ポケットモンスター Agent PLATINUM   作:ミノワ

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第五十七話【余暇】

 

 巨大な岩壁に囲まれたルネシティ。

 

 海にポツンと存在するその街は、上空から見ればクレーターのようにも見える。そしてその中心の湖面は、穏やかに凪いでいた。

 

 ナギは先ほどの部屋に残ったまま、「現代の利器は難しいわね……」と独り言を漏らしつつ、デバイスの画面と格闘している。

 

 それを待つ間、ライルとルカは湖を一望できるベンチに居た。二人の周囲では、治療を受けて少し元気を取り戻したポケモンたちが、思い思いの格好で日光浴をしていた。

 

 ガブリアスは地面へ寝そべり、ウォーグルは軽く翼を広げ、ルガルガンは木陰で丸くなっている。その近くではタイプ:ヌルも静かに身体を伏せていた。

 ミロカロスも湖から頭を出し、穏やかな光を美しい鱗に反射させている。ラティオスたちはその周りを、非常にゆっくりと旋回していた。

 

 時折、心地よい風が水面を揺らす。ライルはベンチの背もたれへ体を預け、ぼんやりと湖を眺めていた。

 

 そしてふと、こんなことを思う。

 

 ——あれ? こんなに暇でいいんだっけ……?

 

 思えばここ数ヶ月、この男が何も考えずにいる時など、ほとんどなかった。

 

 『そらのはしら』でギラティナと戦い、正体不明の教団を調べるためにイッシュへ潜入。反転世界に突入し、ダイゴを救ったかと思えば、強力な兵団に追われ、今度は伝説のポケモンたちを探す。

 

 尋常ではない密度で駆け抜けてきた日々。

 

 次に何が起きるのか。

 何を調べるべきなのか。

 誰を守らなければならないのか。

 

 そんなことばかりを考え続けてきた。

 

 だからこそライルは、「何もしない」という時間が、自分にとってどれほど久しく、そして贅沢なものなのかを痛感していた。

 

 今までの記憶を整理するでもなく、未来を憂うでもない。

 

 ただひたすら——何も考えない。

 

 ふと気づけば、疼いていた足の痛みも、今だけはほとんど感じられなかった。

 

(ババ様の一族のエネルギー療法、本当にすごいんだな……)

 

 するとあまりの暇さに、通常のライルならば考えつきもしないことが頭に浮かんできた。

 

(……待てよ。まさかルカの言っていた『4倍速』……あれも、本当に信憑性があるんじゃないか……?)

 

 普段は鼻で笑うような突飛な考えすらも、妙な真実味を帯びている気がする。

 これは脳が弛緩しきっている可能性がある。

 

「おい、流石にボケっとしすぎじゃね? 何考えてんだよ」

 

 不意に隣から声をかけられ、ライルは現実へ引き戻された。

 

「……いや、特に何も」

「なんだよ、しけたツラしてんなあ」

 

 そう言うとルカは、ニヤニヤと笑う。

 悪戯を思いついた時の顔だ。

 

「……そんなに悩みがあるなら、さっきの『続き』してやってもいいぜ?」

 

 完全に、からかうつもりだった。

 だがライルは違った。

 

 ——さらに怪我が早く治るかもしれない。

 

 彼は緩んだ脳でそのまま素直に答えた。

 

「あー……じゃあ、やってもらおうかな——」

 

「———ッ!?」

 

 ルカの表情が固まる。

 そして次の瞬間。

 

「無理無理無理無理!!絶対やらねえ!!!」

 

「はあ!? なんなんだよ! 自分から言っといて!」

 

「今のはなんか、間が嫌だった! 恥ずかしいんだよバカ!!」

 

 ライルは呆れて天を仰いだ。

 

 ——こいつは本当に、情緒がどうなってんだ……

 

 だが、そんなやり取りすらも、どこか心地よかった。

 

 平和すぎて、むしろ少しだけ調子が狂った。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 ナギがデバイスとの格闘を終え、彼らに合流した。

 そこでライルは、エンテイとライコウとの対話を試みることにした。

 

 エンテイとライコウは、ルネシティを囲む岸壁に佇み、静かに遠方を見つめていた。ライル、ルカ、ナギ、そしてルカリオは傷ついた体を労わりながら、ゆっくり岩場を登る。

 

 そこからはホウエンの海を一望できた。四方には水平線が広がり、東にはサイユウシティ、西にはキナギタウンを抱く岩礁。北には遠く、街の影が霞んでいる。

 

「すごい眺めだけど……ちょっと足がすくむな」

 

 ライルたちの気配に気づき、エンテイとライコウがゆっくりと振り返る。

 そして大きな体を揺らしながら、こちらへ歩み寄ってきた。

 

 ライルはまず、改めて感謝の意を伝えた。

 

「昨日は、助けてくれてありがとう。おかげでおれ達は、こうやってここに帰ってこれた」

 

 エンテイとライコウはライルを真っ直ぐ見つめるが、反応しない。ライルは手首のキーストーンを見た。相変わらず綺麗な虹色が輝いている。

 

「貴方達がグラードンの言っていた『遣い』ってことでいいのかな。んーっと、言葉は分かるのか? ルカリオ、彼らと話せるか?」

 

 ルカリオが頷き、波導を繋ごうとした。

 

 その瞬間。

 

『——言葉はわかる』

 

「……!?」

 

 ライルは思わず辺りを見回したが、誰もいない。

 だが、今の声は間違いなく頭の中へ直接響いてきた。

 視線を戻すと目の前に立つエンテイが、静かにこちらを見つめている。

 

『その石が、お前の言葉を鮮明にしている。話しているのは私だ』

 

「……!」

 

 どうやら頭に響く声の主は、目の前の巨躯で間違いないらしい。

 

「直接話せんのかよ!? あの火山のバケモンとは話せなかったのに」

 

「え、嘘。何か聞こえる? 私、何も聞こえないんだけど」

 

 ナギの反応に、ライルは自分の腕で光るバングルへ視線を落とした。

 やはりバングルは、完成していた。

 

「……これを付けていると、お互いの言葉が理解できるんだと思います。おれがナギさんにも伝えますよ」

 

 するとエンテイは、再びライルとルカに向け話し始めた。

 

『我々は大地の王の頼みで、遠い土地から来た。彼は力が強すぎる。小さき人間とは話せない』

 

 やはり『遣い』。

 ライルとルカは顔を見合わせた。

 

「それなら、貴方達はおれたちを助けてくれるんですか? おれたちは今、その……『反転世界』ってとこを悪用している奴らと戦ってるんだけど」

 

 今度はライコウがライルを見据えた。

 

『知っている。『この世ならざる世界』。力の流れが乱れ、留まれない。その力を人間が、己のものにしようとしている。愚かなことだ。いつの時代も、悪い人間は変わらない』

 

 ライコウは遠い過去を思い出すかのように視線を落とした。

 

「……あたしらは、そいつらをぶっ倒すんだよ。あとギラティナってやつもな」

 

 ルカが言う。

 エンテイはしばらく黙った後、重々しい声を響かせた。

 

『我々も、この世ならざる世界に囚われた者を、救う使命がある。しかしこれらは異常だ。本来は許されない。あの神は、二つの世界の均衡を保つことを、任されている。彼はかつて、そのようなことをしたことがない』

 

 その言葉に、一同は驚きを隠せなかった。

 

「均衡を保つだと? 言っちゃなんだが、あいつには迷惑しかかけられてないぜ」

 

「教団側が操ってる可能性もある。多分だけど、これまでのギラティナの出現は、あいつらが糸を引いてる。『カンナギ』も『そらのはしら』もだ」

 

 ルカはライルの言葉に目を丸くした。

 

「——マジ?」

 

「マジだ。あの傭兵にカマをかけた」

 

「嘘という可能性はないの?」

 

 ナギがライルに問いかける。

 

「なくはないです。でも、あいつはそこに嘘をつくタイプじゃない。やり合ったから、なんとなく分かります」

 

 命をかけて戦ったライルがそう言うのであれば信憑性はあると、ルカとナギは思った。

 

「それにあいつは、付けていた指輪でレジアイスやあの『化け物』に指示しているように見えた。煙突山にいたリンってやつもだ。あれがギラティナを操れるのかも」

 

「君たちがつけてるキーストーンと、同じようなものなのかしら」

 

「……そうかもしれません」

 

 そこはルカが口を挟む。

 

「でもさ、あいつらは『反転』だろ? なら、鎖やら何やらで言うこと聞かせるのはまだ分かるよ。だけどギラティナは、その元凶みたいなやつだろ」

 

 ライルもナギも、その言葉の続きに耳を傾けた。

 

「神とまで呼ばれてるやつが、そう簡単に操れるとは思えねえけどな。ばーさんに貰ったこの石ですら、『お願い』はできても無理やり言うこと聞かすなんてできねーじゃん」

 

 つい先日、カイオーガに『命令』していたルカだが、あれは無理やりと言うよりは、あの瞬間の利害が一致したという解釈が正しいだろう。

 

「それならギラティナは操られてる訳じゃないってこと?」

 

 ナギの呟きに、ライルは考え込む。

 

「だとしたら、ギラティナの目的は……?」

「分かんねえ。でも、どのみち戦うしかねえよ」

 

 ライルとルカの言葉を聞き、エンテイが再び話し始める。

 

『そうだ。神のことは神しかわからない。世界は、大きな流れのもと、常に均衡を保つ。それが崩れそうなら、元に戻さねばならぬ。だから我々も戦う』

 

 続いて、ライコウの声が響いた。

 

『そして我々は同胞を解き放たねばならない。人間が使役している『我々の兄弟』。それは、我々の責任だ』

 

「……兄弟? それって——」

 

 ライルの脳裏に、一匹のポケモンの姿が浮かぶ。

 

 ダイゴ救出作戦。

 老兵の傍らにいた、青く美しい神獣。

 

「……スイクン?」

 

 エンテイとライコウは静かに頷いた。

 

 ルカがライルに耳打ちをする。

 

「(なあ相棒、スイクンって『反転』だったか?)」

「(……分からない……。あの時は、ボールから出てきたようには見えた)」

 

 だがエンテイは聞こえていたのか、再び二人に向かって話しかけた。

 

『分かり合えぬのなら、もはやそれまで。だが、会わねば分からぬ』

 

 そして、それ以上は何も語らず、再び遠くの水平線へと視線を戻す。

 

「……何か掴めそうで掴めないな。でも、とにかく彼らが力になってくれるのはわかった」

 

 ルカとナギも頷く。

 ギラティナは、操られているのか。

 もし違うのなら、その目的は何なのか。

 

 なぜ教団や天狼隊の行動と呼応するように、ポケモンたちを反転世界へ取り込んでいるのか。

 

 答えはまだ見えなかった。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 翌日、昼過ぎ。

 

 ライル達は本部へ帰還する前に、一足先に老婆とカイトに別れを告げることにした。

 

 祠の奥で、老婆とカイトは改めて三人へ感謝を伝えた。

 

「また、もし何か力になれることがあれば言ってくれ。俺達はいつでも、お前達と共にある」

 

「主らの進む道には、困難が待ち受けておるだろう。だが何よりも大事なのは、仲間と、そして自分を信じ抜くことじゃ。そうすれば、キーストーンは必ず応える。武運を祈っておるぞ」

 

 老婆の言葉を胸に刻み、ライルとルカは深く頷いた。

 

        ◇ ◇ ◇

 

 空が燃えるような朱色に染まる頃。

 

 老婆に、しばらくの間の人払いを頼み、ライル、ルカ、ナギの三人と伝説のポケモン達は、再び岩壁に上がり、本部の迎えを待っていた。

 

 ナギが思い出したように口を開く。

 

「あれ? そういえば聞き流してたけど、ダイゴさん『本部で迎えに行く』って言ってたわよね。どういうことなの? 船か何かが来るのかしら」

 

「見たらきっと腰を抜かすぜ」

 

 ルカが不敵に笑った、その直後だった。

 

 ふっ、と。

 辺りが暗くなった。

 

「……ん?」

 

 ナギが空を見上げると、巨大な影が現れた。

 

「えっ、急に暗くなった!? 何、何が起きたの!?」

 

 それは夕日を遮る雲ではない、巨大な「影」。

 

 ——ゴォォォォォォォォォ……!!

 

 重厚な轟音が、ルネシティ全体へ響き渡る。

 

 その全貌にナギが言葉を失った。

 

 そこにあったのは、巨大な構造物。

 内部に無数の施設を抱えながら、夕焼けの空へ鎮座している。

 

 ——プラチナム本部。

 

 それは緊急事態時のみ、空を移動する重要な拠点。

 

「なにこれ!?これが本部!? 冗談でしょ!?」

「ナギさん、我々の本部は『飛ぶ』んです」

「映画じゃないんだから!!!!」

 

 ナギの絶叫が響き渡った。

 

 そんな彼女をよそに、本部は精密な挙動で、眼前まで高度を落としていく。

 やがて乗降用の入り口が開かれると、三人は足早に中へと潜り込んだ。

 

 その後へ続くのはラティオス、ラティアス、そしてエンテイ、ライコウ。

 それは、ほんの少し前までなら、想像すらできなかった光景。

 

 やがて本部がゆっくりと垂直上昇を開始。

 眼下では、ルネシティの白い街並みがみるみる小さくなっていく。

 

 短い休息は終わった。

 

 反転世界、輪廻教、天狼隊、そして未だ目的の見えない反転世界の王。

 ライルたちは、再び、戦いの只中へ戻っていく。

 

 夕陽を背に受けた本部は、静かに空を進み始めた。

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