ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
プラチナム本部内ラボ。
ゼンノから話を聞くこととなった二人。
十年間追い続けた問いを前にして、ルカは真剣な目で座していた。そしてライルはただ、その答え合わせの瞬間に、彼女の隣に居た。
「話に入る前に、一つ訂正しておかねばならん」
「訂正?」
「以前、わしは『パートナーを反転世界に囚われた』と話したな」
「ああ」
「あの時点では、わしが最も可能性が高いと考えていた説を、便宜上そう説明しただけじゃ」
「……どういう意味ですか?」
ライルは訝しむようにゼンノを見据えた。
「順を追って話そう」
ゼンノは散らばった書類の中から、古びた観測データを一つ取り出した。
「わしはもともと、世界各地を渡り歩きながら新種のポケモンに関する研究をしておった。引退してアローラに移住したが、そこでも時折、現役の者達に混ざり研究を続けておった」
資料を開くとそこには、アクジキングと思われる巨大な影の記録が残されていた。
「アクジキングというのは、アローラ地方である時期から稀に観測されるようになった、ポケモンの一種だったのだ」
「新種なんですか?」
「そこがなんとも言えんところじゃ」
ライルの問いにゼンノが首を振る。
「通常、新種というのは発見されたそれぞれの環境地域に根差した生態系を持つ。それらはたとえ、環境や種類が違っても、多少の共通点が見られる」
資料の一部を指差す。
「しかし、アクジキングにはそれが存在しない。それどころか奴の生態は——どのポケモンとも一致しない」
「……どういうことだ?」
「まず確認されている限りでは、奴は周囲の物質を際限なく摂取する。にもかかわらず、それに見合う排泄行動が確認されておらん。摂取した物質が体内でどう処理されているのかさえ、未だ説明できんのじゃ」
確かに、アクジキングは瓦礫を食い漁り、カイオーガの『ハイドロポンプ』ですら飲み込んでいるかのような様子だった。
ライルは怪訝そうにゼンノを見据えた。
「そんな生き物がいるなんて……」
「アクジキングだけではない」
ゼンノは続ける。
「アローラでは、アクジキングだけでなく、他にも数種類の未知のポケモンが観測されていた」
「他にも……?」
「そう。我々の住む世界の、どの生態系とも一致せず、あまりに強力な力を持つ者たち……。我々はそれを『ウルトラビースト』と呼んでいた」
「ウルトラビースト……」
二人がその名前を繰り返す。
「……そしてわしらは研究の結果、彼らがそもそもこの世界に由来するポケモンではないと結論付けた」
「どういう意味だよ」
「言うなれば奴らは、『ここ』ではない『別の世界の何か』なんじゃ」
「別の世界……」
ライルの言葉にゼンノが頷く。
「そうじゃ」
ゼンノは椅子へ深く背を預ける。
「そして、ここからが本題じゃ。なぜわしが反転世界を研究し始めたのか。……最初に疑ったのは——『ウルトラホール』じゃった」
「ウルトラホール?」
「先ほど言った異なる世界と、こちらの世界を繋ぐ空間の穴。『ウルトラビースト』は例外なく全て、そこから現れる」
「じゃあ……アクジキングも?」
ゼンノは頷いた。
「そう。そしてそのホールはそれまでにも、稀に開いてこそいたものの、せいぜいはウルトラビーストが一体迷い込む程度のもの。じゃが——」
ゼンノは一呼吸おき、続ける。
「あの日のアローラでは、巨大なウルトラホールが発生していた。小娘が見たというアクジキングの影は、間違いなくそこから這い出たうちの一体。アクジキング以外の種も恐らく、数体から数十体がこちらの世界へやってきていたはずじゃ」
ルカの拳が強く握りしめられる。
彼女が見ていた頭上の影たちは、ウルトラビーストであったというのか。
「じゃから当然、わしもパートナーはウルトラホールへ飲み込まれたのだと思った」
「だったら……」
「——じゃが、違った」
ゼンノの声が低くなる。
「パートナーが消失した瞬間。その周辺で記録されていた数値は、ウルトラホールの発生を示しておらんかった。他の地域も調べたが、同様じゃ。ホールは巨大な一ヶ所のみが開いていた」
「……!」
「穴が開き、パートナーは消えたが——それはウルトラホールではなく、別のものだとわかったのだ」
ゼンノは椅子へ深く腰掛けた。
「そこからわしは、世界中の空間異常を調べ始めた。……考え得るものは片っ端からな」
そして、その視線がモニターの一角へ向く。
「そうして一つの可能性として辿り着いたのが——反転世界じゃ」
「……だから、あんたは……」
「ああ」
ゼンノが頷く。
「パートナーを飲み込んだものは反転世界へ通じる裂け目だったのではないかと、そう考えた。じゃが確証はなかったし、関連性も見つけられなんだ。——今の今までな」
「見つけたのか……? 何でそれが分かった……!?」
「それが、アクジキングだったんじゃ」
「———!!」
ゼンノの指がモニターを叩く。
「あやつが現れた」
画面には、ミナモの海岸で記録された巨大な黒い影が映し出されていた。
「十年前の災害以降、ウルトラホールはほとんど観測されておらんかった。当然、新たなウルトラビーストがこちらへ渡ってきた記録もない。にもかかわらず、奴は現れた」
「……その巨大な穴から出てきたものと同個体、という可能性はないんですか?」
ライルの指摘に、ゼンノは首を振る。
「それはないんじゃ」
「どうして言い切れるんです?」
「全てが戻ったからじゃ」
「戻った?」
ライルが眉を顰める。
「そうじゃ。あの時に現れたウルトラビーストは全て、何らかの原因により巨大な穴を通って元の世界へと還った。災害収束時にウルトラビースト由来の反応が一斉に消失したことを確認している」
ライルが息を呑む。
「だからこそ、先刻の報告会議でアクジキングを見たわしは確信した。——またウルトラホールが開いたのだと。そして、かつて開発していたモデルを使用して、直近の観測データを洗い直した」
ゼンノが画面を切り替えると、二つの波形が並んだ。
「そして見つけた。ほんのここ半年の内に数度、ウルトラホールが開いたと考えられる痕跡をな」
「数度……」
「問題は、その直後じゃ」
さらに別の波形が重ねられる。
「ホールが開いたほぼ同時期から、この世界と反転世界との境界に異常が発生している事がわかった。そして、十年前のデータを今一度調べたのじゃ」
ゼンノは黙り込んだ。
やがて、噛み締めるように呟く。
「……十年前も同じじゃった」
ルカの表情が変わる。
「ウルトラホールが開いた時刻とほぼ同時に、別種の空間異常が発生していた事が分かった。そしてその特徴は、現在確認されている反転世界の裂け目と酷似していた。当時は分からんかったが、今なら分かる」
「それならやっぱり……」
ルカの声が震える。
「小娘。貴様が言うた通りじゃ」
ゼンノは目を閉じた。
十年間。
追い続けてきた一つの可能性。
「わしのパートナー、そして貴様の妹が消えたのは——反転世界の裂け目へ吸い込まれた可能性が極めて高いという結論に達した」
「…………」
ルカは、静かに聞いていた。
同じ日、同じ地方の、離れた二つの島。
そして、目の前から忽然と消えた二つの存在。
囚われた先は反転世界へと繋がっていた。
◇ ◇ ◇
「でも、その二つの空間の穴に関係があるのなら、もしかしてこれまでの各地の異常は——」
ライルの問いに、ゼンノが答えた。
「ああ。まだ仮説に過ぎん段階じゃが、『ウルトラホールの発生によって乱れたエネルギー』が、反転世界に影響していたのかもしれん。ここまで頻繁に反転世界への穴が開くことは、今までになかったことじゃ」
ゼンノによって導き出された新たな仮説。
だがルカにとっては、それ以上に今、確かめなければならないことがあった。
ルカはしばらく沈黙していたが、意を決したように顔を上げた。
「……もう一つ、確認したいことがある」
ルカは真っ直ぐにゼンノを見ていた。
「妹があそこに引き摺り込まれたかもしれないってことは、よく分かった。——でも、あんたがそれを確信したのは……ほんのさっきなんだろ?」
ゼンノは僅かに表情を固くする。
「あの時からは十年経つよな。でもその間もあんたは研究を続けてた。真相を知るために、今日までずっと……」
ルカは真っ直ぐにゼンノを見る。
「その理由は……なんだ……?」
ルカの瞳からは、今にも涙が溢れそうだった。
「あんたが……希望を持ってるからじゃないのか? 今もまだそいつが生きてるって……! それなら、あたしの妹も……そうなのか?」
その声は震えていた。
「……教えてくれ……頼む」
これまで強気に振る舞い続けてきた彼女から、今まで聞いたことのない声だった。
「……ルカ……」
ライルは隣でずっと、相棒のその声を聞いていた。
とっくに胸が張り裂けそうだった。
ゼンノはしばらく何も言わなかったが、やがてルカの目を真っ直ぐ見据える。
「……人間としてのわしは、それを信じたかった」
ルカの瞳が揺れる。
「……じゃがな」
ゼンノは目を伏せた。
「研究者としてのわしが、それらを否定しとるんじゃ」
「…………」
「反転世界はこの世界と似て非なるものであり、物質の在り方さえ、まるで異なる。感覚というものもデタラメじゃ。全てがこの世界と違う」
ゼンノの声が研究室へ響く。
「わしがあの世界へ辿り着いたのさえ、ここ数年の話。ただでさえそのような場所に、何の備えもなく飲み込まれた生物が、どうやってあの世界で十年間生存できる?」
ルカはただ静かに聞いている。
「敵組織のように外部から物資やエネルギーを持ち込み、人工的な生存圏を作るなら話は別じゃ。そうでもなければ、あの場で真に生き続けることができるのは、その王たるギラティナのみ——」
ゼンノの声が僅かに掠れた。
一度、息を吸う。
「——わしが追い求めた真実は、同時に……何よりも分かりたくなかった事実なんじゃ」
ゼンノの手が震え、言葉が詰まる。
「だが、いずれにしても……もう……」
そこから先を、ゼンノは口にできなかった。
目頭を指で強く押さえる。
藁にもすがる思いで調べてきたのだろう。
ゼンノのその言葉を聞き届けたルカの頬には、二筋の涙が伝っていた。
世界を周り、追い続けた僅かな可能性。
妹はどこかで生きているのではないか。
いつかもう一度会えるのではないか。
その希望を肯定する言葉は、ついに聞けなかった。
ただ、それでも——
ルカは崩れなかった。
困惑もしない、取り乱しもしない。
下を向かず、そこにただ、凛として座っていた。
かつて、自分の弱さを責めた。何度も自分を叱咤し、ただひたすら強さを求めてきた。
そうして歩き続け、ここまで辿り着いた。
それこそが、ルカという人間だった。
その姿を見たライルの目からも、静かに涙が流れる。
ルカは少しだけ目を閉じ、そして再び開く。
「わかった。……ありがとう。辛い話をさせて悪かったな」
「……構わん。貴様も辛かったろう」
ゼンノの表情は、優しかった。
「……辛いよ」
ルカは少しだけ俯き、自嘲気味に笑う。
「でも、それでも——もう目を逸らさないと決めたんだ」
ルカは涙を拭わなかった。
そしてその顔を上げる。
「自分や皆のために、あのとき救えなかった二人のために、今度こそ戦うんだ」
そして、ライルを見る。
「きっとできる。あたしはもう、一人じゃないんだ」
ライルもその視線を受け止め、頷いた。
ゼンノとルカ。
二人は大切な存在を失った。
だが彼らは『喪失』から逃げなかった。
方法は違えど、それぞれに失われたものを追い続けてきた。
その答えが望んだものではなかったとしても。
彼らは再び、歩き始めようとしている。