ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
今章では謎に包まれていた少女の生い立ちが明かされます。
挿絵はAI作成となります。
ヨスガシティの異国情緒漂う街並み、その一角に佇む静かな教会のベンチにライルはいた。
昨日からいくつかの街を回っていたが、探しものが見つからず、ふとあてもなく、目についたこの教会に入ってきたのである。
ステンドグラスから差し込む午後の光が、礼拝堂の石床に色鮮やかな模様を描き出している。
手にしているデバイスには、シロナからの指示である本部への集合指令が映し出されていた。本日の夜、予定が合うエージェント達を集め、今後の方針を共有することとなっている。
先日の打ち合わせの際の新戦力を探すと言ったまま、なんの成果も得ていない。
焦燥を感じながらも、深く腰を掛けて溜息をつくライルと、その側にはルカリオ。
ライルはルカリオに話しかける。
「ハァ〜〜。あいつを仲間にするなんてあり得ねえよな。そもそもどこにいるんだか見当もつかない」
主人の言葉に、ルカリオが波導で応える。
(だが、強いぞ)
「いやあいつ性格終わってるじゃん。戦闘狂だし、口も悪いし……。うちの組織は人間性が大事なんだって」
(フン。そう言ってる場合か? あの神殿での無力感を忘れていないだろう)
ルカリオの正論が、ライルの胸に突き刺さる。そして、かつてダイゴが言っていた言葉を思い出す。
『——もしかしたら彼女とは、いずれ協力する必要性が出てくるかも知れない』
(……ダイゴさんはそう言ってたけど、それだけはしっくりこないんだよな……)
そこからふと浮かび上がってくるダイゴとのこれまでの記憶。そして、あの神殿での出来事。ライルは胸が締め付けられる。
それを無理やり払うように、意識を再び、いま探している人物——ルカへと向け思考に耽るが、彼女を仲間にするのかどうかの答えは出ない。
「いやだ……やっぱり会いたくねえ」
ぼんやりと天井のアーチを眺めていたその時。背後からコツコツと足音が聞こえる。
それがすぐ横で止まったかと思うと、冷ややかで聞き覚えのある声がライルに投げかけられた。
「……なんだ? てめえ、銀髪野郎じゃねえか」
刺々しい響き。ライルの背筋に嫌な汗が流れる。
「その声は——ああっ!?」
恐る恐る見上げたライルは驚きのあまり、ベンチから跳ね起きそうになる。
そこに立っていたのは、黒いジャケットを羽織り、美しい黒髪の内側に、金色の髪を携えた少女。そして傍らには主人と同じく鋭い眼光を放つ、「まよなかのすがた」のルガルガン。
聖なる場所での、最悪の候補者との再会。ライルは、自分の問いへの答えを出すよりも早く、探しものと出会ってしまった。
◇ ◇ ◇
教会は、パイプオルガンによる静かな伴奏が始められていた。
ルカは前をじっと見つめながら、慣れたようにすっと、ライルの隣のベンチに腰を下ろす。
「お前、気づかなかったのかよ」
ライルはルカリオに小声で言う。
(以前のような荒々しい波導を感じなかった。ちょうど良かったじゃないか——話しかけろ)
ルカリオのその言葉に、まだ心の準備の出来ていなかったライルは、眉を顰めながらルカに問いかける。
「……なんでお前がここにいんだよ」
ルカリオは頭を抱えた。
(一言めがそれか……)
ルカは相変わらず、ぶっきらぼうに答える。
「そりゃこっちのセリフだ。……あたしはよくここに来る」
「よく来るってお前……」
その言葉を遮るように、ルカは前を見据えたまま、その人差し指を口に当てた。
「……今からミサが始まる。教会では静かにしろ。——バカなのか?」
「くっ……」
思わぬ角度の正論に、ライルは何も言い返せず黙り込む。
(相変わらず嫌な奴だな……)
修道女達が美しい歌声を響かせ始める。しばらくその光景を眺めていたライルが、隣のルカに視線をやった時だった。
外から差し込む淡い光に照らされた、彼女の整った横顔。
まっすぐ前を見つめるその瞳から、一筋の涙が静かに頬を伝い、落ちていった。
ライルは息を飲んだ。好戦的で、獲物を屠るような鋭い目つきをしていたあの少女が、何かを悼むように涙を流している。
ミサが終わってもなお、ルカは目を閉じ、祈りを捧げるような姿を見せる。
少しの沈黙。
ルカはふっと目を開けると、自然に涙を拭い、何事もなかったかのように立ち上がり、教会を後にした。
「あ、おい! 待てよ!」
慌てて追いかけるライルとルカリオ。
「……なんでついてくる? ストーカーか?」
売り言葉に買い言葉でライルは反論する。
「おれが進む方に、あんたが進んでんだよ!」
「いや、いま待てよって言っただろ」
ルカは足を止めず、そのまま進む。そして突然、ライルに問いかけた。
「——ところでお前、パン好きか?」
「……は? 何の話だよ」
その質問には答えず、ルカは迷わずに街角の小さなパン屋に入った。
香ばしい匂いが立ち込める店内で、彼女は慣れた手つきでトレイにパンを並べていく。
状況を飲み込めないライルがふと見ると、隣にいた小さな少女が背伸びをして、届かない上の棚のパンをじっと見つめていた。
ルカは無言でトングを伸ばすと、そのパンを取り、少女のトレイにそっと入れてあげたのだ。
ライルは驚いた。
(……こいつ、こんなことするのか?)
そのままレジへ向かうルカ。そこで、ライルの方を向き、ひらひらと手招きをしている。
「銀髪。こっちに来い」
「なんだよ? ってかお前これ、何個買うつもりなんだよ……」
トレイに乗っていたのは、少女1人では食べきれ無さそうな量。ルカはおもむろに言い放つ。
「これ。お前が払ってくれよ」
「……はぁ? なんでだよ!」
「この4つはお前とその隣のルカリオのだ。だから、全部払え」
「わけわかんねえ……」
しかし、ライルは文句を言いながらも、後ろに待たしている他の客に気を遣い、渋々代金を支払った。
◇ ◇ ◇
店を出た二人は、近くの公園のベンチに腰を下ろした。
ルカはルガルガンにパンを分け与え、自分も大きな口でパンを頬張っている。
ライルは困惑していた。
(……なんなんだ、この状況)
だが隣に座るルカには、以前のような好戦的な気配は微塵もない。
ライルは先ほどのパン屋での光景をふと思い出す。
「……というかお前、子供には優しいんだな」
ライルは先ほどのパン屋での光景を思い出しながら言う。ルカは咀嚼しながら淡々と答える。
「……あたしは地元のパン屋が好きだった。子どもを見るとそれを思い出す。だから優しくする」
「…………」
相変わらずの淡々とした返事。しかしライルは、そう話すルカにはまだ誰も知らない事情が隠されているような気がしてならなかった。
ダイゴが言っていた「彼女の力が必要になる時」。
そんな彼の意見に反対する自分の気持ちが、ほんの少しだけ傾きかけている。
食べかけのパンを手にしたまま、ライルはそんなことを考えていたが、ルカがおもむろに言い放つ。
「お前、元気ないのか?」
「……何がだよ」
「前と感じが違う。後ろめたい気持ちに無理に蓋をして、前に進もうとしてるくだらない人間の『オーラ』だ」
瞬間、ライルは自分の腑が沸騰しそうになるのを感じた。
「……おまえに何かわかんのかよ」
「……見たままを言っただけだ。——自分を騙してる奴の目は濁ってて見苦しい」
どこか少し自嘲気味にも聞こえたその言葉。そして数分の沈黙。
ライルの胸には、キッサキ神殿でダイゴを失った瞬間の光景が、再び澱のように溜まっていった。
パンを口に運ぶ気力さえ湧いてこない。そんなライルをルカは横目に見た。
「……食べないなら寄越せ」
「あっ、おい!」
ルカはライルの手からパンを奪い取ると、あっという間に平らげてしまった。
(マジでなんなんだ、こいつ……)
唖然としながら逆側を見ると、ルカリオもしっかり自分の分を完食しており、主人の複雑な心境とは裏腹に、腹ごしらえだけは済ませていたようだ。
ルカは紙で口元を拭い、ライルを真っ直ぐに見据えた。
そして突然、驚くことを口にした。
「……うちに来るか?」
「………………は??」
◇ ◇ ◇
街の外れ、人通りの少ない路地裏にある古びたマンション。その3階の一室がルカの住処のようだった。
ライルはルカに誘われるまま部屋に入り、椅子に座らされる。その間も、何か罠があるのではないかと警戒するライル。
ルカは少しのあいだ姿を消したかと思うと、何やらカチャカチャと音を立ててこちらに戻ってくる。
そして机に2つのマグカップを置いた。
「ほらよ」
差し出されたのはインスタントのブラックコーヒー。ライルはそのマグをじっと見つめる。
「毒なんかはいってねえよ」
そういいながら、ルカは自分のコーヒーを啜っている。
「頂きます……」
ライルも渋々そのコーヒーを飲む。しかし飲み慣れたその味に、ライルは少し表情を緩め、ルカはそれを無言で見つめていた。
ライルはそこで改めてリビングを見渡す。
そこは同年代の女性の部屋とは思えないほど殺風景。あるのはソファベッドと、小さなタンス。棚には最低限の食器と、手持ちポケモンの手入れ用と思われるブラシが置かれているだけである。
「なんつーか、味気ない部屋だな……」
ライルはついぽろっと、そんなことを漏らしてしまう。
「おい、女性に向かって失礼だな。お前、良いのはそのツラだけか?」
突然の言葉にコーヒーを吹き出しそうになるライル。
「ぶっ、ゴホッ……何言ってんだよ!」
「あ? そういうつもりで来たんじゃねえのかよ?」
「どういうつもりだよ! 言っとくけどおれはだな——」
「ふっ、冗談だよ」
「……わかりにくいよ、その冗談」
ライルはため息をつく。
ふと、タンスの上に置かれた一枚の写真がライルの目に留まる。
そこには、まだ幼いながらも今の面影を残したルカと、母親とみられる優しそうな女性、そして妹らしき小さな少女が寄り添って笑っていた。
ライルはその写真を見ながらルカに話しかける。
「……なあ、さっき自分のことを騙してる目って言ってたよな、後ろめたい気持ちに無理に蓋をしてるって。あれは、おれだけに言ったことだったのか?」
ライルがそう言うと、ルカはカップを運ぶ手を止めた。ライルはなおも続ける。
「……おれ、尊敬してる人に、あんたの力が必要になるって言われてたんだ。でもおれ、あんたのこと全然知らないんだ。この際だから、教えてくれないか? あんたが何を背負って生きてきたのか」
ルカはソファベッドに深く腰掛け、ルガルガンの頭を撫でながら、静かに言った。
「……別に良いけど、つまんねえぞ」
ほのかに残るコーヒーの湯気の向こうで、ルカは退屈そうに、しかし消えない火種を宿した瞳で語り始めた。
◇ ◇ ◇
「十年前、あたしはアローラ地方の小さな町に住んでた。母親と妹と、三人で暮らしてた。……平凡だけど、まあ、悪くない毎日だった」
ルカの視線は、遠い記憶の底をなぞるように虚空を彷徨う。
「いつものように家事を手伝ってた時だ。妹は家のすぐ外で遊んでた。あたしは母さんから、雨が降りそうだから妹を呼ぶように言われたんだけど、なんとなく、まだ呼ばなくて良いかって、後回しにしてた」
ルカは少しだけ眉間を寄せた。
「すると突然、嵐のような風が吹き荒れた。あたしと母さんは急いで外に出た。……そしたら、妹が、ほんの目の前で消えた。忽然とな」
ライルは息を呑む。
「必死に探し回ったけど、どこにもいない。風はどんどん強くなって、辺りは霧に包まれた。そこであたしは見た。とてつもない力を持った大きな『影』たちが、頭上で暴れ狂う姿を。あたしはただ無力で……それが収まるのを祈りながら伏せて待つしかなかった」
彼女の声に、隠しきれない悔恨が混じる。
「目が覚めた時、母さんは傷だらけであたしの上に覆い被さっていた。……そこから二度と、目を覚ますことはなかった」
ルカは視線を下に落とす。
「そのあとは狂ったように妹を探した。警察にも駆け込んだけど、誰もまともには相手しちゃくれない。……どこもかしこも嵐でぐちゃぐちゃになってて、あたしの家族を探してくれる奴なんて、いなかったんだ」
「……アローラ地方、そんな凄惨な事件があったなんて……」
ライルは言葉では言い切れない、悲痛な表情を浮かべた。
ルカはそのライルを見た後、わずかに口角を上げ、自嘲気味に続ける。
「別に同情は欲しくない。とっくに狂うほど自分を責めたからな。そこからはずっと、こいつらと一緒に、各地方を転々としながら生きてきた」
ルカの視線がルガルガンに注がれる。
「本当にあちこち探し回ったんだ。自分へのくだらない腹いせに、強いヤツと片っ端から勝負もした。気づけば今じゃ、故郷からこんなに離れた土地にいる」
そしてその視線は、ライルへと戻った。
「ここにも妹を探しに来た。だけどまだ見つかってない。……もう、会えることはない気がしてる」
ライルはそのすべての話を聞き、言葉を失っていた。
一縷の望みをかけて妹を探し続けている彼女に、「絶対に見つかる」などという浅い言葉を、ライルは吐くことができなかった。
彼女が背負ってきた十年間の重みと、暗闇の中で拳を振るい続けてきた理由が、痛いほど伝わってきたからだ。
「さっきお前が言ったとおりだ。あれは昔のあたしにも言ったのさ。……だからまあ、お前の気持ちも分からなくもない」
ルカは不愛想にそう言いながら、窓の外に流れる夕方の雲を眺めていた。
ライルは静かに話す。
「なぁ……おれは安易な慰めとか、そういうのはできない。だから代わりに、おれの話も聞いてくれないか?」
ライルは、シンオウ中を旅したこと、シロナに認められ「プラチナム」に所属したこと。
そして憧れだったダイゴの部下として働き、その人を、自分の目の前で失ってしまったこと。
ルカは何も言わず、ただ真剣な眼差しで、ライルの一言一言を心に刻むように聞き入っていた。
堰を切ったようにすべてを話し終えた時、ライルは自分の頬を、大粒の涙が伝っていることにようやく気がついた。
「わりい、なんか涙が……。ていうか、この組織のこと、本当は口外禁止なんだよ。なにやってんだろ、おれ……」
キッサキでも本部でも堪えてみせたはずの涙は、皮肉にも、つい数時間前まで嫌っていたはずのこの少女の前で、あふれだしていた。
情けなさに顔を伏せるライル。
しばらくの沈黙が部屋を包む。
そしてその時、ルカがゆっくりと近づき、そっとライルを抱きしめた。
突然のことに驚くライル。彼女の温かさに触れ、少し心が軽くなるような感覚がする。
少しの間、その空間に甘えていたが、気恥ずかしさからつい軽口を言ってしまう。
「……刺すなよ」
「……その気なら、家に来た時点でやってるよ」
二人は、そのやり取りに思わず吹き出してしまった。そして体を離す。
ライルは、今日の彼女の行動を思い出し、ふと思う。ルカは、ライルが傷ついていることに気づき、彼女なりのやり方で慰めようとしていたのではないかと。
考えすぎかもしれないが、もし仮にそうなのだとしたら——
(……こいつ、不器用すぎないか?)
そんなライルをよそに、彼女は少しトーンを上げて言う。
「お前、あたしを探しに来たんだろ? ……別にいいぜ。その組織とやらに行ってやっても」
「え? いいのかよ」
「まあ、ずっと一人も飽きてきたとこだしな。あたしが行きゃお前が話したことも違反にならねえんじゃねえの?」
「それはそうかも知れないけど……」
「……それに、そんな環境に身を置けば——あたしの故郷で起きたことの真相もわかるかもしれねえ」
ライルはまっすぐにルカを見た。
彼女もまた、目の前で大切なものを奪われてしまった過去がある。しかし、それでもたったひとりでそれを乗り越えようとし、その悲しみを強さに変えることのできる人間。
——信じてみたい。
ライルはまだ少しためらっていたが、ついに決意を固めた。
「ああ、頼む」
ライルは頬にわずかに残った涙を拭う。
これが、彼が自分の意志でプラチナムに立てた初めての推薦。
「ルカ」という新たなエージェント候補を連れ、ライルはシロナの待つ本部へと向かう。