ポケットモンスター Agent PLATINUM   作:ミノワ

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第四十二話【空へ】

 

 薄暗い反転世界。

 

 その一角に築かれた無機質な建造物。その装備品室では、天狼隊の兵達が次の行動に向け、黙々と準備を進めていた。

 

 その中心にいるのは、頭領格と見られる老兵。そしてそれぞれ、カラス、リンと呼ばれていた男女の兵。それから数人の兵達。

 

 その中でリンは、小型のデバイスに表示された情報を確認し、老兵へ声をかける。

 

「隊長、奴らが止まってから30分近く経つ。拠点に辿り着いたみたい」

 

 老兵は作業の手を止め、鋭い目のまま答える。

 

「どこだ?」

「203番道路の外れ。位置的にはクロガネと発電所の間だけど、クロガネ寄りね」

「存外、こちらの拠点とそう遠くなかったな」

 

 そこで、カラスと呼ばれていた兵が片眉を上げる。

 

「そんなとこに道なんかあったか?」

「公道ではないのだろうな。想像以上に組織の規模があるのかもしれん」

「……公な機関なら厄介ですぜ?」

「いや、これまでの行動から見れば意思決定が『それ』ではない。完全な公的機関でもなく、民間のみでもない。だが秘匿された組織には違いない」

 

 断片的な情報だけで相手の輪郭を組み立てながらも、老兵の表情に迷いはない。

 

「いずれにせよ、どんな組織でも拠点を叩かれれば弱いものだ。奴らの準備が出来ていない今、こちらから仕掛けるぞ」

 

 その決断に、カラスとリンの二人は好戦的な笑みを見せた。

 

「了解」

 

 他の兵達も準備を終え、装備品室を後にしようとしたその時、もう一人の兵から声がかかる。

 

「『ガライ』隊長」

「どうした?ムクロ」

 

 ムクロと呼ばれたその兵は煩わしそうに親指で背後を指す。

 

「『クライアント』が呼んでます。突撃は一旦中止しろと」

「なんだと?……分かった、すぐ行く」

「オレ達も行きますよ」

 

 そう言うと天狼隊頭領のガライ、カラス、リンは手にしていた荷物を下ろし、ムクロと共に、足早にアジトの奥へと向かった。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 輪廻教及び天狼隊アジトの大広間。

 

 そこには冷徹な資本の論理と、狂信的な野心が混ざり合った、淀んだ空気が漂っていた。

 

 上座に座るは、『汚れなき白』を纏った教祖。

 

 そして脇を固めるのは、潤沢な資金を提供するスポンサー——大企業の取締役である三人のスーツの男たち。天狼隊の四名は部屋へと入り、ガライが一歩前に進む。

 

「要件は? 今から敵の本拠地を叩くところだが」

 

 その言葉に、スーツの男達が次々と野次を飛ばす。

 

「なぜ奴らを逃した!? なぜあの場で捉えなかったのだ!」

「集団の半数近くと鎖の軍隊を数十体投入した上に戦果がゼロとはな!」

「君たち傭兵は知らんが、ビジネスでは考えられないよ」

 

 次々と飛んでくる非難にも、ガライは眉一つ動かさない。

 

 教祖が片手を上げると、三人の声が止んだ。

 

「例の男を罠でアジトに引き入れたまでは良いが、まんまと逃げられた。失敗は許さないと、私は以前伝えたはずだが?」

「奴の尻尾を掴むためだ。案の定、組織で動いていた。それに敵の実態も掴めていない状況で無闇に戦うより、油断したところで拠点を襲えば一網打尽にできる。そうすれば奴らを根元から瓦解させられる」

 

 ガライの言葉を静かに聞いていた教祖は、冷徹なまでのトーンで返す。

 

「一理あるかもしれんが、その間に情報が外部へ流れていれば? 拠点を潰しても手遅れかもしれん。報告によれば、チャンピオン級も居たと聞いている」

 

 カラスはガライの後ろで顔を僅かに歪ませた。

 

(フン。前に隊長のその警告を聞かなかったのはどいつらだったかねぇ?)

 

 教祖はそれを見透かしたかのように、なおも続ける。

 

「それに対応するのが君たちプロではないのか?傭兵は傭兵らしく、泥に塗れてでも、我々の計画を遂行させていれば良いだけの話だろう」

 

 瞬間。

 

 その言葉に天狼隊ムクロ、カラス、リンの額に青筋が走る。しかし、それをガライが威圧だけで諌めた。

 

「ならば、この後の計画は?」

 

「『救世』は前倒しで行う。鎖の軍隊が出てくれば奴らも対応せざるを得ん。そこを君らが各個撃破すれば良い。その間に伝説級の取り込みも進めろ。そうなればギラティナもじきに動けるようになろう。一度始めてしまえば、奴らは後手に回るしかあるまい」

 

「……了解」

 

 教祖の言葉にスポンサー達は満足げに頷き、対照的に天狼隊の四人は重々しい足音を響かせながら、大広間を後にした。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 ウゥーン!ウゥーン!ウゥーン!

 

 腹の底を揺さぶるような、けたたましいアラートが、本部全体に鳴り響く。

 

 動揺を隠せないエージェント一同。そんな中、アデクが苦々しい顔をしながら呟く。

 

「おいおい……。これを聞くのは二度目だ。まさか死ぬまでにまた聞くことになろうとはな」

 

 その言葉を聞いたルカが問いかけ、シロナが険しい顔で腕組みしながら答える。

 

「……なんなんだよこれ」

「——超特級レベルのアラートよ」

「……とにかく最悪ってことか?」

「それのさらに二乗、というところね」

 

 会議室の扉が勢いよく開き、顔面を蒼白にした事務方の職員が飛び込んできた。

 

「シロナさん! 緊急事態です! 皆様、すぐに司令室へ!!」

 

        ◇ ◇ ◇

 

 司令室へ駆け込んだ全員が、壁一面に広がる数十枚のモニターを見上げた瞬間、どよめきが生まれた。

 

 そこに映し出されていたのは、各都市の異常な光景。

 

【ホウエン地方・ミナモシティ】

 美しい海岸線に沿って広がる街を、どろりとした黒い霧が覆い始めている。

 霧に触れた海は鮮やかな青色を失い、くすんだ鉛色へと変色。港に並ぶ建物も次々と色彩を失い、まるで古びた写真のような灰色へと染まっていく。

 

【シンオウ地方・トバリシティ】

 岩山に囲まれた街の中心を、巨大な黒い亀裂が走っている。

 街を囲んでいた巨大な岩壁が地面から引き剥がされ、大小無数の岩塊となって空中へ浮かび上がっている。

 

【イッシュ地方・ヒウンシティ】

 無数の高層ビルが立ち並ぶ大都市。その中心を縫うように、黒い霧が急速に広がっている。

 大通りを埋め尽くしていた人々が逃げ惑う中、霧に飲み込まれた建物は色彩を失い、その輪郭さえもゆっくりと歪み始めていた。

 

 かつてライルとルカが見た、カンナギタウンでの異変に近い。

 

 しかし、その時とはっきり違うのは、裏の世界にこちらが迷い込んだのではなく、こちらの世界に裏が侵食しているとでもいうべき光景。

 

 ——その様相、まさに災害。

 

 モニターの光が、立ち尽くすエージェントたちの顔を冷たく照らす。

 

 デンジがロードに対して問いかける。

 

「おい、まさかこれが例の『理想郷』っていうんじゃないだろうな」

「分からねえよ……。だが奴らの仕業なのはほぼ間違いないだろうな」

 

 先ほどまで言い合いをしていたライルとルカの顔も強張り、その視線は映像に釘付けになっている。

 

「……コレ、マジでやべーだろ。冗談じゃねえぞ」

「こんなの、一体どうすればいいんだ……」

 

 エージェント達は言葉を失っていく。

 

 そんな中、シロナだけはデバイスを取り出し、相当な剣幕で誰かと通話をしていた。

 

 そして本部周辺の映像に映った光景を、フウロが捉えた。

 

「あれ見て!ここの周りが飲み込まれ始めてる!」

 

 全員の視線が一つのモニターに集中する。

 

 本部の背後に広がる森が、どろりとした黒の霧に侵食され始めている。それだけではない。さらにその奥から、まるで一つの黒い塊と化した反転ポケモンの群れが、波のように押し寄せてきていた。

 

「そんな!どうして!?」

「居場所がバレたのか!?」

「バカな!ここはそう簡単に見つかる場所じゃないぞ!」

 

 次々と上がるエージェントの声を遮るように、先ほど大型トラックを運転していた事務方が駆け込んでくる。

 

「申し訳ございません!トラックを整備点検に回していたのですが、車体の後ろ部分にこれが……!」

 

 その手にあったのは、天狼隊リンが打ち込んだ硬貨ほどのサイズの物体。

 

「おそらく発信機です……。我々の居場所は捕捉されています!」

 

 秘匿されていたプラチナム本部の居場所が敵に暴かれた。未だかつてない緊急事態に全員の顔が引き攣り、司令室に緊張が走る。

 

 無情にも侵食を続ける反転世界と、そこを雪崩のように押し寄せる反転ポケモン。もはや彼らには一刻の猶予も残されていない。

 

 絶望的な包囲網に、ゲンジやカゲツが腰のモンスターボールに手をかけ、押し寄せる軍勢を迎え撃とうと駆け出し、数人がそれに続こうとした。

 

 ——その時。

 

 通話を終えたシロナの元に事務方が駆け寄る。

 

「シロナさん!事務方全員、退避完了です!」

 

 その声を聞いたシロナは頷き、司令室に響き渡るほどの檄を飛ばした。

 

「全員、その場で待機!!!!」

 

 カゲツが振り向き反論する。

 

「待機って! もう奴ら目の前まで来てるんだぞ!」

 

 しかしシロナは動じずに答えた。

 

「——このまま、退避します」

 

 その言葉に、一同はざわめく。

 

「このまま……退避? シロナさん、それ、どういう——」

 

 ライルの問いかけに、シロナはモニターを見つめたまま言い切った。

 

「心配しないで。この本部は——『飛ぶ』から!」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、本部の地下深くから、これまで一度も聞いたことのない低い駆動音が響き始めた。

 

 ズゥゥゥゥゥン……ッ!!

 

 床が大きく震え、棚やデスクの備品が一斉に音を立てる。

 

「な、なんだ!?」

 

 地上では、本部を囲むコンクリートに沿って幾筋もの亀裂が走っていた。

 

 本部主要区画と地上設備を繋いでいた固定機構が次々と解除され、居住区を含む建物全体のおよそ三分の二を占める部分が、大地から切り離されていく。

 

 莫大な電力が施設全体へ供給され——プラチナム本部そのものが、地面を離れた。

 

 本部下層に格納されていた複数の大型推進機構が、一斉に唸りを上げる。

 

 全員が呆気に取られ、開いた口が塞がらず、ルカとライルもまるで事態が飲み込めない。

 

「…………なんっだこりゃ」

「こんなことって……」

 

 眼下では、浮上によって巻き起こされた猛烈な風圧に煽られ、押し寄せていた反転ポケモンの先頭集団が大きく足を止めていた。

 

 足元の床から伝わるエンジンの鼓動。窓の外では、自分たちがいた地面がどんどん遠ざかっていく。

 

 ルカはその光景を窓越しに見下ろし、引き攣ったように笑った。

 

「潜水艦でも大概だったけどよ……さすがにこれはレベチだろ」

 

「奇遇だな、嬢ちゃん。俺もそう思ってたとこだ」

 

 いつの間にか隣へ来ていたロードも、珍しく驚きを隠せずにいる。ライルが周りを見渡す限り、驚いた様子を見せていないのはシロナ、ダイゴ、アデクのみ。

 

「シロナさん、これって……」

 

「有事のための超緊急離脱仕様よ。本部の主要区画だけを移動させるためのね。だから戦闘能力も備わっていない」

 

 シロナは本部内を見渡しながら声を響かせる。

 

「……それでもこの組織は、世界を守る砦。決して落ちてはならないの。何があっても指揮機関だけは残さなければならない」

 

 ライルは帰還した際、慌ただしく本部を点検し回っていた技術班の姿を思い出した。

 

 そしてそれは、ライルとルカがイッシュから帰還した時も同様であった。

 

「——まさかあれは、この準備……? シロナさん、こうなることを前から予測してたってことですか?」

 

 シロナはそこで、ようやくライルの方を向いた。

 

「もっと前に、君が『空間移動』の可能性を話した時からね。予測はしていなかったけど、もしものために使用点検だけは行っていた。それでも、ギリギリだったけどね」

 

 シロナはそこまで話した後、一息つき、煩わしそうに呟いた。

 

「——『これ』、緊急用のくせに事前の根回しと後処理に死ぬほど時間がかかるの」

 

 ライルは絶句した。

 

(この人……マジで……?)

 

 あの時点では可能性の一つに過ぎない仮説だったはず。ライルは改めて自分たちを率いるリーダーに舌を巻いたが、当の本人はそんな視線など意に介さない。

 

 シロナは揺れる司令室の中、毅然とモニターの前に立つ。

 

「さあ総員、開いた口を閉じなさい。全地方の被害状況を急いで確認! 優先して救出すべき地点を特定するわ!」

 

 空中を往く鉄の城。

 

 地上を離れたプラチナム本部は、黒い霧に覆われていく大地を眼下に、さらに高度を上げていった。

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