ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
ルネシティへの来訪は、わずか二日で二度目となる。
今回の目的地は深く、危険な場所にあった。老婆の使いの者から潜水用の装備一式を借りた二人は、短時間でその使い方を教わることに。
実際にルネの入江で潜水訓練を行い、水圧への対処や水中での合図を確認する。
そして次に重要なのは——どうやって水の中を進むかということである。
ライルがルカに尋ねた。
「そういやお前、水タイプのポケモン持ってるのか?」
「いや、いねえな」
「だよな」
ライルは少し考えた。
「まあ、一匹の背中に二人で乗っていくしかないか。ちょっと不安だけど、なんとかなるかな」
ライルはポケモンセンターのパソコンを使い、預けていた一匹のポケモンを呼び寄せた。二人がルネの美しい水辺へ出ると、ライルがボールを投げる。
「出てこい、『ミロカロス』!」
光の中から、長く美しい体が現れた。
水面へ沈んだミロカロスは、ライルの姿を見るなり、嬉しそうに長い身体をくねらせる。
「はは、ごめんな。最近、なかなか呼んであげられなかったよな」
ライルはミロカロスの頭を優しく撫でる。
その手に顔を寄せるミロカロスを見て、ライルも嬉しそうに笑っていた。
「………」
ルカはその様子を横からじっと見つめていた。そしてライルがその視線に気づく。
「……なに?」
「……お前、そんな感じなのかよ」
「何が?」
「いや……」
ライルはミロカロスを自慢げに紹介した。
「それより、可愛いだろ? 綺麗だし強いし、めちゃくちゃいい奴なんだぜ、こいつ!」
「かわ……おま……お前」
するとルカはおもむろに言い出した。
「……お前、それちょっとやれよ」
「やれって、何をだよ」
「相棒のあたしにも、日々そんくらいの労いがあって然るべきだって言ってんだよ!おい、やってみろよ! ほら!」
「……なんでなんだよ。早く行くぞ」
ライルは僅かに顔を背け、そのまま潜水の準備を始めた。
◇ ◇ ◇
二人はミロカロスの背に跨り、ルネの海へと潜っていく。
比較的浅い部分ではサニーゴが大きな珊瑚礁を形成し、その間をタッツーやシードラが漂っている。
目的地である『海底の洞窟』までは、それほど遠くない。しかし、太陽が届かない海で道を失えば、命に関わる。
老婆からは「キーストーンが残り半分の力を求めるので、道はある程度教えてくれる」と聞いていた。潜り始めてしばらくすると、その言葉の意味が分かった。二人のバングルにはめられたキーストーンが、二人を導くかのように、今度は青く微かな光を放っていた。
ミロカロスがそれに従い、さらに深く潜っていくと、やがて周囲から太陽の光が消え、地上とは全く異なる世界が広がる。さらに深い場所では、ランターンやチョンチーが暗い海を照らしていた。
時折、サメハダーの鋭い影が視界の端を横切る。二人はそのたびに周囲を警戒しながら進んでいく。さらにその頭上を巨大なホエルオーの群れがゆっくりと通り過ぎる。
美しく、同時に人間の力がほとんど及ばない世界。
進むこと一時間弱。
キーストーンの光がやや弱まると、海底の岩肌に、不自然なほど巨大な裂け目が見えてきた。
ミロカロスは速度を落とし、その中へ入っていく。暗い洞窟をしばらく進むと、その先に僅かな光が見えたので水面へ浮上する。
そこには海の中とは思えないほど広い空洞と、穏やかな浅瀬が広がっていた。そしてさらに奥からは、煙突山とはまた違う、冷たく重い空気が流れてきていた。
◇ ◇ ◇
波の音だけが反響する洞窟の入り口。
二人は濡れた装備を外しながら、周囲を確認する。
「『ダイビング』もなかなか面白いじゃん。みずポケモンも悪くないな。ミロカロスの肌触りサイコーだし」
「だろ?」
ルカは髪や装備についた水を払いながら、話を続ける。
「なんかホウエン来てからは、冒険って感じするよな」
「まあ、火山行ったり、海潜ったりな」
「そうそう。あたし、こんな風に世界を旅するのが夢だったんだよ」
「へえ。そうだったのか」
かつて彼女は一人で世界各地を回っていたが、それはただ自分が旅をするためではなかったことをライルは知っている。
思い返せば確かに、ここ最近のルカは危険な任務中にあっても、どこか楽しそうではあった。
ライルは微笑みつつも、軽くだけ釘を刺す。
「でもま、一応任務だからな?」
「ああ、わかってるって」
ライルは名残惜しそうに身体を寄せてくるミロカロスを撫で、ボールへ戻した。
「ここでいいんだよな? だけど……」
ライルが腕を見る。
これまで二人を導いていたキーストーンの光は、完全に消えていた。
「消えてんな、光」
「ああ。……とにかく進むか」
◇ ◇ ◇
二人は洞窟の奥へと進んでいく。
天井から落ちる水滴と、二人の足音だけが辺りに響く。しばらく歩いたところで、ライルが足を止める。
「なあ。グラードンの時の、あの気配を覚えてるか?」
「あんなやべえオーラ、忘れるわけねーだろ」
「……おれはてっきり、それと同等のプレッシャーを覚悟してたんだ。でも今はその感覚がまったくない」
「昼寝でもしてるってか? ……じゃなきゃ、最悪のパターンかもな」
「ああ、少し急ごう」
二人は速度を上げる。
警戒を続けながら、時折走って洞窟の最奥を目指した。やがて視界が開けると、その最奥部には大きな空洞が広がっていた。
しかし、そこにいるはずの存在は見当たらない。
煙突山で感じたような圧倒的な気配もなかった。
「……いない!」
ライルは再びキーストーンを確認した。
「おい相棒。反応が消えたってことは、まさかそういうことだったんじゃねえのか?」
「……確認しよう。周りを調べてくれ」
ライルはデバイスを取り出し、周囲のエネルギー反応を確認し、ルカも洞窟内や水面部分を調べていく。
しばらくして、ライルが画面から顔を上げる。
「……カイオーガほどの存在を捉えようとするなら、もっと異常値が出るはずだ」
「争った形跡もねえ。あの火山で見たバケモンクラスの奴を、ボコさずに連れ去れるとは思えねーな」
二人が顔を見合わせる。
天狼隊の仕業ではないのか?
その時、ライルのデバイスが揺れた。
着信だった。
「……はい」
『もしもし!ライルくん!? 海底洞窟の奥には着いた!?』
「……ナギさん?」
電話口からは轟々と風の音が聞こえ、ナギはどこか興奮気味に話していた。
『君と同じデバイス、すぐに届けてくれたわ! カッコいいし機能的だしテンション上がっちゃう!』
「……はは。気に入られて何よりです。……それで、どうされたんです?」
『そう!それどころじゃなかったわ!カイオーガだけど、ミナモシティ近海にいたの!』
「ミナモシティ!?」
ライルの表情が変わる。
ミナモシティは、先の災害によって反転世界の侵食を強く受けた場所の一つだった。現在も街が取り込まれ、全体が危険避難区域に指定されている。
『ええ!私たちも今向かってるところなの!』
「なぜ、カイオーガはそんな場所に……?」
『わからない……。とにかく、すぐにこっちに向かえる!?』
「わかりました! すぐに向かいます!」
通信を切り、ライルはルカへ向き直る。
「また移動か……。あのジェットコースターみたいなの苦手なんだよ……」
(知ってる)
二人は急いで来た道を戻り、ミロカロスと共に海面へと浮上。あらかじめ場所を決めて待機していたラティオスとラティアスの背へ飛び乗った。
◇ ◇ ◇
ミナモシティ上空。
ラティオスとラティアスが速度を落とす。眼下に広がる光景を見て、ライルが言葉を失う。
かつて多くの人々が行き交っていた港町。
その大半が、別の世界へ引きずり込まれたようにモノクロームな景色へと変貌していた。空間は不規則に歪み、建物からは色が失われて、人の姿もない。
二人は街の中心部にある公園跡へ降り立った。
「……あのミナモシティが……」
本部で映像は確認したが、実際に見るのとはまた違う。
カンナギと同じ現象でもない。これは反転世界ではなく現実世界で起こっていることなのだ。静かすぎる街を前に、ライルは茫然と周囲を見渡していた。
その肩に、ルカが手を置く。
「……行こうぜ、相棒。今回の件が終われば、きっとこの街も元に戻る。それにあたしらなら、何が来たって余裕だろ?」
「……ああ、そうだな」
二人は拳を軽く突き合わせる。
そしてラティオスとラティアスと共に海岸線へ向かう。海上では、激しい雨が吹き荒れていた。そこには、険しい表情で海を見つめる老婆の姿があった。
「ばーさん!」
「おお、来たかお主ら! 早かったのう!」
「この近くにカイオーガが居るんですか?」
「ああ、そうじゃ。わしらが来たのもつい先刻じゃがの」
老婆が沖合を指差す。
「大海の王はどうやら、あの岩場を攻撃しとるらしい」
二人がその方向を見ると、遠くからでも分かるほど、大きな水柱が何度も上がっていた。
◇ ◇ ◇
二人は再びラティオスとラティアスに跨り、沖合へ向かう。
その途中、二人の腕にあるキーストーンが、突然強い光を放った。
「——!」
煙突山でグラードンと対峙した時とは対照に、石の内部で青い光が激しく揺れている。
その先に不自然なほど巨大な岩場が見えたが、その前に一匹の巨大なポケモンが浮かんでいた。石はまるで、その主の怒りを示しているかのようであった。
深い青の巨躯。強靭なヒレ。
身体に刻まれた赤い紋様が、海の上で光を放っていた。
「……これが、カイオーガ」
グラードンと対をなす、大海の力を司る太古の存在。
その周囲では大雨が降り、海面が激しく波打ち、巨体が動くたびに大きな波が生まれている。
しかし、カイオーガはこちらを見ていなかった。その視線は、目の前にある巨大な岩場へ向けられている。
次の瞬間。
凄まじい水流——『ハイドロポンプ』が放たれ、岩場へ直撃した。
その後方ではナギのエアームドと、ナギのトロピウスに乗ったカイトが飛び回っている。
「ナギさん! カイトさん!」
「ライルくん! 早かったのね!」
「カイオーガはどうしたんですか!?」
「分からない……さっきからずっと、あの岩場だけを狙って攻撃しているの……!」
ナギがカイオーガへ視線を戻す。その隣で、カイトが険しい表情のまま告げた。
「攻撃の仕方が尋常ではない。これは、敵を排除する動きではないか……?」
「敵……?」
再びカイオーガが水流を放ち、巨大な岩場へ直撃する。
すると次の瞬間、岩が『内側から弾けるよう』に砕け散った。大量の岩石が海へ落ちていく。
その奥から、何かが姿を現した。
ライルは一瞬、それが何なのか分からなかった。
巨大な口と、そこから伸びる触手のような腕。黒と黄色が入り混じった巨体が、砕けた岩の中からゆっくりと現れる。
確かに、反転だった。
その体表には鎖の模様が浮き出し、そこから黒い霧が吹き出している。
だが、その霧の量が尋常ではない。ライル達がこれまで見てきたどの反転ポケモンよりも、重苦しい気配が漂っていた。
ただそこにいるだけで、本能的な嫌悪感を覚える。
カイオーガの殺気が向けられていたのは、間違いなくこの異形だった。
「一体、あれはなんなの……!?」
「……こんな姿のポケモン、見たこともない。あまりに禍々しすぎる……!」
ナギとカイトに続いて、ライルも口を開いた。
「カイオーガは、これを排除しようとしてるのか……?」
ライルは不意に、隣にいるルカを見た。そこで初めて、彼女の様子がおかしいことに気づいた。
「……ルカ?」
あのルカが、まったく動けていなかった。
呼びかけにも反応しない。
眼前の異形を見つめたまま、明らかに顔が強張り、唇が僅かに震えている。
「どうした? ……おい! 大丈夫か!?」
その呼びかけに、ようやくルカの口から掠れた声が漏れた。
「……こいつだ……」
「……何がだ?」
「こいつだよ、あたしの故郷を襲った奴だ……。あたしはこいつを知ってる……!」
ナギとカイトは驚いたようにルカを見た。
そしてライルだけが、その言葉の本当の意味を理解していた。