ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
静寂に包まれたテンガン山の外縁。湿った土の匂いと、濃くなり始めた霧が肌にまとわりつく。
流れるような黒髪の中に金色のカラーを携えた少女「ルカ」は、重いブーツの音を消しながら、情報のあった「エネルギーの源流」を探して森の深部へと潜り込んでいた。
その時、ルカの「戦士としての本能」が警鐘を鳴らし、同時に隣を歩く「まよなかのすがた」のルガルガンが、低く唸り、喉を鳴らした。
「ガルルルル………ッ」
反射的に巨木の陰に身を隠す。心臓の鼓動がわずかに速まる。その視線の先、鬱蒼とした密林に木漏れ日が差し込む、狭く開けた場所に、「それ」はいた。
岩のように硬質な皮膚を陽光に晒し、泰然と佇む一体のガブリアス。
野生の個体特有の荒々しさとは違う、磨き抜かれた刀剣のような、静かで、それでいてただならぬ圧力を放つ存在。
ガブリアスは、こちらを一瞥だにせず、ただ静かに森の奥を見据えている。しかし、ルカが息を潜めた瞬間、その鋭い眼光がわずかに動き、正確にルカの隠れている方向を射抜いた。
「……ッ!」
身を隠したまま、ルカの手が無意識に、切り札であるサザンドラの入った腰のボールへと伸びる。一触即発の緊張感。ルガルガンの毛が逆立ち、一歩踏み出そうとしたその時、ガブリアスは何事もなかったかのように視線を外し、ゆっくりと歩き始めた。
(ありゃあ、並のガブリアスじゃねぇ。野生、じゃねえよな?)
巨体とは思えぬほど滑らかに、森の奥へと消えていくその後ろ姿。
ルカは木陰から身を乗り出し、眉をひそめる。
「誘われてる……訳じゃなさそうだな。こっちにゃ興味ねーってか? 生意気なやつだ」
獲物を前にして無視された屈辱と、それを上回る強者への渇望。ルカの瞳に、好戦的な火が灯る。
「おい行くぞ、ルガルガン。……あんな化け物を連れてる奴がいるなら、拝んでやんなきゃ収まりがつかねえ」
霧がさらに濃くなる中、ルカは紺色の竜が消えた方角へ、音もなく後を追った。
しばらく歩き続け、ガブリアスを見失いながらも、草木を縫ったその先に、ようやく人影が浮かび上がる。
「――見つけた」
サザンドラのボールを握りしめ、獲物を見据える獰猛な笑みを浮かべたルカ。
だが、そこに立っていたのは、予想していたような「歴戦の強者」でも、「老練な怪物」でもない。自分とさほど歳の変わらない、端正な顔をした涼しげな銀髪の少年だった。
——運命の歯車が、音を立てて回り始める。
◇ ◇ ◇
ダイゴの依頼により、ここ最近多発しているという、謎の高エネルギー体の調査に赴いていたライル。森の中で行き止まりとなった山壁に、不自然に嵌っている煌々と輝く結晶。彼は手元のデバイスでそのデータを解析していた。傍らでは冷気を纏うグレイシアが佇んでいる。
刹那、己の背後から刺すような視線を感じ、振り返る。少し離れた木々の奥から現れたのは、猫のような大きく鋭い眼をした、端正な顔の少女。しかしその圧力は、決して猫のようなそれではない、まるで今にも獲物に噛み付かんとする大型の猛獣そのもの。ライルはデバイスの画面を閉じ、木々の奥に視線を据え、突如現れた獰猛な気配に向かって声を放つ。
「……誰だ? 只者じゃないな」
刺々しい黒のジャケットを羽織ったその少女は、木に背を預け、ポケットに手を入れたままこちらを睨みつける。
「そりゃこっちのセリフだ。てめーこそ何もんだ?」
「……おれは依頼を受けてここにいる。仕事をしているだけだ」
奇しくも、ライルとルカの脳内で同じ言葉が弾けていた。
((答えになってねーよ!))
少しの沈黙。そしてルカがライルの背後で明滅する結晶を一瞥する。
「その仕事ってのは、お前の後ろで光ってるモンと関係あんのか?」
表情を変えず、わずかに重心を下げるライル。
「さあな、お前には関係ないだろ?」
「ああ、関係ないな。だが——あたしがそれを『奪う』とでも言ったら、どうすんだ?」
「この場で何かする気なら、見逃すわけにはいかないな。……ハッタリじゃないんなら、おすすめはしない」
「……フン」
薄暗い森の奥、静寂を切り裂くようにルカのルガルガンが動いた。
「いけッ!」
ルカの鋭い怒号とともに、ルガルガンが両腕を振り下ろす。地面が割れ、硬い岩層が隆起する「ストーンエッジ」。鋭く尖った岩の波が直線的にライルへ迫る。しかし、彼の隣に立つグレイシアは、瞬き一つしない。
「グレイシア!」
最短の指示。グレイシアは優雅な所作で一歩前に出ると、極低温の「れいとうビーム」を放つ。冷撃が岩の完璧な中心を捉え、彼らの数メートル、ギリギリ手前でその勢いを止める。
しかしルカは不敵に口角を上げた。
「やってくれんじゃねえか……ッ!」
ルガルガンはさらに爆発的な踏み込みを見せ、距離を詰める。地を削るほどの勢い。そこへ、ライルの影からルカリオが弾丸のごとく飛び出した。
ルカリオの両拳が青いオーラを纏う。互いの弱点を突く「インファイト」の連撃。ルガルガンの鋭い爪と、ルカリオの拳が火花を散らし、衝撃波が周囲の草木を揺らす。
その時、ルカのベルトから二つのボールが弾け飛ぶ。
「行けッ、クロバット! ワルビアル!」
漆黒の翼と巨大な顎が、正面から同時に襲いかかる。それをみてライルもすぐさまボールから2頭を繰り出す。
「ウォーグル、上を止めろ! ラムパルド、正面!」
急加速したウォーグルが、鋭い爪でクロバットの軌道を逸らし、ワルビアルの巨体をラムパルドが受け止める。
勇猛な空の戦士ウォーグルは、果敢にクロバットを迎え撃っているが、その大き過ぎる翼は、鬱蒼とした森の枝葉に邪魔され、威力が殺されている。
「悪いな、こんな狭いとこ連れてきて。ここじゃお前の良さが出せないだろ?」
ライルの脳裏に、この地形を逆手に取った「図面」が浮かぶ。その思考のイメージは波導を通じルカリオへ。そしてルカリオから周りの味方へと瞬時に伝播した。
「——今だ!」
阿吽の呼吸。グレイシアがルガルガンの足元を凍らせて一瞬の隙を作ると、ルカリオがその背を蹴って跳躍。掌から放つ衝撃波で、ウォーグルの頭上を塞いでいた巨大な枝々を粉砕した。
空への道が開けた瞬間、ウォーグルがクロバットの羽の根元をガッチリと掴み、垂直に上昇する「フリーフォール」。森を抜け、一気に上空へ。クロバットが眩い太陽の光に目を細めた刹那、ウォーグルは獲物を乱暴に振り放した。その一瞬でクロバットはウォーグルを見失う。そして気づいた時にはすでに遅い。
ウォーグルは光を背に負った最速の「ブレイブバード」で急襲。直撃を受けたクロバットは森の中へと堕ちていく。
地上では、ルカリオがルガルガンの猛攻を紙一重で凌いでいた。牙が肩をかすめるが、ひるまない。ルカリオは重心を沈めると、掌から「はっけい」を放つ。衝撃でルガルガンの体が浮いたところへ、至近距離の「はどうだん」が直撃した。
同時に、ラムパルドがその圧倒的な怪力による「かわらわり」でワルビアルを撥ね飛ばす。巨体がルカの目の前にまで後退し、土煙が上がる。
「チッ。それなら……来い!サザンドラ!!」
ルカが放った最凶の切り札。放たれたボールから眩い光と共に三頭龍が現れ、森中に響き渡るほどの咆哮をあげた。
「グォォォォォオ!!!!」
そのあまりのプレッシャーに、周囲の空気が一変する。ライル達に緊張が走ったその時——森の奥から紺色の閃光が割り込んだ。
「ガァァァァアッ!!!!」
鋭い眼光で敵を睨むガブリアスが、サザンドラの前に立ちはだかる。それを見たルカが叫ぶ。
「さっきのガブリアス……!やっぱりてめーのかよ!」
二体の龍は唸り声を上げ、お互いを射殺さんとするほどの眼光をぶつけ合う。
ルカは逡巡としていた。傷ついた仲間達、そしてなおも遠距離から睨みを効かせる冷撃のグレイシアと波導のルカリオ。そしてガブリアス。
——相性が悪い。
(やつを出すか? いや……)
ライルもまた眼前のイレギュラーにどこまで対処すべきか、決めあぐねていた。
(こっちが優位のはずだが……なんなんだ? このプレッシャーは。一瞬も気が抜けない……!)
お互いの、ほんの数瞬の思考。ライルとルカの声が重なる。
「「りゅうのはどう!!」」
サザンドラとガブリアスから放たれた二つの蒼い奔流が、正面から衝突し、周囲を真っ白な光が包み込んだ。
凄まじい爆発音。辺りをしばらくの間、煙が包む。そしてそれが晴れたとき、すでにそこに少女の姿はなかった。
残されたのは、木々が折れ地面が抉れた激闘の跡。そして仲間達の姿。静まり返った森の奥でライルは呟く。
「……いない。何だったんだ、あいつ。並のトレーナーじゃなかったぞ」
一息つき、デバイスで仲間の体力を確認するライル。そこへポケモン達が戻ってくる。ガブリアスは主人の窮地を救ったと自慢げに胸を張っている。
「みんな、よくやったな。——おいガブ! お前だけおっせーよ! ギリギリだったろ!」
「グアッ!?」
褒められこそすれ、怒られる気など毛頭なかったガブリアスは、大きな体を縮めて驚いた声を出す。
「ったく、どうせまたなんか珍しいもん見つけてたんだろ」
ライルは短く溜息をつき、襲撃を上手く対処した仲間達を労いつつも、もう一度少女が消えた森の奥を見ていた。
(……またどこかで会う気がする)
◇ ◇ ◇
先ほどの森の中から離れた崖下、少し息を荒げながらポケモンを休ませるルカ。
「くそッ。 このあたしが撤退を選んじまうとはな。なんて屈辱だ……!」
傷ついたルガルガンたちが心配そうに寄ってくる。ルカはそれを見て、毒気が抜けたようにほんの少しだけ、表情を緩める。
「……いい、お前らは休んでろ。だが、あいつのツラは覚えた。この借りは絶対に返してやる。——しかし、あたしが『退く』のなんざ、いつぶりだ?」
夕闇に呑まれていく新緑の森を見て、彼女は固く拳を握りしめた。