ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
巨大な岩壁に囲まれたルネシティ。
海にポツンと存在するその街は、上空から見ればクレーターのようにも見える。そしてその中心の湖面は、穏やかに凪いでいた。
ナギは先ほどの部屋に残ったまま、「現代の利器は難しいわね……」と独り言を漏らしつつ、デバイスの画面と格闘している。
それを待つ間、ライルとルカは湖を一望できるベンチに居た。二人の周囲では、治療を受けて少し元気を取り戻したポケモンたちが、思い思いの格好で日光浴をしていた。
ガブリアスは地面へ寝そべり、ウォーグルは軽く翼を広げ、ルガルガンは木陰で丸くなっている。その近くではタイプ:ヌルも静かに身体を伏せていた。
ミロカロスも湖から頭を出し、穏やかな光を美しい鱗に反射させている。ラティオスたちはその周りを、非常にゆっくりと旋回していた。
時折、心地よい風が水面を揺らす。ライルはベンチの背もたれへ体を預け、ぼんやりと湖を眺めていた。
そしてふと、こんなことを思う。
——あれ? こんなに暇でいいんだっけ……?
思えばここ数ヶ月、この男が何も考えずにいる時など、ほとんどなかった。
『そらのはしら』でギラティナと戦い、正体不明の教団を調べるためにイッシュへ潜入。反転世界に突入し、ダイゴを救ったかと思えば、強力な兵団に追われ、今度は伝説のポケモンたちを探す。
尋常ではない密度で駆け抜けてきた日々。
次に何が起きるのか。
何を調べるべきなのか。
誰を守らなければならないのか。
そんなことばかりを考え続けてきた。
だからこそライルは、「何もしない」という時間が、自分にとってどれほど久しく、そして贅沢なものなのかを痛感していた。
今までの記憶を整理するでもなく、未来を憂うでもない。
ただひたすら——何も考えない。
ふと気づけば、疼いていた足の痛みも、今だけはほとんど感じられなかった。
(ババ様の一族のエネルギー療法、本当にすごいんだな……)
するとあまりの暇さに、通常のライルならば考えつきもしないことが頭に浮かんできた。
(……待てよ。まさかルカの言っていた『4倍速』……あれも、本当に信憑性があるんじゃないか……?)
普段は鼻で笑うような突飛な考えすらも、妙な真実味を帯びている気がする。
これは脳が弛緩しきっている可能性がある。
「おい、流石にボケっとしすぎじゃね? 何考えてんだよ」
不意に隣から声をかけられ、ライルは現実へ引き戻された。
「……いや、特に何も」
「なんだよ、しけたツラしてんなあ」
そう言うとルカは、ニヤニヤと笑う。
悪戯を思いついた時の顔だ。
「……そんなに悩みがあるなら、さっきの『続き』してやってもいいぜ?」
完全に、からかうつもりだった。
だがライルは違った。
——さらに怪我が早く治るかもしれない。
彼は緩んだ脳でそのまま素直に答えた。
「あー……じゃあ、やってもらおうかな——」
「———ッ!?」
ルカの表情が固まる。
そして次の瞬間。
「無理無理無理無理!!絶対やらねえ!!!」
「はあ!? なんなんだよ! 自分から言っといて!」
「今のはなんか、間が嫌だった! 恥ずかしいんだよバカ!!」
ライルは呆れて天を仰いだ。
——こいつは本当に、情緒がどうなってんだ……
だが、そんなやり取りすらも、どこか心地よかった。
平和すぎて、むしろ少しだけ調子が狂った。
◇ ◇ ◇
ナギがデバイスとの格闘を終え、彼らに合流した。
そこでライルは、エンテイとライコウとの対話を試みることにした。
エンテイとライコウは、ルネシティを囲む岸壁に佇み、静かに遠方を見つめていた。ライル、ルカ、ナギ、そしてルカリオは傷ついた体を労わりながら、ゆっくり岩場を登る。
そこからはホウエンの海を一望できた。四方には水平線が広がり、東にはサイユウシティ、西にはキナギタウンを抱く岩礁。北には遠く、街の影が霞んでいる。
「すごい眺めだけど……ちょっと足がすくむな」
ライルたちの気配に気づき、エンテイとライコウがゆっくりと振り返る。
そして大きな体を揺らしながら、こちらへ歩み寄ってきた。
ライルはまず、改めて感謝の意を伝えた。
「昨日は、助けてくれてありがとう。おかげでおれ達は、こうやってここに帰ってこれた」
エンテイとライコウはライルを真っ直ぐ見つめるが、反応しない。ライルは手首のキーストーンを見た。相変わらず綺麗な虹色が輝いている。
「貴方達がグラードンの言っていた『遣い』ってことでいいのかな。んーっと、言葉は分かるのか? ルカリオ、彼らと話せるか?」
ルカリオが頷き、波導を繋ごうとした。
その瞬間。
『——言葉はわかる』
「……!?」
ライルは思わず辺りを見回したが、誰もいない。
だが、今の声は間違いなく頭の中へ直接響いてきた。
視線を戻すと目の前に立つエンテイが、静かにこちらを見つめている。
『その石が、お前の言葉を鮮明にしている。話しているのは私だ』
「……!」
どうやら頭に響く声の主は、目の前の巨躯で間違いないらしい。
「直接話せんのかよ!? あの火山のバケモンとは話せなかったのに」
「え、嘘。何か聞こえる? 私、何も聞こえないんだけど」
ナギの反応に、ライルは自分の腕で光るバングルへ視線を落とした。
やはりバングルは、完成していた。
「……これを付けていると、お互いの言葉が理解できるんだと思います。おれがナギさんにも伝えますよ」
するとエンテイは、再びライルとルカに向け話し始めた。
『我々は大地の王の頼みで、遠い土地から来た。彼は力が強すぎる。小さき人間とは話せない』
やはり『遣い』。
ライルとルカは顔を見合わせた。
「それなら、貴方達はおれたちを助けてくれるんですか? おれたちは今、その……『反転世界』ってとこを悪用している奴らと戦ってるんだけど」
今度はライコウがライルを見据えた。
『知っている。『この世ならざる世界』。力の流れが乱れ、留まれない。その力を人間が、己のものにしようとしている。愚かなことだ。いつの時代も、悪い人間は変わらない』
ライコウは遠い過去を思い出すかのように視線を落とした。
「……あたしらは、そいつらをぶっ倒すんだよ。あとギラティナってやつもな」
ルカが言う。
エンテイはしばらく黙った後、重々しい声を響かせた。
『我々も、この世ならざる世界に囚われた者を、救う使命がある。しかしこれらは異常だ。本来は許されない。あの神は、二つの世界の均衡を保つことを、任されている。彼はかつて、そのようなことをしたことがない』
その言葉に、一同は驚きを隠せなかった。
「均衡を保つだと? 言っちゃなんだが、あいつには迷惑しかかけられてないぜ」
「教団側が操ってる可能性もある。多分だけど、これまでのギラティナの出現は、あいつらが糸を引いてる。『カンナギ』も『そらのはしら』もだ」
ルカはライルの言葉に目を丸くした。
「——マジ?」
「マジだ。あの傭兵にカマをかけた」
「嘘という可能性はないの?」
ナギがライルに問いかける。
「なくはないです。でも、あいつはそこに嘘をつくタイプじゃない。やり合ったから、なんとなく分かります」
命をかけて戦ったライルがそう言うのであれば信憑性はあると、ルカとナギは思った。
「それにあいつは、付けていた指輪でレジアイスやあの『化け物』に指示しているように見えた。煙突山にいたリンってやつもだ。あれがギラティナを操れるのかも」
「君たちがつけてるキーストーンと、同じようなものなのかしら」
「……そうかもしれません」
そこはルカが口を挟む。
「でもさ、あいつらは『反転』だろ? なら、鎖やら何やらで言うこと聞かせるのはまだ分かるよ。だけどギラティナは、その元凶みたいなやつだろ」
ライルもナギも、その言葉の続きに耳を傾けた。
「神とまで呼ばれてるやつが、そう簡単に操れるとは思えねえけどな。ばーさんに貰ったこの石ですら、『お願い』はできても無理やり言うこと聞かすなんてできねーじゃん」
つい先日、カイオーガに『命令』していたルカだが、あれは無理やりと言うよりは、あの瞬間の利害が一致したという解釈が正しいだろう。
「それならギラティナは操られてる訳じゃないってこと?」
ナギの呟きに、ライルは考え込む。
「だとしたら、ギラティナの目的は……?」
「分かんねえ。でも、どのみち戦うしかねえよ」
ライルとルカの言葉を聞き、エンテイが再び話し始める。
『そうだ。神のことは神しかわからない。世界は、大きな流れのもと、常に均衡を保つ。それが崩れそうなら、元に戻さねばならぬ。だから我々も戦う』
続いて、ライコウの声が響いた。
『そして我々は同胞を解き放たねばならない。人間が使役している『我々の兄弟』。それは、我々の責任だ』
「……兄弟? それって——」
ライルの脳裏に、一匹のポケモンの姿が浮かぶ。
ダイゴ救出作戦。
老兵の傍らにいた、青く美しい神獣。
「……スイクン?」
エンテイとライコウは静かに頷いた。
ルカがライルに耳打ちをする。
「(なあ相棒、スイクンって『反転』だったか?)」
「(……分からない……。あの時は、ボールから出てきたようには見えた)」
だがエンテイは聞こえていたのか、再び二人に向かって話しかけた。
『分かり合えぬのなら、もはやそれまで。だが、会わねば分からぬ』
そして、それ以上は何も語らず、再び遠くの水平線へと視線を戻す。
「……何か掴めそうで掴めないな。でも、とにかく彼らが力になってくれるのはわかった」
ルカとナギも頷く。
ギラティナは、操られているのか。
もし違うのなら、その目的は何なのか。
なぜ教団や天狼隊の行動と呼応するように、ポケモンたちを反転世界へ取り込んでいるのか。
答えはまだ見えなかった。
◇ ◇ ◇
翌日、昼過ぎ。
ライル達は本部へ帰還する前に、一足先に老婆とカイトに別れを告げることにした。
祠の奥で、老婆とカイトは改めて三人へ感謝を伝えた。
「また、もし何か力になれることがあれば言ってくれ。俺達はいつでも、お前達と共にある」
「主らの進む道には、困難が待ち受けておるだろう。だが何よりも大事なのは、仲間と、そして自分を信じ抜くことじゃ。そうすれば、キーストーンは必ず応える。武運を祈っておるぞ」
老婆の言葉を胸に刻み、ライルとルカは深く頷いた。
◇ ◇ ◇
空が燃えるような朱色に染まる頃。
老婆に、しばらくの間の人払いを頼み、ライル、ルカ、ナギの三人と伝説のポケモン達は、再び岩壁に上がり、本部の迎えを待っていた。
ナギが思い出したように口を開く。
「あれ? そういえば聞き流してたけど、ダイゴさん『本部で迎えに行く』って言ってたわよね。どういうことなの? 船か何かが来るのかしら」
「見たらきっと腰を抜かすぜ」
ルカが不敵に笑った、その直後だった。
ふっ、と。
辺りが暗くなった。
「……ん?」
ナギが空を見上げると、巨大な影が現れた。
「えっ、急に暗くなった!? 何、何が起きたの!?」
それは夕日を遮る雲ではない、巨大な「影」。
——ゴォォォォォォォォォ……!!
重厚な轟音が、ルネシティ全体へ響き渡る。
その全貌にナギが言葉を失った。
そこにあったのは、巨大な構造物。
内部に無数の施設を抱えながら、夕焼けの空へ鎮座している。
——プラチナム本部。
それは緊急事態時のみ、空を移動する重要な拠点。
「なにこれ!?これが本部!? 冗談でしょ!?」
「ナギさん、我々の本部は『飛ぶ』んです」
「映画じゃないんだから!!!!」
ナギの絶叫が響き渡った。
そんな彼女をよそに、本部は精密な挙動で、眼前まで高度を落としていく。
やがて乗降用の入り口が開かれると、三人は足早に中へと潜り込んだ。
その後へ続くのはラティオス、ラティアス、そしてエンテイ、ライコウ。
それは、ほんの少し前までなら、想像すらできなかった光景。
やがて本部がゆっくりと垂直上昇を開始。
眼下では、ルネシティの白い街並みがみるみる小さくなっていく。
短い休息は終わった。
反転世界、輪廻教、天狼隊、そして未だ目的の見えない反転世界の王。
ライルたちは、再び、戦いの只中へ戻っていく。
夕陽を背に受けた本部は、静かに空を進み始めた。