言う。
大層なことをしたわけでもないのにこんな笑顔で言われるとむずがゆい。
三浦先輩はそのやり取りを見ながら、どこか面白そうに頷いていた。
「天音さん、教えるの上手いねえ」
「そうですか?」
「うん。必要なことしか言わないし、一ノ瀬さんも混乱してない」
言われてみれば、そうかもしれない。
俺は誰かに丁寧に何かを教えるのはあまり得意じゃない。
でも、音の出し方や手の置き方とか、そのくらいなら分かる。
瀬名はまた右手を動かして、今度は二本の弦を交互に鳴らした。
音はまだ荒いけど、さっきよりちゃんとベースらしい。
「よし。じゃあ、せっかくだし簡単なのやってみる?」
三浦先輩がそう言って、壁際の譜面台から紙を一枚取り出した。
「一ノ瀬さんは簡単な部分だけでいいから。天音さん、真琴ちゃん、ちょっと付き合ってくれる?」
「はい」
「やる!」
真琴は待ってましたと言わんばかりの返事だった。
先輩に促されて、真琴がドラムセットへ向かう。
俺も近くのギターを借りてアンプに繋いだ。
瀬名はベースを抱えたまま、少しだけ目を泳がせている。
「え、待って。いきなりやるの?」
「難しくないやつだから大丈夫。間違っても気にしないで」
「う、うん……」
さすがに緊張しているんだろう。
声に少しだけ勢いが足りない。
「瀬名ちゃん、大丈夫だよ」
真琴がドラムの向こうから声を掛ける。
「わかんなくなったらこっち見て。私も簡単に叩くから」
「それ、フォローになってる?」
「なってるなってる」
俺の言葉に真琴はけろっと言った。
俺はアンプのボリュームを軽く調整してから、瀬名の方を見る。
「最初の一小節だけ数えるから、それで入って」
「うん」
「間違えても止まらなくていい。とりあえず雰囲気だけでも感じればいいよ」
「……了解」
瀬名が一度だけ深呼吸をした。
真琴がスティックを軽く鳴らす。
俺は短くカウントを出して、コードを鳴らした。
真琴のドラムが入る。
その後ろから、少し遅れて瀬名のベースが追いかけてきた。
最初の数小節はひどかった。
音の長さが合わない。
弦を間違える。
指が追いつかず、遅れる。
でも、止まらなかった。
瀬名は慌てながらも、ちゃんと食らいついてくる。
目線は譜面と左手と、たまに真琴。
余裕なんてまるでないのに、それでも弾くのをやめない。
「そのまま」
短く声を掛ける。
「一本でいいから、ちゃんと鳴らして」
「っ、うん」
瀬名が歯を食いしばるような顔で答える。
真琴の八ビートは安定している。
その上に俺がコードを置く。
そして瀬名が必死に音を追う。
音楽と呼ぶにはまだ粗い。
バンドと呼ぶには全然足りない。
それでも、ちゃんと誰かと合わせている音にはなっていた。
――次の瞬間、俺は真琴と瀬名の音が重なり合う未来を予測する。
一瞬、ベースの音が真琴のキックとぴたりと重なった。
低音が前に出る。
そこへ俺がコードを乗せる。
ほんの一瞬。
でも確かに、音が噛み合った。
「……っ」
瀬名の表情が変わる。
驚いたみたいに目を見開いて、そのまま次の音を鳴らす。
今の感触を逃したくない、そんな顔だった。
そこから先はやっぱり危うかったけど、さっきまでとは少し違った。
ただ追いかけているだけじゃなくて、自分も音の中に入ろうとしているのが分かる。
曲の終わりまで行って、最後の音を切る。
少し遅れて、瀬名がふうっと大きく息を吐いた。
「む、むずい……! でも楽しい!」
ベースを抱えたまま、瀬名がそう言う。
額にうっすら汗まで浮かいていて、本気でやっていたのが分かる。
瀬名が小さく呟く。
「……なんか一瞬だけ、すごくハマった時があった」
瀬名はぷるぷると身を震わせた。
バっと上げた顔には悔しそうな、でも嬉しそうな表情が浮かんでいる。
「瀬名ちゃん?」
真琴が首を傾げる。
すると瀬名は、少しだけ唇を噛んでから、ベースのネックを握り直した。
「悔しい」
「え?」
「今の、全然できてないのに……でも、ちょっとだけ気持ちよかった」
その言葉に、三浦先輩がふっと笑う。
「それ感じたなら、向いてるかもね」
「えー……そういうものですか」
「そういうもの。ちゃんとできた時の気持ちよさ知っちゃうと、たぶん戻れないよ」
三浦先輩に言われ、瀬名は黙って自分の指先を見た。
さっきまで弦を押さえていた左手の先は、少しだけ赤くなっている。
「……在処ちゃん」
「なに」
「ベース、やっぱ難しい」
「うん」
「でも、できるようになったら絶対楽しいよね」
「そうだね」
俺がそう返すと、瀬名は少しだけ安心したように笑った。
それから、瀬名は意を決したように三浦先輩の方へ向き直る。
「私、入ります」
その声は思ったよりまっすぐだった。
「今は全然できないけど、でも、ちゃんと弾けるようになりたいです」
三浦先輩は待ってましたと言わんばかりにニマニマしながらサムズアップする。
「歓迎するよ、一ノ瀬さん」
「ありがとうございます!」
三浦先輩が間髪入れずにスッと紙を差し出す。
「入部届、今書く?」
「先輩の準備が良過ぎる!?」
瀬名は「書きます!」と即答した。
三浦先輩から紙を受け取って、近くの机で記入し始める。
「……よし、できた!」
瀬名は書き終えた紙を両手で持って、少しだけ誇らしげに見せる。
「はい、確かに受け取りました。先生には責任をもって渡しますとも」
「よろしくお願いします!」
入部届を渡した瀬名は、それから少しだけ躊躇ってから、こっちを見た。
「……あのさ、在処ちゃん」
「ん?」
「その」
先ほどとは打って変わり、歯切れが悪い。
「また、教えてくれる?」
真琴が横でニマーっとする。
なんだその顔は。頬をムニムニするぞ。
「別にいいよ」
「ほんと!?」
「同じ部活所属するなら、そのくらいは」
「やった!」
瀬名が思いきり笑う。
想定よりも喜ばれたせいか、少しだけ気恥ずかしい。
三浦先輩はそんな俺たちを見て、微笑ましげな顔をしていた。
「仲がよろしいようで何より。去年なんか初っ端からギスギスしてたから尚更」
「ぎ、ギスギス……?」
真琴がぎょっとした顔で三浦先輩の顔を見る。
「そうだよー? 罵声やら怒声やらのパレードッ! ギッスギス! 私なんか隅っこで震えてたんだから」
「いやあんたは鬼の形相で喧嘩してる連中の首根っこ掴んで説教してたでしょうが」
三浦先輩がぷるぷる震えるリアクションをしたところで、いつの間にか後ろにいたもうひとりの先輩――
「あんたらも三浦のこと怒らせちゃだめよ。軽音部どころか中高全生徒の中で一番怖い生徒って有名なんだから。普段はあっけらかんとして擬態してるけどね」
「ま、マジですか」
「マジよ」
瀬名は三浦先輩を二度見する。
ニコニコとしているが、目が笑っていない三浦先輩が我妻先輩を「
「あ、ちょ、離しなさい」
「じゃ、三人も今日のところはここでしゅーりょー。私は鳴ちゃんと一緒に入部届渡してくるから」
俺たちは「離せー!」と拘束されながら連行されていく我妻先輩に合掌した。
今日一番のシンクロをしたところで、帰宅の準備を始めた。
*****……
片づけが終わり、廊下に出る。
後ろを歩く瀬名はまだどこか興奮が抜けていない様子だった。
「はー……」
大きく息を吐いてから、瀬名が言う。
「今の私、全然足引っ張ってたのにさ。またやりたいって思っちゃった」
それはきっと、音が重なり合った、あの瞬間のことだろう。
たぶん瀬名は、あれをもう一回味わいたいんだ。
「じゃあ、頑張るしかない」
俺が言うと、瀬名は「うん」と素直に頷いた。
「次はもっと、ちゃんとやりたい。もっと上手くなって、楽しみたい!」
瀬名の希望に満ち溢れる目を見て、前世の自分と重ね合わせた。
ただ楽しいから飛びついたんじゃない。
できなかったからこそ、やりたいと思ったのだ。
かつての俺も、そうだった。
だからこそ、自然と瀬名に教えたくなった。
「在処ちゃんが協力するなら、私も一緒にやるよっ。リズムならおまかせあれっ!」
真琴がスティックを器用にくるりと回してウインクを決める。
なまじ容姿が整っているから様になっている。ちなみに俺はウインクをするのが苦手だ。
「ま、ちゃんとベースやるなら自前のを準備しないといけないね。いつまでも部の物を使うわけにはいかないだろうし」
「あ」
何気なく言った俺の言葉に瀬名の表情が凍りついた。