ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
反転世界に突入し少年を救い出したライルとルカ。何とかダイゴへの手がかりを掴めないかと少年から話を聞くライルだが、謎は深まっていく。そんな中、新たな任務が彼らに舞い込む。
「おふたりが保護した少年が、目を覚ましましたよ」
事務方の声が静寂を破る。ライルとルカは弾かれたように立ち上がり、医務室へと向かう。
そこにはすでにシロナの姿があり、カルテに目を通していた。ライルとルカも、揃って専属医師と事務方から報告を受ける。
「極度の緊張からきた疲労でしょうね。それ以外は問題ないですよ」
「少年の両親とも連絡が取れました。明日、ミオシティまで連れていく旨を連絡しています」
シロナは振り返り、ライルとルカに視線を向ける。
「あの子を連れて行くのは、君たちにお願いできる? 理由は後で話すから」
ライルは姿勢を正し、毅然と答える。
「もちろん。そのつもりでした」
少年のベッドに向かうシロナ、ライル、ルカ。
不安そうだった少年は、ライルとルカの姿を見た瞬間、肩の力を抜き、安堵した様子を見せた。
ライルはベッドの脇に膝をつき、目線を少年に合わせて優しく声をかける。
「大丈夫?」
少年は頷く。小さくも確かな力強さが、その瞳に戻っていた。
「よかったら、話してくれないかな? 君に何があったのか」
ライルの穏やかな促しに、少年はシーツを小さく握りしめ、少しずつ異界の様子を語り始めた。
「……浜辺で遊んでたら、なんだか穴が空いたみたいな岩があったから近づいてみたんだ。そしたら体が引っ張られて……気づいたら、周りの世界が白黒になってた」
白黒。それは間違いなく反転世界の特徴。三人ともがわずかに身を乗り出す。
「でも後ろを見たらもう出口はなくて、でも、遠くのほうに人みたいなのが見えたから、追いかけていったんだよ」
ライルはその言葉を繰り返す。
「人……」
少年は思い出すように視線を彷徨わせながら語る。
「そしたら、急に体が飛んだみたいになって、周りが岩だらけになったの。人みたいなのは見失っちゃったけど、それでも歩き続けたんだ。そしたら、そしたら……」
少年の呼吸がにわかに速くなり、肩が震え出す。
ライルはそっと、その肩に手を乗せる。
「無理しなくていいよ、ゆっくりでいい」
少年はコクリと頷く。
「気づいたら真っ黒なところにいて、ポケモンがいっぱいいたんだ。あれは確か、ビーダルとか、ゴーリキーとか……。だけどぼくがいつも知ってるのとは違くて、ドロドロしてて、黒い煙みたいなのが出てた。それが何匹もいたんだよ……」
ライルはハッとする。それはまさに、彼がキッサキ神殿で目の当たりにした、あの眷属達の特徴そのものだった。
ライルは一歩踏み込み、少年に問いかける。
「その体に、鎖みたいなのが巻き付いてなかったか?」
「わからない……そういう模様はあったかも……」
「……そうか」
ライルは考え込むように口を閉じる。今度はそれを聞いていたルカが、腕を組んで尋ねた。
「よく一人で逃げ出せたな。そいつらに襲われなかったのか?」
少年はルカの方を見上げて答える。
「それが……急におっきなポケモンが出てきたの」
「おっきな?」
「うん、おっきい鉄のかたまり、足が四本あるの」
ライルとシロナが弾かれたように顔を見合わせる。
四本の足を持つ、大きな鉄の塊のようなポケモン。二人の脳裏に、あの男の相棒の姿がよぎる。
「その鉄のポケモンが、黒いポケモン達を追い払ってくれたんだ」
ライルは身を乗り出し、縋るように問いを重ねる。
「その周りに、誰かいなかった?」
「……たぶんいなかったと思う」
◇ ◇ ◇
話し終えた少年は、安心したのか、また眠りについた。
ベッドカーテンを閉め、部屋で静かに話す三人。ライルは少年の言葉を端末の報告書に打ち込みながら、その手を止め、シロナに話しかける。
「さっきの話、ダイゴさんのメタグロスでしょうか?」
シロナは腕組みをしたまま、細い指先で顎に触れ、思考に耽っていた。
「それもあり得る、としか言いようがないわね」
ライルはなおも言葉を続ける。
「それに、黒い霧のポケモン達……。特徴がキッサキ神殿でのレジスチル達と酷似しています。この話が本当なら、やっぱりあの穴の先は、反転世界に繋がっていたことになる」
デバイスを叩くライルの指先が、微かに焦りで強張る。
「それに鉄のポケモンがメタグロスなら、あの子が見たって言う人影がダイゴさんの可能性はないですか?」
すると、ルカがすかさず現実的なトーンで口を挟む。
「でもそれはあくまで人みたいなってだけだろ。『鉄の四本足』みたいに具体的な特徴を捉えてたわけじゃない。それにガキンチョは極限状態だったんだ。……人間、何かを見つけたい時ほど、見間違うもんだからな」
その言葉の重みに、ライルは動きを止めた。ルカの過去を知るライルは、その一言が彼女自身の経験から出たものだとよく理解していた。
重苦しい沈黙を破り、シロナが口を開く。
「それも一理ある。ただ現状ではあらゆる可能性を考慮して動く必要がある」
シロナはライルの瞳をじっと見つめた。その眼差しは優しくもあり、同時に付け入る隙を与えないものでもあった。
「以前も話した通り、ダイゴくんの捜索については引き続き、私が預かる。いいわね?」
ダイゴの手がかりを追いたいライルは、すぐには頷けない。視線をシロナに返した。
「……ミオシティにも調査ポイントがあります。そこはどうしたらいいですか?」
「調査は行ってくれて構わない。だけど今回は、例え反転世界が現れたとしても入らないこと。これは絶対よ」
シロナは、有無を言わせぬ響きで言い放つ。その厳しい表情には、再考の余地は残されていなさそうだった。
ダイゴに繋がるかもしれない、目の前の細い糸。ライルは焦燥を胸の奥へ押し殺し、静かに答えた。
「……わかりました」
彼の拳は白くなるほど固く握りしめられていた。その様子を、シロナも、そしてルカもまたはっきりと見ていた。
張り詰めた空気を和らげるように、シロナが姿勢を戻す。
「それに、君たちには別でお願いしたい重要な案件がある」
ルカがわずかに眉を動かして反応する。
「さっき言ってた、後で説明するって話かよ」
「ええ、その通り」
シロナは厳しい表情を崩さないまま、本題を告げる。
「実は、ホウエンのエージェントからチームアップの要請があった。ある調査ポイントの反応が、異常数値を表す前のカンナギ、そしてキッサキと似ているようなの」
カンナギ、キッサキ。その地名が出た瞬間、ライルの警戒感が高まる。
「……おれたちが行って大丈夫なんですか?」
それぞれの地の苦い記憶を思い出すライルに対し、シロナはゆっくりと頷いた。
「現状、割ける人員がほぼいない。そして何より、今回は君たちに指名があったの。ミオシティからホウエンに向かうフェリーが出てる。明日はそれに乗って欲しい。詳細はまたデバイスに送信しておくわ」
感傷を挟まぬよう、シロナは事務的に、淡々と続ける。
「『そっち』の方は、喫緊の状況ではないけれど、おそらく数日のうちに動きがあると思う。危険な任務よ、充分に注意してね」
ライルとルカは互いに、ただ無言で深く頷いた。
◇ ◇ ◇
ミオシティに到着した一行を待っていたのは、潮風の吹く港で、涙ながらに息子を抱きしめる両親の姿だった。
「バカ!!!どれだけ心配したと思ってるの!!!!!」
そう激しく叱りながらも、母親の振る舞いはまるで壊れ物を扱うかのように優しかった。親子は涙を流し、再会を心から喜んでいた。
それを見つめていたルカ。その顔にいつもの棘はなく、口元がほんのわずか、本人も気づかないほど優しく綻んでいた。
ライルもまた、そんなルカの穏やかな表情を見て、優しく微笑む。
涙を拭った両親が、二人のもとへ歩み寄り、深く頭を下げて礼を言う。
「本当になんとお礼を言えばいいのか……」
「いえ、おれたちは仕事をしただけです。無事で何よりでした」
ライルが爽やかに答える。少年は母親の腕に抱かれながら、目に涙を浮かべつつも、満面の笑みでライル達に感謝を伝えた。
「お兄ちゃんたち、ありがとう!ふたりともカッコいいヒーローみたい!!」
その純粋な言葉に、ライルとルカは顔を見合わせ、ほんの少しだけ微笑みあった。
その後、二人は事務的な義務を果たすように、問題の浜辺の調査ポイントへと向かった。
——しかし
「ない……やっぱりどこにも異変がないぞ。デバイスの数値も『正常』すぎる」
デバイスを見つめるライルの声に焦りが混じる。ルカが口を開く。
「あの湖と、テンガンの森と同じだな」
「ここも、数日前なら反応があったはずだ。せっかくダイゴさんに繋がる手がかりだったかもしれないのに……。一体、どうしてなんだよ……!!」
苛立ちを隠せないライルを、今度はルカが諭す。
「おい、落ち着けよ。あんだけシロナに釘刺されたんだ。たとえ何かあったとしても、あたしらが今できることはねえよ」
「…………」
ライルは無言で地面を見つめる。ルカの言う道理が正しいからこそ、彼は反論しない。
「わからねえことはしょうがねえよ。次の指示は決まってるんだ。ほら、行こうぜ」
「クソッ……!!」
悔しさを呟くライルを、ルカは呆れたような、だがどこか心配そうな視線で諌める。
「なあ銀髪。……お前は根詰めすぎだ。ずっと頭で何か考えてるだろう。たまには休め、じゃなきゃ保たないぜ」
「……ああ、わかってるよ」
ライルの返答に、ルカはやはり呆れたように横目で見ながら、小さな溜め息を吐いた。
(……わかってねえな、こいつ)
ルカはこれ以上何も言わず、先を歩いていく。二人はフェリーへと乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
巨大な連絡船が、汽笛を響かせながら、ゆっくりとミオの港を出航していく。
ライルは、甲板の手すりに身を預けていた。ルカがゆっくりと近づく。
「あたし、ホウエンって行くの初めてだ。……どんなとこだよ」
ライルは頬杖をつきながら、少しだけ明るい声を意識して答える。
「……いいところだよ。海に囲まれた常夏の大陸で、緑も多い。あっちのポケモンたちは、こことはまた違った進化を遂げてるんだ」
「ふーん。なら、あたしの生まれた所とちょっと似てるのかもな」
ルカは遠い水平線を見つめ、どこか懐かしむような目をしていた。新たな風が吹く海を越えて、二人は凍てつくシンオウの地を後にする。
◇ ◇ ◇
青い空と透き通るような海。ここは波間に揺れる海に浮かぶ町、キナギタウン。
カイナシティを経由し、荒波を乗り越える大きなフェリーや民間船を乗り継ぐなどして、殆ど1日かけてやってきた現地はすでに早朝。
ホウエン地方の穏やかな潮風が二人の間に流れている。
「……っておい。どうなってんだよこれ」
気を引き締めて現地入りしたライルだったが、肩透かしを食らっていた。
合流予定だったエージェントが、調査が長引いているとかで、昼からしか来れないのだとか。
「よっぽど大変な調査してんのかな」
「さあな、そうなんじゃねえの」
ルカは涼しい顔で受け流しながら、昨夜のフェリーでの記憶を思い出していた。
* * *
ルカは風に当たりながら、デバイスを耳に当てていた。その電話先の相手は、彼らのボスであるシロナだった。
『珍しいわね、あなたから電話なんて。どうかしたの?』
ルカは一呼吸置き、話した。
「……ちょっと頼みがある。銀髪のやつ、半日でもいいから休みにしてやってくれよ。あいつ際限なく働くんだ」
電話越しのシロナは少しだけ口角を上げた。
『……いいわよ。エージェントには伝えておく。『その町』はバカンスでも有名だし、私も何回か行ったことあるの。あまり時間は取ってあげれないかもしれないけれど、少しだけでもゆっくりしなさい』
* * *
ルカは、困惑するライルの背中をパシッと叩く。
「せっかく綺麗なとこなんだ。ちょっとくらい休めってことだよきっと。ほらっ、これ!」
「……ん? なにこれ」
ルカが手渡したのは、いつの間にか買ってこられた新品の海パンであった。
「ちょうど船着場で売ってたんだ。別に金は取らねえから安心していいぜ」
ライルは困惑していた。
「いや、じゃなくて……。水着なんて何に使うんだよ」
ルカは呆れたように鼻を鳴らした。
「お前バカかよ? 水着なんて泳ぐこと以外に使わねーだろうが!働きすぎてそんなことも忘れちまったのか? じゃ! 15分後、桟橋に集合な!」
「あ、ちょっと……おい!」
ライルは颯爽と立ち去るルカの後ろ姿を見つめたまま、しばらく動けないでいたが、仕方がないので着替えに行くことにした。
◇ ◇ ◇
渋々着替えたライルは時間通りに桟橋で待っていた。
「なんでこんなことになってんだ……」
そんなことを独りごちっていると、後ろから軽い声と足音が聞こえてくる。
「よっ、待たせたな」
振り返ったライルの目に飛び込んできたのは、いつもの刺々しいダークなジャケットを脱ぎ捨て、黒のビキニを身に纏ったルカの姿であった。
戦闘中や普段の運動神経の良さからも感じられるような、引き締まりつつ、それでいて健康的な肢体。
呆気に取られているライルをよそに、ルカはルカで、値踏みするかのように彼の全身に視線をやる。
「ふーん。やっぱお前、良い体してんだな。……ちょっと腹筋触らせろよ」
「バカやめろ、触ろうとするんじゃねえよ!……そういうお前こそ、すげ——」
言いかけた言葉をライルは飲み込む。ルカは意地悪くニヤリと笑みを浮かべる。
「おいなんだよー? 目のやり場に困ってんのか?」
「……そんなわけねえ」
そういうライルだが、ルカのほうを一向に見ようとはしない。ルカはその様子が面白いのか、さらに続けた。
「お前、ほんと真面目だからな〜。どうせキスとかしたことねーんだろ? お姉さんが教えてやろうか? ん?」
ルカはこれでもかと言うほどにライルをおちょくっていく。ライルはそれを横目で睨みつけ、言い返した。
「うるせえな、歳は一緒だろ。——それにキスはしたことあるよ」
「…………」
沈黙の時間が桟橋に流れる。ルカは目をぱちぱちと瞬かせた。
そして突如として、彼女は怒髪天をつくかのような様相になった。
「あんのかよてめえ!!!!」
同時に彼女の右拳がライルの肩に炸裂した。
◇ ◇ ◇
そんな騒がしいやり取りの後、二人は美しい海で泳ぎ、ポケモンたちと戯れ、日々の重圧を一時だけ忘れて過ごす。
キナギタウンの朝は、ただ碧い海と戯れる贅沢な時間だった。
ライルのルカリオも珍しく波導を研ぎ澄ますのをやめ、ルカのワルビアルは腹を上に向け寝転んでいる。
ウォーグルとクロバットはその羽を広げ、グレイシアも体を丸め、ルガルガンはうたた寝をしながら、日向ぼっこに興じていた。
海のポケモンたちの鳴き声がどこまでもゆったりと響く。
しばらくのあと、濡れた水着の上からシャツを羽織った彼らは、桟橋の上で休憩しながら、冷えた飲み物で喉を潤す。
そしてライルはおもむろに口を開く。
「なんか久々にめちゃくちゃ遊んだわ。もう足パンパンだよ。体力には自信あんだけど」
「働きすぎなんだよお前は。もっと『遊び筋』を鍛えろよ」
「はあ?……なんだよそれ」
ルカの独特な言い回しに、ライルは苦笑する。
「まあでも、なんていうか……楽しかったよ。ありがとな」
ライルの素直な感謝に、ルカは照れたように鼻を掻いた。
「おう、任せとけよ。なんたってあたしは遊びのプロだからな」
「ふっ、そうかよ」
ほんの束の間の時間。二人の会話は波の音に溶けていった。
その静けさは嵐の前のようでもあった。