ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
自分はDPtドンピシャ世代なので、ヒカリには特別な思い出があります。
この本編では余り出てくることはないのですが、主人公ライルが守りたいと思っている日常の中には、母の他、幼馴染であるヒカリも含まれている。そんなことを再確認するお話です。
ここはマサゴタウン。南下に広がる219番道路の砂浜から、心地よい潮風が流れる静かな街。
昼下がり、ライルは懐かしい自宅の玄関のドアを開いた。響くのは聞き慣れた声、少しだけ怒ったような口調もいつも通り。
「あら!ちょっとあんた、帰ってきたの?——もう!帰るなら連絡しなさいっていつも言ってるでしょ?」
「別に良いじゃんか、ただいま」
「はい、おかえり。……まあ、無事ならいいわ。ルカリオ達もゆっくり休ませてあげなさい」
「ありがとう、母さん」
ライルはリビングのソファへと深く腰掛ける。ルカリオも、慣れた我が家のラグの上で、くつろぎ始めていた。母は手際よく息子の好みの冷たい飲み物を出してくれた。
「それで? 上手くやってるの?」
「……うん、まあまあかな」
ギラティナとの死闘、リーダー室での重苦しいやり取り、それらを思い返しながらぼんやりと答える。
「そう……。でもあんたが自分で選んだ道だからね」
「わかってるよ」
多くを語ろうとしない年頃の息子。たったそれだけの短いやり取りでも、母には今かけるべき言葉が感覚でわかるようだった。
「晩御飯食べるんでしょ? あんたの好きなもの作ったげるわよ」
「うん」
いつもの家。張り詰めていた心が、少しずつ日常へとほどけていく。
しかし、実家がもたらしてくれたその穏やかな静寂も長くは続かなかった。
ピンポーン、と快活な音を立てて玄関のチャイムが鳴り響く。母が玄関へ向かうと、聞き覚えのある元気な声と共に、騒がしい足音がこちらへ向かって駆けてきた。
ライルの脳裏に、嫌な予感がよぎる。
「……まさか」
リビングのドアが勢いよく開け放たれると同時に、弾けるような明るい声が家中に響き渡った。
「ちょっと!!帰ってくるならあたしに1番に伝えなさいよ!!」
そこにいたのは、綺麗に整えられた紺色の髪を、以前よりさらに伸ばしたヒカリ。
かつてシンオウ地方を共に旅した仲間であり幼馴染。そのエネルギーに、ライルは早くも圧倒される。
「なんでおれが帰ってきたの知ってるんだよ……」
ライルが視線を向けると、台所へと戻っていく母が、後ろ向きでひらひらと小型のデバイスを振ってみせた。
どうやら情報元は身内にいたらしい。
「あんたが全然連絡してこないから、帰ってきたら教えてほしいってお母さんに頼んでたのよ!」
(……母さん、余計なことを)
怪訝そうに眉をひそめるライルだが、そんなことでヒカリのマシンガントークが止まるはずもない。
「ポッチャマもルカリオに会いたがってたし!——それよりほら、こないだのコンテストの写真!ちゃんとみた!? あ、それからね、ハクタイシティで新しいポフィンのお店見つけたの!それにね——」
「おいちょっと待てストップストップ!一度に喋りすぎだって!」
相変わらずの圧倒的な勢い。足元ではポッチャマとルカリオが再会を喜び合っている。ライルはその様子を眺めつつ、ヒカリのノンストップな近況報告を適度に聞き流していく。
昨夜まで命懸けの危険な任務に就いていたとは到底思えない。
どこまでも平和で、騒がしく、そして温かい時間。
——もしかしたら、ダイゴさんはこの大切な時間を自分に思い出させたかったのかもしれない。
彼の優しさが、ライルの胸にじんわりと染み渡っていく。
結局、ヒカリはそのままなんやかんやと言い訳をつけて夜まで居座り、ちゃっかり夕食まで一緒に平らげていった。
「お母さん、ご馳走様でした!また今度お菓子持ってきますねー!」
嵐のように現れ去っていくヒカリ。気がつけば、ライルの貴重な休暇の初日は、賑やかなお喋りと共に幕を閉じていた。
「相変わらず元気ねえ、ヒカリちゃん」
「元気すぎるんだよ」
ヒカリを見送った後、ゆっくりと湯船に浸かって芯から身体を温める。
風呂上がりに再びリビングへと戻り、冷えた水を口にしながら、付け流しのテレビ明かりの中で、母と二人、静かな時間を過ごす。
ふと、ライルの視線がテレビの横に立てかけられた古い写真へと向いた。そこに写っていたのは、今よりもかなり幼いライルと、若い母。
そしてライルと同じ、透き通るような銀色の髪を持った一人の男性。
「……なあ、母さん」
母は手元の雑誌をめくりながら、生返事を返す。
「んー?」
「……母さんは、おれがこの仕事しても良かったの?」
常に危険が背中合わせとなるこのエージェントという職業。未成年であるライルを推薦するにあたり、シロナからも、そしてライル自身からも、事前に丁寧な説明が母にはなされていた。
「……何よ急に」
「いや、気になってさ」
母はめくっていた雑誌の手を止め、少しの沈黙を挟んだ後、穏やかな、けれど芯のある声でゆっくりと口を開いた。
「……あんたが誇りを持ってやりたいと思える仕事なら、私は別に止めないわよ」
顔こそこちらに向けないものの、母の真っ直ぐな言葉は、ライルの胸の奥を揺さぶった。嬉しさと、それ以上の小恥ずかしさがこみ上げてくる。
「——それに、父さんも喜ぶんじゃない?」
母の言葉に、ライルは再び写真の中の銀髪の男性を見た。
「そうだと良いけどな」
窓の外から聞こえる静かな波の音に包まれながら、休暇の初日は穏やかに更けていった。
◇ ◇ ◇
翌朝。ライルは自宅の前に私服姿で立ちすくみ、深い溜息をついていた。
昨夜、ベッドに入った直後に突如としてヒカリから届いたメッセージ。
曰く、「明日暇でしょ!買い物付き合ってよねー」だという。
遠くから走ってくるヒカリの姿が見える。
「おはよー!——ってライル、まさかそのパーカーで行くつもり?」
「えっ、そうだけど」
ライルが着ていたのは、適当に引っ張り出してきた、あまりにも無地で無難な黒のジップパーカー。
トップコーディネーターを目指すヒカリの目が、それを許すはずはなかった。
「……ありえない。街に買い物に行くのよ? もっとちゃんとしたシャツとか着てよ」
「いや、そんなこと言われても」
ヒカリは問答無用でライルのフードを掴むと、そのまま彼の部屋へと強引に引きずり戻す。
人の引き出しを我が物顔で開け放ち、ああでもないこうでもないと衣服を引っ張り出す。
ライルをまるで、コンテストに出場させるポケモンかのように着せ替えていく幼馴染。
世界広しといえど、ここまで無礼な真似をしてくる人間は、今のところ彼女だけだった。
「うん、これでいいかな!あんた、素材はいいんだし、これくらいのお洒落はしなさいよね」
「へい」
鏡の中に映る、普段より少し洒落たシャツ姿の自分を見て、ライルは抵抗を諦めた。
ヘイガニよろしく、短い返事をするのが精一杯だった。
その後、コトブキシティへと繰り出した二人の買い物道中は、まさに怒涛であった。
ヒカリのブティック巡りに、アクセサリー選び、コンテストで使うものから普段用まで。
ライルの両手にはいつの間にか買い物袋がいくつもぶら下がり、歩き疲れた昼過ぎには、彼女が勧める流行りのカフェで、甘いデザートを半ば強制的に口に放り込まれた。
終始ヒカリのペースに巻き込まれ、ある意味で任務以上に体力を削られる過酷な1日。
しかし、そんな他愛のない日常で笑い合うそのどれもが、彼が普段身を置く世界とは無縁の、眩しいほどに輝く現実の営み。
そうして、二日間の休息は瞬く間に過ぎ去っていった。
翌朝、いつも通り支給されたジャケットを羽織るライル。
その表情は年相応のものから既にエージェントのそれへと切り替わっていた。
人知れず守るべき日常の温かさを再確認した彼は、再びシンオウ本部へと帰還する。