TS転生した元男が演奏系配信者として稼ぐ話 作:深空 秋都
神崎の指が鍵盤に触れる。
最初に鳴ったのは耳を澄まさなければ聞き落としそうな音だった。その後ろへもう一つ、さらにもう一つと音が重なっていく。
使っているのは学校備品の電子キーボード。
壁際に置かれていた時と比べると、別の楽器のように見える。
神崎の指は正確でありながら、余裕のある動きをしている。短く消える音は追いかけず、残る音には次を重ねる。曲が進むにつれて音の数は増えていくのに、一つとしてほかの音を押し退けない。
初めは一人分だった旋律が、途中から別の流れを連れてくる。片方が先へ進めば、もう片方は少し離れたところから追いかけ、いつの間にか同じ場所へ戻っていた。簡単にやっているように見えるのは神崎の技量の高さ故だろう。
俺もある程度ならキーボードを扱える。が、神崎には遠く及ばないと理解した。
経験があるからこそ差が分かってしまう。
客観的に見ても、少し上手いという話ではない。
年齢を知らずに音だけを聞かされれば、中学一年生の演奏だとは思わないだろう。前世で見てきたプロと並べても埋もれないどころか、現時点でも上澄みに位置するのではないだろうか。
神崎は弾き始めてからも、部屋の響きや楽器の音の伸び方に合わせて、細かな調整をリアルタイムかつ超速でやっている。
正直、脳が震えた。
今まで弾き切れずに音を減らした曲。録音では重ねられても、一人では扱いきれなかったパート。神崎の音が加われば今まで諦めていたものを全部入れられる。欲張りセットだ。
気づけば、第二音楽室の練習音は止まっていた。
真琴はスティックを持ったまま神崎を見ている。瀬名もベースのネックへ左手を置き、口を少し開けていた。
部屋の反対側にいた先輩たちも、神崎へ顔を向けている。
神崎だけは視線を上げなかった。
最後の音が鳴り、ゆっくりと薄くなっていく。神崎はそれが消えるまで待ってから、鍵盤の上に残していた両手を膝へ戻した。
静寂。
廊下を走る足音が扉の前を通り過ぎた。
「ちょっと待ってよー!」「先輩たちに怒られるから早く!」「こらっ! 廊下は走らない!」「わっ、ごめんなさーい!」
日常の喧騒で時間が戻ってきたように、各々が小さく息を吸う。
神崎が小さく吐息を漏らした後、瀬名が最初に手を叩いた。真琴と三浦先輩が続き、離れていた先輩たちからも拍手が重なる。 神崎は落ち着かない様子で膝の上の指を組み直した。
「これ、ホントにうちのキーボード?」
三浦先輩は拍手をしながら、神崎の前にある楽器を横から確かめた。そして神崎の顔をじっと見つめる。
神崎は返事をせず鍵盤へ目を落とした。膝の上で組んだ指だけが、一度ほどけて元へ戻る。
「……その、もうよろしいですか?」
「あ、ごめんねー。神崎さんがすごく綺麗なものだから」
「? 褒め言葉として受け取っておきます」
神崎が席から離れた後、先輩たちは学校備品のキーボードから飛び出た音色に「やはり使い手の技量が試される」「めっちゃいい音出るじゃん」「誰かキーボードできる人いない?」「うちもキーボ担当欲しー」「てか神崎ちゃん美人過ぎでしょ……」とざわつき始めた。
「演奏ありがとう、神崎さん。すっごく感動した」
俺が礼を言うと、神崎は少しだけ視線を逸らした。
「別に感謝されることのほどではありませんわ」
真琴が、にまーっとした笑顔で神崎に顔を寄せる。
「ねえ、いつから音楽やってるの?」
「幼い頃から」
「どのキーボードでも、いつも同じように弾けるの?」
「ええ」
「美人だね!」
「ありがとうございます……なんですの、この子」
真琴の怒涛の問いに神崎は後ずさる。
神崎の困った様子を見て「ほら在処ちゃんが話せないでしょー」と瀬名が真琴の頬をムニムニしながら回収していく。
俺は譜面台に置いていた紙を手に取った。知っている曲だ。
俺が動画投稿サイトに上げている曲のうちのひとつ。キーボードパートも別に録音し、編集で重ねているものの、純粋に技量がたりておらず、一部妥協したものだ。
まさか目の前で完璧にアレンジされるとは思わなかったが。
「この曲、好きなの?」
「ええ。私が尊敬している方のものですの」
「そうなんだ。原曲よりも音数が増えてたね」
「っ! ご存じですの?」
「ちょっとね」
神崎の目が大きく見開く。
この目は……同好の士を見つけた時の俺によく似ている。
神崎がずいっと顔を寄せる。
流行ってるのかな、顔近づけるの。
「あなたもリンカネさんの曲を聴きますの?!」
「う、うん」
投稿前の確認と編集も含めれば、たぶん誰よりも聴いているのではないだろうか。
もちろん本人だと明かすつもりはない。
「でしたら、この曲の二番へ入る直前はどう思われます?」
「キーボードからギターに渡すところ?」
「ええ。あそこで敢えて音を足さない判断が、特に好きですの。今回はキーボードだけで表現するために色々と調整しましたが」
神崎は先ほどまでより少し早口になっていた。
俺が答える度、次の言葉がほとんど間を置かずに返ってくる。
「最後のサビも、ギターを目立たせるためにキーボードを低い音域に抑えていると思っていますわ。貴女はどう思います?」
こういうことかな。と俺がギターを持ち、神崎が再び席につく。
簡単にサビの部分だけ再現してみると、神崎の目がスッと細くなる。
「……分かりますのね」
神崎の口元がわずかに緩む。
俺は「そうだ」とポンと手を叩く。
「神崎さん。もう一つ見てもらってもいい?」
俺は手にしていた譜面を神崎へ返し、自分のバッグから別の紙を取った。
「これは?」
「今練習してる曲。キーボードのパートはまだないんだけど」
「以前、聴いた曲ですわね」
神崎は差し出した譜面を受け取り、最初のページから順に目を通す。
「……この曲ですが、元々キーボードも含んでいた曲ではなくて?」
「よくわかったね。かなり改造したんだけど」
「紐解けば分かりますわ。ギターパートだけ少し違和感がありますもの」
神崎は少し考え、譜面の最初を指先で示した。
「このベースから始まる形は変えない方がよろしいの?」
「そこは残したい。瀬名が始める曲だから」
神崎は返事をせず、もう一度譜面へ目を通した。先ほどまでより譜面を追う指がゆっくりになっている。
「この譜面、持ち帰ってもよろしいかしら」
「もちろん」
神崎は自分のバッグに譜面を仕舞い、「そろそろ時間ですので、この辺で失礼しますわ」と言って去っていく。
三浦先輩が「また来てねー!」と手をぶんぶん振る。真琴と瀬名も三浦先輩の真似をしていた。
実質、これでキーボード担当をゲットしたと言っても過言ではない。
俺は密かにガッツポーズをした。