ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
ゼンノの研究室に漂っていた空気は重くこそあったが、決して後ろ向きなものではなかった。
彼らの涙は、すでに乾いている。
十年前の喪失が消えたわけではない。それでも二人は、それぞれのやり方で前を向こうとしていた。
ライルはそんな二人の姿を優しく見つめていたが、その頭はすでに次の違和感を捉え始めていた。
視線を落とし、何かを考え込む。
ルカはそんな、どこまでも変わらない相棒の姿を、呆れと尊敬が入り混じった眼差しで見つめた。
「ありがとな。もういいぜ」
「えっ?」
「気になることがあんだろ? いいよ。あたしに気を遣わなくても」
「……ああ」
ライルは申し訳なさそうに少し笑い、そして口を開いた。
「いまだにわからないんだ。ギラティナが、なんであんなことをしていたのか」
「まあ、たしかにな」
ゼンノも顎に手を当て、考え込む。
「ギラティナは反転世界の王じゃ。自分の世界のエネルギーが乱れていたことが、異常な行動の原因となっているのかもしれん」
現状、これまでギラティナが現れた場所においては、教団および傭兵達がその動きを誘導していた可能性が高い。だがそこにおけるレジギガスの拉致、レックウザへの攻撃に関しては、その限りとはいえない。
そして、教団も反転ポケモンを集めている。ギラティナの行動が教団側に利するように見えるのは何故なのか。
「わしも追って調べておく。貴様らも現場で何か得た情報があれば教えてくれ」
「ありがとうございます。それと——」
ライルは少し言いにくそうに口を開いた。
「その……アクジキングについて。なんで教団は、あいつを反転ポケモンにしたのか……いや、できたのかってことだ」
「それはあたしも思ってた」
ルカがすぐに同意する。
「おっさんの話じゃ、奴らはそうそう現れるもんじゃねえんだろ? アローラの——しかもウルトラホールってやつが開いた場所をピンポイントで知りでもしなきゃ、そもそも遭遇することすらないはずだ」
「ああ、そうなんだ」
ライルが頷く。
「敵の中にウルトラビーストの正体を知っているやつがいたって考えたほうが、明らかに筋が通るんだよ」
「だよな。しかもそれなら、十年前の災害も、奴らが関係してるってことじゃねえのか?」
ルカはゼンノを見た。
「あんたはどう思う?」
「……ウルトラホールのほうは、その可能性は低いと見ておる」
「何でだ?」
「その規模じゃ」
ゼンノは続ける。
「全て同列には語れんが、反転世界へ続く裂け目を開くのでさえ相応のエネルギーがいる。あの時、開いていたホールの大きさを考えれば、人為的なものとは思えん」
「ロードさんも、輪廻教の活動が目立ってきたのは最近だと言っていましたね」
三人はしばらく黙っていた。
やがて、ゼンノが眉間に皺を寄せ、口を開いた。
「……だが、ウルトラビーストに詳しい人物には、少し心当たりができた」
「……!?」
「本当かよ!?」
「うむ……」
ゼンノはゆっくりと椅子へ背を預けた。
「わしは、ある研究所に居た。そこにわし同様、時折、身を寄せていた研究者がいたんじゃ。知識こそ相当なものだったが、変わり者でな」
「そいつが関係してるっていうんですか?」
「……何も確証はない」
ゼンノはすぐに否定する。
「じゃが奴はエネルギー関連の専門家で、空間異常にも精通していた。新種を専門としていたわしよりもずっとな」
そこで、古い記憶を掘り起こすように目を細めた。
「名を——シノノメと言った」
「シノノメ……」
ライルがその名前を小さく繰り返す。
ゼンノは何かを思い出したように、さらに続けた。
「我々のボスの金髪娘が言うておったろう。敵の『技術力』が高すぎると」
それはダイゴを救った後の会議で、シロナが話していたことだった。
「……確かに。言っていましたね」
「まさにその通りなんじゃ。疑似的なギラティナの『能力の再現』、『空間移動』、そして反転エネルギーを利用した『パワーアップ』……」
ゼンノの表情から、先ほどまでの感傷が消えていく。
「……奴がいるのだとしたら、それも頷ける」
「仮にそうだとしたら、そんな研究者がなぜそこに?」
「わからん」
ゼンノは短く答えた。
「そもそも奴は、あの日の災害以降……姿を見ておらん」
研究室に、再び沈黙が落ちた。
十年前の災害を境に、姿を消した一人の研究者。
そして現在、反転世界のエネルギーを利用する技術力を持つ集団が現れた。
関連性はないかもしれない。
それでも、これまで見えなかった敵の技術の裏側に、初めて一人の人間の影が差した。
「……そいつの写真とかねえのかよ?」
「そんなもの、わしが持っとるわけなかろう」
「その研究所に問い合わせてもらうことってできませんか?」
「うーむ……奴はあまり人と関わっておらんかったのでなぁ、そういった類のものはおそらく無いだろう。かくいうわしもあの日以来、研究所とは疎遠になっていて、数年連絡もしていない」
ゼンノは腕を組む。
「……だがウチのデータベースなら、あるいは何かあるのではないか? ダイゴに報告し、頼んでみよう」
「はい、お願いします!」
シノノメ。
その名は、ライルとルカの記憶へ確かに刻まれた。
◇ ◇ ◇
話し合いが一段落した頃。
ゼンノが不意にライルを見据えた。
「時に小僧、タイプ:ヌルはおるか?」
「ヌル? いますよ」
「追加で調べたいことがある。しばらくの間、わしに預けておいてくれんか?」
「ええ、まあ、それは構いませんが……」
ライルはタイプ:ヌルのボールを取り出し、ゼンノへ手渡す。
ルカが尋ねる。
「何かわかったのかよ?」
「まだじゃ。あの時のサンプルは少なすぎた。だが本体が居れば話は別。わしに任せておけ」
ルカは少し心配そうに告げる。
「そいつ、まだ心を開ききってないんだ。優しくしてやってくれよな」
「……ああ、わかっておる」
ルカの言葉を聞いたゼンノは微笑を浮かべ、いつになく穏やかに答えた。
窓の外では、プラチナム本部が雲を切り裂き、夕闇に染まり始めた空を進んでいる。
ライルとルカはラボを後にした。
◇ ◇ ◇
本部食堂スペース。
エージェントたるもの、いつでも動き出せるよう、食事は摂れる時に摂っておかねばならない。そして任務中とは違い、今は時間だけはある。
食事を終えたライルはテーブルに頬杖をつきながら、先ほど聞いた話を頭の中で整理していた。
「なんだか色々わかりそうで、わからないんだよな……」
そこでルカが、野菜ジュースの入った紙パックのストローから口を離し、ビシッとライルに指を指した。
「はいストップ。お前、また頭使い過ぎ」
「何言ってんだよ。まだ怪我で動けない分、頭だけでも使わなきゃ」
「んっとにもー、このセルフブラックくんは」
いつもの軽口。
いつもの二人。
ルカは、普段通りに笑っていた。
だがその瞳にふと、深い決意の色が混じった。
「……でもさ。最近ようやく分かってきたことがあるんだ」
「……何がだ?」
「あたしが、ここに来た理由だよ」
ライルは何も言わず、耳を傾ける。
「アローラで家族を失って、色んな地方を探し回って、傭兵の奴らと一時は組んじまったこともある。それでも今はここにいて、その因縁のやつらと戦おうとしてる」
ルカは自分の手を見つめた。強さを求め、傷つき、それでも前へ進むために使ってきた手だった。
「お前と出会ったのだって偶然じゃない。運命だったんだ」
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「今までの過去の全てが、こうなることを決めた。あたしはきっとこのために、牙を磨いてきたんだ」
その大きな瞳には、迷いがなかった。
「だから今回こそ、必ず、全てと決着をつけてやる。——たとえ、あたしの何に代えてもだ」
一瞬の間。
ライルの表情が僅かに変わる。
聞き流すことができなかったのだ。
でも否定はしなかった。
「そうだな。確かに運命かもしれない」
かつて突如として襲撃され、上司の失踪を機に仲間となり、衝突を繰り返し、それでも今は共に、最大の敵と闘おうとしている。
得体の知れない、あの危なっかしい少女ではなく、幾度も死線を越えてきた、相棒として。
それらを運命と呼ぶこと自体は、悪くないと思った。
「でも何回だって言うけど、お前は一人じゃない」
ルカがライルを見る。
「おれも闘う。一緒に立ち向かうんだ。みんなもそうさ。だから、一人で背負いすぎるなよ」
ライルは真っ直ぐにルカを見つめた。
「それにきっとさ、ルカ」
少しだけ笑う。
「……過去が人生を決めるんじゃない。これからの人生が過去を決めるんだよ」
ルカは目を見開く。
「…………」
ライルは続ける。
「だからこれで終わりじゃない。あいつらを倒したって、お前はおれの相棒だろ?」
あまりにも当然のことを話すように。
「また一緒に飯食って、仕事して、訳の分からない我儘で、お前はまたおれを振り回すんだ。それを忘れるなよ」
ルカが見つめてきたのは、いつだって過去と現在だった。だが今、ライルが示したのは、そのどちらでもない。
戦いの先にも当たり前のように続いている、未来の約束だった。
一瞬だけ、その大きな瞳が潤んだように見えた。だがすぐにいつものように笑い、少しだけ肩を竦める。
「なんだよ相棒、心配しすぎだって。別に変なことは考えちゃいない」
そして真っ直ぐライルを見る。
「だから大丈夫だ」
「おう」
その言葉を聞いて。
ライルもようやく、憑き物が落ちたような顔で笑った。
◇ ◇ ◇
薄暗い部屋の中、青白い光がカラスの執着に満ちた顔を照らし出していた。
ここは反転世界内。
輪廻教及び天狼隊アジト。
モニターに映し出されているのは、ミナモシティの戦闘映像。カラスにとっての敗戦の記録。同じ場面を巻き戻しては再生し、また巻き戻す。もう何度繰り返したのかも分からない。
その様子を見かねたリンが、呆れたように言い放つ。
「ちょっと、さっきから何にも喋らないけど、自分が負けた姿をまだ見るわけ? ドMなの? 気持ち悪い」
「黙ってろクソ女」
カラスは画面から目を離さない。
殺伐とした空気の中、二人の男が姿を現した。
天狼隊、総大将——ガライ。
そしてゲンジを破った実力者——ムクロ。
「なんだお前達。また喧嘩でもしているのか?」
「隊長からも止めてやって。こいつ、狂ったようにこの映像ばかり観てるのよ」
今度はムクロが鼻を鳴らしながら告げる。
「前回の敗北がよほど応えたらしい。まあ、スポンサーにもこってり絞られたからな。諦めろリン。こうなったカラスはもう隊長でも止めれん」
ムクロの言葉にも、カラスは気を悪くする様子すらない。
むしろ口元を歪め、画面を指差した。
「まあそう言わずにお前らも見ておけよ。隊長、あんたもな」
画面の中。
傷だらけになりながら、それでも自分へ食らいついてくる銀髪の少年。
「そう、この銀髪のガキだ。こいつはまだ成長段階だ。さらにどう化けるかわからねえ……」
カラスの笑みが深くなる。
「——怪物さ」
リンが不愉快そうに眉を寄せた。
「あら、あんたもこの子を気に入ったの?」
そして告げる。
「やめてよ、私が目をつけてるんだから。横取りは無しよ」
「カッ! 戦場に譲り合いはねえよ」
カラスが嘲笑う。
その時だった。
それまで興味なさげに画面を眺めていたムクロの目が、ある一点で止まった。
銀髪の少年ではない。
その傍らで戦っている、黒髪の少女。
ムクロの鋭い眼光が、ルカの姿を捉えた。
カラスが尋ねる。
「……おい、どうした?」
ムクロが目を細めて答える。
「どこかで見たことがあると思っていたが、ようやく思い出したぜ。こいつは『クイーン』だ」
「クイーン? 何よそれ」
「ああ。ある地方の中規模団体がシノギでやってたポケモンバトルの地下闘技場で、少しの間テッペンを張ってた奴さ。数年ほど前だ」
モニターの中で、ルカがルガルガンとルカリオに指示を飛ばしている。
「当時、ガキにしちゃ腕は抜きん出ていた。その上、異常なまでに好戦的で、悉く挑戦者達を返り討ちにした。狂ったような戦いぶりも合わさって、クイーンと呼ばれていた」
ムクロは僅かに口角を上げた。
「俺自身の面識はねえが、当時の部下が何度か仕事を振っててな。うちにも誘ってたはずだ」
「こいつをか?」
カラスが初めて銀髪の少年から視線を外し、ルカを見る。
「こないだの戦闘じゃ、そこまでの覇気は感じなかったがな」
「今は知らん」
ムクロは淡々と答える。
「だが強いだけのガキは、心を染めちまえば簡単に道具になる。使い勝手のいい駒にしてやろうと思ったが、いつの間にか消えちまってな」
そこで、どこか愉快そうに鼻を鳴らした。
「……廻り廻って敵対することになるとは、人生わからんもんだ」
「ふーん。まあどうでもいいわ」
リンはすでに興味を失ったように、再び銀髪の少年へ視線を戻していた。
「それより、この男の子は私にやらせてよね」
「何度も同じこと言わせんな。ぶちのめすぞ」
「やってみろゴミカス」
二人の間に、一瞬で殺気が走る。
「つまらん争いはよせ」
ガライの低い声が、それを断ち切った。
ただ一言。
それだけで二人が口を閉じる。
「研究熱心も程々にしておけよ。ミーティングは30分後だ。遅れるな——」
直後、ガライの手元のデバイスが鈍く光る。
それを見た総大将は忌々しそうに口を開く。
「……ミーティングは1時間後だ。各部下に伝えておけ」
「……了解」
三人がそれぞれ答えると、ガライは部屋を後にした。
「……どうしたってんだ?」
「クライアントからの呼び出しだろう」
「このところ毎日ね。ま、いいわ。私もうその映像飽きたから」
リンは面倒そうに立ち上がり、ムクロもそれに続く。
カラスだけは、もう一度モニターへ目を向けた。
画面に映る銀髪の少年と黒髪の少女は、本人たちの知らぬところで、すでに敵の明確な標的となっていた。
闇に潜む獣たちは、それぞれの牙を研ぎ澄ませ、獲物の喉元を狙っている。
◇ ◇ ◇
重厚な円卓。
その中心には、場違いなほど『穢れなき白衣』に身を包んだ輪廻教——教祖の男が座っていた。
男の背後には、深い青を湛えた『カラマネロ』。
その触手をゆらり、ゆらりと揺らしながら、静かに佇んでいる。
それを囲むスーツ姿の男達——スポンサーは教祖に向かい追い縋るかのように言葉を発していた。
「想定外に進捗が悪いですな。まだ余力はあるが、せっかく貯めていたエネルギーも、徒に減らされていくばかり……」
「天狼隊も失態続きだ!グラードンに引き続きカイオーガの取り込みも失敗するとは……!ウルトラビーストを使っても駄目だったというじゃないか。奴らは本当に大丈夫なのか?」
「……それに例の組織が思いのほかしぶとい。各個撃破どころか、完全にこちらの計画の邪魔をされている。やはりあの時、前倒しをせず奴らの本部に乗り込んでいれば——」
「——おい!」
そう言いかけた一人の男を、他の二人が鋭い視線で諌めた。
プラチナムへの本部襲撃を行うというガライを止め、計画の前倒しを決めたのは他でもない、教祖だった。
「……失礼。決して責めたつもりでは……」
教祖の男は何も話さなかったが、少しのあと口を開いた。
「……何も問題はない。目障りな奴らは全て天狼隊に処理させる。じきにギラティナも復活するだろう。そうなれば鎖の軍隊もさらに増やせる。我々の計画は揺るがない」
スポンサーの男達は口々に「おお……」と声を上げた。
「エネルギー関連はぜひ弊社への優先的な取引をお願いしますぞ」
「破壊された都市の再建も、我が社ならば『特需』として請け負える」
「今後の各方面の進出については私にお任せを」
三人のスポンサー達はそれぞれの『誠意』を見せた後、一人、また一人と席を立った。
最後の足音が遠ざかるまで、教祖の男は薄い笑みを崩さなかった。
そして。
完全に気配が消えた瞬間。
「……フン」
その直後。
入れ替わるように、重い扉が開いた。
姿を現したのはガライ。
「今日は何の用だ」
「なに。いつになれば金に見合った働きぶりを見せてくれるのかと、気を揉んでいてね」
ガライは無言のまま、教祖を見据えている。
「まあいい。次こそ決着をつける時だ。障害は全て取り除かねばならん」
その表情から、先ほどスポンサー達に向けていた笑みは完全に消えている。
「君の考えはどうだ? 敵はどう動く?」
「……敵の拠点は『既に無かった』」
ガライが淡々と答える。
「街の襲撃をもう行わないのなら、こちらから仕掛けることはできん。これは奴らにとっては好機だ。『チャンピオンの男』はこのアジトを知っている。遅かれ早かれ、攻撃を行なってくるだろう」
教祖は即答した。
「ならば丁度よい。そこを返り討ちにしろ」
「……奴らの総攻撃を待てというのか?」
「そうだ」
教祖は当然のように頷く。
「『ここ』は天然の要塞。奴らが我々のアジトに近い『表の世界』まで来れたとしても、中までは容易に辿り着けぬ」
それだけではない。
「ギラティナが反転世界に居座る限り、奴らには手の出しようもない」
教祖の口元が歪む。
「手をこまねいているところに鎖の軍隊をぶつけ続ける。多少の消費は仕方あるまい。息も絶え絶えとなった奴らを、その場で殲滅しろ」
ガライはまたも、何も答えない。
ただ、教祖の言葉を聞いていた。
「……それに」
教祖が懐へ手を伸ばす。
取り出したのは一台のデバイスだった。
見慣れた通信端末とは明らかに異なり、画面にはいくつもの数値と、意味不明な波形が絶えず明滅している。
「何だそれは?」
「装置を強制始動させる専用のデバイスだ」
教祖はそれを掌の上で弄ぶ。
「いざという時はこれを使い、ギラティナと鎖の軍隊を大幅に強化させる」
「…………」
「万に一つも、我々の負けはない」
ガライはそのデバイスへ一瞥を向けた。
ほんの一瞬、その目に何かが宿ったようにも見えた。
だが、それを口にすることはない。
「……まあ、良いだろう」
短く答え、ガライは踵を返した。
再び重い扉が開き、その巨躯が闇の向こうへ消えていく。
残された教祖は、手にしたデバイスへ視線を落とし、歪んだ笑みを浮かべていた。