ポケットモンスター Agent PLATINUM   作:ミノワ

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第五十六話【治療】

 

 ミナモの海。

 

 ポケモン達を労い、最低限の回復をさせ、ボールに戻しながら海へと向かうライルたち。

 

 元の姿となったカイオーガが、トドゼルガに乗ったカイトとナギを伴い、ゆっくりと岸辺へ近づいてきた。ナギとカイトもまた無事であり、勝負の結末を見届けていたようだ。

 

 その上陸を見たカイオーガは、身を翻し海へと戻っていく。エンテイとライコウも静かにこちらへ近づき、共にそれを見送った。

 

 ナギがライルとルカに声をかける。

 

「無事でよかった……!ごめん、私、途中からほとんど気を失っちゃってた」

 

「ナギさん、謝らないでください。……みんながいてくれたから、なんとか勝てたんです」

 

 カイトは二人に礼を告げた。

 

「お前たちのおかげで、またホウエンの王が救われた。心から礼を言う……ありがとう」

 

「いいよそんなの。とりあえずどっかで休もうぜ。もう体が限界だよ……」

 

 ルカの言う通りだった。

 

 全員が満身創痍。ポケモンたちもその多くが戦闘不能となり、まともに戦える者はほとんど残っていない。長かった死闘を終え、夜の帳が降り始めたミナモシティの海岸線。

 

 そこへ、一連の戦いを静かに見守り続けていた老婆が、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「主らの戦い、しかと見届けた。このホウエンをまたも救ってくれてありがとうの。本当に大したもんじゃ」

 

 四人は言葉を返す気力もなく、ただ力なく微笑み、深く頷いた。

 

「それにしても、エンテイとライコウには驚いたわい。『火山の化身』と聞き、もしやとは思ったがな……。まさかこの遠い地までやってくるとは到底思えんでな」

 

 足を引きずりながら、ルカの肩を借りていたライルが答える。

 

「今は味方だと思っていいはずですが、彼らがどこまで力を貸してくれるのか、一度話してみないと……。それに本件についてダイゴさんへ報告を——」

 

 全身に痛みを抱えながら、それでも職務を全うしようとするライル。

 

 しかし、その言葉を鋭い声が遮った。

 

「ちょっと待て、お前はもう限界だ。これ以上の無理はあたしがさせない。話の前に——まず休め!」

 

「……ルカ」

 

「その通りじゃ。ライル君だけではない、全員に治療が必要じゃ。わしらが住むルネならば『天然の要塞』。いくらでも匿ってやることはできるが……」

 

 老婆は全員の姿を見回す。

 

「全員がこれほどボロボロでは、安全に移動する手段がないのう……」

 

 その指摘はもっともだった。

 

 空を駆ける翼は一様に傷ついている。日も落ちかけている中、飛んでルネシティへ戻ることは難しい。

 

 一同が途方に暮れていると、静かに波打ち際を見つめていたカイトが口を開いた。

 

「……海の王は、お前たちの戦いに応えたようにも見えた。その石を使って、海上の移動を『王』にお願いしてみてはどうだろうか」

 

 あまりにも突飛な提案。

 ルカとライルは顔を見合わせた。

 

「……王様をパシリに使おうってか?」

「はは、バチが当たりそうだけど……」

 

 苦笑する二人だったが、他に有効な手段もない。

 

 ライルは痛む腕をゆっくりと掲げた。

 キーストーンに意識を集中させ、静かに祈る。

 

 ——自分たちを、ルネシティまで運んでほしい。

 

 しばらくの後。その願いが届いたのか、沖合の海面が大きく盛り上がった。

 

「……これは」

 

 ライルたちが見守る中、次々と巨大な影が海面へ浮かび上がってくる。姿を現したのは、ホエルオーの群れ。

 

 そしてそのすぐ側にカイオーガも浮上する。

 

 まるで海の一団。だが彼らは何も言わず、しかし穏やかに、ライルたちを見つめている。

 

 「……まさか、乗れってことか?」

 

 ホエルオーは、ルカのその言葉を理解したのか、巨大な体を沈ませた。

 

 ライルたちは顔を見合わせた。

 

「どうやら、そうみたいだな」

 

 ホエルオーの広大な背の上へ、手を貸し合いながら登る。全員が登った後、ホエルオーたちは、汽笛替わりとでも言うかのように声を上げ、ゆっくりと海上を進み始める。

 

 だが、驚くべき光景はそれだけではなかった。

 

 ホエルオーの群れの側面にカイオーガ自らが付き添い、さらにその周囲には、ギャラドスやサメハダーをはじめ、無数の水ポケモンたちが集まってきた。

 

 ある者は海面を切り裂き、ある者は海中を並走する。まるで大海の王に付き従うように、一糸乱れぬ隊列を形成していた。

 

 その行先は、ランターンやチョンチー達が照らしていた。

 

「すごい……なんて景色なのかしら。これはきっと、奇跡よね……」

 

 ナギが呆然と海を見渡す。

 

「こんなことが起こるんだな。……すげえよ」

「ああ。世界で一番、豪華で安全な航海だ」

 

 ライルの言葉に、ルカが疲れ切った顔で笑う。

 

 一行を乗せた巨大な船団は、ルネシティへ真っ直ぐ向かった。

 

 誰も追うことのできない、海そのものに守られた航海だった。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 カイオーガは無事、彼らを送り届けてくれた。

 

 そして道中、ライルはカイオーガへ協力の依頼を申し出たが、グラードン同様にそれは叶わなかった。

 

 理由はやはり、世界全体の均衡のため、この海を離れるわけにはいかないということ。

 

 だがそれでも、二人のキーストーンはすでに完全な虹色の輝きを放っていた。

 

 そしてルネシティ。

 

 巨大な岸壁に囲まれ、中央に湖を抱くその街へ帰還した一行を待っていたのは、ルネの民に伝わるという治療術。

 

「わしらはずっとこの地と共に生きてきた。その偉大なエネルギーを分けてもらうんじゃ。これらを体に流すことにより、自然治癒力を大幅に高める。おそらく骨折だとしても、倍に近い速さで完治するはずじゃ」

 

「本当ですか!なら、一週間もあれば動けるな」

「骨折が二週間で治るかバカ! このセルフブラック野郎!!」

 

 呆れ果てたルカのチョップが、ライルの頭へ軽く落とされた。

 

 また一行だけでなく、傷ついたポケモンたちも順に治療を受けることとなった。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 その夜。

 

 月明かりに照らされたルネの湖面は、今日の死闘が嘘だったかのように静まり返っていた。ライルは治療部屋の窓からその光景を眺めていた。

 

 そこへ、ルカが静かに入ってくる。

 

「気分はどうだ? ……タオル、変えてやるよ」

 

 ルカはそう言うと、手慣れた様子で看病を始めた。いつもの荒っぽさはなく、共に死地を越えた仲間を労る優しさが滲んでいる。

 

「ありがとな」

 

 甲斐甲斐しいルカに、ライルは少しの照れ臭さを覚えながら感謝を口にした。

 

 ルカはそれに答えなかった。

 

 しかし、少しして口を開く。

 

「……今回は、もうダメかと思っちまった。『あいつ』を見て、あたしらしくない考えや、思いが溢れ出て……」

 

 ルカは手を止めず、僅かに俯いたままだった。

 

「……しょうがねえよ。でもみんな生き残れた。今はそれで、いいんじゃないかな」

 

 ルカはライルの言葉を聞いて少し微笑む。

 そして真っ直ぐに彼を見つめた。

 

「……でもあたしはきっと、あいつにまた立ち向かわないといけない。それに『確かめなきゃならないこと』もできた。……だけどお前に言われた通り、次は絶対に、何があっても諦めない」

 

 その瞳には、恐怖がまだ残っている。

 それでも同時に、覚悟も宿っていた。

 

「そうだよ、それがお前だろ。……それにおれもいるよ。一人ではやらせないからな」

 

 二人は静かに微笑み合った。

 それ以上の言葉は必要なかった。

 

 窓の向こうでは、湖面に映った月が静かに揺れている。

 

 死の淵を共に越えた二人の夜は、そうして穏やかに更けていった。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 翌朝。

 

 ルネシティへ差し込む朝日が、湖面をきらきらと輝かせている。

 

 ライルが目を覚ますと、部屋には微かに甘い果実の香りが漂っている。

 

 そこにはすでにルカの姿があった。

 

 椅子に腰掛け、手際よくフルーツの皮を剥いている。

 

 そして、ライルに気づく。

 

「よっ。よく眠れたか?」

 

 ライルは体を起こしながら答える。

 

「……眠れたけど。お前、ずっとここに居たのか?」

「ああ、そこのソファ借りて寝てたぜ」

「何してんだよ。お前こそ自分の部屋で休めよ」

「休んだって。あたしは軽傷なんだ、別に問題ねえよ」

 

 そう言うルカだが、あの硬い氷上を転がった衝撃は相当なものだったはず。

 少なくとも、全身に打撲を負っているに違いないのだ。

 

「……人のこと言えねーだろ、全く」

 

 呆れるライルを無視し、ルカは切り分けたフルーツを一切れ、フォークで刺した。

 

 そして、そのままライルの口元へ突き出す。

 

「ほら。ん」

 

「……えっ、なに?」

「食べさせてやるって言ってんだよ」

「い、いいよ! 恥ずかしいだろ、自分で食うって」

「怪我人が遠慮すんなって。ほら、あーん!」

 

 半ば強引に口へ押し込まれる。

 

 ライルは(本当はまず歯磨きしたいし、水が飲みてえ……)という切実な思いを飲み込みながら、渋々フルーツを咀嚼した。

 

 そんなライルをよそに、ルカは追撃をかけてくる。

 

「なんだよ、寝足りないのか? 顔が冴えねえぞ」

「ちひゃう(違う)……」

「しょうがねえなぁ、お前は」

 

 そう言うと、ルカはライルの頭の横、ベッドの縁へ腰を下ろした。

 

「ほら」

 

 そして、自分の太ももをポンポンと軽く叩く。

 

 ——ゴクン。

 

 ライルはフルーツを飲み込み、怪訝そうにルカを見る。

 

「……それはなに?」

 

「あたしの『膝』で寝ればいい。ばーさんとこの秘術と合わせりゃ、傷の治りが4倍速くなる」

「なるわけあるか!」

「いいから! 早くホラ!」

「いてて! おい、おれは怪我人だぞ!!」

 

 問答無用。

 

 ルカはライルの頭を強引に引き寄せ、そのまま自らの膝の上へ押しつけた。

 

 先日の砂浜での抱擁は、死闘を生き残った「無事の確認」。

 

 だが、今は静かな朝の光の中。

 

 何の危機もない状態でこうして密着すると、さすがに意味合いが変わってくる。

 

 沈黙。

 

 気恥ずかしい。気恥ずかしすぎる。

 

 とは言いつつも。

 

 柔らかな感触と、微かに香る優しい匂い。

 

 ライルは顔を少し赤らめながらも、ついついそれを受け入れてしまった。

 

 しかし——

 

 コンコンッ。

 

 軽快なノック音。

 そしてほぼ同時に、扉が勢いよく開いた。

 

「おはよ!ライルくん、気分はどう!? ……って、あれ?」

 

 ナギが目にしたのは、ベッドから滑り落ちるように床へ突っ伏しているライル。そして、空中へ両手を突き出した姿勢のまま固まっているルカ。

 

 どうやらルカは、ナギが入ってきた瞬間、反射的にライルを膝から突き飛ばしたようだ。

 

「……二人、何してるの?」

 

 ぽかんとするナギに、ルカが答える。

 

「……別に……何もしてないよ」

 

 床に顔面を打ちつけたライルは、鼻を押さえながらゆっくりと顔を上げた。

 

 その瞳には、強い情念が宿っていた。

 

 こいつだけは絶対に許さねえ……。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 ナギはそれを眺めながら、「おかしな二人ね」とクスクス笑っている。

 

 ライルはジンジンと痛む鼻をさすりながら、体勢を立て直した。

 

「どうかしたんですか? ナギさん」

 

「ええ、あなたたちいつも映像電話で報告してるんでしょ? 私もやってみたくって! でもやり方がイマイチわからないから、教えて欲しいのよね。ダイゴさんに報告するんでしょ?」

 

「ええ、いいですよ。じゃあ場所を変えますか?」

「ありがと!ババ様に場所は借りてるの。三人でいきましょ」

 

 朝の身支度を大急ぎで済ませたライルは、(本当はシャワーも浴びたいんだけどな……)という気持ちを押し殺した。ライルは松葉杖をつきながら治療室を出て、ナギの後についていく。

 

 その道すがら。

 

 前を歩くナギには聞こえないよう、ルカが隣を歩くライルへ声をかけた。

 

「なんだよ、怒ってんのか?」

「……怒ってねえよ」

「悪かったって。また後で『続き』やってやるからさ」

「なんのだよ、いらねえし」

「そんなこと言うなって」

 

 そんな二人のやり取りを、ナギが楽しそうに横目で振り返った。

 

「……ねえ、二人って付き合ってるの?」

 

「付き合ってないです!」「——ねえよ!」

 

 ほとんど同時だった。

 見事なまでの即答に、ナギが目を丸くする。

 

「そうなの? そんなに仲良さそうなのに」

「仲がいいのは当たり前だよ。あたしとこいつは『魂の相棒』なんだ」

「……魂? よくわからないけど、そうなのね。じゃあ、お互い恋愛するのとかは別にいいの?」

 

「ダメに決まってんだろ!!」

「ええ……」

「ナギさん……話変えましょう、もう……」

 

 いつもの調子で振り回されながら、ライルは小さく息を吐いた。

 

 こんなくだらない話をして。

 ルカに絡まれ、呆れ、ナギが笑っている。

 戦いの途中、生きて帰れるかすら分からなかった。

 

 だからこそライルは、心から思う。

 

 ——ああ、本当に生き残ったんだな、と。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 案内されたのは老婆の書斎。三人はダイゴへ通信を繋いだ。

 

 ミナモシティ海岸での激闘。

 

 録画された戦闘ログと共に、一連の出来事を詳細に報告していく。

 

『みんな、本当によくやってくれた。ラティオス達だけでなく、エンテイとライコウを味方につけ、カイオーガの捕獲まで阻止するなんてね。本当に、ありがとう』

 

「ライルくんとルカちゃんのおかげですよ」

「いえ、おれは全然……」

「あたしは大したことしてない。相棒がやってくれたんだ」

 

『(……全員、認めないんだね)』

 

 皆が一様に謙遜するその姿に、ダイゴは少し困ったように、だが可笑しそうに口角を上げた。

 

 そしてライルが報告を続ける。

 

「エンテイ、ライコウとは一度話してみないといけません。それから、ようやくキーストーンが完成したので、レックウザのところへも行かなきゃならない」

 

 その時、ダイゴの表情が少しだけ真剣なものへと変わった。

 

『それも重要だが、実は少し状況が変わってきている。君たちには、本部にいて欲しいと考えているんだ』

 

「……そうなんですか? だけどおれたち、まだ移動できるかどうか——」

 

『問題ないよ。実はいま、本部でルネに向かっているんだ。明日、夕刻頃には迎えに行けると思う。それまでそこにいてくれ。——くれぐれも、ルネの外には出ないように』

 

 ダイゴはそう言い切り、しばらくして通信を終了させた。

 

 静かになった書斎で、ライルはわずかに眉を寄せる。

 

 ——『本部で迎えに行く』。

 

 それだけなら、負傷した自分たちへの配慮とも考えられる。

 

 しかし。

 

 ——『くれぐれも、ルネの外には出ないように』。

 

 最後の念押しだけが、妙に強かった。

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