TS転生した元男が演奏系配信者として稼ぐ話 作:深空 秋都
土曜日。
俺は義母の車に乗せてもらい、サウンド・チャハーンの入り口に来ていた。
やって選べばいいのか分からないので一緒に来てほしいと電話があった。
その話を義母にすると、「子供だけで決める買い物じゃないでしょ」と同行を申し出てくれたのだ。
「在処ちゃーん!」
先に待っていた瀬名が大きく手を振った。
今日はパーカーに細いパンツという動きやすそうな服だ。その隣には顎の辺りまで伸ばした濃い茶色の髪を切りそろえた女の人が立っている。
「初めまして、一ノ瀬瀬名の母です。今日は付き合わせてしまってごめんなさいね」
「いえ。私でよければ全然」
瀬名母が頭を下げる。
太めの眉と、笑った時の口元が瀬名によく似ていた。
瀬名母が今度は義母へ頭を下げた。
義母は外向けの落ち着いた口調で話をする。
「在処の部活仲間なら遠慮しなくて大丈夫ですよ。多少お金はかかりますが、空いている時なら練習場所も貸せますから」
「それを聞いて安心しました。私、楽器のことは分からなくて……」
保護者同士の話が始まる横で、瀬名が俺の前で両手を合わせる。
「ほんと助かったよ。在処ちゃんがいなかったら、たぶん見た目とか色だけで選んでたし」
「見た目も大事だよ。モチベーションが上がるならそれが一番……とはいえ、それだけで選ぶと大変な時もあるんだけどね」
俺が言うと瀬名はすぐに真顔になった。
「やっぱり……?」
「重さと持ちやすさ。あとは実際に弾いて、自分がどう感じるか」
その横で瀬名母が小さくうなずく。
「予算は決めてあります。その中で長く使える物を選んであげてほしいんです」
最終的に選ぶのは瀬名だ。
俺が自分の好みを押し付けても意味がない。
自動ドアを抜けると木と金属が混ざった楽器店独特のにおいがした。
ベース売り場の壁には色も形も違う楽器が並び、瀬名は入ってすぐ、赤いベースへ目を向けた。
「あれかっこいい」
「じゃ、まず持ってみる?」
店員に頼み、瀬名母が決めた予算に収まる初心者向けの四弦を候補として三本出してもらった。
最初は瀬名が気に入った赤いベースだ。肩ひもを付けて立つと瀬名はうれしそうに体を鏡へ向けた。
「おー、なんかそれっぽい感じ」
「様になってるね。とりあえず左手で一番遠い弦まで届く?」
瀬名は首をかしげながら、太い弦の上へ指を置いた。
長い腕のおかげで一番遠い所まで届いてはいるが、手首が少し不自然に曲がっていた。
「重い……かも」
「肩が上がってるね。一時間くらい持てそう?」
「ムリ!」
瀬名の笑顔がしぼむ。
気に入った色だっただけに、分かりやすく残念そうだ。
次は黒いベース。さっきのより軽いが、今度はネックが少し太く、瀬名が左手を動かすたびに親指へ余計な力が入っていた。
「ベースって同じように見えて……全然違うんだね」
「素材と形で重さが変わるし、ネックの太さも少しずつ違うからねえ」
俺は弦の高さとネックの反りを確かめる。店で直せる部分はあっても、持った時の相性までは直せない。
少し離れた所では、義母が瀬名母へ購入後の手入れを説明していた。
「弦が高くなったり、変な音が出たりしたら、無理に直さず連絡してください。この店でも見てもらえますし、ウチのライブハウスのスタッフでもできますよ」
「買った後の相談先まであるんですね。本当に助かります」
義母が一緒に来てくれた理由は楽器選びよりもこっちだったのかもしれない。
俺は道具の状態を見られるが、学校外の練習場所や保護者への連絡まで一人で受け持つわけにはいかない。
次は濃い青のベースだった。ネックは少し細く、重さのつり合いも悪くない。瀬名は受け取ると、さっきより自然に足を開き、左手を伸ばしても肩が上がっていなかった。
「かなり持ちやすい感じ」
「ちょうど良さそうかな。音も出してみようか」
小さなアンプにつないでもらい、瀬名が丸椅子に座る。
右手の人差し指を太い弦に掛け、少し考えてから下へ押す。
ぼん、と低い音が鳴った。
雑味の少ない音だ。
昨日教えた右手の位置を瀬名はちゃんと覚えていたらしい。
「おおー……もう一回」
瀬名は同じ弦を鳴らす。
その後も部活で弾いていた部分を少しだけ繰り返す。
「……これがいい」
答えは出たようだ。
「色は赤じゃなくていいの?」
「なんだか青も好きになってきちゃったよ。それにこっちの方がもっと弾きたいって思うんだ」
それなら十分だ。
瀬名にとって一番弾きたいと思えるベースこそ最良だろう。
少し離れて見ていた瀬名母が、瀬名の肩と左手を順番に見る。
「自分で持って帰れる?」
「うん! 持って帰る。毎日使いたい!」
瀬名はベースを抱えたまま、まっすぐ答えた。
「分かりました……じゃあ、それにしましょう」
「ありがとう、お母さん!」
瀬名の顔が一気に明るくなる。
「ほら、他にも必要なものがあるんでしょう? ベースは一旦、お店の人に預かってもらいましょ」
その後、小型アンプとケーブル、チューナー、予備の弦も選んだ。自宅で音を出す時間には限りがあるので、アンプはヘッドホンをつなげる物にした。付属品が増えるたびに、瀬名の眉が少しずつ上がっていく。
「ベースだけじゃ弾けないの?」
「生の音は出るけど、練習にはアンプがあった方がいい。チューナーも必要かな」
俺が簡単に実演しつつ説明すると、瀬名は会計前の品を見回した。
「楽器を始めるって、物が多いんだね……」
「何事も最初はそれなりにかかるものよ」
瀬名の呟きに瀬名母はそう言いながら、迷わず財布を出した。
店員が準備している間に義母と瀬名母は連絡先を交換していた。
「帰りが遅くなる時は、私からも連絡しますね。その時は私が送りますよ」
「はい。こちらからも、何かあれば優里さんに相談させてください」
これで練習場所や帰りの時間について俺を通さずに話せるようになった。
会計を終え、瀬名は背中に大きなケースを背負った。
長いケースは頭より高く、歩くたびに少し左右へ揺れる。
「重くない?」
「ちょっと重い。でもすぐ慣れると思う」
瀬名は肩ひもを両手でつかみ、誇らしそうに笑った。
「これは自分のベースだから」
店の外へ出ても、何度も背中を気にしている。
瀬名母がアンプの箱を持ち直してから俺を見る。
「天音さん。明日も時間をもらっていいかしら。家でのつなぎ方を私も聞いておきたいの」
「はい。午後なら大丈夫ですよ」
俺が答えると瀬名が勢いよく振り返った。
「明日から曲も弾ける?」
「まずはそのための環境づくりと練習かな」
瀬名は一瞬だけ口をとがらせた。
けれどすぐ背中のケースを片手で軽くたたく。
「分かった! じゃあ明日、早く来てね!」
返事を待たず、瀬名は瀬名母の横へ駆けていった。
大きなケースが今度はさっきよりも楽しそうに揺れているように見えた。