ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
ミナモの海。
ポケモン達を労い、最低限の回復をさせ、ボールに戻しながら海へと向かうライルたち。
元の姿となったカイオーガが、トドゼルガに乗ったカイトとナギを伴い、ゆっくりと岸辺へ近づいてきた。ナギとカイトもまた無事であり、勝負の結末を見届けていたようだ。
その上陸を見たカイオーガは、身を翻し海へと戻っていく。エンテイとライコウも静かにこちらへ近づき、共にそれを見送った。
ナギがライルとルカに声をかける。
「無事でよかった……!ごめん、私、途中からほとんど気を失っちゃってた」
「ナギさん、謝らないでください。……みんながいてくれたから、なんとか勝てたんです」
カイトは二人に礼を告げた。
「お前たちのおかげで、またホウエンの王が救われた。心から礼を言う……ありがとう」
「いいよそんなの。とりあえずどっかで休もうぜ。もう体が限界だよ……」
ルカの言う通りだった。
全員が満身創痍。ポケモンたちもその多くが戦闘不能となり、まともに戦える者はほとんど残っていない。長かった死闘を終え、夜の帳が降り始めたミナモシティの海岸線。
そこへ、一連の戦いを静かに見守り続けていた老婆が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「主らの戦い、しかと見届けた。このホウエンをまたも救ってくれてありがとうの。本当に大したもんじゃ」
四人は言葉を返す気力もなく、ただ力なく微笑み、深く頷いた。
「それにしても、エンテイとライコウには驚いたわい。『火山の化身』と聞き、もしやとは思ったがな……。まさかこの遠い地までやってくるとは到底思えんでな」
足を引きずりながら、ルカの肩を借りていたライルが答える。
「今は味方だと思っていいはずですが、彼らがどこまで力を貸してくれるのか、一度話してみないと……。それに本件についてダイゴさんへ報告を——」
全身に痛みを抱えながら、それでも職務を全うしようとするライル。
しかし、その言葉を鋭い声が遮った。
「ちょっと待て、お前はもう限界だ。これ以上の無理はあたしがさせない。話の前に——まず休め!」
「……ルカ」
「その通りじゃ。ライル君だけではない、全員に治療が必要じゃ。わしらが住むルネならば『天然の要塞』。いくらでも匿ってやることはできるが……」
老婆は全員の姿を見回す。
「全員がこれほどボロボロでは、安全に移動する手段がないのう……」
その指摘はもっともだった。
空を駆ける翼は一様に傷ついている。日も落ちかけている中、飛んでルネシティへ戻ることは難しい。
一同が途方に暮れていると、静かに波打ち際を見つめていたカイトが口を開いた。
「……海の王は、お前たちの戦いに応えたようにも見えた。その石を使って、海上の移動を『王』にお願いしてみてはどうだろうか」
あまりにも突飛な提案。
ルカとライルは顔を見合わせた。
「……王様をパシリに使おうってか?」
「はは、バチが当たりそうだけど……」
苦笑する二人だったが、他に有効な手段もない。
ライルは痛む腕をゆっくりと掲げた。
キーストーンに意識を集中させ、静かに祈る。
——自分たちを、ルネシティまで運んでほしい。
しばらくの後。その願いが届いたのか、沖合の海面が大きく盛り上がった。
「……これは」
ライルたちが見守る中、次々と巨大な影が海面へ浮かび上がってくる。姿を現したのは、ホエルオーの群れ。
そしてそのすぐ側にカイオーガも浮上する。
まるで海の一団。だが彼らは何も言わず、しかし穏やかに、ライルたちを見つめている。
「……まさか、乗れってことか?」
ホエルオーは、ルカのその言葉を理解したのか、巨大な体を沈ませた。
ライルたちは顔を見合わせた。
「どうやら、そうみたいだな」
ホエルオーの広大な背の上へ、手を貸し合いながら登る。全員が登った後、ホエルオーたちは、汽笛替わりとでも言うかのように声を上げ、ゆっくりと海上を進み始める。
だが、驚くべき光景はそれだけではなかった。
ホエルオーの群れの側面にカイオーガ自らが付き添い、さらにその周囲には、ギャラドスやサメハダーをはじめ、無数の水ポケモンたちが集まってきた。
ある者は海面を切り裂き、ある者は海中を並走する。まるで大海の王に付き従うように、一糸乱れぬ隊列を形成していた。
その行先は、ランターンやチョンチー達が照らしていた。
「すごい……なんて景色なのかしら。これはきっと、奇跡よね……」
ナギが呆然と海を見渡す。
「こんなことが起こるんだな。……すげえよ」
「ああ。世界で一番、豪華で安全な航海だ」
ライルの言葉に、ルカが疲れ切った顔で笑う。
一行を乗せた巨大な船団は、ルネシティへ真っ直ぐ向かった。
誰も追うことのできない、海そのものに守られた航海だった。
◇ ◇ ◇
カイオーガは無事、彼らを送り届けてくれた。
そして道中、ライルはカイオーガへ協力の依頼を申し出たが、グラードン同様にそれは叶わなかった。
理由はやはり、世界全体の均衡のため、この海を離れるわけにはいかないということ。
だがそれでも、二人のキーストーンはすでに完全な虹色の輝きを放っていた。
そしてルネシティ。
巨大な岸壁に囲まれ、中央に湖を抱くその街へ帰還した一行を待っていたのは、ルネの民に伝わるという治療術。
「わしらはずっとこの地と共に生きてきた。その偉大なエネルギーを分けてもらうんじゃ。これらを体に流すことにより、自然治癒力を大幅に高める。おそらく骨折だとしても、倍に近い速さで完治するはずじゃ」
「本当ですか!なら、一週間もあれば動けるな」
「骨折が二週間で治るかバカ! このセルフブラック野郎!!」
呆れ果てたルカのチョップが、ライルの頭へ軽く落とされた。
また一行だけでなく、傷ついたポケモンたちも順に治療を受けることとなった。
◇ ◇ ◇
その夜。
月明かりに照らされたルネの湖面は、今日の死闘が嘘だったかのように静まり返っていた。ライルは治療部屋の窓からその光景を眺めていた。
そこへ、ルカが静かに入ってくる。
「気分はどうだ? ……タオル、変えてやるよ」
ルカはそう言うと、手慣れた様子で看病を始めた。いつもの荒っぽさはなく、共に死地を越えた仲間を労る優しさが滲んでいる。
「ありがとな」
甲斐甲斐しいルカに、ライルは少しの照れ臭さを覚えながら感謝を口にした。
ルカはそれに答えなかった。
しかし、少しして口を開く。
「……今回は、もうダメかと思っちまった。『あいつ』を見て、あたしらしくない考えや、思いが溢れ出て……」
ルカは手を止めず、僅かに俯いたままだった。
「……しょうがねえよ。でもみんな生き残れた。今はそれで、いいんじゃないかな」
ルカはライルの言葉を聞いて少し微笑む。
そして真っ直ぐに彼を見つめた。
「……でもあたしはきっと、あいつにまた立ち向かわないといけない。それに『確かめなきゃならないこと』もできた。……だけどお前に言われた通り、次は絶対に、何があっても諦めない」
その瞳には、恐怖がまだ残っている。
それでも同時に、覚悟も宿っていた。
「そうだよ、それがお前だろ。……それにおれもいるよ。一人ではやらせないからな」
二人は静かに微笑み合った。
それ以上の言葉は必要なかった。
窓の向こうでは、湖面に映った月が静かに揺れている。
死の淵を共に越えた二人の夜は、そうして穏やかに更けていった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ルネシティへ差し込む朝日が、湖面をきらきらと輝かせている。
ライルが目を覚ますと、部屋には微かに甘い果実の香りが漂っている。
そこにはすでにルカの姿があった。
椅子に腰掛け、手際よくフルーツの皮を剥いている。
そして、ライルに気づく。
「よっ。よく眠れたか?」
ライルは体を起こしながら答える。
「……眠れたけど。お前、ずっとここに居たのか?」
「ああ、そこのソファ借りて寝てたぜ」
「何してんだよ。お前こそ自分の部屋で休めよ」
「休んだって。あたしは軽傷なんだ、別に問題ねえよ」
そう言うルカだが、あの硬い氷上を転がった衝撃は相当なものだったはず。
少なくとも、全身に打撲を負っているに違いないのだ。
「……人のこと言えねーだろ、全く」
呆れるライルを無視し、ルカは切り分けたフルーツを一切れ、フォークで刺した。
そして、そのままライルの口元へ突き出す。
「ほら。ん」
「……えっ、なに?」
「食べさせてやるって言ってんだよ」
「い、いいよ! 恥ずかしいだろ、自分で食うって」
「怪我人が遠慮すんなって。ほら、あーん!」
半ば強引に口へ押し込まれる。
ライルは(本当はまず歯磨きしたいし、水が飲みてえ……)という切実な思いを飲み込みながら、渋々フルーツを咀嚼した。
そんなライルをよそに、ルカは追撃をかけてくる。
「なんだよ、寝足りないのか? 顔が冴えねえぞ」
「ちひゃう(違う)……」
「しょうがねえなぁ、お前は」
そう言うと、ルカはライルの頭の横、ベッドの縁へ腰を下ろした。
「ほら」
そして、自分の太ももをポンポンと軽く叩く。
——ゴクン。
ライルはフルーツを飲み込み、怪訝そうにルカを見る。
「……それはなに?」
「あたしの『膝』で寝ればいい。ばーさんとこの秘術と合わせりゃ、傷の治りが4倍速くなる」
「なるわけあるか!」
「いいから! 早くホラ!」
「いてて! おい、おれは怪我人だぞ!!」
問答無用。
ルカはライルの頭を強引に引き寄せ、そのまま自らの膝の上へ押しつけた。
先日の砂浜での抱擁は、死闘を生き残った「無事の確認」。
だが、今は静かな朝の光の中。
何の危機もない状態でこうして密着すると、さすがに意味合いが変わってくる。
沈黙。
気恥ずかしい。気恥ずかしすぎる。
とは言いつつも。
柔らかな感触と、微かに香る優しい匂い。
ライルは顔を少し赤らめながらも、ついついそれを受け入れてしまった。
しかし——
コンコンッ。
軽快なノック音。
そしてほぼ同時に、扉が勢いよく開いた。
「おはよ!ライルくん、気分はどう!? ……って、あれ?」
ナギが目にしたのは、ベッドから滑り落ちるように床へ突っ伏しているライル。そして、空中へ両手を突き出した姿勢のまま固まっているルカ。
どうやらルカは、ナギが入ってきた瞬間、反射的にライルを膝から突き飛ばしたようだ。
「……二人、何してるの?」
ぽかんとするナギに、ルカが答える。
「……別に……何もしてないよ」
床に顔面を打ちつけたライルは、鼻を押さえながらゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、強い情念が宿っていた。
こいつだけは絶対に許さねえ……。
◇ ◇ ◇
ナギはそれを眺めながら、「おかしな二人ね」とクスクス笑っている。
ライルはジンジンと痛む鼻をさすりながら、体勢を立て直した。
「どうかしたんですか? ナギさん」
「ええ、あなたたちいつも映像電話で報告してるんでしょ? 私もやってみたくって! でもやり方がイマイチわからないから、教えて欲しいのよね。ダイゴさんに報告するんでしょ?」
「ええ、いいですよ。じゃあ場所を変えますか?」
「ありがと!ババ様に場所は借りてるの。三人でいきましょ」
朝の身支度を大急ぎで済ませたライルは、(本当はシャワーも浴びたいんだけどな……)という気持ちを押し殺した。ライルは松葉杖をつきながら治療室を出て、ナギの後についていく。
その道すがら。
前を歩くナギには聞こえないよう、ルカが隣を歩くライルへ声をかけた。
「なんだよ、怒ってんのか?」
「……怒ってねえよ」
「悪かったって。また後で『続き』やってやるからさ」
「なんのだよ、いらねえし」
「そんなこと言うなって」
そんな二人のやり取りを、ナギが楽しそうに横目で振り返った。
「……ねえ、二人って付き合ってるの?」
「付き合ってないです!」「——ねえよ!」
ほとんど同時だった。
見事なまでの即答に、ナギが目を丸くする。
「そうなの? そんなに仲良さそうなのに」
「仲がいいのは当たり前だよ。あたしとこいつは『魂の相棒』なんだ」
「……魂? よくわからないけど、そうなのね。じゃあ、お互い恋愛するのとかは別にいいの?」
「ダメに決まってんだろ!!」
「ええ……」
「ナギさん……話変えましょう、もう……」
いつもの調子で振り回されながら、ライルは小さく息を吐いた。
こんなくだらない話をして。
ルカに絡まれ、呆れ、ナギが笑っている。
戦いの途中、生きて帰れるかすら分からなかった。
だからこそライルは、心から思う。
——ああ、本当に生き残ったんだな、と。
◇ ◇ ◇
案内されたのは老婆の書斎。三人はダイゴへ通信を繋いだ。
ミナモシティ海岸での激闘。
録画された戦闘ログと共に、一連の出来事を詳細に報告していく。
『みんな、本当によくやってくれた。ラティオス達だけでなく、エンテイとライコウを味方につけ、カイオーガの捕獲まで阻止するなんてね。本当に、ありがとう』
「ライルくんとルカちゃんのおかげですよ」
「いえ、おれは全然……」
「あたしは大したことしてない。相棒がやってくれたんだ」
『(……全員、認めないんだね)』
皆が一様に謙遜するその姿に、ダイゴは少し困ったように、だが可笑しそうに口角を上げた。
そしてライルが報告を続ける。
「エンテイ、ライコウとは一度話してみないといけません。それから、ようやくキーストーンが完成したので、レックウザのところへも行かなきゃならない」
その時、ダイゴの表情が少しだけ真剣なものへと変わった。
『それも重要だが、実は少し状況が変わってきている。君たちには、本部にいて欲しいと考えているんだ』
「……そうなんですか? だけどおれたち、まだ移動できるかどうか——」
『問題ないよ。実はいま、本部でルネに向かっているんだ。明日、夕刻頃には迎えに行けると思う。それまでそこにいてくれ。——くれぐれも、ルネの外には出ないように』
ダイゴはそう言い切り、しばらくして通信を終了させた。
静かになった書斎で、ライルはわずかに眉を寄せる。
——『本部で迎えに行く』。
それだけなら、負傷した自分たちへの配慮とも考えられる。
しかし。
——『くれぐれも、ルネの外には出ないように』。
最後の念押しだけが、妙に強かった。